暁のカトレア

四季

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episode.124 覚悟とか忠誠とか

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 二匹の蜘蛛型化け物が放った炎は、敵である蛇型化け物を、ゼーレ諸共包み込む。その瞬間、私の脳裏に蘇ったのは、あの夜の光景だった。

 すべてが燃え、焼けて、最後には目の前で母が塵となる——。

 私が何よりも恐れていたあの光景が、今再び、鮮明に蘇った。
 何度も夢に見たほど、恐ろしい光景。毎晩私を恐怖のどん底へと突き落とした、呪いのような光景。帝国軍へ来てからは忙しい毎日で、しばらく忘れていたけれど、思い出してしまった。

「……ゼーレ!」

 絞り出すようにして叫ぶ。
 今はただ、彼の声が聞きたかった。嫌みでもいい。傷つくようなことでもいいから、声を聞かせてほしい。

 ——お願いだから、私を遺して逝かないで。


 少しすると、炎が収まった。
 そこに蛇型化け物の姿はなく、ただ黒いものだけが残っていた。

「ゼーレ!」

 私はすぐにそこへ駆け寄る。そして、焼け焦げた黒いマントの下にある人間の体を、そっと抱き上げた。

「大丈夫? 生きている……わよね?」

 彼の体は、想像以上の重さだ。動くことはない。

「……ゼーレ。ねぇ、何か言って」

 見下ろす彼は死体のように静かだった。ただ、冷たくはなっていないことを思うと、まだ辛うじて生きているのだろう。

 そうよ、ゼーレが死ぬはずがない。こんなくらいで、こんな炎くらいで。

 私は心の中で呟き、自分を励まそうと試みる。しかし、込み上げてくるものを止めることはできなかった。

 目からは無数の涙の粒が、はらはらとこぼれ落ちる。こんなことをしている場合ではない、と目元を拭っても、感情の波は収まることを知らず、涙の粒はどんどん溢れてくる。

 そんな私の頭に、ふと、何かが触れた。
 今まで経験したことのない感触に、戸惑いつつも面を上げる。そして目にしたのは、蜘蛛型化け物の脚だった。

「え……」

 蜘蛛型化け物が、私の頭を撫でてくれていたらしい。まるで親が子を撫でるかのように、優しく、頭を触ってきている。

「励まして……くれているの?」

 言いながら、私は、「やはりゼーレは生きている」と確信した。

 前にクロやシロを倒した時、その後に彼らが作り出した化け物を見かけたことはなかった。作り出した本人が消えた後は、大抵何もなくなっていた記憶がある。
 しかし、今はそれらの時とは違い、蜘蛛型化け物がこうして存在している。ということは、恐らく、ゼーレはまだ生きているのだろう。

 ゼーレが死んだと思いたくない私の都合のいい解釈かもしれないが、まんざら間違ってもいなさそうな気がする。彼の体にまだ温かさが感じられる、ということもあるし、ゼーレがまだ生きている可能性は高い。

 ただ、動けるような状態でないことだけは確かだ。

「ゼーレ……終わらせてくるわ」

 私は彼の体をその場に置く。それから、近くにいる二匹の蜘蛛型化け物へ「お願いね」と言って、立ち上がる。

「貴方の優しさを無駄にはしない……だから、すべてが終わるまで待っていて」

 横たわるゼーレへ告げ、私はトリスタンたちがいる方へと歩き出す。

 リュビエを、そしてボスを、ここで倒す。決着をつける。
 その覚悟は固まった。もう決して揺るがない。これまで何度も覚悟をする瞬間はあったけれど、これが最初で最後の——本当の覚悟だ。


「マレイ! 気がついたのか!」
「起きたんだね、マレイちゃん。でも、まだあまり動かない方がいいよ」
「そうだよっ! まだじっとしていなくちゃ!」

 戦場へと歩いていった私に向かって、グレイブとトリスタン、そしてフランシスカが、そんなことを言っていた。

 だが、今の私には関係ない。
 心を決めたのだ。戦うと。だから、じっとなんてしていられない。

「戦うわ、私も」

 今は腕時計があるから、私だって戦える。

「ここですべてを終わらせて……一刻も早く帰りたいの」

 すると、トリスタンが微笑しながら口を開いた。

「もちろん。僕も同じ気持ちだよ。マレイちゃんの言う通り、こんなところでもたもたしてはいられない」

 繊細な容貌ながら、その笑みには芯がある。その芯とは、戦場に生きてきた者の、決して折れることのない強さだ。

「トリスタンがそう言うなら、フランも賛成! 確かに、こんな時間は勿体ないもんねっ!」
「マレイ、お前はなかなか良いことを言うな。さすがだ」

 フランシスカとグレイブも頷く。

「よし。マレイの言う通り、これで決着をつけよう」

 グレイブは前へ垂れてきていた髪を片手で背中側へ流すと、長槍の柄を握り直す。

「ボス! リュビエ! そろそろ消えてもらう!」

 勇ましく叫ぶグレイブ。
 その声に反応し、リュビエがボスより数歩前へと歩み出す。

「お前たちにボスを倒すことはできないわ。あたしが、そんなことはさせないもの」

 リュビエは淡々と述べる。
 だが、落ち着きのある態度とは裏腹に、既にかなり傷ついているようだ。
 蛇のようにうねった緑の髪は、下の方が、まるで火に炙られたかのように黒くなっている。また、体のラインが出るボディスーツには、ところどころに焼けたような跡があった。

「化け物工場は壊れちゃったしー、体力も消耗しちゃってるしー、もういい加減諦めてもいいんじゃないっ?」

 フランシスカの発言に、リュビエの表情が鋭くなる。

「黙れ! 工場も蛇型も関係ない!」
「えー。本当にっ?」
「お前らごときがボスを倒そうだなんて、百万年早いわ! 思い上がるんじゃないわよ!」

 リュビエが珍しく荒れている。これだけ冷静さを失っているということは、彼女としても、追い込まれつつある自覚はあるのだろう。だからこそ、こんな激しい物言いになっているに違いない。

「それ以上余計なことを言うなら、承知しないわ!」

 憤りで落ち着きをなくしつつあるリュビエに、ボスが声をかける。

「リュビエ、落ち着くがいい」
「お言葉ですが、ボス! 落ち着いてなどいられません! この無礼者をどうにかしない限り、落ち着いてなど!」

 リュビエはらしくなくボスに口答えした。すると、ボスのリュビエを見る目が、急激に冷ややかなものに変わる。

「黙れ、女ごときが」

 氷で形作られた剣の先を突きつけるような視線と、まったく温かみのない言葉。先ほどまでとは別人のようなボスの態度に、さすがのリュビエも動揺しているようだった。

「し……失礼致しました、ボス。しかし、その……身のほどをわきまえぬやつらには……」

 動揺のあまりか、リュビエの発する言葉は、途切れ途切れになってしまっている。ボスにまた怒られたら、という恐怖もあるのかもしれない。

「身のほどをわきまえぬやつはお主だ、リュビエ」
「……え? あ、あたし……ですか……?」
「そうだ。お主は役立たずだ」

 ボスの棘のある言葉に、リュビエはふらふらと後ずさる。

「も、もしあたしに無礼があったのなら……謝ります! 何がお気に障ったのでしょうか!?」
「すべてだ」

 ボスの発する言葉、その一つ一つが、リュビエを痛めつけていく。

「お主はろくに任務もこなせず、いつも負けばかりで戻ってくる。ずっと無能だと思っておった」
「無能……確かに、それは……その通りやもしれません……」

 リュビエは唇を震わせながらも、必死に言葉を紡いでいた。その様からは、精神的ダメージの大きさが窺える。

「だが、その忠誠心だけは評価して、いつも大目に見てやっていたのだ」
「は、はい! ボスへの忠誠でなら、誰にも負ける気はありません!」
「しかし、先ほどのような口答えをした。それはつまり、お主が我に絶対的な忠誠を誓ってはいないということだ」
「いえ! あたしのボスへの忠誠は、決して揺らぐことのないものです!」

 リュビエはボスに捨てられまいと必死だ。懸命に言葉を発している。
 だがボスは、非情にも、残酷なことを命じた。

「ならば、ここで自害してみせよ」
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