あなたの剣になりたい

四季

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episode.61 約束します、会いに行くと

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 その後も、トランの裏切りに憤怒し、彼に対する恨み言を吐き続けたグラネイトだったが、五六分経った時、突然真顔に戻った。

「ということで、だな……」

 直前まで強い怒りを露わにしていた彼が急に大人しい表情になったので、少し戸惑う。

「グラネイト様は身を引く!」
「えぇ!?」

 驚きのあまり、思わず大きな声を出してしまった。

「なぜ驚く? 喜ぶべきことだろう!」

 確かに、リゴールの命を狙う敵が減るというのはありがたいことだ。たとえ彼一人が来なくなるだけだとしても、襲われる回数は確実に減少するわけだから、それはとても良いこと。感謝すべきことと言えるだろう。

「そ、それはそうだけど……」
「まだ何かあると言うのか!?」
「いえ。けど、そんなことをしたら、貴方は裏切り者になるわよ。それでも良いの?」

 ブラックスターを捨てるなら、彼もまた、険しい道を行くこととなるだろう。裏切り者と呼ばれ、蔑まれ、憎まれもするだろう。

 ……デスタンがそうであったように。

「ふはは! そういうことか!」

 直後、グラネイトは急に、一人で大笑いを始める。

「心配無用! そこまで弱いグラネイト様ではない! ……だが。恋はまだ諦めん!」

 え。こ、恋? いや、いきなりそんなことを言われても、反応に困るのだが。
 そんな風に戸惑っているうちに、彼は姿を消した。

「何だったの……」

 呟かずにはいられなかった。

 一人部屋に残され、さらに驚くべき急展開の連続。そんな状況下では、落ち着き払っていられる者の方が少ないだろう。


 それからの一週間は穏やかそのものだった。

 リゴールの背中の傷は順調に回復。先日の件があったからか自ら進んで外出することはなかったが、この一週間で、足取りもかなりしっかりしてきた。

 一方デスタンはというと、リゴールを傷つけた罪悪感が少しずつながら和らいできたのか、元々の彼らしい振る舞いに戻りつつある様子だ。冷淡ながら、時折優しさを覗かせる——そんなデスタンに戻っていっている。

 そんな中、私の母親エトーリアの屋敷へ移動する計画が、徐々に進んでいった。

 リゴールは提案した当初から賛成してくれていて。けれど、デスタンは乗り気ではないようだった。
 が、時の経過と共に、少しずつ心が動いてきたようで。
 徐々にではあるが、デスタンも、エトーリアの家へ移っても良いかもしれないと考えてくれるようになってきた。

 彼はその理由として「ミセが被害を被ることを避けるため」と話したが、「彼女のことを考えるのは、愛しているからではなく、世話になってきた恩人だから」と、わざわざ付け加えていた。

 それを付け加える必要があったのか? はともかく。

 デスタンの心が動いてきたのは嬉しい兆候だ。なぜなら、彼の賛成無しに移動はできないからである。


 そして、それからさらに一週間が過ぎた朝。
 私たちはついに出立の日を迎えた。

 ほんの少しだけの荷物をまとめた私は、玄関先で、リゴールと共に礼を述べる。

「「これまで本当にありがとうございました、ミセさん」」

 私とリゴールがミセに向かって感謝の言葉を放ったのは、ほぼ同時だった。
 続けて、デスタンが口を動かす。

「長らくお世話になりました」

 表情は柔らかく、しかしながら淡々とした口調で、デスタンは礼を述べた。そんな彼に、ミセは駆け寄る。

「デスタン……本当に行ってしまうのぅ……?」

 ミセはデスタンの背に両腕を回し、彼を強く抱き締めた。デスタンは、いきなりの彼女の行動に戸惑っているようで、眉頭を微かに震わせている。

「アタシ寂しいわぁ。毎晩デスタンに会えなくなるなんてぇ……」
「また会いにきます」

 デスタンは、顔面には動揺の色を浮かべている。だが、それとは対照的に、言葉の発し方は落ち着いていた。完全に冷静さを欠いている、ということはないようである。

「や、や、約束よぅ……? 絶対に……またアタシに……あっ、会いにっ……」

 ミセは声を震わせる。
 その瞳には、涙の粒が浮かんでいた。

 それを見て私は、彼女がデスタンを心から愛していたのだと、改めて理解した。デスタンの心が変わらずとも、ミセは彼を愛することを止めなかったのだと。

「だからっ……どうか……」
「約束します。会いに行くと」

 そう言って、デスタンは、泣きじゃくる彼女の額にそっと口づけた。

 デスタンの唐突な行動に、ミセは戸惑ったような顔をする。が、デスタンは何事もなかったかのように静かに微笑み、「本当に、お世話になりました」と、短く感謝の意を述べた。

 これまで彼がミセに向けていた笑みは、目的のための作られたもの。ミセはあまり気づいてはいないようだったけれど、純粋な笑みではなかった。

 ——だが。

 ただ、この時だけは、デスタンの笑みは本物であるように思えて。

 ミセとデスタンが、初めて、真に見つめ合った瞬間。
 それはこの時だったのかもしれないと、私は密かにそう思う。


 用意されていた馬車へ乗り込み、ミセの家がある高台から離れていく。

 車内は狭い。向かい合わせに突き出した板のような座席に三人で座ると、物を置くスペースは僅かしかない。

 ちなみに三人の座り方はというと。
 進行方向を向くように座っているのが私とリゴールで、リゴールと向かい合う位置がデスタンだ。

「その……デスタン」

 馬車が走り出してからというもの、誰も言葉を発さなかったのだが、その沈黙を最初に破ったのはリゴールだった。

 彼は顔色を窺うような表情をしながらデスタンに話しかける。

「無理を言って……申し訳ありません」
「何がでしょうか」

 リゴールに謝られたデスタンは、困惑したように返す。なぜ謝罪されているのか分からない、というような顔をしている。

「ミセさんと無理に引き離すような形になってしまったので……申し訳ないことをしてしまったと思いまして……」

 弱々しい声で謝罪の理由を説明しつつ、元々小さく細い体をさらに縮めるリゴール。怯える小動物のように振る舞う彼は、王子だった人物だとはとても思えない。

「……そんなことですか」
「そんなこと!? 重要なことではありませんか!?」
「勘違いなさらないで下さい、王子。私と彼女の間に、そのような絆はありません」

 揺られながら、デスタンは淡々と述べる。

「私は彼女を利用していただけ。それは最後まで変わりませんでした」

 一切躊躇いなく「利用していた」と発したデスタンに、リゴールは小さく問う。

「……本当に、そうなのですか?」

 リゴールの青い瞳は、少しもぶれることなく、デスタンの顔をじっと捉えている。

「わたくしには、そうは見えませんでしたが……」
「王子は、私がミセに特別な感情を抱いていると仰るのですか? 馬鹿な。あり得ません」

 何をどう言おうと、デスタンは認めないかもしれない。けれど、今は、私もリゴールの意見に賛成。リゴールの見ているものと同じものを、私も見ていたように思う。
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