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episode.88 最良ではなくても
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翌日の朝、まだ世界が目覚めるより早い時間帯に、リゴールが部屋を訪ねてきた。
彼は泣いていた。
リゴールが涙ながらに言うには、昨夜、デスタンの体の状態について本人から聞いたらしい。
「申し訳ありません、その……こんな朝早くから」
リゴールが着ているのは、いつもの詰め襟の服ではない。今の彼は、白いブラウスに紺の布ズボンという、シンプルな格好をしている。
ちなみに、それらは屋敷の隅に置かれていたのをバッサが発掘してきたもの。
薄黄色の詰め襟はというと、今は、洗ってもらうべくバッサら使用人に渡している。
「……聞いたのね。デスタンさんから……その話」
「はい。それであまり眠れず、寂しくなり、最終的にエアリに会いたくなりました」
リゴールの顔はリンゴのように真っ赤。目の周囲や頬なども含め、顔面が全体的に腫れてしまっている。
「部屋に入る?」
取り敢えず落ち着ける方が良いだろう、と思い、尋ねてみる。
だが、リゴールは頷かない。
「……また迷惑をかけてしまってはいけないので」
「そうよね、ごめんなさい。あんなことがあった後だし、二人だと不安よね」
するとリゴールは慌てて首を左右に振る。
「ち、違います……! エアリを責めているわけでは、なくてっ……!」
気を遣わせてしまったようだ。
そんなつもりはなかったのだが。
「待って待って。責められたなんて思っていないわ。一人だと不安なのでしょう?」
「……は、はい」
「じゃあどうする? デスタンさんのところにでも行く?」
刹那、リゴールは「それはできません!」と叫んだ。彼らしからぬ鋭い言い方に、私は驚き戸惑う。当のリゴールはというと、困惑している私の様子を見てから鋭い物言いをしたことを悔いたようで、気まずそうに身を縮める。
「その……デスタンには、もう会えません」
「なぜ?」
「わたくし、飛び出してきてしまったのです」
それを聞き、やれやれ、と言いたくなってしまった。
彼らは親しく、お互いを大切に思っているにもかかわらず、妙に不器用ですぐに弾き合う。前にトランの術のせいでリゴールが負傷した時もそうだった。あの時も、彼らは気まずくなっていた。向き合って話せばすぐに分かりあえるにもかかわらず、だ。
「貴方たちって、なんだか、女の子同士みたいね」
私はうっかり本心を発してしまった。それを聞いたリゴールは、きょとんとした顔をして、こちらをじっと見る。
「お互い変に気を遣ってるところとか、何となく、男同士ってイメージじゃないわ」
「そ、そうですか」
「あ。べつに、悪い意味で言っているわけじゃないわよ」
「は、はい。もちろん……それは承知しております」
リゴールは口角を上げ、笑みを作る。しかし自然な笑顔を作ることはできておらず。固く歪な笑顔になってしまっている。
「まぁでも、緊急でもないのに夜中にお邪魔するのは問題かもしれないわね」
この時間であれば、デスタンもまだ起きてはいないだろう。
もし睡眠中だとしたら、それを起こしてしまうのは申し訳ない。
「……はい」
「リゴールの部屋へ移動する?」
「あ……か、構いませんか」
「えぇ! じゃあ、そうしましょっか」
ひとまず彼の部屋へ向かうことに決めた。
リゴールの自室へ入れてもらった私は、ぱっと目についた一人掛けのソファに腰掛ける。
外は、朝を迎えるべく、徐々に明るくなってきている。その光が窓から差し込んでくるため、視界は悪くない。それに、テーブルの上にはランプがあった。だからさらに、暗くはなくて。
ただ、空気は暗く重苦しい。
「共に来て下さって、ありがとうございます」
「いいえ。気にしないで」
ベッドにポンと飛び乗るリゴール。
私たちの場所は離れている。
「リゴールも疲れているのよね、分かるわ。だって、貴方は……処刑されかかっていたのだものね」
押し潰されてしまいそうな沈黙に耐えられず、私は、そんな話を振ってみる。
本当なら、もっと明るくなれるような話題を振るべきだったのかもしれないが、それは今の私にはできなかった。それに、悲しんでいるリゴールに明るすぎる話を振るというのも、ある意味嫌みのようになってしまうかもしれないと思って。
だから、結局こんな、ぱっとしない話題を提供することになってしまった。
「そうでした。きちんとお礼も言えておらず、すみません。助けて下さって……ありがとうございました」
ようやく落ち着いてきたらしく、リゴールの声は段々安定してきた。
気のせいという可能性もゼロではないのだけれど、でも、きっとただの気のせいではないと思う。
「確か、エアリも連れていかれたのでしたよね。……傷つけられたりはありませんでしたか?」
「えぇ。王妃と話をしたりはしたけれど」
そう言うと、リゴールは驚きを露わにする。
「王妃!?」
「そうよ。ま、たいしたことは話せなかったけど」
彼女と話せたのは、本当に、少しの時間だけだった。
「ただ、トランが言うには、王妃は元々直属軍の一人だったらしいわ」
「そうなのですか……ではもしかしたら、わたくしは、以前会ったことがあるかもしれませんね」
もしあのまま私があそこに滞在していれば、より多く会うことができたのかもしれない。そうしたら、もっと、重要な情報を聞き出すことができたのかもしれないと、そう思いはする。
けれど、私はそれを望まなかったし、今も望んではいない。
あのままだったら、リゴールは処刑されていただろう。彼が殺されてしまえば、ブラックスターの情報を手に入れたところで、何の意味もない。
結局のところ、一番大事なのは命。
リゴールは処刑されなかったし、私も牢から脱出できた。デスタンも生き延びてはいるわけだし、協力してくれたウェスタはあの後すぐに行方をくらませたが、きっとどこかで暮らしているだろう。
最良の結末ではなかったかもしれない。
でも、最悪の結末は回避できた。
それだけでも、喜ぶべきなのではないだろうか。
私たちはただ逃げてきただけ。だから、きっとまた狙われはするだろう。このくらいで見逃してくれるブラックスターではあるまい。
でも。それでも。
今はただ、こうして生きていられることに感謝していたい。
「そうなの?」
途端に、リゴールの表情が曇る。
話題の進め方を間違えたかもしれない。
「はい。陥落直前の頃、直属軍の者と何度か遭遇しましたから」
「そうだったの……」
「王妃、ということは、女性ですよね。彼女は……深紅のような色の髪ではありませんでしたか?」
リゴールの口から出た言葉に、私は少しゾッとしてしまった。
その通りだったからだ。
「え、えぇ……そうよ……」
「ということは、やはり、会ったことのある者です」
髪色くらい、適当に言っても当たる。
そう言われてしまえば、それまでかもしれない。
世には奇跡なんて溢れているのだから、ここでそれが起きたとしてもおかしくはない。
そう言う人がいるかもしれない。
でも、偶然だとしても一発で当たったのだから、驚くべきことだろう。
少なくとも、私は、驚かずにはいられなかったのだ。
彼は泣いていた。
リゴールが涙ながらに言うには、昨夜、デスタンの体の状態について本人から聞いたらしい。
「申し訳ありません、その……こんな朝早くから」
リゴールが着ているのは、いつもの詰め襟の服ではない。今の彼は、白いブラウスに紺の布ズボンという、シンプルな格好をしている。
ちなみに、それらは屋敷の隅に置かれていたのをバッサが発掘してきたもの。
薄黄色の詰め襟はというと、今は、洗ってもらうべくバッサら使用人に渡している。
「……聞いたのね。デスタンさんから……その話」
「はい。それであまり眠れず、寂しくなり、最終的にエアリに会いたくなりました」
リゴールの顔はリンゴのように真っ赤。目の周囲や頬なども含め、顔面が全体的に腫れてしまっている。
「部屋に入る?」
取り敢えず落ち着ける方が良いだろう、と思い、尋ねてみる。
だが、リゴールは頷かない。
「……また迷惑をかけてしまってはいけないので」
「そうよね、ごめんなさい。あんなことがあった後だし、二人だと不安よね」
するとリゴールは慌てて首を左右に振る。
「ち、違います……! エアリを責めているわけでは、なくてっ……!」
気を遣わせてしまったようだ。
そんなつもりはなかったのだが。
「待って待って。責められたなんて思っていないわ。一人だと不安なのでしょう?」
「……は、はい」
「じゃあどうする? デスタンさんのところにでも行く?」
刹那、リゴールは「それはできません!」と叫んだ。彼らしからぬ鋭い言い方に、私は驚き戸惑う。当のリゴールはというと、困惑している私の様子を見てから鋭い物言いをしたことを悔いたようで、気まずそうに身を縮める。
「その……デスタンには、もう会えません」
「なぜ?」
「わたくし、飛び出してきてしまったのです」
それを聞き、やれやれ、と言いたくなってしまった。
彼らは親しく、お互いを大切に思っているにもかかわらず、妙に不器用ですぐに弾き合う。前にトランの術のせいでリゴールが負傷した時もそうだった。あの時も、彼らは気まずくなっていた。向き合って話せばすぐに分かりあえるにもかかわらず、だ。
「貴方たちって、なんだか、女の子同士みたいね」
私はうっかり本心を発してしまった。それを聞いたリゴールは、きょとんとした顔をして、こちらをじっと見る。
「お互い変に気を遣ってるところとか、何となく、男同士ってイメージじゃないわ」
「そ、そうですか」
「あ。べつに、悪い意味で言っているわけじゃないわよ」
「は、はい。もちろん……それは承知しております」
リゴールは口角を上げ、笑みを作る。しかし自然な笑顔を作ることはできておらず。固く歪な笑顔になってしまっている。
「まぁでも、緊急でもないのに夜中にお邪魔するのは問題かもしれないわね」
この時間であれば、デスタンもまだ起きてはいないだろう。
もし睡眠中だとしたら、それを起こしてしまうのは申し訳ない。
「……はい」
「リゴールの部屋へ移動する?」
「あ……か、構いませんか」
「えぇ! じゃあ、そうしましょっか」
ひとまず彼の部屋へ向かうことに決めた。
リゴールの自室へ入れてもらった私は、ぱっと目についた一人掛けのソファに腰掛ける。
外は、朝を迎えるべく、徐々に明るくなってきている。その光が窓から差し込んでくるため、視界は悪くない。それに、テーブルの上にはランプがあった。だからさらに、暗くはなくて。
ただ、空気は暗く重苦しい。
「共に来て下さって、ありがとうございます」
「いいえ。気にしないで」
ベッドにポンと飛び乗るリゴール。
私たちの場所は離れている。
「リゴールも疲れているのよね、分かるわ。だって、貴方は……処刑されかかっていたのだものね」
押し潰されてしまいそうな沈黙に耐えられず、私は、そんな話を振ってみる。
本当なら、もっと明るくなれるような話題を振るべきだったのかもしれないが、それは今の私にはできなかった。それに、悲しんでいるリゴールに明るすぎる話を振るというのも、ある意味嫌みのようになってしまうかもしれないと思って。
だから、結局こんな、ぱっとしない話題を提供することになってしまった。
「そうでした。きちんとお礼も言えておらず、すみません。助けて下さって……ありがとうございました」
ようやく落ち着いてきたらしく、リゴールの声は段々安定してきた。
気のせいという可能性もゼロではないのだけれど、でも、きっとただの気のせいではないと思う。
「確か、エアリも連れていかれたのでしたよね。……傷つけられたりはありませんでしたか?」
「えぇ。王妃と話をしたりはしたけれど」
そう言うと、リゴールは驚きを露わにする。
「王妃!?」
「そうよ。ま、たいしたことは話せなかったけど」
彼女と話せたのは、本当に、少しの時間だけだった。
「ただ、トランが言うには、王妃は元々直属軍の一人だったらしいわ」
「そうなのですか……ではもしかしたら、わたくしは、以前会ったことがあるかもしれませんね」
もしあのまま私があそこに滞在していれば、より多く会うことができたのかもしれない。そうしたら、もっと、重要な情報を聞き出すことができたのかもしれないと、そう思いはする。
けれど、私はそれを望まなかったし、今も望んではいない。
あのままだったら、リゴールは処刑されていただろう。彼が殺されてしまえば、ブラックスターの情報を手に入れたところで、何の意味もない。
結局のところ、一番大事なのは命。
リゴールは処刑されなかったし、私も牢から脱出できた。デスタンも生き延びてはいるわけだし、協力してくれたウェスタはあの後すぐに行方をくらませたが、きっとどこかで暮らしているだろう。
最良の結末ではなかったかもしれない。
でも、最悪の結末は回避できた。
それだけでも、喜ぶべきなのではないだろうか。
私たちはただ逃げてきただけ。だから、きっとまた狙われはするだろう。このくらいで見逃してくれるブラックスターではあるまい。
でも。それでも。
今はただ、こうして生きていられることに感謝していたい。
「そうなの?」
途端に、リゴールの表情が曇る。
話題の進め方を間違えたかもしれない。
「はい。陥落直前の頃、直属軍の者と何度か遭遇しましたから」
「そうだったの……」
「王妃、ということは、女性ですよね。彼女は……深紅のような色の髪ではありませんでしたか?」
リゴールの口から出た言葉に、私は少しゾッとしてしまった。
その通りだったからだ。
「え、えぇ……そうよ……」
「ということは、やはり、会ったことのある者です」
髪色くらい、適当に言っても当たる。
そう言われてしまえば、それまでかもしれない。
世には奇跡なんて溢れているのだから、ここでそれが起きたとしてもおかしくはない。
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