戦いは終わって、愛する人と結ばれたなら、あとは穏やかに生きてゆくだけだと思っていた――。 (白薔薇のナスカ関連作品)

四季

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6話

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 その日は雨が降っていた。
 なぜか分からないがエアハルトが出ていった後食堂へ案内された私は、そこで与えられたクリームパンを食べ、いつもの部屋へと戻ることとなる。
 これは一体何だったのだろう、なんて思いながら廊下を歩いていると、窓越しに空が見えるがその空は憂鬱そうな色をしていた。

 そんな空について考えている内に部屋の前へ到着。付き添いの若い男性が重い扉を開けた。食堂へ行ってクリームパンを食べて帰ってきただけ、なんていうのが意味不明で、つい「一体何だったの」なんてこぼしてしまう。若い男性は一瞬こちらへ視線を向けたけれど、問いへの答えはなかった。

 答えがもらえなければ理解不能なことは理解不能なまま。
 何一つ解決しないまま無機質な時が過ぎてゆく。

 雨の日特有の湿気と舌に残る甘い匂いだけが私の世界のすべてだった。


 ◆


「脱げ」
「……は?」

 もはや親友であるかのように毎日長時間顔を合わせているエアハルトと五十代の短髪男。

 エアハルトはもう男からあれこれされることには慣れた。罵声を浴びせられようとも、蹴られようとも、今のエアハルトにとってはいたって普通のことだ。人間とは上手く作られているもので、不快なことや辛いことであっても継続していれば徐々になれてくる。感覚が麻痺している、とも言えるかもしれないが。何にせよ、同じことをされていても回数を重ねれば初回ほどの痛みは感じないものなのだ。

 だがそれでも、この日男から投げられた言葉には愕然とする外なかった。

「アードラー、お前には人として生きる権利はない」
「何を言って……」
「ここではお前は奴隷だ!!」

 次の瞬間、エアハルトは男の部下に羽交い締めにされる。

「おい、お前、そのまま脱がせろ」
「はっ」

 五十代男の指示を受けた部下の青年はエアハルトの喉もとへ片腕を伸ばすと上衣の前面を無理矢理開いた。

「何なんだ一体……!」

 これにはさすがのエアハルトも表情を崩す。

「はは、珍しく動揺してるなアードラー」
「当たり前だろう! 意味が分からない!」

 何が起こるのか分からない、それ以上に恐ろしいものはない。
 それが人の心というものだ。

「安心しろ、上だけだ」
「こんなことをして何になる!」

 愉快そうな五十代男と動揺を隠せないエアハルト、両者の視線がぶつかり合う。

「……ナスカとかいうあの女をそういう目に遭わせる方が良かったか?」

 男がしわの深い口角を持ち上げた瞬間、エアハルトはハッとした。

 思い出したのだ。
 退くことはできないのだ、と。

 ご機嫌な男は上着から小型のナイフを取り出すとその刃をエアハルトの喉へ突きつける。

「お前が素直に従わないなら、あの女を痛めつけたっていいんだぞ」
「……それはやめろ」
「なら従え。お前が。抵抗なんてしてみろ、あの女の服をずたずたにしてやる。……いや、服だけでなく。身も心も、だ」

 空気が一気に冷え込んだ。

「自分の立場が分かったようだな」

 男はエアハルトが黙るのを見ると満足そうに頷く。

 やがて上衣を完全に脱がされた状態になるエアハルト、その姿を目にするや否や男は黒い笑みを向けた。

「今日はその状態で引きずり回してやる」

 それからエアハルトは両腕を身体の後ろで固定された。両手首を背中の近くで縄で縛られたのである。より一層自由を失わされたエアハルトだが目立った抵抗の意思は見せない。エアハルトはそのまま外へと連れ出される。上半身の着衣を許されないということは少々屈辱的なことではあるが、それ以上に辛いのが寒さであった。雨降る寒い日にろくに服も着れないまま屋外へ連れ出されれば皮膚が急速に熱を失う。ただただ寒く、身も心も震える。

「伏せろ」
「……何だって?」
「何度も言わせるな!! 伏せろ!! そして犬が歩くかのように歩け!! あぁ、もちろん、手は使わないままで、な」

 エアハルトは仕方なく身体の位置を下げた。
 本来であれば四つん這いのような体勢、しかし両腕は背中側に固定されていて自由に使うことはできない。
 ウエストや腰の辺りに自然と力が入る。
 短時間であれば特に問題なく行える体勢ではあるが、同時に、長時間続けるとなると疲労が蓄積しそうな体勢でもある。

 男はというと、両腕を縛ったところから伸びている縄をリードのように手にしている。

「エアハルト・アードラー、お前は人間じゃねぇ、犬だ。それも大事にされて可愛がられている犬じゃない。奴隷みたいなもんだ。ひたすら虐げられる犬だよ、お前は」

 エアハルトはそんな体勢のままで前へ進むことを求められた。

 あまりにもかっこ悪い。
 そしてどこまでも惨めだ。

「ほら! 進め! もたもたするな!」

 明らかに普通でない、異様な、そんな光景。それは道行く人たちの視線を釘付けにした。が、それもまた当然のこととも言える。なぜって、通常であれば起こらないようなことが起こっているのだから。そのようなことが目の前で起こっていたなら、誰だってそちらへ目をやってしまうものだろう。

 下半身、特に膝より下が、砂利に擦れて痛む。
 それはエアハルトにとって苦痛以外の何物でもなかった。

 ただ、ズボンは着用していたので、その点だけは幸運だったと言えるだろう。もしズボンすらも脱がされていたなら、間違いなく、今頃足が傷だらけになっていただろうから。

 雨に濡れて、皮膚から伝わる冷え。
 この時のエアハルトはそれに耐えることに一生懸命であった。

「おら! ちゃんと進めよ!」

 慣れない体勢で歩かされていることもあり理想的な速度を出せないエアハルトに苛立った男はエアハルトの尻を片足で蹴る。それによってバランスを崩したエアハルトは前向きに倒れる。湿った砂利で肩を擦った。身体の中を通じて、ざり、という音が伝わるかのような感覚。エアハルトはほぼ無意識のうちに顔をしかめた。

「とれーんだよ!」
「……っ、動きづらいんだ体勢が」

 エアハルトが言い返すと、男はさらにもう一発腰を蹴る。

「黙れ!!」

 男の怒りが砂利を使いエアハルトの身を傷つける。

「頑張れよ。もたもたするな、しっかり歩け。……なぁ? 英雄さん?」
「無茶、言うな」

 短く返すエアハルト。
 しかしそれが男をより苛立たせる。

「はあぁぁぁぁ!?」

 男は硬い靴の裏で躊躇することなくエアハルトの生の背中を踏みつけた。

「っ、ぐ……」

 エアハルトが詰まるような苦痛の声をあげるのを見た男は満足そうに笑みをこぼした。

「はは、生身だとより効くだろ」
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