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9話 ダルマグロの刺身
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久々に自室の外で食べる夕食。久々に誰かと一緒に食べる夕食。
私にとっては、とても新鮮なものだった。
従者の多くを失ったあの日から、私は、周りに人がいない方が良いと思って過ごしてきた。誰かを巻き込んでしまうくらいなら、一人でいる方が幸せだ。そんな風に考えて生活してきた。
けれど、人の温もりを感じながら過ごす時間というのも、たまには必要なのかもしれない——今はそんな風に思う部分もある。
「ベルンハルト、それ食べないのか?」
「……僕には必要ない」
「ダルマグロの刺身だぞ? 食べないと損だぁ!」
「魚は受けつけない」
父親は相変わらずだ。
食べ物への関心が薄そうなベルンハルトに対し、何の躊躇いもなく、どんどん話しかけていっている。
室内にいるのは、私と父親、そしてベルンハルトとシュヴァル。だが、実際食べ物を口にしているのは三人だけだ。シュヴァルは、ベルンハルトがおかしな動きをしないか見張っておく役のようである。
「貴方は魚が苦手なの?」
「あまり好みでない」
「もしかして、食べられない感じ?」
今日の夕食には、ダルマグロの刺身があった。宝石のように赤く輝くその身は、見る者にダルマグロの新鮮さを感じさせてくれる。
ダルマグロは、マグロにしてはあっさりしているため、個人的にはとても好みだ。
だがベルンハルトはというと、白い皿に乗った赤いダルマグロの切り身を見て、渋柿を食べたような顔をしていた。その手が、ダルマグロの刺身へ伸びることはない。
「生の魚など食べたことがない」
「え。そうなの? そんな人もいるのね」
そこへ父親が口を挟んでくる。
「ダルマグロは高級魚だからなぁ!」
大きな声を出している父親は、ダルマグロの刺身を既に完食し、その隣に盛られたオルマリンイカの刺身を食べているところだ。
彼の食べる早さは、私の想像を遥かに超えていた。
もっとも、私が食べるのが遅いだけなのかもしれないが。
「ベルンハルト、苦手なら無理しなくていいのよ」
「だが、残すのはもったいない」
彼は意外と真面目なのかもしれない。
「せっかく用意されたものだ。食べる」
「ふふっ。ベルンハルトって、真面目なのね」
すると彼はこちらを睨んできた。
「馬鹿にしているのか」
すぐにこんな険しい顔をするのは、育ってきた環境のせいだろうか。
本人に直接聞くわけにはいかないため、真実を確かめることはできない。けれど、もしそうなのだとしたら、それはとても悲しいことだ。
「馬鹿にしてなんていないわ。普通の会話よ」
静かにそう述べると、彼は私を睨むことを止めた。
彼は表情のない顔に戻ると、ダルマグロの刺身へ手を伸ばす。そして、その赤い身を、手に持ったフォークで貫く。
「美味しいわよ、ダルマグロ」
私は一応そんな声をかけておいた。
その直後、ベルンハルトはダルマグロの刺身を口に含んだ。
赤い宝石のような身を口へ入れると、ベルンハルトは暫し咀嚼する。その後、数十秒ほど経ってから、彼はようやく飲み込んだようだ。
「妙な触感だ」
「……美味しくなかった?」
「なぜかぐにぐにする」
「生のダルマグロはそんなものなのよ」
今のベルンハルトは、不快そうな顔をしてはいない。ただ、奇妙なものを食べてしまった、とでも言いたげな顔つきをしている。ほどよい歯ごたえも、慣れていないと奇妙なものに感じてしまうのかもしれない。
「こんなものは食べたことがない」
「ベルンハルトの故郷では、魚は食べないのね」
「収容所には魚などいない」
きっぱりと述べつつ、ベルンハルトはダルマグロの刺身へフォークを突き刺している。
二切れ目に進んでいるということは、到底食べられないような美味しくなさではなかったということだろう。それが分かり、私は密かに安堵した。
「……収容所?」
私は故郷の話をした。なのに彼は収容所と言った。これではまるで、彼が、収容所で生まれ育った人間であるかのような流れになってしまっている。妙だ。
「貴方の故郷は収容所なの?」
だが、その問いに彼が答えることはなかった。
きっと、オルマリン人である私なんかには、言いたくないことなのだろう。何となくそう察したため、私は、それ以上問うことはしなかった。他人が問われたくないと思っていることを問うほど、無情な人間ではない。
こうして、私とベルンハルトの会話は一旦幕を下ろした。
その時、それまでずっと黙っていたシュヴァルが、唐突に口を開く。
「星王様。少しばかり、席を外させていただいても構わないでしょうか」
「あぁ。好きにしてくれ」
「ありがとうございます。それでは暫し、失礼させていただきます」
シュヴァルは軽く頭を下げると、速やかに退室していった。
恐らく、何か急ぎの用でも思い出したのだろう。星王の側近ともなれば、やはり、それなりに忙しいみたいだ。
今度会ったら、その時からは、「いつもお疲れ様」くらいは声をかけるようにしようと思う。
こうして、星王の間にいるのが三人になった——そんな時だった。
「イーダ! 伏せろ!」
父親が突然そんな言葉を叫んだ。
だが、頭がすぐにはついていかない。何を言っているのか咄嗟に理解できるほど、私は聡明ではないのである。
その次の瞬間。
飲み水が入っていた私用のガラス製グラスが、悲鳴のような凄まじい音をたてて砕け散った。
「……何!?」
あまりに急なことで、何が起こったのかまったく掴めない。
けれど、危険が迫っていることだけは、本能で察知することができた。
ただ、今度は逆に気が動転し、目に見えない何かがいたずらをしたのか、なんて馬鹿なことをことを考えてしまうような状態になってしまう。
「次が来る!」
耳に飛び込んできたのは、父親の鋭い声。
視界の端には、立ち上がるベルンハルトの姿が映る。
「ま、窓の方……?」
「イーダ! 椅子に隠れるんだぁっ!」
日頃とはまったく違う父親の声色に、かなり危険な状況におかれているのだと理解した。
取り敢えず隠れる。今私にできることは、それしかない。
だから私は、すぐに椅子から立った。そして、椅子の下へと潜り込む。
私にとっては、とても新鮮なものだった。
従者の多くを失ったあの日から、私は、周りに人がいない方が良いと思って過ごしてきた。誰かを巻き込んでしまうくらいなら、一人でいる方が幸せだ。そんな風に考えて生活してきた。
けれど、人の温もりを感じながら過ごす時間というのも、たまには必要なのかもしれない——今はそんな風に思う部分もある。
「ベルンハルト、それ食べないのか?」
「……僕には必要ない」
「ダルマグロの刺身だぞ? 食べないと損だぁ!」
「魚は受けつけない」
父親は相変わらずだ。
食べ物への関心が薄そうなベルンハルトに対し、何の躊躇いもなく、どんどん話しかけていっている。
室内にいるのは、私と父親、そしてベルンハルトとシュヴァル。だが、実際食べ物を口にしているのは三人だけだ。シュヴァルは、ベルンハルトがおかしな動きをしないか見張っておく役のようである。
「貴方は魚が苦手なの?」
「あまり好みでない」
「もしかして、食べられない感じ?」
今日の夕食には、ダルマグロの刺身があった。宝石のように赤く輝くその身は、見る者にダルマグロの新鮮さを感じさせてくれる。
ダルマグロは、マグロにしてはあっさりしているため、個人的にはとても好みだ。
だがベルンハルトはというと、白い皿に乗った赤いダルマグロの切り身を見て、渋柿を食べたような顔をしていた。その手が、ダルマグロの刺身へ伸びることはない。
「生の魚など食べたことがない」
「え。そうなの? そんな人もいるのね」
そこへ父親が口を挟んでくる。
「ダルマグロは高級魚だからなぁ!」
大きな声を出している父親は、ダルマグロの刺身を既に完食し、その隣に盛られたオルマリンイカの刺身を食べているところだ。
彼の食べる早さは、私の想像を遥かに超えていた。
もっとも、私が食べるのが遅いだけなのかもしれないが。
「ベルンハルト、苦手なら無理しなくていいのよ」
「だが、残すのはもったいない」
彼は意外と真面目なのかもしれない。
「せっかく用意されたものだ。食べる」
「ふふっ。ベルンハルトって、真面目なのね」
すると彼はこちらを睨んできた。
「馬鹿にしているのか」
すぐにこんな険しい顔をするのは、育ってきた環境のせいだろうか。
本人に直接聞くわけにはいかないため、真実を確かめることはできない。けれど、もしそうなのだとしたら、それはとても悲しいことだ。
「馬鹿にしてなんていないわ。普通の会話よ」
静かにそう述べると、彼は私を睨むことを止めた。
彼は表情のない顔に戻ると、ダルマグロの刺身へ手を伸ばす。そして、その赤い身を、手に持ったフォークで貫く。
「美味しいわよ、ダルマグロ」
私は一応そんな声をかけておいた。
その直後、ベルンハルトはダルマグロの刺身を口に含んだ。
赤い宝石のような身を口へ入れると、ベルンハルトは暫し咀嚼する。その後、数十秒ほど経ってから、彼はようやく飲み込んだようだ。
「妙な触感だ」
「……美味しくなかった?」
「なぜかぐにぐにする」
「生のダルマグロはそんなものなのよ」
今のベルンハルトは、不快そうな顔をしてはいない。ただ、奇妙なものを食べてしまった、とでも言いたげな顔つきをしている。ほどよい歯ごたえも、慣れていないと奇妙なものに感じてしまうのかもしれない。
「こんなものは食べたことがない」
「ベルンハルトの故郷では、魚は食べないのね」
「収容所には魚などいない」
きっぱりと述べつつ、ベルンハルトはダルマグロの刺身へフォークを突き刺している。
二切れ目に進んでいるということは、到底食べられないような美味しくなさではなかったということだろう。それが分かり、私は密かに安堵した。
「……収容所?」
私は故郷の話をした。なのに彼は収容所と言った。これではまるで、彼が、収容所で生まれ育った人間であるかのような流れになってしまっている。妙だ。
「貴方の故郷は収容所なの?」
だが、その問いに彼が答えることはなかった。
きっと、オルマリン人である私なんかには、言いたくないことなのだろう。何となくそう察したため、私は、それ以上問うことはしなかった。他人が問われたくないと思っていることを問うほど、無情な人間ではない。
こうして、私とベルンハルトの会話は一旦幕を下ろした。
その時、それまでずっと黙っていたシュヴァルが、唐突に口を開く。
「星王様。少しばかり、席を外させていただいても構わないでしょうか」
「あぁ。好きにしてくれ」
「ありがとうございます。それでは暫し、失礼させていただきます」
シュヴァルは軽く頭を下げると、速やかに退室していった。
恐らく、何か急ぎの用でも思い出したのだろう。星王の側近ともなれば、やはり、それなりに忙しいみたいだ。
今度会ったら、その時からは、「いつもお疲れ様」くらいは声をかけるようにしようと思う。
こうして、星王の間にいるのが三人になった——そんな時だった。
「イーダ! 伏せろ!」
父親が突然そんな言葉を叫んだ。
だが、頭がすぐにはついていかない。何を言っているのか咄嗟に理解できるほど、私は聡明ではないのである。
その次の瞬間。
飲み水が入っていた私用のガラス製グラスが、悲鳴のような凄まじい音をたてて砕け散った。
「……何!?」
あまりに急なことで、何が起こったのかまったく掴めない。
けれど、危険が迫っていることだけは、本能で察知することができた。
ただ、今度は逆に気が動転し、目に見えない何かがいたずらをしたのか、なんて馬鹿なことをことを考えてしまうような状態になってしまう。
「次が来る!」
耳に飛び込んできたのは、父親の鋭い声。
視界の端には、立ち上がるベルンハルトの姿が映る。
「ま、窓の方……?」
「イーダ! 椅子に隠れるんだぁっ!」
日頃とはまったく違う父親の声色に、かなり危険な状況におかれているのだと理解した。
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