イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜

四季

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22話 確証はなくとも、可能性はある

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 周囲の人々が離れていったことにより生まれた空間で、クネルとベルンハルトは対峙する。

 静かながら和やかに行われていた食事会だったが、クネルが本性を現したことにより、場の空気は一変。今やホール内は、かなり緊迫した空気に包まれている。

「覚悟しなさいよぉぉぉーん!」

 ベルンハルトに向けて、クネルはナイフを振り下ろす。
 しかし、その刃が命中するより早く、ベルンハルトはクネルに蹴りを叩き込む。彼が放った低めの蹴りは、クネルの腹部辺りに当たった。

「何してくれるのよんっ!!」

 一撃を食らったことによって、クネルの顔面が荒々しさをまとう。

 だが、ベルンハルトは怯まない。

 彼はクネルの手首を掴むと、その手からナイフをもぎ取った。

 収容所で生まれ育ち、戦闘職に就いていたわけでもないはずのベルンハルトが、なぜこうも戦うことに長けているのかはよく分からない。ただ、今私は、安心して彼の背を見つめることができた。

 これといった具体的な根拠があるわけではない。
 けれど、ベルンハルトに対しては、なぜか「彼ならやってくれる」と思えるのだ。

「あーん! 奪うとか酷いわぁーん!」
「いや、刃を向ける方が酷い」

 冷ややかに返した後、ベルンハルトは片手に持っていたグラスをクネルへ投げつけた。茶色の液体が飛び散り、グラスは床に落ちて砕け散る。

「あーん! お茶をかけるなんて酷ぉーいっ!」
「観念しろ」

 ベルンハルトはほんの数秒で、クネルとの距離を一気につめた。そして、クネルへと腕を伸ばす。

 ——だが次の瞬間、驚くべきことが起きた。

「く、くっそぉぉぉーん! もうこうなったらぁーっ!」

 クネルがその場から逃げ出したのだ。

 彼は、ベルンハルトとは逆の方向へ駆けていく。私を殺すことは諦めて、ひとまずこの場から退くつもりなのだろう。

 あまりに突然だったため、さすがのベルンハルトも、すぐに追いかけることはできていない。

 ーーしかし。

「ぎゃっ」

 逃走し始めて数秒もしないうちに、クネルは短い声を放った。そして、その細く小さい体は、ドサリと地面へ崩れ落ちた。

 それにより、ホール内に動揺の渦が広がる。

 甲高い悲鳴をあげる者。慌ててホールから出ていこうとする者。また、それらとは逆に、野次馬的に倒れたクネルへ近づこうとする者。
 反応は人それぞれだが、一部始終を見ていた多くの者が、パニックに近しい状態に陥ってしまっている。

「ちょっとー。これ、どうなってるのよー?」

 ドリンクを取りに行ってくれていたリンディアが、その整った顔に戸惑いの色を浮かべながら、私たちのもとへと帰ってきた。

「……リンディア」
「一体どーいう状況なの?」

 少し離れた場所にいたリンディアは、一部始終を見ることができなかったようだ。その表情からは、急展開についてくることができていないということが、はっきりと伝わってくる。

「逃げ出そうとしたクネルが、突然倒れたの」

 私は最低限の言葉だけで説明した。
 詳しく説明しようと頑張れば頑張るほど、分かりにくい説明になる。それは明らかだったから。

 するとリンディアは、捨てられた人形のように倒れているクネルへと視線を向け、顔に呆れの色を滲ませる。

「馬鹿ねー。こんな、人がたーくさんいるところで殺そうだなんて、馬鹿としか言い様がないわー」

 彼女は、自身の一つに束ねた赤い髪を指でいじりつつ、そんなことを呟いた。

「どんな頭をしているのかしらねー」

 リンディアが放つ言葉の端々には、相変わらず毒気がちらついている。既に亡き者となってしまった人に対してですら毒を吐けるというのは、「さすがリンディア」と言わざるを得ない。少なくとも、私にはできないことだ。

 ……もっとも、どちらが良いかは別の話だが。

「けど、ま。王女様が無事で何よりだわー」
「心配してくれてありがとう」
「べつにー。たいしたことじゃなーいわよー」

 私が礼を述べると、リンディアは少し気恥ずかしそうな顔をしていた。

 そこへ、ベルンハルトが入ってくる。

「イーダ王女……貴女はなぜ、こうも狙われる?」

 すぐには答えられなかった。彼が放った問いに答えるには、精神的な準備が必要だったからである。

「一日一回、と言っても過言ではないペースだ。妙だとは思わないのか」
「狙われるのは……私が王女だから。きっと、そうだわ」

 クネルから奪い取ったナイフを手に持ったまま、ベルンハルトは眉をひそめる。

「本当にそれだけなのか」

 もしかしたら、それだけではないのかもしれない——うっすらとそう思うことはある。だが、決定的な根拠があるわけではない。だから、はっきりと答えることはできないのだ。

「外部の人間が貴女を狙っているのだとしたら、いくらなんでも、こんな頻度で貴女を襲うことはできないだろう。王女の居場所など、そうたくさんの者が知っているものではないだろうから」

 ベルンハルトは真面目な顔で、淡々と言う。

 私には、彼の言おうとしていることのすべては分からなかった。ほんの少しは理解できる気もするのだが。

「まさかアンタ……王女様を狙ってるのが内部の人間だと言いたいの?」
「確証はない。だが、可能性はある」

 二人の会話を聞き、私は思わず口を開く。

「待って! そんなこと、あり得ないと思うわ」

 言わずにはいられなくなったのだ。

「私の周囲には、そんな裏切るような人はいないと思うの!」

 私の周りに悪人はいない。そう信じているし、これからも信じていたい。そうでなくては、心が折れてしまう。

「だがイーダ王女。こんな無能な男が、自ら王女暗殺を計画するとは、とても考え難い」
「じゃあ……クネルに指示した人がいるということ?」
「そうだ。そして、クネルに指示をした人物は、内部の人間なのだろう」

 ひと呼吸おいて、ベルンハルトは続ける。

「あくまで、僕の想像だが」

 ……そう。これは所詮、ベルンハルトの勝手な想像にすぎない。だから、現実などではない。それが真実だという具体的な根拠もないのだ。

 けれど今は、彼の言葉が正しいような気さえする。

 なぜだろう。
 よく分からないけれど……。


 ——刹那。

「王女様!」

 リンディアが叫び、私に覆い被さってくる。

 直後、彼女は「うっ」と呻き声を漏らした。

「リンディア!?」

 彼女はそのまま、膝を折り、地面に座り込む。それから、勢いよく顔を持ち上げて、ベルンハルトに向けて叫ぶ。

「三階よ! 追って!」
「……分かった」

 珍しくあっさりと了承したベルンハルトは、三階席に向かって駆け出す。
 幸い、ホールの端に上の階へと続く階段があったので、比較的速やかに上へ向かうことができそうだ。

「リンディア、平気!?」
「えぇ、平気よー。腕に掠っただけだもの」

 私はまったく気づけなかったが、どこかから狙い撃たれたようだ。

「私のせいね……ごめんなさい」

 すると彼女は目を伏せる。

「謝るのは止めてちょーだい」
「え?」
「あたしはあたしの任務を全うするだけのこと。イーダ王女が謝る必要なんてなーいの」

 その声は、少しばかり苛立っているようにも感じられた。

「ま、後はベルンハルトの帰りを待つのみかしらねー」
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