イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜

四季

文字の大きさ
32 / 157

31話 地下室にて

しおりを挟む
 依頼を受けて私を誘拐したのなら、それは彼自身の意思によるものではないということ。それならば、説得して私の味方になってもらうことも夢ではないはずだ。そう考えて、私は口を開く。

「依頼するには、何が必要なの? お金なら、家に帰ればいくらでもあるわ。私の貯金だけでも、それなりの金額は出せると思うし……」

 今は一応、敵同士という感じではある。だが、これといった何かがあって対立しているわけではない。
 だから、きっと——そう思っていたのだけれど。

「いや、君に雇われることはできない」

 きっぱりと断られてしまった。

「……なぜ?」
「私みたいなのは、気安く雇わない方がいいのだよ」
「そ、そうなの?」
「王女が人殺しを雇っていたなど、大問題になると思うがね」

 アスターはきっぱりと言い放つ。ただ、嫌そうな顔をしてはいない。

 ……大丈夫、まだいける。

「貴方、本当は今の仕事に納得していないのでしょう? 私のところへ来てくれれば、もう無意味な殺しなんてしなくて済むわ」

 私がそこまで言った瞬間。
 アスターは突如立ち上がり、金属のような冷たい視線を向けてきた。

「無駄だよ」

 つい先ほどまでのアスターは、穏やかな紳士といった雰囲気だった。しかし今の彼の瞳には、穏やかさなんてものはない。

「たとえ何と言われようとも、私が仕事を放棄することはない」
「仕事?」
「そう……王女を連れ去り、助けに来た従者を殺害するという仕事だよ」

 アスターの唇から放たれた言葉に、私は思わず声を荒らげてしまう。

「それは止めて!」

 私が傷つくだけならまだ諦められる。が、ベルンハルトやリンディアまでもが巻き込まれたら、ということは考えたくない。

「従者を殺すのは止めて!」
「おっと、どうしたのかね? いきなり取り乱すなど、君らしくない」
「約束してちょうだい! 従者は殺さないと!」

 こんなことを言っても無駄かもしれない。遺される者の痛みなど、彼はきっと分かってくれないだろう。いくら訴えようと、何の意味も為さず終わる可能性が高い。

 だがそれでも、言葉を口から出さずにいることはできなかった。

「まずは落ち着きたまえ」
「落ち着いていられるものですか! こんな状況で!」
「いやいや。先ほどまでは落ち着いていたではないか」

 確かにそうだ。
 けれども、従者に手を出すつもりだと知ってしまった以上は、黙ってなどいられない。

 ——だが結局、私の訴えが聞き入れられることはなかった。

 聞き入れられるどころか、逆に、手首を掴まれてしまう。アスターの握力は、予想を遥かに超える強さだ。年老いても男、といったところか。

「黙っていただけるかね?」

 氷のように冷たく、刃のように鋭い——そんな瞳で凝視されると、得体の知れない悪寒に見舞われて、言葉を失ってしまう。

「物分かりが良くて助かるよ」

 いやいや、物分かりなんて関係ないわ。

 そう言いたい気分だ。

 こうもあからさまに圧をかけられては、誰だって黙る外ないだろう。物分かりが良いか悪いかなんてことは、ほとんど関係ないはずだ。こんなにも冷ややかな視線を向けられ、それでもなお大人しくならない人間がいるとすれば、よほど勇敢な者に違いない。

「では、もうしばらくはここで辛抱していてくれたまえ」

 私は、地下室の突き当たりの壁にぴったりと合わせて置かれたベッドに、半ば強制的に座らされた。簡単に木材を組み、タオルを敷いただけのようなベッドなので、座り心地もあまり良くない。

「そこは日頃私のベッドだが、今日は特別に、君に貸して差し上げよう」
「……貴方のベッドなの」
「なに、心配することはない。敷いてあるタオルは、毎日きちんと洗っているからね」

 そんな風に話すアスターは、元の穏やかな雰囲気に戻っていた。

「何なら嗅いでみても構わないのだが」
「嫌よ!」

 思わず叫んでしまった。

「おぉ、そんなに鋭く拒否されるとは」
「……いきなり叫んだことは謝るわ。けれど、私にはそんな趣味はないの」
「それはそうだろうね」

 分かっているなら、言わないでほしかった。

「では失礼するとしよう。もうすぐ朝が来るが——しばらく休んでいるといい」

 アスターはそう述べると、まとっていた黒い布を脱ぎ、テーブルの上に置く。そして、紫のスーツ姿になり、地下室から出ていった。

 ……アスター、綿菓子、紫のスーツ。

 すべてが上手くはまっていく。まるで、パズルのピースが綺麗にはまっていくかのように。
 やはり彼が、アスター・ヴァレンタインが、あのホールで私の命を狙った男性なのだろうか。


 アスターが地下室から出ていった後、私はその場に留まったまま、ぼんやりと辺りを見回していた。理由などない。ただ、今はあまり動く気にはなれなかったのである。

 それにしても——ここは物騒な部屋だ。

 壁には銃が立て掛けられているし、テーブルの上には何やら怪しげな部品のようなものが散らかっている。そちら方面に関する知識が乏しい私でも、物騒さを感じるほどである。

「……ベルンハルト」

 ごろりとベッドに転がると、半ば無意識で、彼の名を漏らした。頭の中に、ふと、彼の顔が蘇ったから。

 助けてほしい。助けに来てほしい。
 そう思いはするけれど、私はすぐに首を横に振った。

 もし戦いになれば、アスターはベルンハルトを潰しにかかるだろう。仕事だから——その言葉が存在する限り、アスターは手加減などしてくれないはずだ。アスターとベルンハルトがぶつかった時、どちらが勝利を掴むのかなんて、実際にやってみないと分からない。

「はぁ」

 仰向けに寝たまま溜め息を漏らした、その時。視界の端に、不意に、何か四角いものが入った。

「あれ?」

 私は上体を起こし、四角いものを手に取る。よく見ると、厚みのある本のような形をしていた。

「これって……」

 紫色のハードカバーを開く。中は白いノートになっており、黒い文字がずらりと並んでいた。印刷ではなく、手書きの文字が。恐らく、日記帳か何かなのだろう。

 私は最初のページから、軽く目を通すことに決めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

過労薬師です。冷酷無慈悲と噂の騎士様に心配されるようになりました。

黒猫とと
恋愛
王都西区で薬師として働くソフィアは毎日大忙し。かかりつけ薬師として常備薬の準備や急患の対応をたった1人でこなしている。 明るく振舞っているが、完全なるブラック企業と化している。 そんな過労薬師の元には冷徹無慈悲と噂の騎士様が差し入れを持って訪ねてくる。 ………何でこんな事になったっけ?

婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。

桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。 「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」 「はい、喜んで!」  ……えっ? 喜んじゃうの? ※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。 ※1ページの文字数は少な目です。 ☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」  セルビオとミュリアの出会いの物語。 ※10/1から連載し、10/7に完結します。 ※1日おきの更新です。 ※1ページの文字数は少な目です。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年12月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

処理中です...