イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜

四季

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75話 他人が勝手に敷いただけのレール

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 リンディアが向かった時、ベルンハルトは、まだあの男と戦っていた。

 ちなみに、あの男というのは、最初に仕掛けてきた大柄な男のことである。

 それにしても、ベルンハルトが苦戦するなんて。意外としか言い様がない。
 彼がこんなにも互角の戦いに持ち込まれるというのは、凄く珍しい気がする。

「ベルンハルト! 援護しに来てやったわよー!」

 リンディアは銃を撃つ。

 それにより、組み合っていたベルンハルトと大柄な男——二人の体が離れた。リンディアが参戦したことで、膠着状態にあった戦況が大きく動きそうだ。

「……リンディア」

 大柄な男と距離をとることに成功したベルンハルトは、警戒心剥き出しの顔をしたまま、視線をリンディアへ向ける。

「なーに互角の戦いされてんのよー。情けなーい」

 赤い拳銃の銃口を大柄な男に向けながら、リンディアは挑発的に言い放つ。
 しかし、今の状況においては、彼女の言葉も挑発の意味を持たなかった。

「すぐに勝負を決められず、すまない」
「あら。今日は素直じゃなーい」
「今に限っては、お前の言葉が正しい」

 ベルンハルトの発言に、顔をしかめるリンディア。

「ちょ、何それ。素直すぎて気持ち悪ーい」
「特別なことは何もない。僕は、自身に非があるならば、それを認める」

 二人はしばらくそんな風に話していたが、少しして、大柄な男へと視線を戻す。

「アンタは怪我があるでしょ。下がってなさい」
「いや、このまま下がっているわけにはいかない」
「……アンタって、変なところだけ頑固よねー」

 リンディアはまたしても顔をしかめていた。

 ベルンハルトとリンディア。二人は一見仲が悪いようなのに、こういう時には意外と息が合っていたりするから、不思議だ。

 その時、大柄な男が唐突に口を開いた。

「おい」

 大柄な男の両目は、ベルンハルト一人だけを真っ直ぐに捉えている。

「お前、デューラーさんの息子だろ」

 ベルンハルトは目を見開く。
 その瞳には、動揺の色が浮かんでいる。

「ネージア人の誇りを体現したようなあの人の息子でありながら、どうしてオルマリンについたのか。ちゃんと説明しろよ」
「……説明する気はない」
「あの人の後を継いで、ネージア独立のための戦いを指揮するんじゃなかったのかよ!」

 彼もネージア人なのだろう。
 だから、オルマリン側についたベルンハルトに怒っている——それなら理解できないこともない。

 ただ、だからといって暴力に訴えるのは野蛮すぎると思うが。

「それは僕の意思ではない。他人が勝手に敷いただけのレールだ」

 ベルンハルトは静かに返す。
 すると、男はさらに激昂する。

「オルマリンにつくということは、ネージアを捨てるということだな!?」
「……そんなことは言っていないが」
「多くのネージア人の命を奪った忌まわしきオルマリンにつくとは! 見損なったぞ!!」

 リンディアは銃口を下ろさぬまま様子を見つめている。特に何も言わない。

「理不尽に拘束され! 理不尽に働かされ! 理不尽に殺められた! その憎しみを忘れるとは、それでもネージア人なのか!!」
「ネージア人であることに変わりはない」
「ならば、なぜオルマリンに、しかも王女なんかに従うんだ!」

 王女なんかに、なんて言われたら、胸がもやもやする。

 ネージア人たちからすれば、オルマリンの王女である私は憎むべき相手なのだろう。
 彼らからすれば、王女も収容所で働く者たちも、同じオルマリン人。そう考えれば、彼らが特に何の縁もない私を憎むのも、無理はない。

「イーダ王女は僕が仕えるに値する人だ、と判断した。だから、この道を選んだ。ただそれだけのことだ」

 大柄な男が荒々しく叫んでも、ベルンハルトは冷静だった。しっかりした言葉を発し続けているが、顔は眉ひとつ動かさない。

 冷淡。
 そういう言葉が相応しいだろうか。

「裏切り者め!」
「何とでも言えばいい」
「たとえデューラーさんの息子であっても、絶対に許さない!!」

 大柄な男は腹の底からの叫び声をあげる。

 そして、ベルンハルトに向かって駆け出す。
 地鳴りのような足音だ。

「おおおぉぉぉぉ!」

 鼓膜を突き破るような叫び。凄まじい迫力だ。

 しかし、ベルンハルトもリンディアも怯んでいない。ベルンハルトは素早くナイフを抜いて構え、リンディアは銃口を男へと向ける。

「これだからネージア人は!」

 リンディアは拳銃の引き金を引いた。
 光の弾が男に向かって飛んでいく。走ってくる大柄な男に、嵐のように降り注ぐ。

「やられるかぁぁぁ!」

 大柄な男は、光の弾が体に刺さるのも気にせず、突っ込んでくる。彼はベルンハルトしか見ていない。

 ベルンハルトは強い。
 ナイフがあれば、少なくとも負けることはないだろう。

 だが、今回だけは話が別だ。

 今回の相手は、同じ血を持つネージア人。いくら勇敢なベルンハルトであっても、同胞を躊躇いなく倒せるかどうかとなると分からない。どこかで躊躇いが生まれるという可能性は、十分にある。

 もしその隙をつかれたら——。

 今、私の胸の内には、そんな暗雲が立ち込めている。

「来るわよ、ベルンハルト! ほんとーに戦えるんでしょーね!?」
「もちろんだ」

 ベルンハルトの瞳が、大柄な男に焦点を合わせる。

「へまやらかすんじゃないわよ!」
「……あぁ」

 男が襲いかかってくるのを待つベルンハルトの目つきは、よく研がれた刃のよう。この世に存在するありとあらゆるものを切り裂きそうな、そんな目つきだ。

「裏切りは許さああぁぁぁーん!!」

 大柄な男は、獰猛な肉食獣のように歯茎を剥き出しながら、ベルンハルトに襲いかかる。

 しかしベルンハルトは、落ち着きを保っている。
 静かに、その時を待つ。

「おおおおぉぉぉ!」

 男が至近距離に迫る。

「……すまない」

 ベルンハルトは小さく息を吐き出す。
 その時には、既に、彼から躊躇いなんてものは消え去っていた。


「——がっ!」


 直後、男の詰まるような声。

 彼はそのまま、何も言うことなく、どさりと地面に倒れ込んだ。
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