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76話 躊躇い
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ベルンハルトは一切躊躇わなかった。
——同じ血を持つ者を刺すことを。
「あら。まったく躊躇しないとは、やるじゃなーい」
同じネージア人の血を持つ男の腹部を、ベルンハルトは、何の躊躇いもなく突き刺した。
いや、本当は「躊躇いなく」ではなかったのかもしれないけれど。
ただ、私の目には、ベルンハルトの心に躊躇いがあるようには見えなかった。男を刺した彼の瞳は、ほんの少しも揺れていなかったから。
「ベルンハルト!」
大柄な男は地面に倒れ、もう動かない。それをある程度確認してから、私は、ベルンハルトの名を呼ぶ。
すると彼は、男の腹に刺さったナイフを抜いて、振り返った。
「無事か」
「え、えぇ……」
「なら良かった」
ベルンハルトは静かに言う。
けれど——それは本心だろうか。
たとえ仲間意識があるわけではないとしても、同じ血を持つ同胞をその手で傷つけるというのは、良い気がしないものであろう。
もちろん、世には同じ血を持つ人間を殺す者だっている。それは事実だ。ただ、そういった場合の多くは、お金で揉めたとか恋人のことで揉めたとか、何かしら理由があるものであろう。何の理由もなく、なんてことは、どちらかというと少数なはずだ。
しかし、今回のベルンハルトの件は、その少数の方なのである。
やむを得なかったからだとしても、ベルンハルトの精神にダメージがないという保証はない。
辺りをキョロキョロ見て、もう襲ってきそうな者がいないか確認した後、ベルンハルトのもとへと駆け寄る。
「ベルンハルト……その、平気?」
「何がだ」
「だってほら、同じネージア人なのに刺すなんて……酷じゃない」
するとベルンハルトは、ほんの僅かに目を細めた。
「そうだろうか」
その表情に、私は、「言わない方が良かったかもしれない」と思った。
じっくり考えず物を言ってしまったことを、正直、とても後悔している。私の言葉がベルンハルトを傷つけたかもしれない、なんて、考えるだけで胸が痛む。
「……いや、それもそうだな。貴女の言う通りだ。酷な人間だな、僕は」
「あ、い、いいえ! そういう意味ではないの! 勘違いだわ!」
「なら、正しくはどういう意味なんだ?」
ナイフを握るベルンハルトの手は、紅に染まっている。
「私の従者になったせいで、ベルンハルトは同胞に刃を向けなくてはならなくなってしまった……そう思ったら、悲しくて。私の存在が、貴方に酷なことを強いていると思うと……」
私がそこまで言った時、それを遮るように、ベルンハルトは口を開いた。
「べつに、貴女のせいではない」
静かながら力を感じる、しっかりとした声だ。
「イーダ王女、貴女はそうやって、すぐに自分を責めようとする。だが、それは何の意味もない行為だ。無意味としか言い様がない」
「……ベルンハルト」
「僕は、貴女が自分を責めることを望んではいない。だから、僕のことで自身を責めるのは、もう止めてくれ」
辛い思いをした後だろうに、なぜこんなにも淡々と物を言えるのだろう。どうして、こうも冷静であれるのだろう。不思議で仕方がない。
「今の僕は、貴女の従者。貴女が無事でいてくれさえすれば、それ以上は望まない」
「……う」
ベルンハルトの言葉に、涙が込み上げる。
「な、イーダ王女!? なぜ涙ぐむ!?」
「うぅ……」
「ど、どうして泣くんだ!」
ぽろぽろと涙の粒が落ちる。
泣きたいわけでも、悲しいわけでも、ないというのに。
「あーあ、泣かせちゃったわねー」
リンディアが挑発的に発する。
「おい! 僕のせいみたいに言うなよ!」
「必要以上に優しくするからよー」
「……なに? 僕は優しくなんてしていない!」
取り敢えず涙を止めなくては。そう思いはするのだけれど、一度溢れた涙というのは、そう簡単に止められるものではない。
「まさか、無自覚? それはさすがに、きっついわー」
「説明しろ!」
「だってほらー『無事でいてくれさえすれば、それ以上は望まない』なんて、ふつー言わないじゃなーい?」
リンディアの言葉に、ベルンハルトは首を傾げる。
「そうなのか」
ベルンハルトの表情から鋭さは消えていた。穏やかな時の彼の顔をしている。
「そーよ。女の子はね、優しくされたことで泣いてしまうことだってあーるのよー」
「……なるほど」
「もちろん、優しくしたから嫌われるーってことはないわ。ただ、反応には色々あるってことよ。それくらいは覚えときなさーい」
「そうか。そのつもりはなくとも優しくしたと思われることはある、ということだな」
ベルンハルトにしては珍しく、リンディアの話を真面目に聞いている。
「ま、これはいーずれ恋愛する時にも役立つから。今のうちに覚えておきなさーい」
リンディアは妙に上から目線。しかも、話が微妙にずれているような気さえする。
襲われた後だというのに、こんなのんびり話していて大丈夫なのだろうか。
ふと、そんなことを思ったりした。
「で、どうするかね? イーダくん」
リンディアとベルンハルトの会話をぼんやり見ていた私に、アスターが話しかけてきた。
彼はまだ、脇腹の戦闘時にダメージを受けた部分に、片手を当てている。恐らく、痛んでいるのだろう。体にダメージが残らなければいいのだが。
「向こうのグループと合流するかね?」
「父さんたちの方と?」
「そういうことだよ」
「そうね。また襲われても怖いし、早めに合流しましょう」
ただ、父親と合流してしまえば絶対に安全、ということではない。
父親の横には、必ずシュヴァルがいるだろうから。
彼を悪と決めつけるのはまだ早いかもしれない。ただ、彼が何か罠を仕掛けている可能性とてゼロではないのである。
「……イーダくん?」
「あ」
「ぼんやりしているようだが、大丈夫かね」
このままでは駄目だ。ぼんやりしている、と思われるような顔をしているなんて、一番駄目な状態。
……しっかりしなくては。
「え、えぇ。大丈夫よ」
「私もリンディアも、もちろんベルンハルトくんも、必ずイーダくんを護るよ。君が心配することは何もないからね」
「お気遣い、ありがとう」
今は、傍にいて護ってくれる人たちがいる。それも、結構な実力を持った人たちが。
だから大丈夫。
きっと、あの春は繰り返されない——。
——同じ血を持つ者を刺すことを。
「あら。まったく躊躇しないとは、やるじゃなーい」
同じネージア人の血を持つ男の腹部を、ベルンハルトは、何の躊躇いもなく突き刺した。
いや、本当は「躊躇いなく」ではなかったのかもしれないけれど。
ただ、私の目には、ベルンハルトの心に躊躇いがあるようには見えなかった。男を刺した彼の瞳は、ほんの少しも揺れていなかったから。
「ベルンハルト!」
大柄な男は地面に倒れ、もう動かない。それをある程度確認してから、私は、ベルンハルトの名を呼ぶ。
すると彼は、男の腹に刺さったナイフを抜いて、振り返った。
「無事か」
「え、えぇ……」
「なら良かった」
ベルンハルトは静かに言う。
けれど——それは本心だろうか。
たとえ仲間意識があるわけではないとしても、同じ血を持つ同胞をその手で傷つけるというのは、良い気がしないものであろう。
もちろん、世には同じ血を持つ人間を殺す者だっている。それは事実だ。ただ、そういった場合の多くは、お金で揉めたとか恋人のことで揉めたとか、何かしら理由があるものであろう。何の理由もなく、なんてことは、どちらかというと少数なはずだ。
しかし、今回のベルンハルトの件は、その少数の方なのである。
やむを得なかったからだとしても、ベルンハルトの精神にダメージがないという保証はない。
辺りをキョロキョロ見て、もう襲ってきそうな者がいないか確認した後、ベルンハルトのもとへと駆け寄る。
「ベルンハルト……その、平気?」
「何がだ」
「だってほら、同じネージア人なのに刺すなんて……酷じゃない」
するとベルンハルトは、ほんの僅かに目を細めた。
「そうだろうか」
その表情に、私は、「言わない方が良かったかもしれない」と思った。
じっくり考えず物を言ってしまったことを、正直、とても後悔している。私の言葉がベルンハルトを傷つけたかもしれない、なんて、考えるだけで胸が痛む。
「……いや、それもそうだな。貴女の言う通りだ。酷な人間だな、僕は」
「あ、い、いいえ! そういう意味ではないの! 勘違いだわ!」
「なら、正しくはどういう意味なんだ?」
ナイフを握るベルンハルトの手は、紅に染まっている。
「私の従者になったせいで、ベルンハルトは同胞に刃を向けなくてはならなくなってしまった……そう思ったら、悲しくて。私の存在が、貴方に酷なことを強いていると思うと……」
私がそこまで言った時、それを遮るように、ベルンハルトは口を開いた。
「べつに、貴女のせいではない」
静かながら力を感じる、しっかりとした声だ。
「イーダ王女、貴女はそうやって、すぐに自分を責めようとする。だが、それは何の意味もない行為だ。無意味としか言い様がない」
「……ベルンハルト」
「僕は、貴女が自分を責めることを望んではいない。だから、僕のことで自身を責めるのは、もう止めてくれ」
辛い思いをした後だろうに、なぜこんなにも淡々と物を言えるのだろう。どうして、こうも冷静であれるのだろう。不思議で仕方がない。
「今の僕は、貴女の従者。貴女が無事でいてくれさえすれば、それ以上は望まない」
「……う」
ベルンハルトの言葉に、涙が込み上げる。
「な、イーダ王女!? なぜ涙ぐむ!?」
「うぅ……」
「ど、どうして泣くんだ!」
ぽろぽろと涙の粒が落ちる。
泣きたいわけでも、悲しいわけでも、ないというのに。
「あーあ、泣かせちゃったわねー」
リンディアが挑発的に発する。
「おい! 僕のせいみたいに言うなよ!」
「必要以上に優しくするからよー」
「……なに? 僕は優しくなんてしていない!」
取り敢えず涙を止めなくては。そう思いはするのだけれど、一度溢れた涙というのは、そう簡単に止められるものではない。
「まさか、無自覚? それはさすがに、きっついわー」
「説明しろ!」
「だってほらー『無事でいてくれさえすれば、それ以上は望まない』なんて、ふつー言わないじゃなーい?」
リンディアの言葉に、ベルンハルトは首を傾げる。
「そうなのか」
ベルンハルトの表情から鋭さは消えていた。穏やかな時の彼の顔をしている。
「そーよ。女の子はね、優しくされたことで泣いてしまうことだってあーるのよー」
「……なるほど」
「もちろん、優しくしたから嫌われるーってことはないわ。ただ、反応には色々あるってことよ。それくらいは覚えときなさーい」
「そうか。そのつもりはなくとも優しくしたと思われることはある、ということだな」
ベルンハルトにしては珍しく、リンディアの話を真面目に聞いている。
「ま、これはいーずれ恋愛する時にも役立つから。今のうちに覚えておきなさーい」
リンディアは妙に上から目線。しかも、話が微妙にずれているような気さえする。
襲われた後だというのに、こんなのんびり話していて大丈夫なのだろうか。
ふと、そんなことを思ったりした。
「で、どうするかね? イーダくん」
リンディアとベルンハルトの会話をぼんやり見ていた私に、アスターが話しかけてきた。
彼はまだ、脇腹の戦闘時にダメージを受けた部分に、片手を当てている。恐らく、痛んでいるのだろう。体にダメージが残らなければいいのだが。
「向こうのグループと合流するかね?」
「父さんたちの方と?」
「そういうことだよ」
「そうね。また襲われても怖いし、早めに合流しましょう」
ただ、父親と合流してしまえば絶対に安全、ということではない。
父親の横には、必ずシュヴァルがいるだろうから。
彼を悪と決めつけるのはまだ早いかもしれない。ただ、彼が何か罠を仕掛けている可能性とてゼロではないのである。
「……イーダくん?」
「あ」
「ぼんやりしているようだが、大丈夫かね」
このままでは駄目だ。ぼんやりしている、と思われるような顔をしているなんて、一番駄目な状態。
……しっかりしなくては。
「え、えぇ。大丈夫よ」
「私もリンディアも、もちろんベルンハルトくんも、必ずイーダくんを護るよ。君が心配することは何もないからね」
「お気遣い、ありがとう」
今は、傍にいて護ってくれる人たちがいる。それも、結構な実力を持った人たちが。
だから大丈夫。
きっと、あの春は繰り返されない——。
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