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81話 どこへ行こう?
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建物内を散策すると決めた後、私は、速やかに準備をした。
髪を整えたり、服を着替えたり、である。
「お待たせ!」
「意外と早いな」
「そう?」
「あぁ。驚いた」
そして、ベルンハルトと共に自室を出る。
——さて、どこへ行こう?
半年ほど出歩いていなかったということもあってか、廊下を歩いていると妙に視線を感じる。その多くは、恐らく、行き来する侍女からのものだろう。
だが、それらの視線も、今はさほど気にならない。
それは多分、隣にベルンハルトがいてくれるからだと思う。
落ち着き払った彼が傍にいてくれる。ただそれだけで、私の心は強くなるのだ。
「で、どこへ行くんだ」
「そうね……中庭?」
するとベルンハルトは、数秒間を空けてから返してくる。
「なんというか、ロマンチックな感じだな」
そんなことを言われるとは思わなかった。
私からすれば、中庭がロマンチックという発想こそがロマンチックだ。
「そうかしら」
「いや、もちろん、あくまでイメージだが」
「ふふっ。ベルンハルト、可愛いわね」
私が笑うと、ベルンハルトは気恥ずかしそうな顔つきになる。
「可愛い、と言われるのは初めてだ」
「それは嬉しいわ」
「な。どういう意味だ」
「だって、可愛いベルンハルトを知っているのは私だけだってことでしょう」
「いや、それの何が嬉しいんだ。理解できない」
ベルンハルトは何も分かっていないようだ。
だが、そこがいい。
そういうところこそが、彼の魅力的なところなのである。
暫し歩き、中庭へ着いた。
中庭と言っても完全に屋外なわけではなく、見上げると、ドーム状の透明な天井が見える。雨が降っても濡れずに寛げるようになっているのだ。
しかし、そこを除けば、見た目はいたって普通の庭。
芝生に覆われた地面も、手入れされた樹木も、自然の色を失ってはいない。
「なるほど。これが中庭なんだな」
ベルンハルトは周囲を見回しながら呟く。
「ここは何をするための場所なんだ」
「何をするため? ……えーと」
小さい頃、父親とよく見に来た。そんな記憶はあるのだが、これといって何かをした記憶はない。
「心を休めるため、とかかしら」
自分でもよく分からない答えを言ってしまった。
「心を休める?」
「美しい風景を眺めていると、穏やかな気持ちになれるでしょう」
「なるほど」
花が咲いているからか、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。ベルンハルトと二人で来るにはもってこいの雰囲気だ。
「確かに、穏やかな気持ちになってきた」
「でしょう」
「眠く……なって……く……る……」
「寝ちゃ駄目よ!?」
意外な展開に驚き、私は思わず、大きな声を発してしまう。
しかし、ベルンハルトは本当に寝そうだったわけではなかったらしく、「大丈夫だ、寝ない」などと言っていた。
もしかしたら、彼なりの冗談だったのかもしれない。
「なかなか綺麗なところだったな」
「そうでしょう? 私も、小さい頃はよく、父さんと見に来たの! と言いつつも、記憶は曖昧なのだけどね」
「良いところを紹介してもらえて嬉しい。感謝する」
そう述べるベルンハルトの表情は、いつもより柔らかい。マシュマロのような頬をしていた。
中庭の次は、書庫へと向かった。
書庫は、背の高い本棚がたくさん立ち並ぶ広い部屋である。
人の行き来が少ないせいか、他の場所と比べると少々埃臭い。また、空気もやや重いように感じられる。
けれども嫌いではない。
埃臭さが醸し出す静かな雰囲気のおかげか、とても落ち着くのだ。
「本がたくさんあるな」
「書庫だもの」
「ここにある本、貴女はすべて読んだのか?」
「まさか! 無理よ!」
私は読書が得意でないのだ、すべてなんて読めるわけがない。
「ベルンハルトは本が好き?」
「いや。よく分からない」
「そうなの?」
「収容所では、本を読む機会はなかった」
私とベルンハルトでは、育ってきた環境が違いすぎる。
改めて、それを実感した。
私は、ある程度は好きなことをできるにもかかわらず、王女ゆえのほんの少しの制約を憎んでいた。
けれど、それは贅沢なことで。
収容所で生まれ育ったベルンハルトには、もっともっとたくさんの制約があったのだろう。
してみたくてもできないことや、行ってみたくても行けないところは、私なんかよりずっと多かったはずだ。
「だが、こちらへ出てきてからは、少しばかり本を読むようになった」
「そうなの?」
「マナーやルール、それから言葉遣い。そういう本を読む」
意外。
小説とかじゃないのね。
「だが……そういう本は難しい。難しくて、その必要性が理解できない」
それは私も一緒だ。
基本的なマナーやルールの必要性は理解できる。しかし、細かすぎることになってくると、「なぜ?」と思ってしまう。
「ふふっ。一緒ね」
「いや、貴女と僕が一緒だとはとても思えないが」
「私も、細かすぎるルールやマナーには、ぐったりしてしまうわ」
「王女であってもそうなのか」
「そうよ!」
王女だって、普通の娘だ。
面倒臭いことは嫌だし、厳しい教育を受けることには疲れる。
「なるほど。イーダ王女は、案外、普通の人なのだな」
普通の人、なんて言われるのは、少々切ない気もする。
しかし、それは事実だ。
私は王女という身分だが、その正体はただの娘でしかない。
「そうね。王女とて、ただの人間よ」
「勉強になる」
「そう? たいしたことは言えないけれど、そう言ってもらえると嬉しいわ」
私たちは書庫を出る。
次の目的地へと向かうためだ。
——だが、その途中。
「おい! ちょっといいか!」
見知らぬ男性から、そんな風に声をかけられた。
「……何か用か」
ベルンハルトは、さりげなく私の前へ出ながら、警戒した顔で返す。
「アンタ、確か、王女さんの従者の人だよな?」
「あぁ。ベルンハルトという」
「やっぱり! 収容所から出てきていきなり従者になった、噂のやつだよな!?」
敢えて「収容所」なんて言わなくていいのに。
「……そうだが」
「ちょっと手合わせしてくれないか!?」
またしても予想外の展開がやって来た。
……もっとも、襲撃よりかはましだけれど。
髪を整えたり、服を着替えたり、である。
「お待たせ!」
「意外と早いな」
「そう?」
「あぁ。驚いた」
そして、ベルンハルトと共に自室を出る。
——さて、どこへ行こう?
半年ほど出歩いていなかったということもあってか、廊下を歩いていると妙に視線を感じる。その多くは、恐らく、行き来する侍女からのものだろう。
だが、それらの視線も、今はさほど気にならない。
それは多分、隣にベルンハルトがいてくれるからだと思う。
落ち着き払った彼が傍にいてくれる。ただそれだけで、私の心は強くなるのだ。
「で、どこへ行くんだ」
「そうね……中庭?」
するとベルンハルトは、数秒間を空けてから返してくる。
「なんというか、ロマンチックな感じだな」
そんなことを言われるとは思わなかった。
私からすれば、中庭がロマンチックという発想こそがロマンチックだ。
「そうかしら」
「いや、もちろん、あくまでイメージだが」
「ふふっ。ベルンハルト、可愛いわね」
私が笑うと、ベルンハルトは気恥ずかしそうな顔つきになる。
「可愛い、と言われるのは初めてだ」
「それは嬉しいわ」
「な。どういう意味だ」
「だって、可愛いベルンハルトを知っているのは私だけだってことでしょう」
「いや、それの何が嬉しいんだ。理解できない」
ベルンハルトは何も分かっていないようだ。
だが、そこがいい。
そういうところこそが、彼の魅力的なところなのである。
暫し歩き、中庭へ着いた。
中庭と言っても完全に屋外なわけではなく、見上げると、ドーム状の透明な天井が見える。雨が降っても濡れずに寛げるようになっているのだ。
しかし、そこを除けば、見た目はいたって普通の庭。
芝生に覆われた地面も、手入れされた樹木も、自然の色を失ってはいない。
「なるほど。これが中庭なんだな」
ベルンハルトは周囲を見回しながら呟く。
「ここは何をするための場所なんだ」
「何をするため? ……えーと」
小さい頃、父親とよく見に来た。そんな記憶はあるのだが、これといって何かをした記憶はない。
「心を休めるため、とかかしら」
自分でもよく分からない答えを言ってしまった。
「心を休める?」
「美しい風景を眺めていると、穏やかな気持ちになれるでしょう」
「なるほど」
花が咲いているからか、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。ベルンハルトと二人で来るにはもってこいの雰囲気だ。
「確かに、穏やかな気持ちになってきた」
「でしょう」
「眠く……なって……く……る……」
「寝ちゃ駄目よ!?」
意外な展開に驚き、私は思わず、大きな声を発してしまう。
しかし、ベルンハルトは本当に寝そうだったわけではなかったらしく、「大丈夫だ、寝ない」などと言っていた。
もしかしたら、彼なりの冗談だったのかもしれない。
「なかなか綺麗なところだったな」
「そうでしょう? 私も、小さい頃はよく、父さんと見に来たの! と言いつつも、記憶は曖昧なのだけどね」
「良いところを紹介してもらえて嬉しい。感謝する」
そう述べるベルンハルトの表情は、いつもより柔らかい。マシュマロのような頬をしていた。
中庭の次は、書庫へと向かった。
書庫は、背の高い本棚がたくさん立ち並ぶ広い部屋である。
人の行き来が少ないせいか、他の場所と比べると少々埃臭い。また、空気もやや重いように感じられる。
けれども嫌いではない。
埃臭さが醸し出す静かな雰囲気のおかげか、とても落ち着くのだ。
「本がたくさんあるな」
「書庫だもの」
「ここにある本、貴女はすべて読んだのか?」
「まさか! 無理よ!」
私は読書が得意でないのだ、すべてなんて読めるわけがない。
「ベルンハルトは本が好き?」
「いや。よく分からない」
「そうなの?」
「収容所では、本を読む機会はなかった」
私とベルンハルトでは、育ってきた環境が違いすぎる。
改めて、それを実感した。
私は、ある程度は好きなことをできるにもかかわらず、王女ゆえのほんの少しの制約を憎んでいた。
けれど、それは贅沢なことで。
収容所で生まれ育ったベルンハルトには、もっともっとたくさんの制約があったのだろう。
してみたくてもできないことや、行ってみたくても行けないところは、私なんかよりずっと多かったはずだ。
「だが、こちらへ出てきてからは、少しばかり本を読むようになった」
「そうなの?」
「マナーやルール、それから言葉遣い。そういう本を読む」
意外。
小説とかじゃないのね。
「だが……そういう本は難しい。難しくて、その必要性が理解できない」
それは私も一緒だ。
基本的なマナーやルールの必要性は理解できる。しかし、細かすぎることになってくると、「なぜ?」と思ってしまう。
「ふふっ。一緒ね」
「いや、貴女と僕が一緒だとはとても思えないが」
「私も、細かすぎるルールやマナーには、ぐったりしてしまうわ」
「王女であってもそうなのか」
「そうよ!」
王女だって、普通の娘だ。
面倒臭いことは嫌だし、厳しい教育を受けることには疲れる。
「なるほど。イーダ王女は、案外、普通の人なのだな」
普通の人、なんて言われるのは、少々切ない気もする。
しかし、それは事実だ。
私は王女という身分だが、その正体はただの娘でしかない。
「そうね。王女とて、ただの人間よ」
「勉強になる」
「そう? たいしたことは言えないけれど、そう言ってもらえると嬉しいわ」
私たちは書庫を出る。
次の目的地へと向かうためだ。
——だが、その途中。
「おい! ちょっといいか!」
見知らぬ男性から、そんな風に声をかけられた。
「……何か用か」
ベルンハルトは、さりげなく私の前へ出ながら、警戒した顔で返す。
「アンタ、確か、王女さんの従者の人だよな?」
「あぁ。ベルンハルトという」
「やっぱり! 収容所から出てきていきなり従者になった、噂のやつだよな!?」
敢えて「収容所」なんて言わなくていいのに。
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