イーダ・オルマリン 〜青き星、その王女の物語〜

四季

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143話 進まないなら

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 翌日のお昼頃、私は、自室でのっそり勉強をしていた。

 ……といっても、実際にはあまり進んでいないのだが。

 窓の外はよく晴れていて、室内にまで柔らかな日差しが降り注いできている。その日差しのせいか、部屋の中が妙にぽかぽかして、段々眠たくなってきてしまう。

 ここしばらく、度重なる襲撃のせいで、ろくに落ち着く間もなかった。それゆえ、勉強はまったく進んでいなくて。しかし、ようやく平和になった。だから、久々に取りかかろうと思い立ったのだが。

 しかしまぁ、進まない。

 誰もいないのに気は散る。睡眠不足でもないのに眠くなる。
 もはや、どうしようもない。

 なぜこうも上手くいかないのかと悩み、溜め息を漏らしかけた——その時、唐突に扉が開いた。

「あら、ベルンハルト」

 やって来たのは、ベルンハルトだった。相変わらず感情の読み取れない顔つきをしているが、特別機嫌が悪いということはなさそうだ。

「一人?」
「あぁ。リンディアはシュヴァルのところへ行った」

 なるほど、と思う。

 リンディアはシュヴァルの実娘だ。今や罪人となった父親に対し、話したいこともあるのだろう。

「アスターさんは、まだ面会は無理なの?」
「今朝も確認してきたが、もうしばらくかかりそうだ」

 リンディアはシュヴァルのところへ行ってしまい、アスターとはただ会うことさえままならない。何とも言えない寂しさが、この胸の内側を満たす。

「そう……」

 それでなくとも進まなかった勉強が、寂しさを感じたせいか余計に進まなくなってしまった。

「いつか元気になるといいけれど」
「そうだな」

 ベルンハルトは淡々とした声で返しつつ、こちらへ歩いてくる。

「ところでイーダ王女。それは何をしているんだ」

 彼にとっては、アスターの容体などどうでもいいことなのかもしれない。そんな風に感じたほど、彼は、何でもないような顔つきをしていた。

「これ? 勉強よ」
「勉強。……あぁ、あれの続きか」

 彼は以前、私に、勉強のためのものを届けてくれたことがある。どうやら覚えていたようだ。

「そうなの。でも、全然進まなくって」

 進まなさをごまかすように苦笑する。
 しかし、ベルンハルトは笑わない。口角を持ち上げることさえしない。真面目な顔つきのまま、言ってくる。

「内容が難しすぎるということか」
「まぁ……それもあるけれど」
「それだけではないのか?」

 ベルンハルトは、興味深い形態の生物を発見した生物学者のような目で、私を見つめてくる。

「……散るのよ、気が」
「僕がいると、か?」
「いいえ、そうじゃないわ。貴方は関係ないのよ。ただ、今日は何だか落ち着かないの」

 今私が陥っている状況を、既存の言葉で説明するのは難しい。
 もっとも、私がもっと語彙力のある人間であったなら、きっときちんと説明できたのだろうけど。

 上手く説明できず困っていた私に、ベルンハルトはきっぱりと言う。

「なら、今やらなければいい」

 恨みのある相手を剣で斬り捨てる時のような、一切躊躇いのない言い方だった。

「昼中に仕上げろと言われているのか?」
「いいえ。べつに、そうは言われていないわ」

 私は首を左右に動かす。
 すると彼は、ふっ、と小さな笑みをこぼす。

「なら止めておけばいいだろう」

 それまでは無表情に近い顔つきをしていたベルンハルトだったが、今のでようやく、口角が微かに持ち上がった。

 無表情というのも、彼らしくて悪くはない。置かれている状況によっては、その冷静さに救われることだってあるわけで。しかし、今のような状況下では、微かでも笑みが浮かんでいる顔の方が望ましい。もちろん、個人的な意見に過ぎないのだが。

「一度休憩したらどうだ」
「……そうね!」

 私が言うと、彼は手を口元に当てて笑った。

「え。どうして笑うのよ?」
「凄く嬉しそうな顔をしたのが笑えてしまっただけだ」

 そんなに嬉しそうな顔をしたのかしら、私は。

「イーダ王女は、本当は勉強が嫌いなのだな」

 うっ……。

 本当のことを言うなら、ベルンハルトが言うことも間違いではない。私は、新しい経験をすることは嫌いでないが、こういった紙の上の勉強をするのはあまり好きでない。大嫌いということはないのだが、日によっては、面倒臭いと思ってしまうこともあるのだ。


 それから二日ほどが経過した、ある夕暮れ。
 私は父親の部下の一人から、シュヴァルを処刑することになったと聞いた。

 仕方のないことだ。幾人もを使い捨ての駒として利用し、星王家の人間を狙ったのだから、処刑という最期も不自然ではない。もう二度と同じことを繰り返させないためには、それが最善の方法なのだろう。

 でも——私はなぜか納得できなかった。

 死をもって償わせることは簡単だ。だが、本当にそれでいいのだろうか。そんな風に考えてしまって。

 邪魔者は消す。裏切り者は消す。
 それは結局、シュヴァルがやっていたことと大差ないのではないだろうか。

 こんなことを言えば、また「甘い」と笑われてしまうだろう。

 しかし、言いたいことがあった。
 だから私は、父親がいる星王の間へと向かった。


 夜になってすぐの頃だったので、父親は星王の間にいた。
 上手く会えたのは、幸運といえよう。

「おぉ! イーダぁ! 来てくれたのかぁっ!!」
「えぇ。来たわ」

 父親は相変わらずのハイテンションで迎えてくれる。
 私がここへ来た理由など、彼はまったく知らないし、想像してもいないのだろう。

「父さんと一緒に眠りたくなったのかぁ!?」
「止めて。それはないわ」
「えぇっ! 今日のイーダは冷たくないかぁ!?」
「いつだってこう答えるわよ」
「うぅぅ……」

 妙な誤解が生まれぬよう、一応きちんと返しておいた。

 早く本題に入りたい。
 だから私は、父親が自分のしたい話を始める前に、本題を切り出すことにした。

「シュヴァルの処刑が決まったと聞いたわ。それは本当?」

 父親はほんの数秒だけ気まずそうな顔をしたが、すぐに普段通りの顔つきに戻ると、こくりと頷く。そして「決定に何か問題があるのかぁ?」と、独り言のような声の大きさで放った。

「本当なのね。それはもう、決定事項なの?」
「そうだぞぅ」

 父親は自信なさげな表情になっている。

「……父さんが決めたことなのね」
「その通りだぁ」

 今さらシュヴァルを擁護するのか。
 そう怒られそうな気もするが、私は、本心を伝えてみることにした。

「命まで取ることはないんじゃない?」
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