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16話「二人のかつて」
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「行きたくないのか? 買い物」
買い物に行くか、と聞かれた私は、「気を遣ってもらわなくて大丈夫」と返した。それなのにウィクトルは、同じようなことをまた尋ねてきた。話がまったく進んでいない。同じところを行き来するようなことになってしまっている。
「行きたくないということはないけど、どうして? もしかして、ウィクトルがどこか買い物に行きたいの?」
男性一人で行けないところに何か用事がある、という可能性も、絶対にないとは言えない。
事情というのは聞いてみなければ分からないものだ。
「いや、私は特に用事はない。だが……」
「だが?」
彼の言葉にはまだ続きがあるようだ。
「君はもっと美しい服を着るべきだろう。フーシェのおさがりばかりでは惜しい」
私は思わず「え」と呟いてしまう。
確かに私はフーシェの服を借りている。しかし、そのことに不満を抱いてはいない。それに、彼女が持っている服は動きやすいものが多いから、着ていて便利だと感じる。個人的には気に入っているくらいだ。
「何かもっと綺麗な服が必要なのではないだろうか」
「困ってはいないわ」
「君は慎ましいところがあるからそう言うが、世間から見れば、そのような服装は素朴過ぎる」
ウィクトルが言う通り、フーシェから借りた服の数々は、素朴な雰囲気のものばかりではある。でも、それがなぜ駄目なのだろう。それに、私がそれらを着ていて駄目なのなら、そもそもフーシェが着ることも問題になるのではないのか。
「年頃の娘は皆自身を飾り立てることが好きなのだと思っていたのだが、ウタくんは違うのだな」
私だって女だ、綺麗なものが嫌いなわけではない。美しいものを見れば美しいと感じ、可愛いものを目にすれば可愛いと思う。ただ、己を良く見せるために無理して飾ろうとは考えないだけで。
「えぇ、そこまで興味はないわ」
「まぁ君は飾らずとも美しいから飾らないのか」
いきなりの褒め言葉に戸惑いつつ、私はウィクトルの方へと視線を向ける。その時ちょうど、彼の瞳もこちらを見つめていて。恐ろしいほど見事に目が合ってしまった。
こうもしっかり目が合ってしまうと、何も言えない。
だが、視線を逸らすことも今さらできず。
見つめ合うしかない——が、視線を合わせ続けていたら、彼の双眸に吸い込まれそうな感覚に襲われる。
「でも、買い物は嫌いじゃないわ。ウィクトルが面倒臭くないのなら、一緒に行く?」
「ウタくんはそれで良いのか」
「それはもちろんよ。嫌だなんて言わないわ」
母親との関わりの真実については気になるところだが、それがあるからといって、即座に嫌いになるわけではない。
「よし。では行こう」
他人の服なんてどうでもいいことだろうに、ウィクトルは妙に乗り気だ。
「……気が早いのね」
「行動が早い、と言ってくれ」
「そうね。行動が早いわね」
立ち上がったウィクトルは、近くにあった小さなメモ帳から紙を一枚ちぎり取る。そして、付近のペン立てから黒い軸のペンを一本取り出すと、キャップを外した。それから、既にちぎっていた紙に文字を書き込む。それは間違いなくキエルの文字だった。
「待たせてすまない。行こう」
「何を書いたの?」
「少し外出する、と書いておいた」
キエルの文字は辞典で見た。手帳の内容を訳そうと一人格闘していた時に長時間眺めたから、『見覚えのある文字』くらいの認識になっている文字はある。が、読めるほど理解が深まっているわけではない。
夜が近づく頃、私とウィクトルは宿舎を出た。
空は暗くなった。でも街中は案外明るい。建物の窓からは光がこぼれ、まるで天の川のよう。非常に幻想的な光景だ。地球にはーー否、私の暮らしていた村には、こんな光景はなかった。暗いのに明るい夜は、とても新鮮。
「夜でも意外と明るいのね」
宿舎の周りは薄暗かったが、少し歩いて街へ出ると、視界が急激に明るくなった気がする。
「そうだな。街は、な」
「都会って言うの? こういうの」
「多少離れているとはいえ皇帝の住まいの近くだからな。それなりに栄えてはいる」
窓から溢れてくる光は眩いけれど、空を見上げたら星はない。
空は真っ黒。
まるで、一面に暗幕を張ったかのよう。
でも、それでも、この世界は美しい。地球と似ているようで似ていないこの世界の夜は、どこまでも幻想的。建物の窓から漏れ出てくる無数の輝きが、眩しくて、でもつい眺めてしまう。
「……母さんにも見せたかったわ。こんな美しい世界を」
周囲を見渡しつつ歩いていたら、自然と口から言葉が出た。
「君の母親は亡くなったのだったか?」
「……えぇ、そう。殺されたわ。私を庇って、ね」
できれば暗い話題には持っていきたくなかったのだが、自然と陰気な話になっていってしまう。
せっかくの外出が台無しではないか。
もっとも、誰も悪くはないのだけれど。
「ウィクトルは? 家族はいないの?」
私はいまだに、彼のことをあまり知らない。
知っているのは現在の彼の外から見える部分だけだ。
「両親は私が子どもだった頃に死んだ。それゆえ家族はもういない」
足を規則的に動かしながらも、ウィクトルは問いに答えてくれた。
その答えは決して明るいものではなかった。だが彼は、両親の死について口から出すことに抵抗がないみたいだ。眉一つさえ動かさない。
しかし、彼が淡々と答えてくれたからといって、妙なことを質問してしまった罪悪感が消滅するわけではない。親切な彼は私を責めたりしないだろう——でも、辛いことを敢えて答えさせてしまった自分に嫌気がさすところはある。大切な人を失う痛みは誰より分かっているはずなのに迂闊に問いを投げかけてしまった自分が情けない。
「……なんというか、ごめんなさい。聞いてしまって」
「謝ることはない」
「でも……辛いことを思い出させてしまったんじゃない?」
「私は特に何も思わない。気にするな」
そして訪れる沈黙。
そのただなかで、私は放つべき言葉を見つけられない。
彼は何も言わず歩き続ける。私もその隣で足を動かし続ける。私も彼も止まってはいない。なのになぜだろう、時だけが止まっているような不思議な感覚がある。
買い物に行くか、と聞かれた私は、「気を遣ってもらわなくて大丈夫」と返した。それなのにウィクトルは、同じようなことをまた尋ねてきた。話がまったく進んでいない。同じところを行き来するようなことになってしまっている。
「行きたくないということはないけど、どうして? もしかして、ウィクトルがどこか買い物に行きたいの?」
男性一人で行けないところに何か用事がある、という可能性も、絶対にないとは言えない。
事情というのは聞いてみなければ分からないものだ。
「いや、私は特に用事はない。だが……」
「だが?」
彼の言葉にはまだ続きがあるようだ。
「君はもっと美しい服を着るべきだろう。フーシェのおさがりばかりでは惜しい」
私は思わず「え」と呟いてしまう。
確かに私はフーシェの服を借りている。しかし、そのことに不満を抱いてはいない。それに、彼女が持っている服は動きやすいものが多いから、着ていて便利だと感じる。個人的には気に入っているくらいだ。
「何かもっと綺麗な服が必要なのではないだろうか」
「困ってはいないわ」
「君は慎ましいところがあるからそう言うが、世間から見れば、そのような服装は素朴過ぎる」
ウィクトルが言う通り、フーシェから借りた服の数々は、素朴な雰囲気のものばかりではある。でも、それがなぜ駄目なのだろう。それに、私がそれらを着ていて駄目なのなら、そもそもフーシェが着ることも問題になるのではないのか。
「年頃の娘は皆自身を飾り立てることが好きなのだと思っていたのだが、ウタくんは違うのだな」
私だって女だ、綺麗なものが嫌いなわけではない。美しいものを見れば美しいと感じ、可愛いものを目にすれば可愛いと思う。ただ、己を良く見せるために無理して飾ろうとは考えないだけで。
「えぇ、そこまで興味はないわ」
「まぁ君は飾らずとも美しいから飾らないのか」
いきなりの褒め言葉に戸惑いつつ、私はウィクトルの方へと視線を向ける。その時ちょうど、彼の瞳もこちらを見つめていて。恐ろしいほど見事に目が合ってしまった。
こうもしっかり目が合ってしまうと、何も言えない。
だが、視線を逸らすことも今さらできず。
見つめ合うしかない——が、視線を合わせ続けていたら、彼の双眸に吸い込まれそうな感覚に襲われる。
「でも、買い物は嫌いじゃないわ。ウィクトルが面倒臭くないのなら、一緒に行く?」
「ウタくんはそれで良いのか」
「それはもちろんよ。嫌だなんて言わないわ」
母親との関わりの真実については気になるところだが、それがあるからといって、即座に嫌いになるわけではない。
「よし。では行こう」
他人の服なんてどうでもいいことだろうに、ウィクトルは妙に乗り気だ。
「……気が早いのね」
「行動が早い、と言ってくれ」
「そうね。行動が早いわね」
立ち上がったウィクトルは、近くにあった小さなメモ帳から紙を一枚ちぎり取る。そして、付近のペン立てから黒い軸のペンを一本取り出すと、キャップを外した。それから、既にちぎっていた紙に文字を書き込む。それは間違いなくキエルの文字だった。
「待たせてすまない。行こう」
「何を書いたの?」
「少し外出する、と書いておいた」
キエルの文字は辞典で見た。手帳の内容を訳そうと一人格闘していた時に長時間眺めたから、『見覚えのある文字』くらいの認識になっている文字はある。が、読めるほど理解が深まっているわけではない。
夜が近づく頃、私とウィクトルは宿舎を出た。
空は暗くなった。でも街中は案外明るい。建物の窓からは光がこぼれ、まるで天の川のよう。非常に幻想的な光景だ。地球にはーー否、私の暮らしていた村には、こんな光景はなかった。暗いのに明るい夜は、とても新鮮。
「夜でも意外と明るいのね」
宿舎の周りは薄暗かったが、少し歩いて街へ出ると、視界が急激に明るくなった気がする。
「そうだな。街は、な」
「都会って言うの? こういうの」
「多少離れているとはいえ皇帝の住まいの近くだからな。それなりに栄えてはいる」
窓から溢れてくる光は眩いけれど、空を見上げたら星はない。
空は真っ黒。
まるで、一面に暗幕を張ったかのよう。
でも、それでも、この世界は美しい。地球と似ているようで似ていないこの世界の夜は、どこまでも幻想的。建物の窓から漏れ出てくる無数の輝きが、眩しくて、でもつい眺めてしまう。
「……母さんにも見せたかったわ。こんな美しい世界を」
周囲を見渡しつつ歩いていたら、自然と口から言葉が出た。
「君の母親は亡くなったのだったか?」
「……えぇ、そう。殺されたわ。私を庇って、ね」
できれば暗い話題には持っていきたくなかったのだが、自然と陰気な話になっていってしまう。
せっかくの外出が台無しではないか。
もっとも、誰も悪くはないのだけれど。
「ウィクトルは? 家族はいないの?」
私はいまだに、彼のことをあまり知らない。
知っているのは現在の彼の外から見える部分だけだ。
「両親は私が子どもだった頃に死んだ。それゆえ家族はもういない」
足を規則的に動かしながらも、ウィクトルは問いに答えてくれた。
その答えは決して明るいものではなかった。だが彼は、両親の死について口から出すことに抵抗がないみたいだ。眉一つさえ動かさない。
しかし、彼が淡々と答えてくれたからといって、妙なことを質問してしまった罪悪感が消滅するわけではない。親切な彼は私を責めたりしないだろう——でも、辛いことを敢えて答えさせてしまった自分に嫌気がさすところはある。大切な人を失う痛みは誰より分かっているはずなのに迂闊に問いを投げかけてしまった自分が情けない。
「……なんというか、ごめんなさい。聞いてしまって」
「謝ることはない」
「でも……辛いことを思い出させてしまったんじゃない?」
「私は特に何も思わない。気にするな」
そして訪れる沈黙。
そのただなかで、私は放つべき言葉を見つけられない。
彼は何も言わず歩き続ける。私もその隣で足を動かし続ける。私も彼も止まってはいない。なのになぜだろう、時だけが止まっているような不思議な感覚がある。
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