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20話「フーシェの迎え」
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塔の中で迎える朝は、あまりに虚しく、切ないもの。罪人として見られるのだと感じつつ生きることほど辛いことはない。たとえ死を恐れずとも、周囲から罪を背負う者として見られることは恐ろしい。それでも朝は来る。無情にも、空は光を帯び始める。朝を迎えること、それは、決して変えられぬ世の理。それに抗う術など、人にはありはしないのだ。
「おはようございます、ウタ様! もう起きていらっしゃったのでございますね!」
ただ、私が罪人でないと信じてくれている人がいることは救いだ。
生まれたわけでもなければ育ったわけでもないこの国に、私の居場所なんて、本来あるはずがないのだから。
「リベルテ、来てくれたのね」
「もちろんでございます! このようなところでウタ様をお一人にするわけには参りません!」
リベルテは屈託のない笑みを浮かべて接してくれる。
本心は見えない。けれど、彼の笑顔を目にする時、私はとてつもなく温かい気分になる。脳の髄までとろけるような、そんな感覚。もはや呪いか、とすら思えてくるほどに、彼の笑顔だけが私の心を包み込んでくれるのだ。
「そうでした。こちらをお持ち致しましたので、ぜひ」
手渡されたのは、一輪の花。
ふんわりと広がる赤い花弁がドレスのようだ。
「……お花?」
格子の隙間から受け取ると、蜜のような甘い香りがした。
「リヒトニカ、リベルテの故郷ではよく見かける花でございます」
「いい匂い……」
「ふふ。気に入っていただけたなら嬉しいです」
私は手元にある一輪の赤い花をまじまじと見つめる。
無言で咲き誇るその様は、寡黙な美女のよう。
仲間はおらず、孤独だろうに、それでも凛と胸を張って生き続けている。こんな時だからだろうか、花が私に対して「しっかりしろ」と訴えかけてきているかのように感じられた。
「食事はじきに運ばれてくるかと思われます。暫しお待ち下さい」
「ありがとう。……ところで、ウィクトルの調子はどう?」
塔の外の情報を得られる数少ない機会だ、聞きたいことは聞いておかなくては。
「主はまだ寝ておられます。熱はありますが、命に別状はなさそうでございました」
「そうなのね、教えてくれてありがとう」
「いえいえ! リベルテはウタ様の味方ですから、何でも聞いて下さいませ!」
負けてはならない。間違いに屈してはならない。味方が一人でもいてくれる限り、真実を曲げてはならないのだ。私がウィクトルを傷つけようとした事実なんてありはしないのだから、疑いなどには負けず前を向いて歩いていけば、それで良い。
「ありがとう。元気が出たわ」
きっと疑いは晴れる。
そう信じよう。
胸に手を当てて、口を開けば、懐かしい旋律が流れ出す。
聞いてくれるのは一輪の花だけ。
それでも構わない。響かせるのだ、声を。
歌うのはただの自己満足だ。私の歌声を今は誰も求めてはいない。でも、それでも歌う。なぜなら、歌唱は個人的な趣味だからである。称賛を得るためだけに歌うわけではない。
「食事をお持ちしました」
一人歌っていたら、見知らぬ男性が現れた。
その手には、銀の食器を三つ乗せたお盆。色は白だがやや黄ばんでいて、クリーム色になってしまったお盆だ。長い間使っているのかもしれない。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
丸いパン一個とバターひとかけらが一緒に乗った、小さめの皿。やや大きめで楕円形の皿には、刻んだ葉野菜と肉団子。そして、三つのうち唯一深さのある器には、白いポタージュが注がれている。良い匂いはしているが、具材は少ない。
……何にせよ、チューブ食よりかはましだ。
与えられた食べ物を少しずつ口に含んでいたら、突然フーシェが現れた。
一人ではない。
彼女の背後にはリベルテもいる。
「フーシェさん!」
何もしていないと訴えようとした——のだが。
「……ここから出すわ」
「え?」
彼女の唇からこぼれたのは、私がまったく想像しなかった言葉だった。
出してもらえる可能性なんてゼロに近いと思っていて。だから、そんな幸運を夢みることはしてみたことがなくて。戸惑うこと以外にできることはない。
フーシェは鍵を取り出すと、慣れた手つきで鍵穴に鍵を差し込む。
そして、格子状の扉を、ゆっくりと開けた。
「これは一体……どうなっているの?」
外へ出るよう促された私は、半ば無意識のうちに尋ねてしまった。
「……ボナ様が目覚めた」
「え! そうなの!」
「……塔へやるなど論外だ、と、ボナ様が」
ウィクトルが出すように言ってくれたのか。
「……ごめんなさい、ウタ」
私が開いた扉から外へ出ると、フーシェは小さな声で謝罪してきた。
「ボナ様が望まぬ仕打ちをしてしまったこと、謝罪するわ」
フーシェの瞳は悲しげな色を帯びている。今は、その目つきに敵意はない。もっとも、彼女の中の私への疑念が消えたかどうかははっきりしないけれど。
「ここから出してもらえるなら嬉しいわ」
「……ボナ様の指示には逆らわない」
フーシェは迷いなく、ウィクトルへの絶対服従の意を示していた。
……ウィクトルだけは敵に回したくない、この世界では。
「ウタ様! 主がお待ちでございます!」
「リベルテもありがとう」
「いえ。礼を言われるほどのことは致しておりません」
リベルテは明るい笑顔を向けてくれる。彼はいつもこんな調子だ。
出会ってまだ半年も経たないが、彼の明るい笑みには、既に何度も救われている。
塔での暮らしがいつまで続くのだろうと不安を抱いていたけれど、想定を遥かに越える早さで塔から出られることになった。それは幸運なこと。
あの時、憎しみに駆られて絶望しなくて良かった。
すべてを投げ捨てなくて良かった。
「おはようございます、ウタ様! もう起きていらっしゃったのでございますね!」
ただ、私が罪人でないと信じてくれている人がいることは救いだ。
生まれたわけでもなければ育ったわけでもないこの国に、私の居場所なんて、本来あるはずがないのだから。
「リベルテ、来てくれたのね」
「もちろんでございます! このようなところでウタ様をお一人にするわけには参りません!」
リベルテは屈託のない笑みを浮かべて接してくれる。
本心は見えない。けれど、彼の笑顔を目にする時、私はとてつもなく温かい気分になる。脳の髄までとろけるような、そんな感覚。もはや呪いか、とすら思えてくるほどに、彼の笑顔だけが私の心を包み込んでくれるのだ。
「そうでした。こちらをお持ち致しましたので、ぜひ」
手渡されたのは、一輪の花。
ふんわりと広がる赤い花弁がドレスのようだ。
「……お花?」
格子の隙間から受け取ると、蜜のような甘い香りがした。
「リヒトニカ、リベルテの故郷ではよく見かける花でございます」
「いい匂い……」
「ふふ。気に入っていただけたなら嬉しいです」
私は手元にある一輪の赤い花をまじまじと見つめる。
無言で咲き誇るその様は、寡黙な美女のよう。
仲間はおらず、孤独だろうに、それでも凛と胸を張って生き続けている。こんな時だからだろうか、花が私に対して「しっかりしろ」と訴えかけてきているかのように感じられた。
「食事はじきに運ばれてくるかと思われます。暫しお待ち下さい」
「ありがとう。……ところで、ウィクトルの調子はどう?」
塔の外の情報を得られる数少ない機会だ、聞きたいことは聞いておかなくては。
「主はまだ寝ておられます。熱はありますが、命に別状はなさそうでございました」
「そうなのね、教えてくれてありがとう」
「いえいえ! リベルテはウタ様の味方ですから、何でも聞いて下さいませ!」
負けてはならない。間違いに屈してはならない。味方が一人でもいてくれる限り、真実を曲げてはならないのだ。私がウィクトルを傷つけようとした事実なんてありはしないのだから、疑いなどには負けず前を向いて歩いていけば、それで良い。
「ありがとう。元気が出たわ」
きっと疑いは晴れる。
そう信じよう。
胸に手を当てて、口を開けば、懐かしい旋律が流れ出す。
聞いてくれるのは一輪の花だけ。
それでも構わない。響かせるのだ、声を。
歌うのはただの自己満足だ。私の歌声を今は誰も求めてはいない。でも、それでも歌う。なぜなら、歌唱は個人的な趣味だからである。称賛を得るためだけに歌うわけではない。
「食事をお持ちしました」
一人歌っていたら、見知らぬ男性が現れた。
その手には、銀の食器を三つ乗せたお盆。色は白だがやや黄ばんでいて、クリーム色になってしまったお盆だ。長い間使っているのかもしれない。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
丸いパン一個とバターひとかけらが一緒に乗った、小さめの皿。やや大きめで楕円形の皿には、刻んだ葉野菜と肉団子。そして、三つのうち唯一深さのある器には、白いポタージュが注がれている。良い匂いはしているが、具材は少ない。
……何にせよ、チューブ食よりかはましだ。
与えられた食べ物を少しずつ口に含んでいたら、突然フーシェが現れた。
一人ではない。
彼女の背後にはリベルテもいる。
「フーシェさん!」
何もしていないと訴えようとした——のだが。
「……ここから出すわ」
「え?」
彼女の唇からこぼれたのは、私がまったく想像しなかった言葉だった。
出してもらえる可能性なんてゼロに近いと思っていて。だから、そんな幸運を夢みることはしてみたことがなくて。戸惑うこと以外にできることはない。
フーシェは鍵を取り出すと、慣れた手つきで鍵穴に鍵を差し込む。
そして、格子状の扉を、ゆっくりと開けた。
「これは一体……どうなっているの?」
外へ出るよう促された私は、半ば無意識のうちに尋ねてしまった。
「……ボナ様が目覚めた」
「え! そうなの!」
「……塔へやるなど論外だ、と、ボナ様が」
ウィクトルが出すように言ってくれたのか。
「……ごめんなさい、ウタ」
私が開いた扉から外へ出ると、フーシェは小さな声で謝罪してきた。
「ボナ様が望まぬ仕打ちをしてしまったこと、謝罪するわ」
フーシェの瞳は悲しげな色を帯びている。今は、その目つきに敵意はない。もっとも、彼女の中の私への疑念が消えたかどうかははっきりしないけれど。
「ここから出してもらえるなら嬉しいわ」
「……ボナ様の指示には逆らわない」
フーシェは迷いなく、ウィクトルへの絶対服従の意を示していた。
……ウィクトルだけは敵に回したくない、この世界では。
「ウタ様! 主がお待ちでございます!」
「リベルテもありがとう」
「いえ。礼を言われるほどのことは致しておりません」
リベルテは明るい笑顔を向けてくれる。彼はいつもこんな調子だ。
出会ってまだ半年も経たないが、彼の明るい笑みには、既に何度も救われている。
塔での暮らしがいつまで続くのだろうと不安を抱いていたけれど、想定を遥かに越える早さで塔から出られることになった。それは幸運なこと。
あの時、憎しみに駆られて絶望しなくて良かった。
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