23 / 209
22話「ウィクトルの告白」
しおりを挟む
「ウタくん、これを知っているか?」
リベルテからの調査報告が終わり、彼が部屋から出ていくと、室内には二人きりになった。
ちょうどそのタイミングで、何の前触れもなくウィクトルが問いを放ってくる。
戸惑いつつ彼の方へ視線を向けると、その手に、黒い革製のカバーがついた手帳が握られているのが見えた。
それは、確かに、私の母親とウィクトルの関わりについて書かれていた手帳。本棚の中にあったはずなのに、なぜか今は彼の手元に。状況が飲み込めない。
ただ、動揺を顔に出してはならない。
手帳を見たことがバレてしまう。
「それは……?」
「私の昔の手帳だ。なぜか本棚にしまってあったものなのだが、ウタくんが本棚を触った時には見かけなかったか」
私が本棚を触ったことまではウィクトルも知っているのだ、それは隠さなくていい。
「そうね。あまり記憶がないわ。辞書と地図帳は開いてみたけれど……って、それも問題ね。あの時は勝手なことをしてごめんなさい」
無断で本棚の中身に触れたことを謝っておく。
それ自体には「問題だったかもしれないな」と思っているから。
「いや、それは気にしなくていい」
「許してくれてありがとう」
「一人放置され退屈だっただろう、こちらこそ配慮不足ですまなかった」
ところで、と、話を戻す。
「君はこの中身をまだ見ていないのだな」
「えぇ。……キエルの文字は読めないもの」
すると、ウィクトルはふっと笑みをこぼした。
「キエル文字で書かれているとなぜ知っている?」
心臓が大きく拍動する。私は一瞬焦った、何かうっかりをやらかしてしまったか、と。だが、よくよく考えてみれば、私は怪しいことなど何も言ってしまってはいない。ウィクトルの手帳にキエル文字で書かれていると想像するのは、普通のこと。これは多分、揺さぶりにきているだけだ。冷静に対処すれば何の問題もない。
「なぜ、って……どうして? キエルの人の手帳ならキエルの文字で書かれているはずでしょう」
「……そうだな。不要な質問だった、許してくれ」
前置きが長くなかなか本題に入っていかないのがもどかしくて、私はつい急かすようなことを述べてしまう。
「いえ。それで、ウィクトルは何の話をしようとしているの?」
話を早く進めようとすることに違和感を覚えられたりしたら危険だ。でも、このまま腹の探り合いのようなことが長時間続くのも苦痛。だから、さりげなく話が進むように、努力してみる。
「君に打ち明けたいことがある」
そう来るか。
彼は自ら打ち明けるつもりなのか。
「……それは一体?」
デリケートな話になるなら、なおさら、警戒しつつ話す必要がある。
相手の意図を掴みつつ言葉を交わさなくては。
「単刀直入に言おう。君の母親を殺したのは、私だ」
「そ……そうなの……?」
既に知っていたことを打ち明けられるというのは不思議な感覚だ。
本当に衝撃の事実を突きつけられた時のような反応はできない。
「ほう、案外冷静だな。もう少し驚くかと思ったが」
分かる、彼に見られているのが。
琥珀のような双眸は、今、確かに私だけを捉えている。
表情は人の心を映し出す鏡。意図して感情を隠そうとしても、顔を見られたらかなり隠せないもの。だからこそ、今は彼に見られるのが怖い。彼ならすべてを見抜きそうだから、特に。
「……人は大切な者の仇を前にした時、大概、まともではいられないものだ」
そうね、それは当然だわ。私だって、日常の中で出会っていたら、彼を親の仇としてしか見ることはできなかったと思うもの。
思い出がなければ良かったの。
良いところを知らないままでいれば良かったの。
そうすれば、私もきっと皆のように、ウィクトルを憎むべき敵として見られたはず。
「復讐しようと思わないのか、親の仇が目の前にいるというのに」
「えぇ。そんなの無駄な暴力でしかないもの。……ウィクトルを憎んでも母さんの命は戻らないわ」
発熱で弱りきったウィクトルに復讐するなんて、特に意味がないと思うが。
「復讐は人を変える。どんな穏やかな人間も、憎しみに囚われた瞬間化け物になる。そこに元の人間はいない。私は見てきた、そういう輩を」
ウィクトルは手帳を枕の横に置く。
「真実を知れば君もそうなるだろうと思っていた」
「……復讐の鬼になるだろう、って?」
「そういうことだ。だが違ったな、君は。落ち着いている」
彼は淡々とした調子で述べるけれど、その表情はどことなく悲しげで。
真実を知っても私は復讐者にはならなかった。なのに、なぜ、悲しそうな顔をするのだろう。私が復讐者にならなかったことは、彼にとって望ましい結果だったのではないのか。
「君はそこまですべてを諦めていたのか。あるいは……彼女の娘だからか」
「母のことを知って?」
「そうだ。私は知っている、君の母親を」
それを皮切りに、ウィクトルは話し始めた。
私の母親と初めて出会った時のことを。
時は十年以上前に遡る。ウィクトルが初めて地球に来たのは、彼がまだ幼かった頃だという。前々から地球をよく訪れていた父親と一緒に、地球へやって来たらしい。そして、地球に滞在していたある夜、街中でうっかり父親とはぐれてしまったウィクトルは、途方にくれて歩き続けていた。
「そんな時、出会った。美しい女性に」
「それが母だったのね……?」
ウィクトルは静かに一度だけ頷くと、数秒空けて、また口を開く。
「彼女は、初対面であるにもかかわらず、私の身を心配してくれた。言葉は通じなかったが、それでも、共に父親を探すことをしてくれた。父親を見つけることは簡単ではなく、かなり難航してな。幼い私が挫けかけていると、持っていたブローチを渡して心を和らげてくれた」
見ず知らずの男の子と一緒に親探し、か。
あの母親ならやりそうだ。彼女は意外とお節介なところがあるから。
「それで、お父さんは見つかったの?」
「あぁ。時間はかかったが見つかった。父親の方も私を探し回っていたようでな、運良く巡り会うことができた」
遠い星で親とはぐれて一人になるなんて、想像するだけでも恐ろしい。
それも、幼い頃だったらなおさら。
きっと、小さなウィクトルは不安だっただろう。そして、ウィクトルの父親も、必死でウィクトルを探していたことだろう。
「その時に思い出として撮った写真があってな、それがここに入っている」
ウィクトルは再び手帳を手に取ると、それを開き、一ページを見せてきた。
「この女性が私を救ってくれた女性だ。これは君の母親……間違いないだろう?」
リベルテからの調査報告が終わり、彼が部屋から出ていくと、室内には二人きりになった。
ちょうどそのタイミングで、何の前触れもなくウィクトルが問いを放ってくる。
戸惑いつつ彼の方へ視線を向けると、その手に、黒い革製のカバーがついた手帳が握られているのが見えた。
それは、確かに、私の母親とウィクトルの関わりについて書かれていた手帳。本棚の中にあったはずなのに、なぜか今は彼の手元に。状況が飲み込めない。
ただ、動揺を顔に出してはならない。
手帳を見たことがバレてしまう。
「それは……?」
「私の昔の手帳だ。なぜか本棚にしまってあったものなのだが、ウタくんが本棚を触った時には見かけなかったか」
私が本棚を触ったことまではウィクトルも知っているのだ、それは隠さなくていい。
「そうね。あまり記憶がないわ。辞書と地図帳は開いてみたけれど……って、それも問題ね。あの時は勝手なことをしてごめんなさい」
無断で本棚の中身に触れたことを謝っておく。
それ自体には「問題だったかもしれないな」と思っているから。
「いや、それは気にしなくていい」
「許してくれてありがとう」
「一人放置され退屈だっただろう、こちらこそ配慮不足ですまなかった」
ところで、と、話を戻す。
「君はこの中身をまだ見ていないのだな」
「えぇ。……キエルの文字は読めないもの」
すると、ウィクトルはふっと笑みをこぼした。
「キエル文字で書かれているとなぜ知っている?」
心臓が大きく拍動する。私は一瞬焦った、何かうっかりをやらかしてしまったか、と。だが、よくよく考えてみれば、私は怪しいことなど何も言ってしまってはいない。ウィクトルの手帳にキエル文字で書かれていると想像するのは、普通のこと。これは多分、揺さぶりにきているだけだ。冷静に対処すれば何の問題もない。
「なぜ、って……どうして? キエルの人の手帳ならキエルの文字で書かれているはずでしょう」
「……そうだな。不要な質問だった、許してくれ」
前置きが長くなかなか本題に入っていかないのがもどかしくて、私はつい急かすようなことを述べてしまう。
「いえ。それで、ウィクトルは何の話をしようとしているの?」
話を早く進めようとすることに違和感を覚えられたりしたら危険だ。でも、このまま腹の探り合いのようなことが長時間続くのも苦痛。だから、さりげなく話が進むように、努力してみる。
「君に打ち明けたいことがある」
そう来るか。
彼は自ら打ち明けるつもりなのか。
「……それは一体?」
デリケートな話になるなら、なおさら、警戒しつつ話す必要がある。
相手の意図を掴みつつ言葉を交わさなくては。
「単刀直入に言おう。君の母親を殺したのは、私だ」
「そ……そうなの……?」
既に知っていたことを打ち明けられるというのは不思議な感覚だ。
本当に衝撃の事実を突きつけられた時のような反応はできない。
「ほう、案外冷静だな。もう少し驚くかと思ったが」
分かる、彼に見られているのが。
琥珀のような双眸は、今、確かに私だけを捉えている。
表情は人の心を映し出す鏡。意図して感情を隠そうとしても、顔を見られたらかなり隠せないもの。だからこそ、今は彼に見られるのが怖い。彼ならすべてを見抜きそうだから、特に。
「……人は大切な者の仇を前にした時、大概、まともではいられないものだ」
そうね、それは当然だわ。私だって、日常の中で出会っていたら、彼を親の仇としてしか見ることはできなかったと思うもの。
思い出がなければ良かったの。
良いところを知らないままでいれば良かったの。
そうすれば、私もきっと皆のように、ウィクトルを憎むべき敵として見られたはず。
「復讐しようと思わないのか、親の仇が目の前にいるというのに」
「えぇ。そんなの無駄な暴力でしかないもの。……ウィクトルを憎んでも母さんの命は戻らないわ」
発熱で弱りきったウィクトルに復讐するなんて、特に意味がないと思うが。
「復讐は人を変える。どんな穏やかな人間も、憎しみに囚われた瞬間化け物になる。そこに元の人間はいない。私は見てきた、そういう輩を」
ウィクトルは手帳を枕の横に置く。
「真実を知れば君もそうなるだろうと思っていた」
「……復讐の鬼になるだろう、って?」
「そういうことだ。だが違ったな、君は。落ち着いている」
彼は淡々とした調子で述べるけれど、その表情はどことなく悲しげで。
真実を知っても私は復讐者にはならなかった。なのに、なぜ、悲しそうな顔をするのだろう。私が復讐者にならなかったことは、彼にとって望ましい結果だったのではないのか。
「君はそこまですべてを諦めていたのか。あるいは……彼女の娘だからか」
「母のことを知って?」
「そうだ。私は知っている、君の母親を」
それを皮切りに、ウィクトルは話し始めた。
私の母親と初めて出会った時のことを。
時は十年以上前に遡る。ウィクトルが初めて地球に来たのは、彼がまだ幼かった頃だという。前々から地球をよく訪れていた父親と一緒に、地球へやって来たらしい。そして、地球に滞在していたある夜、街中でうっかり父親とはぐれてしまったウィクトルは、途方にくれて歩き続けていた。
「そんな時、出会った。美しい女性に」
「それが母だったのね……?」
ウィクトルは静かに一度だけ頷くと、数秒空けて、また口を開く。
「彼女は、初対面であるにもかかわらず、私の身を心配してくれた。言葉は通じなかったが、それでも、共に父親を探すことをしてくれた。父親を見つけることは簡単ではなく、かなり難航してな。幼い私が挫けかけていると、持っていたブローチを渡して心を和らげてくれた」
見ず知らずの男の子と一緒に親探し、か。
あの母親ならやりそうだ。彼女は意外とお節介なところがあるから。
「それで、お父さんは見つかったの?」
「あぁ。時間はかかったが見つかった。父親の方も私を探し回っていたようでな、運良く巡り会うことができた」
遠い星で親とはぐれて一人になるなんて、想像するだけでも恐ろしい。
それも、幼い頃だったらなおさら。
きっと、小さなウィクトルは不安だっただろう。そして、ウィクトルの父親も、必死でウィクトルを探していたことだろう。
「その時に思い出として撮った写真があってな、それがここに入っている」
ウィクトルは再び手帳を手に取ると、それを開き、一ページを見せてきた。
「この女性が私を救ってくれた女性だ。これは君の母親……間違いないだろう?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる