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24話「イヴァンの任務もどき」
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いつもより丁寧にハーフアップを仕上げ、先日買ったばかりの上下を着て、出発までの時間を潰す。身支度はほとんど済んだが、宿舎を出るまで予定時刻までは、まだ三十分ほどある。私は鏡の前に立って、おかしなところがないか確認したり、固い表情にならないよう意識したりした。
「本日もお綺麗でございますね、ウタ様」
「な、何を言っているの? いきなり」
ウィクトルと共に出掛けた先で買った紺色のトップス。実際に着るのは今日が初めてだ。生地が薄いからか妙に風通しが良く、どことなく寒さを覚えるような気すらする。
「思ったことを述べたまでです。そのお召し物、よくお似合いでございますよ」
「ありがとう」
「そのお召し物ですと、主もきっとウタ様にメロメロでございますね!」
いや、ちょっと待って。
突然何の話を始めるのか。話が飛び過ぎだ。
リベルテの言葉にはいつも励まされる。が、今回はただ励まされるだけではなかった。いきなりメロメロなどと言われたことで、大きな戸惑いが生まれた。もっとも、それほど重大なことではないけれど。
「速やかに訪れることができず、失礼致しました」
紺色のトップスに淡い青のスカート、胸元にはウィクトルから貰った青いブローチ。
高い身分の人と顔を合わせる際にするような服装ではない。本当にこれで良かったのだろうか。
「襲撃からの体調不良であったと聞いた。いろんな意味で、ご苦労じゃったな」
「お気遣い感謝します」
イヴァンの顔からは感情が読み取れない。ただ、不機嫌な顔をしているということはなさそうだ。そんなイヴァンに気遣いの言葉をかけられたウィクトルは、落ち着いた表情で会釈していた。
「では早速、本題に入ろうと思う」
「はい」
「用があるのは、そちらの娘だ」
イヴァンの視線が向いていたのは、ウィクトルではなく私。
「は、はいっ……!?」
不意打ちに対応しきれず、語尾が上向きに上がるような返事の仕方になってしまった。これは恥ずかしい。が、本当に問題なのは発音ではないかもしれない。
というのも、そもそもイヴァンが地球の言葉を理解できるのかどうかか不明なのだ。
彼も自動翻訳機を身につけているなら、私が普通に地球の言語で話しても問題はないだろう。しかし、もし自動翻訳機をつけていないのだとしたら、私が普段通り話しても伝わらないということになる。
そんなことを考え、もやもやしていると。
「地球の言語で話すといい」
私の中のもやもやを晴らす言葉を、イヴァンは言ってくれた。
「ほ、本当ですか!?」
「翻訳機があるからな、問題ないのじゃ」
「良かった……! ありがとうございます!」
これで普通に話して良いことが判明した。
緊張はするが、言葉が通じるなら何とかなりそう。
「名は確か、ウタと言ったな?」
覚えていながら一応確認してくる辺り、独特の感性な気がする。
そんなことを思いつつ、私は頷いた。
「では、ウタよ。キエル皇帝として、お主に頼みたいことがある」
「はい……何でしょうか」
これまで十数年生きてきたけれど、ほとんど村暮らしだったから、偉い人と話す機会なんてなかった。厳かな空気の中に入る経験なんてなくて。だから、こういった面会にはどうも慣れない。これで良いのだろうか、と考えてしまって。でも、思考しても答えは分からなくて。何とも言えない心境に陥ってしまう。
「帝国軍の者たちを励ますべく、各地を回ってきてほしい」
イヴァンの口から発された言葉。それは、私が欠片も想像しなかったものだった。
「この国はいくつもの部隊を抱えている。そして、その者たちは日々、様々な任務の遂行に明け暮れているのじゃ。お主の歌で、彼らを励ましてやってほしい」
最前線の兵たちのところへ行き、芸の披露によって士気を高めた女性——そんな人物も、聞いたことがないではない。実際に目にしたことはないが、地球にいた頃、話を聞いたことはある。ただ、それはあくまで伝説のような話であって。
……それを私にやれと言うの?
「もちろん、一人で行けとは言わぬ。ウィクトルを連れて行くがいい」
「え……!」
「女一人ではさすがに不安だろうからな」
確かに不安だ。むしろ不安しかない。だから、ウィクトルが同行してくれるというなら、それはとてもありがたいことではあるのだが。
「お、お気遣いはありがたいです。しかし、それでは、ウィクトルたちの仕事を代わりに誰かがすることになってしまうのでは……?」
いきなり呑気に「はい! そうしまーす!」なんて言うわけにはいかないので、私は一応確認してみておいた。
しかし、イヴァンは「問題ない」と言うだけ。
さらに付け加えてくる。
「もしや、同行するのがウィクトルでは心配か? まぁ、そうじゃな。ウィクトルも男、何しでかすか分からんと言えばその通りじゃ」
さすがにその言い方は酷くないだろうか……。
今のイヴァンの発言は、ウィクトルのことを『呆れるほど欲望に忠実な男』と言っているようなものだ。
「私は余計なことはしません」
「おぉ。即答じゃな。良いことじゃ」
それまでは黙って私とイヴァンの会話を聞いていたウィクトルが、このタイミングですかさず口を挟んだのが、少し意外だったりした。
「とにかく、この国のため生きる我が軍の者たちのために、協力してほしいのじゃ。頼んだぞ、ウタ」
きっとこちらに拒否権はないのだろう。
それならば、返事の仕方は一つしかない。
「はい。できる限りやってみます」
喜んで、は極端過ぎてわざとらしい。
しかし、嫌だとは言えない。
だから私は、曖昧な表現を使うことを選択したのだ。
イヴァンとの面会を終え、部屋から出た私とウィクトルを迎えてくれたのは、リベルテだった。
「終了なさったのですね!」
元々大人びては見えないリベルテだが、ポシェットを下げ瞳を輝かせるその様は、彼を余計に幼く見せる。
「あぁ、終わった」
「用事は一体何だったのでございますか!?」
「ウタくんへの頼みだった」
ウィクトルが淡々と問いに答えた瞬間、リベルテは目を大きく開いた。
「ええっ! ウタ様への、でございますか!?」
リベルテの反応は大袈裟。周囲から視線を浴びるほどのものだ。
しかし、彼の反応がどう考えてもおかしいというわけではない。
イヴァンが私へ任務もどきを与えてくることなんて、誰も想像してみなかっただろうから。
「本日もお綺麗でございますね、ウタ様」
「な、何を言っているの? いきなり」
ウィクトルと共に出掛けた先で買った紺色のトップス。実際に着るのは今日が初めてだ。生地が薄いからか妙に風通しが良く、どことなく寒さを覚えるような気すらする。
「思ったことを述べたまでです。そのお召し物、よくお似合いでございますよ」
「ありがとう」
「そのお召し物ですと、主もきっとウタ様にメロメロでございますね!」
いや、ちょっと待って。
突然何の話を始めるのか。話が飛び過ぎだ。
リベルテの言葉にはいつも励まされる。が、今回はただ励まされるだけではなかった。いきなりメロメロなどと言われたことで、大きな戸惑いが生まれた。もっとも、それほど重大なことではないけれど。
「速やかに訪れることができず、失礼致しました」
紺色のトップスに淡い青のスカート、胸元にはウィクトルから貰った青いブローチ。
高い身分の人と顔を合わせる際にするような服装ではない。本当にこれで良かったのだろうか。
「襲撃からの体調不良であったと聞いた。いろんな意味で、ご苦労じゃったな」
「お気遣い感謝します」
イヴァンの顔からは感情が読み取れない。ただ、不機嫌な顔をしているということはなさそうだ。そんなイヴァンに気遣いの言葉をかけられたウィクトルは、落ち着いた表情で会釈していた。
「では早速、本題に入ろうと思う」
「はい」
「用があるのは、そちらの娘だ」
イヴァンの視線が向いていたのは、ウィクトルではなく私。
「は、はいっ……!?」
不意打ちに対応しきれず、語尾が上向きに上がるような返事の仕方になってしまった。これは恥ずかしい。が、本当に問題なのは発音ではないかもしれない。
というのも、そもそもイヴァンが地球の言葉を理解できるのかどうかか不明なのだ。
彼も自動翻訳機を身につけているなら、私が普通に地球の言語で話しても問題はないだろう。しかし、もし自動翻訳機をつけていないのだとしたら、私が普段通り話しても伝わらないということになる。
そんなことを考え、もやもやしていると。
「地球の言語で話すといい」
私の中のもやもやを晴らす言葉を、イヴァンは言ってくれた。
「ほ、本当ですか!?」
「翻訳機があるからな、問題ないのじゃ」
「良かった……! ありがとうございます!」
これで普通に話して良いことが判明した。
緊張はするが、言葉が通じるなら何とかなりそう。
「名は確か、ウタと言ったな?」
覚えていながら一応確認してくる辺り、独特の感性な気がする。
そんなことを思いつつ、私は頷いた。
「では、ウタよ。キエル皇帝として、お主に頼みたいことがある」
「はい……何でしょうか」
これまで十数年生きてきたけれど、ほとんど村暮らしだったから、偉い人と話す機会なんてなかった。厳かな空気の中に入る経験なんてなくて。だから、こういった面会にはどうも慣れない。これで良いのだろうか、と考えてしまって。でも、思考しても答えは分からなくて。何とも言えない心境に陥ってしまう。
「帝国軍の者たちを励ますべく、各地を回ってきてほしい」
イヴァンの口から発された言葉。それは、私が欠片も想像しなかったものだった。
「この国はいくつもの部隊を抱えている。そして、その者たちは日々、様々な任務の遂行に明け暮れているのじゃ。お主の歌で、彼らを励ましてやってほしい」
最前線の兵たちのところへ行き、芸の披露によって士気を高めた女性——そんな人物も、聞いたことがないではない。実際に目にしたことはないが、地球にいた頃、話を聞いたことはある。ただ、それはあくまで伝説のような話であって。
……それを私にやれと言うの?
「もちろん、一人で行けとは言わぬ。ウィクトルを連れて行くがいい」
「え……!」
「女一人ではさすがに不安だろうからな」
確かに不安だ。むしろ不安しかない。だから、ウィクトルが同行してくれるというなら、それはとてもありがたいことではあるのだが。
「お、お気遣いはありがたいです。しかし、それでは、ウィクトルたちの仕事を代わりに誰かがすることになってしまうのでは……?」
いきなり呑気に「はい! そうしまーす!」なんて言うわけにはいかないので、私は一応確認してみておいた。
しかし、イヴァンは「問題ない」と言うだけ。
さらに付け加えてくる。
「もしや、同行するのがウィクトルでは心配か? まぁ、そうじゃな。ウィクトルも男、何しでかすか分からんと言えばその通りじゃ」
さすがにその言い方は酷くないだろうか……。
今のイヴァンの発言は、ウィクトルのことを『呆れるほど欲望に忠実な男』と言っているようなものだ。
「私は余計なことはしません」
「おぉ。即答じゃな。良いことじゃ」
それまでは黙って私とイヴァンの会話を聞いていたウィクトルが、このタイミングですかさず口を挟んだのが、少し意外だったりした。
「とにかく、この国のため生きる我が軍の者たちのために、協力してほしいのじゃ。頼んだぞ、ウタ」
きっとこちらに拒否権はないのだろう。
それならば、返事の仕方は一つしかない。
「はい。できる限りやってみます」
喜んで、は極端過ぎてわざとらしい。
しかし、嫌だとは言えない。
だから私は、曖昧な表現を使うことを選択したのだ。
イヴァンとの面会を終え、部屋から出た私とウィクトルを迎えてくれたのは、リベルテだった。
「終了なさったのですね!」
元々大人びては見えないリベルテだが、ポシェットを下げ瞳を輝かせるその様は、彼を余計に幼く見せる。
「あぁ、終わった」
「用事は一体何だったのでございますか!?」
「ウタくんへの頼みだった」
ウィクトルが淡々と問いに答えた瞬間、リベルテは目を大きく開いた。
「ええっ! ウタ様への、でございますか!?」
リベルテの反応は大袈裟。周囲から視線を浴びるほどのものだ。
しかし、彼の反応がどう考えてもおかしいというわけではない。
イヴァンが私へ任務もどきを与えてくることなんて、誰も想像してみなかっただろうから。
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