奇跡の歌姫

四季

文字の大きさ
32 / 209

31話「ウィクトルの怪訝な顔」

しおりを挟む
 リベルテの実家の周囲は緑が豊かだった。道の脇、ベランダの横、いたるところに植物が存在している。そんな中を私たち四人は歩いていく。暗くなり始めた空の下でも、瑞々しい緑は鮮やかに輝きを放ち続けていた。

 やがて、入口と思われる扉の前へたどり着く。

 先導するように歩いていたリベルテが、扉のすぐ横に設置されている黒いボタンを押すと、十秒ほどが経過して何やら声が聞こえてきた。そして、それからさらに待つこと数分。扉がゆっくりと開く。

「おぉ。また帰ってきたのかい、リベルテ」

 三十センチほど開いた隙間から顔を覗かせたのは、中年の男性。
 金髪だからかもしれないが、若干、髪が薄く感じられる。

「父上、本日は仕事です」
「ん? そうなのかい?」
「彼らを泊めてもよろしいでしょうか」

 そう言って、リベルテは私たちを紹介し始める。
 ウィクトルは上司、フーシェは同僚。それらは父親も知っているようだった。だが、私の姿を目にした時、見慣れないと思ったのか、不思議な生き物を見るような目つきをしてきた。

「彼女は地球からやって来て下さった歌手なのです」
「おぉ、それは渋い」

 個人的には、渋い、などと言われたことが驚きだった。そんな感想が来る可能性は、僅かにすら考えてみなかった気がする。

 そもそも、女性相手に「渋い」だなんて、なかなか聞かない表現だ。
 ある程度年を重ねた男性が対象なのならともかく。

「今夜、三人を泊めても構いませんか? 父上」
「泊める? それは無茶だよ」

 リベルテの父親は、いきなり大勢の宿泊を頼まれ、戸惑いを隠せない様子だ。だがそれも無理はない。ある日突然「三人を泊めたい」なんて言われても、家の主人としては困ることばかりのはずだ。

「準備も何もしていないよ」
「しかし、部屋はありますよね。食料も貯めてあるはずです」
「いやいや。あれは備蓄だから」
「一夜の宿すら恵めないと言うのですか?」

 日頃は陽気ながらも控えめな印象のリベルテだが、父親に対してははっきりとした物言いをするようだ。断られても、決して挫けることなく、懸命に頼み続けてくれている。その背中は頼もしいものだった。

「う、うぅ……善良な心に付け入ろうとしないでほしい……」
「では良いですね。一泊ですし」
「う……も、もう分かった! それでいい! 泊めよう!」

 ついに父親の方が折れる時がやって来た。
 粘りに粘ったリベルテの勝利だ。

 そうして、父親を説得することを成し遂げたリベルテは、達成感に満ちた穏やかな表情で振り返ってくる。

「ということでございますから、泊まれます!」

 太陽の子と言っても嘘にはならないような明るい表情で、リベルテはそう言った。


 何とか、今夜の宿も確保することができた。
 空き部屋は多くはなかったようで、全員同じ部屋になってしまったが、ある意味それは仕方のないことだろう。

「良かったわね、泊まれて」
「そうだな」

 今、室内にいるのは、私とウィクトルとフーシェの三人だけ。リベルテは席を外している。
 目的地というのだから、また誰かの前で歌わねばならないのだろうと想像していたが、今夜は歌の披露はないようだ。もちろん宴会もないし、ゆっくり休めそうである。

「……そろそろ寝る」

 三人で静かな時間を過ごしていたら、突然、フーシェが口を小さく動かした。

「フーシェさん、もう寝るの? 早いのね」
「……睡眠は必要」
「そうなのね。おやすみなさい」

 宿舎にいる時も、フーシェは比較的早い時間に眠っていることが多かったように感じる。それが彼女の睡眠スタイルなのかもしれない。

 フーシェはベッドに潜り込む。
 結果、起きているのは私とウィクトルだけになってしまった。

 非常に気まずい。ウィクトルが嫌がらせをしてくるわけではないし、私とて彼を大嫌いなわけではないが、それでも、二人きりになると何とも言えない気持ちになってしまう。どう表現するのが相応しいのか、よく分からないけれど。

「リベルテ、戻ってこないわね」

 独り言のように言ってみる。
 するとウィクトルは視線をこちらへ向けてきた。

「そうだな。恐らく、親と話でもしているのだろう」
「仲良しなのね」
「私には想像できないことだが……そうなのだろうな」

 ウィクトルの言い方は何となく素っ気なかった。

 ……もしかして、ウィクトルは自分には親がいないことを気にしているのだろうか?

 いつも淡々としているから他者には分からないけれど、彼には彼の悩みの種があるのかもしれない。周囲には言わないけれど、実は気にしていることがあったりするのかもしれない。もしそうだとしたら、そこを深く掘り下げるようなことをするのは危険だ。踏み込み過ぎたことで関係性を壊してしまうという可能性もゼロではない。


 フーシェは眠り、私とウィクトルは静寂の中にいた、そんな時。
 リベルテが帰ってきた。
 その手には、一着のドレス。青緑の生地で作られたものだ。

「ただいま戻りました!」

 リベルテは、両手を器用に使い、軽く畳んだドレスの裾が床につかないよう努力している。しかし、生地の重みのせいなのか、段々全体的に下がってきてしまう。上手く持つのは難しいようだ。

「遅かったな。何をしていた?」
「ウタ様がお召しになる用の衣装を持って参りました!」
「衣装、だと?」

 ウィクトルは眉をひそめた。
 そんな彼に向けて、リベルテは明るく言葉を発する。

「ドレスです! ご覧下さい!」

 その時、リベルテは初めて、ドレスを広げて見せた。

 露わになったドレスの全貌。それはとても美しいものだった。肩ひもがなく大きめに開いた胸元には、無数の輝くスパンコールが縫い付けられていて、まるで人魚姫のよう。胸元からやや高めのウエストまでは、そこそこ厚みがあり、体に密着する構造のようだ。しかし、それとは対照的に、スカート部分は開いた傘のように膨らんでいる。

「可愛いドレスね! ……でも、そんなものどこで?」

 リベルテの母親のドレスということは、さすがにないだろうし。

「取引している商品の中から選んで参りました!」
「え」
「ぜひお召しになって下さいませ!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...