33 / 209
32話「ウタの試着」
しおりを挟む
リベルテが持ってきてくれた、光沢のある青緑のドレスを、私は試しに着てみることにした。
まずは、背から腰へと続く背面のチャックを開ける。それから、脚を一本ずつ中へ突っ込み、両足の裏が床にきちんとついたことを確認してから、ゆっくりとドレスを持ち上げる。上半身部分を腰が通過する際だけは少し詰まりかけたが、他は特に問題はなく、上まで持ち上げることができた。それから私は、ドレスの一番上の部分を胸の上の位置にきちんと合わせ、ちょうどいいところで手で押さえる。取り敢えず固定しておくのである。
「ごめんなさい。リベルテ、後ろのチャックを閉めてもらえる?」
「はっ、はいっ!」
器用でない私は、手を背中側へ回しながらチャックを閉めるなんてことはできない。
だからリベルテに頼んだのだ。
すると彼は、ハキハキした返事をして、すぐにチャックを上げてくれる。途中で引っ掛かることなく、一度で上げきれたのは、さすがとしか言い様がない。
「ありがとう。これで完成かしら」
首と胸の間には生地がないので、妙にひんやりしてしまっているような気がする。肌の面積的にはそれほど広くはないのだが、なぜか、かなり寒く感じる。
「はい! その通りでございます!」
こうしてドレスの着用が完了した私は、くるりと振り返る。
リベルテは両手を合わせて瞳を輝かせた。
「お、お似合いでございます……!」
予想以上に感動された。
しかも、リベルテに。
「主! ウタ様、よく似合っておられますよね!?」
こちらを凝視しながら瞳を輝かせていたリベルテは、軽やかに半周くらい回転し、ウィクトルの方へと面を向ける。
「……そうだな」
「せっかくこうもお美しいのです! もう少し素直に喜ばれてはいかがですか!?」
「いや、困る。いきなりそんなことを言われても」
こんな風に穏やかな暮らしができるなんて、考えてもみなかった。
母親が殺された時にすべてを捨て、さらに村も消滅させられ。私が歩いていく先に希望の光などありはしないのだと、そう思い込んでいた。仕方のないことなのだと自分に言い聞かせ、ありとあらゆるものに対して、なるべく期待しないように努めて。それでも、完全に消しきることはできず、時には悲しみが蘇ることもあった。ただ、己の死を恐れることはなかったけれど。
でも今、私は期待している。
歌という好きなものを堪能しつつ、誰かに必要とされているのだから、その行く手には光もあるかもしれない……そんな風に。
ここ——キエル帝国は、私の生まれ育った国ではない。けれども、私を必要としてくれる人々がいるのなら、私は、その人々のために歌いたい。それは、私の願いだ。
傷を癒やせるわけではない。
敵を倒せるわけでもない。
けれど私は、人々を励まし応援することなら、できないことはないはずだ。
その日は、ドレスの試着を済ませた後、早めに就寝することにした。
夜更かしして明日以降の日程をこなせなくなっては困るからだ。この旅はまだまだ続く。休みは当分ない。だから、極力睡眠時間を確保できるよう心掛けなくてはならないのだ。
とはいえ、初めて来た慣れない場所で迎える夜だから、寝られる保証はなかった。
けれど、幸運なことに、私は比較的スムーズに眠りに落ちることができた。
翌朝、私が目覚めた時、フーシェは既に起きていた。
「……随分お寝坊ね」
私が起床して手で目もとを擦っていると、フーシェがそんなことを言ってきた。
怒っているわけではないようなのだが、機嫌が良いということはなさそうで。でも、もしかしたら、単に無表情なだけかもしれないし。彼女の心はまったくもって掴めない。
「おはよう。フーシェさん、早いのね」
「……いつもの時間」
「そう。じゃあ、いつも早起きなのね」
すると、フーシェは呆れたように小さな溜め息を漏らす。
「……普通の起床時間よ」
よく考えてみたら、私はまともに働いた経験がない。贅沢暮らしをしていたわけでもないから、母親の収入で生活費は賄えていたし。
だから、フーシェたちとは感覚が違う部分があったとしても、不思議ではない。
暮らしの差というのは、一見小さなことのようで、案外大きな違いを生み出すものだ。
「……早く身支度を整えて」
「え?」
「……朝食が済んだら、歌ってもらうから」
「え! も、もうなの?」
「……そういうこと」
今日もまたどこかで歌を披露することになるのだろうとは予想していたが、起きるなり言われるとは思っておらず、驚いた。
朝食が済んだら、なんて言われても、朝一番から上手く歌えるものだろうか。
起きてからある程度時間が経っている方が、声の出も良いと思うのだが。
出してもらった軽い朝食を食べ終えた後、私たちは、フィルデラの中央部に位置する会館へと移動することとなった。徒歩で、である。というのも、リベルテの実家から会館までは、徒歩でも十分かかるかかからないかといった程度の距離しかないのだ。もっと離れていたなら、自動運転車を使ったかもしれない。
「ここが目的地の会館なの? リベルテ」
「はい! 通称フィルデラ会館でございます!」
いや、ネーミングがあまりにそのまま過ぎやしないか?
「本日のコンサートは小ホールでの開催でございますが、一旦楽屋へ入りましょう。そこでドレスに着替えて下さいませ」
昨夜リベルテが見つけて持ってきてくれたドレスは、紙袋に入れて持ってきている。
新しい衣装だ。
「そうね! 分かったわ」
今日はどのような人が見に来てくれるのだろう。それを考えると、緊張はするが、得体の知れない高揚感もある。ドキドキよりワクワクの方が大きい、といったところだろうか。
「楽屋へ案内致しますね! ……と言いましても、正しくは楽屋ではなく小ホールの横の部屋なのでございますが」
私はリベルテに案内してもらいながら、小ホールの横にあるという部屋へ向かった。
ちなみに、フーシェとウィクトルは警備役だそうだ。
まずは、背から腰へと続く背面のチャックを開ける。それから、脚を一本ずつ中へ突っ込み、両足の裏が床にきちんとついたことを確認してから、ゆっくりとドレスを持ち上げる。上半身部分を腰が通過する際だけは少し詰まりかけたが、他は特に問題はなく、上まで持ち上げることができた。それから私は、ドレスの一番上の部分を胸の上の位置にきちんと合わせ、ちょうどいいところで手で押さえる。取り敢えず固定しておくのである。
「ごめんなさい。リベルテ、後ろのチャックを閉めてもらえる?」
「はっ、はいっ!」
器用でない私は、手を背中側へ回しながらチャックを閉めるなんてことはできない。
だからリベルテに頼んだのだ。
すると彼は、ハキハキした返事をして、すぐにチャックを上げてくれる。途中で引っ掛かることなく、一度で上げきれたのは、さすがとしか言い様がない。
「ありがとう。これで完成かしら」
首と胸の間には生地がないので、妙にひんやりしてしまっているような気がする。肌の面積的にはそれほど広くはないのだが、なぜか、かなり寒く感じる。
「はい! その通りでございます!」
こうしてドレスの着用が完了した私は、くるりと振り返る。
リベルテは両手を合わせて瞳を輝かせた。
「お、お似合いでございます……!」
予想以上に感動された。
しかも、リベルテに。
「主! ウタ様、よく似合っておられますよね!?」
こちらを凝視しながら瞳を輝かせていたリベルテは、軽やかに半周くらい回転し、ウィクトルの方へと面を向ける。
「……そうだな」
「せっかくこうもお美しいのです! もう少し素直に喜ばれてはいかがですか!?」
「いや、困る。いきなりそんなことを言われても」
こんな風に穏やかな暮らしができるなんて、考えてもみなかった。
母親が殺された時にすべてを捨て、さらに村も消滅させられ。私が歩いていく先に希望の光などありはしないのだと、そう思い込んでいた。仕方のないことなのだと自分に言い聞かせ、ありとあらゆるものに対して、なるべく期待しないように努めて。それでも、完全に消しきることはできず、時には悲しみが蘇ることもあった。ただ、己の死を恐れることはなかったけれど。
でも今、私は期待している。
歌という好きなものを堪能しつつ、誰かに必要とされているのだから、その行く手には光もあるかもしれない……そんな風に。
ここ——キエル帝国は、私の生まれ育った国ではない。けれども、私を必要としてくれる人々がいるのなら、私は、その人々のために歌いたい。それは、私の願いだ。
傷を癒やせるわけではない。
敵を倒せるわけでもない。
けれど私は、人々を励まし応援することなら、できないことはないはずだ。
その日は、ドレスの試着を済ませた後、早めに就寝することにした。
夜更かしして明日以降の日程をこなせなくなっては困るからだ。この旅はまだまだ続く。休みは当分ない。だから、極力睡眠時間を確保できるよう心掛けなくてはならないのだ。
とはいえ、初めて来た慣れない場所で迎える夜だから、寝られる保証はなかった。
けれど、幸運なことに、私は比較的スムーズに眠りに落ちることができた。
翌朝、私が目覚めた時、フーシェは既に起きていた。
「……随分お寝坊ね」
私が起床して手で目もとを擦っていると、フーシェがそんなことを言ってきた。
怒っているわけではないようなのだが、機嫌が良いということはなさそうで。でも、もしかしたら、単に無表情なだけかもしれないし。彼女の心はまったくもって掴めない。
「おはよう。フーシェさん、早いのね」
「……いつもの時間」
「そう。じゃあ、いつも早起きなのね」
すると、フーシェは呆れたように小さな溜め息を漏らす。
「……普通の起床時間よ」
よく考えてみたら、私はまともに働いた経験がない。贅沢暮らしをしていたわけでもないから、母親の収入で生活費は賄えていたし。
だから、フーシェたちとは感覚が違う部分があったとしても、不思議ではない。
暮らしの差というのは、一見小さなことのようで、案外大きな違いを生み出すものだ。
「……早く身支度を整えて」
「え?」
「……朝食が済んだら、歌ってもらうから」
「え! も、もうなの?」
「……そういうこと」
今日もまたどこかで歌を披露することになるのだろうとは予想していたが、起きるなり言われるとは思っておらず、驚いた。
朝食が済んだら、なんて言われても、朝一番から上手く歌えるものだろうか。
起きてからある程度時間が経っている方が、声の出も良いと思うのだが。
出してもらった軽い朝食を食べ終えた後、私たちは、フィルデラの中央部に位置する会館へと移動することとなった。徒歩で、である。というのも、リベルテの実家から会館までは、徒歩でも十分かかるかかからないかといった程度の距離しかないのだ。もっと離れていたなら、自動運転車を使ったかもしれない。
「ここが目的地の会館なの? リベルテ」
「はい! 通称フィルデラ会館でございます!」
いや、ネーミングがあまりにそのまま過ぎやしないか?
「本日のコンサートは小ホールでの開催でございますが、一旦楽屋へ入りましょう。そこでドレスに着替えて下さいませ」
昨夜リベルテが見つけて持ってきてくれたドレスは、紙袋に入れて持ってきている。
新しい衣装だ。
「そうね! 分かったわ」
今日はどのような人が見に来てくれるのだろう。それを考えると、緊張はするが、得体の知れない高揚感もある。ドキドキよりワクワクの方が大きい、といったところだろうか。
「楽屋へ案内致しますね! ……と言いましても、正しくは楽屋ではなく小ホールの横の部屋なのでございますが」
私はリベルテに案内してもらいながら、小ホールの横にあるという部屋へ向かった。
ちなみに、フーシェとウィクトルは警備役だそうだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる