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51話「ウタの現在の気持ち」
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その次の日は、雨降りだった。
窓の外に広がる世界は薄暗い。夜のように視界が悪くなるほどの暗さではないが、鬱々とした気分になりそうな天気である。見上げれば、暗雲に埋め尽くされた空が目に映る。不規則にこぼれ落ちてくる雫をぼんやり眺めていたら、泣いている人を目にしたかのような気持ちになった。
この天気では、どこへも行けない。
もっとも、出掛ける予定が入っていたわけではないが。
そんな気分の晴れない午前のことだ。三階の一室で過ごしていると、一人の男性がやって来た。彼はウィクトルの部隊に所属する者。その手には、小型の電話機が握られていた。
彼が部屋へやって来た理由は、皇帝の手下からウィクトルへの連絡があったからだそうだ。何でも、皇帝がウィクトルに伝えたいことがあるとか何とか。そんな話を離れたところから聞いていた私は、「どうせ、叱責か新たな任務だろう」と思う。
製作された報告書の最終確認に励んでいたウィクトルは、男性から電話機を受け取り、何やら言葉を交わし始める。電話機を使っての通話なので、ウィクトルの発言は聞こえるが、通話相手の発言は私の耳には届かない。だから、離れたところから通話の内容を知ることはできなかった。
二十分ほどが経過した頃だろうか、ウィクトルは電話機を耳から離した。
連絡を知らせに来てくれた男性は許可を得て既に退室済み。今、ウィクトルの傍にいるのは、リベルテとフーシェだけだ。ちなみに、私は、同じ部屋にはいるものの傍にはいない。
私はパーテーション越しに彼らの様子を窺う。
「あの……主? 何の連絡で?」
「地球へ行け、と」
思わず喉を上下させてしまった。
地球、なんて言葉を聞いたから。
「……どういうこと」
フーシェが怪訝な顔で尋ねる。
「地球で繁殖している異形生物の掃討という任務だ」
「そう……分かったわ。……それで、出発はいつ」
「星外へ行くなら準備が必要だ。恐らく、数日はかかるだろう」
三人のやり取りを数メートル離れたところから聞き、私は半ば無意識のうちに俯く。
異形生物? 馬鹿な。意味が分からない、なぜそんなことが起きたのか。多くの地域が壊滅したから? いや、でも、そんなすぐに環境が変わるものだろうか。草が生え放題になったり、野犬が増えたりするなら、まだ分かる。でも、かつて存在しなかった種が短期間でみるみる繁殖したりするものなのだろうか?
「それと、その間はウタくんを皇帝の住まいへ預けるようにと」
ウィクトルの口から私の名が出て、ドキリとする。
「な……それは誠でございますか」
「そんな嘘はつかない」
「は、はい。もちろん承知しております。主は気軽に嘘をつかれるようなお方ではございません。しかし、そのお話は、とても信じ難く……」
同感だ。
リベルテの言葉に大きく頷く。
「そこなら身の安全を約束できるから、という話だ。だが、それが真実とは思えない」
「はい。それは思います」
「だろう。だからこそ、ウタくんを一人ここへ残していくわけにはいかない。それはさすがに心配だ。何をされるか分かったものでない」
ウィクトルが淡々と述べるのを聞いて、私は温かい気持ちになる。
嬉しい——それが今の純粋な気持ちだ。
私たちはある程度の時間を共に過ごしてきた。だから、絆も徐々に生まれつつある。でもそれは、もしかしたら、私がそう思い込んでいるだけかもしれなかった。彼が私を大切に思ってくれているという絶対的な根拠は無く、だからこそ、私の胸には言い様のない不安が居座っていた。
けれど、そんな不安は必要のないものだったみたいだ。
ウィクトルは私の身を気にかけてくれている。それが分かっただけでも大きな進歩だ。
「そこで、リベルテにウタくんの世話を頼みたい」
「え! リベルテでございますか!?」
リベルテは派手に驚いていた。目を大きく開いている。
「そうだ。リベルテにならウタくんを任せられる」
「し、しかし、それでは主をお護りするのがフーシェのみになってしまいます……」
私が呼ばれそうな気配はまったくない。だが、自ら出ていくのも何とも言えない空気になってしまいそうな気がして、私は相応しい行動を見つけられなかった。私に関する案件なのだから出ていくべきなのかもしれないが、出ていって話がややこしくなってしまったら申し訳ない気もするし。どうするのが望ましいのだろう。
パーテーションの隙間から様子を確認しつつ、こっそり話を聞いていると、リベルテが唐突にこちらを向いた。覗き見していることがばれたのか、と、一瞬焦る。しかし、どうやらそういうことではないようで。ただ、彼は小走りでこちらへやって来た。
「ウタ様、今、少しよろしいでしょうか?」
リベルテは覗き込みつつ声をかけるてくる。
「え、えぇ。良いわよ。何か用事?」
私は敢えて聞いていなかったふりをした。
本当はそんなことをするべきではなかったのかもしれないけれど。
その後、私は、リベルテに連れられてウィクトルたちの前に出ていくことになった。そして、それから、事情の説明を受ける。地球へ行かねばならない任務を与えられたこと、その間私はイヴァンのもとにいるよう言われていることなどを、ウィクトルの口から聞いた。
「仕事なのね、分かったわ。じゃあ、その話通り、私は皇帝のところに行っておくわ」
「唐突なことですまない」
「いいえ。ウィクトルに罪はないわ。私は平気よ」
「リベルテは同行させる。もし何かあれば、彼を頼ってくれ」
彼は暑苦しくないし、そもそも、男臭さがない。それゆえ、長時間共に過ごすとしても、問題はそれほどないだろう。それに、さりげなくほっこりさせてくれるし。
「それは嬉しいわ。……でも、ウィクトルはリベルテなしで問題ないの?」
「ウタくんが私の心配をすることはない」
「その……無理してない?」
つい、そんなことを言ってしまう。
「最近いつも私の傍に人を配置してくれているでしょ? 気を遣ってもらえるのは嬉しいの。でも、ちょっと申し訳なくて。ウィクトルたちは三人で一人みたいなものじゃない? だから、あまり無理しないでほしいの」
窓の外に広がる世界は薄暗い。夜のように視界が悪くなるほどの暗さではないが、鬱々とした気分になりそうな天気である。見上げれば、暗雲に埋め尽くされた空が目に映る。不規則にこぼれ落ちてくる雫をぼんやり眺めていたら、泣いている人を目にしたかのような気持ちになった。
この天気では、どこへも行けない。
もっとも、出掛ける予定が入っていたわけではないが。
そんな気分の晴れない午前のことだ。三階の一室で過ごしていると、一人の男性がやって来た。彼はウィクトルの部隊に所属する者。その手には、小型の電話機が握られていた。
彼が部屋へやって来た理由は、皇帝の手下からウィクトルへの連絡があったからだそうだ。何でも、皇帝がウィクトルに伝えたいことがあるとか何とか。そんな話を離れたところから聞いていた私は、「どうせ、叱責か新たな任務だろう」と思う。
製作された報告書の最終確認に励んでいたウィクトルは、男性から電話機を受け取り、何やら言葉を交わし始める。電話機を使っての通話なので、ウィクトルの発言は聞こえるが、通話相手の発言は私の耳には届かない。だから、離れたところから通話の内容を知ることはできなかった。
二十分ほどが経過した頃だろうか、ウィクトルは電話機を耳から離した。
連絡を知らせに来てくれた男性は許可を得て既に退室済み。今、ウィクトルの傍にいるのは、リベルテとフーシェだけだ。ちなみに、私は、同じ部屋にはいるものの傍にはいない。
私はパーテーション越しに彼らの様子を窺う。
「あの……主? 何の連絡で?」
「地球へ行け、と」
思わず喉を上下させてしまった。
地球、なんて言葉を聞いたから。
「……どういうこと」
フーシェが怪訝な顔で尋ねる。
「地球で繁殖している異形生物の掃討という任務だ」
「そう……分かったわ。……それで、出発はいつ」
「星外へ行くなら準備が必要だ。恐らく、数日はかかるだろう」
三人のやり取りを数メートル離れたところから聞き、私は半ば無意識のうちに俯く。
異形生物? 馬鹿な。意味が分からない、なぜそんなことが起きたのか。多くの地域が壊滅したから? いや、でも、そんなすぐに環境が変わるものだろうか。草が生え放題になったり、野犬が増えたりするなら、まだ分かる。でも、かつて存在しなかった種が短期間でみるみる繁殖したりするものなのだろうか?
「それと、その間はウタくんを皇帝の住まいへ預けるようにと」
ウィクトルの口から私の名が出て、ドキリとする。
「な……それは誠でございますか」
「そんな嘘はつかない」
「は、はい。もちろん承知しております。主は気軽に嘘をつかれるようなお方ではございません。しかし、そのお話は、とても信じ難く……」
同感だ。
リベルテの言葉に大きく頷く。
「そこなら身の安全を約束できるから、という話だ。だが、それが真実とは思えない」
「はい。それは思います」
「だろう。だからこそ、ウタくんを一人ここへ残していくわけにはいかない。それはさすがに心配だ。何をされるか分かったものでない」
ウィクトルが淡々と述べるのを聞いて、私は温かい気持ちになる。
嬉しい——それが今の純粋な気持ちだ。
私たちはある程度の時間を共に過ごしてきた。だから、絆も徐々に生まれつつある。でもそれは、もしかしたら、私がそう思い込んでいるだけかもしれなかった。彼が私を大切に思ってくれているという絶対的な根拠は無く、だからこそ、私の胸には言い様のない不安が居座っていた。
けれど、そんな不安は必要のないものだったみたいだ。
ウィクトルは私の身を気にかけてくれている。それが分かっただけでも大きな進歩だ。
「そこで、リベルテにウタくんの世話を頼みたい」
「え! リベルテでございますか!?」
リベルテは派手に驚いていた。目を大きく開いている。
「そうだ。リベルテにならウタくんを任せられる」
「し、しかし、それでは主をお護りするのがフーシェのみになってしまいます……」
私が呼ばれそうな気配はまったくない。だが、自ら出ていくのも何とも言えない空気になってしまいそうな気がして、私は相応しい行動を見つけられなかった。私に関する案件なのだから出ていくべきなのかもしれないが、出ていって話がややこしくなってしまったら申し訳ない気もするし。どうするのが望ましいのだろう。
パーテーションの隙間から様子を確認しつつ、こっそり話を聞いていると、リベルテが唐突にこちらを向いた。覗き見していることがばれたのか、と、一瞬焦る。しかし、どうやらそういうことではないようで。ただ、彼は小走りでこちらへやって来た。
「ウタ様、今、少しよろしいでしょうか?」
リベルテは覗き込みつつ声をかけるてくる。
「え、えぇ。良いわよ。何か用事?」
私は敢えて聞いていなかったふりをした。
本当はそんなことをするべきではなかったのかもしれないけれど。
その後、私は、リベルテに連れられてウィクトルたちの前に出ていくことになった。そして、それから、事情の説明を受ける。地球へ行かねばならない任務を与えられたこと、その間私はイヴァンのもとにいるよう言われていることなどを、ウィクトルの口から聞いた。
「仕事なのね、分かったわ。じゃあ、その話通り、私は皇帝のところに行っておくわ」
「唐突なことですまない」
「いいえ。ウィクトルに罪はないわ。私は平気よ」
「リベルテは同行させる。もし何かあれば、彼を頼ってくれ」
彼は暑苦しくないし、そもそも、男臭さがない。それゆえ、長時間共に過ごすとしても、問題はそれほどないだろう。それに、さりげなくほっこりさせてくれるし。
「それは嬉しいわ。……でも、ウィクトルはリベルテなしで問題ないの?」
「ウタくんが私の心配をすることはない」
「その……無理してない?」
つい、そんなことを言ってしまう。
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