奇跡の歌姫

四季

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97話「運命の分岐点」

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 休暇を取り、フィルデラで暮らし初めてから、一週間ほどが経過したある日。
 朝、ウィクトルと二人のんびりしていると、リベルテが凄まじい勢いで飛んできた。

「主! とんでもないことになっております!!」

 今日は久々の晴れ。長い雨は止み、穏やかな光が降り注いでいる。窓ガラスについた雨粒は、光を浴びて煌めいて。
 そんなたおやかな朝。
 それなのに、リベルテは青白い顔で大騒ぎしている。

「何があった?」

 大慌てのリベルテを前にしても、ウィクトルは落ち着いていた。
 冷静さを失わず、淡々と問いかける。

「ビタリー様の軍が動き出したのでございますよ!」
「……何だと?」

 リベルテの口から放たれた言葉に、ウィクトルは眉をひそめる。意味が分からない、というような顔。だが、そんな顔つきになるのも無理はない。私も同じ心境だ、唐突過ぎて理解不能。

「フィルデラへ向かってきているのか?」
「い、いえ。それが……都へ向かっているようなのでございます……」
「都だと?」

 ウィクトルはますます怪訝な顔になる。

「何がどうなっているんだ、それは」

 ビタリーの勢力が都へ。そんなことを突然聞かされても、理解できるはずがない。事実、誰もが理解できていなかった。私はもちろんだが、ウィクトルも、リベルテも、脳内を疑問符に満たされていることだろう。

「と、とにかく、情報収集は継続致します! ……やはり、都から離れておいて正解でございましたね、主。あのままでは巻き込まれたでしょう、危ういところでございました……」

 フィルデラは都からは離れている。自動運転車でも数時間かかるほど。それゆえ、都で騒ぎがあっても、その影響を即座に受けるということはない。そういう意味では、フィルデラは安全地帯だ。

「ビタリーは何をする気なの? ウィクトル」
「私に聞かれても困る」
「そうよね……。でも、驚いた。ビタリーは私やウィクトルを狙ってくるのかと思っていたから」

 曇った窓ガラスを指で拭けば、明るい山並みが見える。翡翠のような空からは包み込むような優しい光が降り注ぎ、窓辺で鳴いていた白い鳥はやがて飛び立つ。遠くに見える山々はほんの少し白く霞んで見えるものの、中距離近距離の自然は色鮮やかに目に映る。

「皇帝の座を狙いに行く気か……?」

 俯いて考え事をしている様子だったウィクトルが、ぽつりと呟く。

「皇帝の座を?」
「あの男は昔から次期皇帝であるということに価値を見出していた。そして、この国を己の手の内に入れることを、何より強く望んでいた。ゆえに……考えられないことはない」

 イヴァンを倒し、皇帝の座を手にすれば、キエル帝国を己のものにできる。それがビタリーの狙いなら、彼が成し遂げようとしていることは笑えないこと。この国の秩序を変えてしまおうとしているのか、彼は。


 ◆


 帝都から西へ一時間ほどの平野に位置する、ニンディンヨコチョウ。
 土地だけは広いが人口は八百人程度という小規模な街に、ビタリーはいた。

 無論、そこにいるのはビタリーだけではない。彼の部下数人や、シャルティエラとその部下も、既にニンディンヨコチョウに入っている。
 ニンディンヨコチョウ内の古ぼけたアパート、その一室を借り、ビタリーはそこで待機しながら自軍の様子を確認している。そんな彼のもとへ、シャルティエラがやって来た。

「今さっき聞きましたわ、ビタリー様。対皇帝の動きをいよいよ始められるそうですわね」

 ニットのケープにワンピースというまったくもって殺伐としていない服装のシャルティエラ。彼女の後ろには、彼女を昔から知っている侍女の女性も控えている。

「それがどうかしたのかい?」
「あの男……ウィクトルはどうしますの。このまま放っておくおつもりですの?」

 シャルティエラは、ビタリーが都に向かって自軍を動かし始めたことを知り、アパートへ駆けつけた。

「ウィクトルは休暇を取ってフィルデラに退いているそうだよ。逃げたんだね。となれば、しばらくはそこまで豪快な動きはしてこないはず。一旦放っておくことにしたよ」

 ビタリーの口から「ウィクトルを一旦放っておく」という趣旨の言葉を聞いたシャルティエラは、少し不満げに「見逃すんですの?」と問いかける。それに対してビタリーは、「あんな男はいつでも潰せる」と説明。しかし、それでも不満げな表情を崩さないシャルティエラに、ビタリーは溜め息をつく。

「心配せずとも、僕が皇帝になればあの男はどうとでもできるよ。……参戦してくるなら叩き潰すけど、既に逃げ出したならすぐに潰しにかかることもないはずだよね」

 そこまで聞いたシャルティエラは、目を細め、嫌そうな顔をしつつも「分かりましたわ」と述べた。ウィクトルへの対処に関して、彼女は一旦口を閉ざした。

「僕の軍勢は既に動き始めている。北から都へ、ね。今頃、都は騒ぎになっているんじゃないかな」
「それはそうですわね。次期皇帝が皇帝に牙を剥くなど、誰も想像しませんわ」

 シャルティエラはビタリーに笑みを向ける。しかし、その顔には、怪しい陰が濃く浮かんでいる。彼女は既に疲れている様子。国家において自身が反逆者側となる、という初めての経験に、疲労しているのかもしれない。

「もうしばらくしたら、ポポポ家の兵が西から攻め込むよ。そうしたら、都はもっと混乱する」
「ポポポ家。確か、パパピタとかいう者の家でしたわね」
「そう。彼女の家は元々協力してくれるという話だったからね」
「上手くいくと良いですわね……。あぁ、どうか、この戦いに勝利を……」

 刹那、シャルティエラはふらける。後ろに控えていた女性がすぐに支えたため、シャルティエラは転倒せずに済んだ。が、彼女の顔には艶がない。

「お嬢様。しっかりなさって下さい」
「……少し目眩がしただけ。心配ありませんわ……」

 弱々しい様子のシャルティエラを気の毒に思ったのか、ビタリーは優しい調子で声をかける。

「シャロ、しばらく休むといい。無理は良くないよ」
「……感謝しますわ、ビタリー様」

 シャルティエラはお付きの女性に支えられながら出ていく。一人になるや否や、ビタリーは苛立ったように呟く。

「弱い女め」

 ビタリーは吐き捨てる。

「あの女、まさかここまでメンタルが弱いとは……。選ぶ女を間違えたか……?」

 いざ踏み出す時になって精神の弱さが露呈したシャルティエラ。もはや弱りつつある彼女に、ビタリーは腹を立てているようだ。
 彼にとって、妻は共闘するパートナー。それゆえ、すぐに折れる女性ではいけない。強くあり、共に歩めるような者でなければ、その妻に価値はない——それが彼の思考だ。
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