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109話「ウタの束の間の幻想」
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私はひとまずウィクトルの方へ移動した。
近づくと、彼は気まずそうな目つきをする。が、突き放すことはなかった。彼はそっと私を背後に隠してくれる。
「お、おじさん怒るよぅ! よくもぅ!」
「貴方のような方には怒る資格がありませんよ」
はめられたと気づいた男は怒りを露わにする。しかし、近距離で対峙しているリベルテは、ちっとも怯まない。術の本を手にしたまま、堂々と男に向き合っている。
「止めを刺されたくないのならば、今すぐ去りなさい」
「うっ……」
「少しは手を出す相手を考えるべきです」
「くっ……このぉ!」
男は手にしていたナイフを大きく振りリベルテを傷つけようと試みた——が、読んでいたリベルテは一歩後退して軽やかに刃をかわす。
そして、開いた本を男へ向ける。
火を放つのかと思っていたが、リベルテの口から放たれたのは火という単語ではなく。
「鞭!」
紙面から現れたのは、植物の蔓のような物体。
小さな棘が生えた紐状のものが一斉に数本発生し、男の体を強打する。
「はふぅっ!?」
火以外の術もあったのか、と、私は内心驚いた。
リベルテに秘められた特別な力——どうやら私はまだすべてを知らないようだ。
「お、おじさんは賢いから……壊れる前に退くぅ!」
蔓のような物体に叩かれ、男はようやく諦める気になったようだ。叫ぶだけ叫び、そのまま逃げるように去っていった。
暗闇に静けさが戻ってくる。
何も発することなく佇んでいるウィクトルのもとへ、リベルテが「完了しました」と告げつつ帰る。それに対しウィクトルは「ご苦労」と低く述べた。
挨拶にも似たやり取りが終わると、沈黙が訪れる。
いざ音がなくなると、私は男に襲われる前のことを思い出した。想いを上手く伝えられず仲違いするような形になってしまっていたのだということを。
そんな最中、ウィクトルに声をかけられた。
「ウタくん」
「は、はい……」
私はぎょっとしながら彼の顔へと視線を向ける。
どんな顔をされるか、何を言われるか、色々な意味で警戒しつつ彼の面を見上げた。が、意外にも、彼の面持ちは刺々しくないもので。ただ、眉尻は下がっていた。
「……申し訳なかった」
「え」
「もっと……君の話をきちんと聞くべきだった。すまない」
謝られるとは想像していなかったので、即座には反応できない。一秒二秒で相応しい反応を見つけることは、私にはできなかった。
「そ、そんなことないわよ」
「だが……私は結果的に君を危険に晒してしまった」
「大丈夫。怪我はないわ」
「いや、怪我がなければ問題なしというわけではない。君を危険に晒してしまったこと自体が過ちだ」
最初は真剣に聞いていたが、段々笑えてきてしまった。ウィクトルが真顔で発する言葉が、物事を深刻に捉えすぎだったからだ。
確かにいざこざはあったが、それはちょっとしたもの。男に襲われた一件とて、結果的に怪我はなかったわけだし、大騒ぎするほどのことではない。
「大層よ、ウィクトル」
「いや、大層ではない。過ちを犯したならば、私は謝罪したい」
「だからそれが大層なのよ。ウィクトルったら、真面目ね」
ウィクトルは少し考えて、それから言う。
「優しいのだな、君は今日も」
正直、そんな発言が出てくるとは思っていなかった。そんな口説くみたいな言葉をいきなり浴びせられるとは考えていなかったので、この展開はかなり驚きだ。
「変ね、そんなことを言い出すなんて」
「……そういうものか?」
「そうよ。だって、口説いてるみたいじゃない。演劇じゃないんだから。普通そんな言い方しないわよ」
褒められること自体は不快ではない。だが、妙に甘い言葉を投げかけられたら、言葉をそのまま真っ直ぐ信じて良いのか分からなくなってくるというものだ。
「そうか。なら気をつけよう」
「まぁ、べつに、嫌というわけではないのだけど」
「なっ……。そうなのか!?」
「何となく言っただけよ。ふと思ったから」
「よし。参考にしよう」
こんな夜のただなかでする話ではないだろう、本来これは。
「だが、それにしても驚いた。まさか君が帝都に来ていたとは」
少し間を空けて、ウィクトルは話し出す。
「こうしてまた会える可能性など微塵も考えていなかった。なんというか……夢のようだ」
ウィクトルは心を明かし、リベルテはそれを温かく見守っている。両者共に、今は優しげな表情。一時はどうなることかと思ったが、険悪なままにはならずに済みそうでほっとした。
「私も嬉しいわ」
「そうか! ……いや。だがのんびりしてはいられない。ウタくんは早く安全な屋内に戻るんだ」
こんなご時世だ、いつ何が起こるか分からない。夜ならなおさら。先ほどのような怪しい輩がまた出てきたとしても、おかしな話ではない。
だから分かる。彼が屋内へ戻るよう言うのも。
彼は私の身を気遣ってそう言ってくれているのだと、それすら分からないほど愚かな私ではない。けれど、こんなに早く別れがくるなんて、と辛く思わずにはいられなかった。できるならもう少し長く共にいられたら、と、つい願ってしまう。
——でもそれは無理な願い。
「そうね、私は戻るわ。ウィクトルもリベルテも、どうか無理はしないで」
今はこの運命を受け入れるしかない。
「あぁ。ウタくんこそ、危険なところへは踏み込まないよう気をつけてくれ」
「ウタ様、どうかお元気で。お辛い時にはゆっくり眠って下さいませ」
短い時間であっても、こうして顔を合わせられた。今はそれだけで十分だ。明日の分からない時代の中にいるからこそ、ちょっとした顔合わせにも意味が生まれるというものである。
その後、私は部屋へ戻った。
ウィクトルたちと別れることは寂しかったが、すぐに眠ることができたのだった。
そしてまた朝が来る。
代わり映えしない朝が。
「へぇー! 昨日ウィクトルさんに会ったんだ!」
「そうなの。偶然だったから驚いたわ」
手伝いのための服に着替えつつ、エレノアと言葉を交わす。そんなことをしていると、段々、心が現実に戻ってきた。
ウィクトルと共に過ごせるのはずっと先。でも、頑張って今を生き抜けば、いつかはきっと彼とまた過ごせる。
近づくと、彼は気まずそうな目つきをする。が、突き放すことはなかった。彼はそっと私を背後に隠してくれる。
「お、おじさん怒るよぅ! よくもぅ!」
「貴方のような方には怒る資格がありませんよ」
はめられたと気づいた男は怒りを露わにする。しかし、近距離で対峙しているリベルテは、ちっとも怯まない。術の本を手にしたまま、堂々と男に向き合っている。
「止めを刺されたくないのならば、今すぐ去りなさい」
「うっ……」
「少しは手を出す相手を考えるべきです」
「くっ……このぉ!」
男は手にしていたナイフを大きく振りリベルテを傷つけようと試みた——が、読んでいたリベルテは一歩後退して軽やかに刃をかわす。
そして、開いた本を男へ向ける。
火を放つのかと思っていたが、リベルテの口から放たれたのは火という単語ではなく。
「鞭!」
紙面から現れたのは、植物の蔓のような物体。
小さな棘が生えた紐状のものが一斉に数本発生し、男の体を強打する。
「はふぅっ!?」
火以外の術もあったのか、と、私は内心驚いた。
リベルテに秘められた特別な力——どうやら私はまだすべてを知らないようだ。
「お、おじさんは賢いから……壊れる前に退くぅ!」
蔓のような物体に叩かれ、男はようやく諦める気になったようだ。叫ぶだけ叫び、そのまま逃げるように去っていった。
暗闇に静けさが戻ってくる。
何も発することなく佇んでいるウィクトルのもとへ、リベルテが「完了しました」と告げつつ帰る。それに対しウィクトルは「ご苦労」と低く述べた。
挨拶にも似たやり取りが終わると、沈黙が訪れる。
いざ音がなくなると、私は男に襲われる前のことを思い出した。想いを上手く伝えられず仲違いするような形になってしまっていたのだということを。
そんな最中、ウィクトルに声をかけられた。
「ウタくん」
「は、はい……」
私はぎょっとしながら彼の顔へと視線を向ける。
どんな顔をされるか、何を言われるか、色々な意味で警戒しつつ彼の面を見上げた。が、意外にも、彼の面持ちは刺々しくないもので。ただ、眉尻は下がっていた。
「……申し訳なかった」
「え」
「もっと……君の話をきちんと聞くべきだった。すまない」
謝られるとは想像していなかったので、即座には反応できない。一秒二秒で相応しい反応を見つけることは、私にはできなかった。
「そ、そんなことないわよ」
「だが……私は結果的に君を危険に晒してしまった」
「大丈夫。怪我はないわ」
「いや、怪我がなければ問題なしというわけではない。君を危険に晒してしまったこと自体が過ちだ」
最初は真剣に聞いていたが、段々笑えてきてしまった。ウィクトルが真顔で発する言葉が、物事を深刻に捉えすぎだったからだ。
確かにいざこざはあったが、それはちょっとしたもの。男に襲われた一件とて、結果的に怪我はなかったわけだし、大騒ぎするほどのことではない。
「大層よ、ウィクトル」
「いや、大層ではない。過ちを犯したならば、私は謝罪したい」
「だからそれが大層なのよ。ウィクトルったら、真面目ね」
ウィクトルは少し考えて、それから言う。
「優しいのだな、君は今日も」
正直、そんな発言が出てくるとは思っていなかった。そんな口説くみたいな言葉をいきなり浴びせられるとは考えていなかったので、この展開はかなり驚きだ。
「変ね、そんなことを言い出すなんて」
「……そういうものか?」
「そうよ。だって、口説いてるみたいじゃない。演劇じゃないんだから。普通そんな言い方しないわよ」
褒められること自体は不快ではない。だが、妙に甘い言葉を投げかけられたら、言葉をそのまま真っ直ぐ信じて良いのか分からなくなってくるというものだ。
「そうか。なら気をつけよう」
「まぁ、べつに、嫌というわけではないのだけど」
「なっ……。そうなのか!?」
「何となく言っただけよ。ふと思ったから」
「よし。参考にしよう」
こんな夜のただなかでする話ではないだろう、本来これは。
「だが、それにしても驚いた。まさか君が帝都に来ていたとは」
少し間を空けて、ウィクトルは話し出す。
「こうしてまた会える可能性など微塵も考えていなかった。なんというか……夢のようだ」
ウィクトルは心を明かし、リベルテはそれを温かく見守っている。両者共に、今は優しげな表情。一時はどうなることかと思ったが、険悪なままにはならずに済みそうでほっとした。
「私も嬉しいわ」
「そうか! ……いや。だがのんびりしてはいられない。ウタくんは早く安全な屋内に戻るんだ」
こんなご時世だ、いつ何が起こるか分からない。夜ならなおさら。先ほどのような怪しい輩がまた出てきたとしても、おかしな話ではない。
だから分かる。彼が屋内へ戻るよう言うのも。
彼は私の身を気遣ってそう言ってくれているのだと、それすら分からないほど愚かな私ではない。けれど、こんなに早く別れがくるなんて、と辛く思わずにはいられなかった。できるならもう少し長く共にいられたら、と、つい願ってしまう。
——でもそれは無理な願い。
「そうね、私は戻るわ。ウィクトルもリベルテも、どうか無理はしないで」
今はこの運命を受け入れるしかない。
「あぁ。ウタくんこそ、危険なところへは踏み込まないよう気をつけてくれ」
「ウタ様、どうかお元気で。お辛い時にはゆっくり眠って下さいませ」
短い時間であっても、こうして顔を合わせられた。今はそれだけで十分だ。明日の分からない時代の中にいるからこそ、ちょっとした顔合わせにも意味が生まれるというものである。
その後、私は部屋へ戻った。
ウィクトルたちと別れることは寂しかったが、すぐに眠ることができたのだった。
そしてまた朝が来る。
代わり映えしない朝が。
「へぇー! 昨日ウィクトルさんに会ったんだ!」
「そうなの。偶然だったから驚いたわ」
手伝いのための服に着替えつつ、エレノアと言葉を交わす。そんなことをしていると、段々、心が現実に戻ってきた。
ウィクトルと共に過ごせるのはずっと先。でも、頑張って今を生き抜けば、いつかはきっと彼とまた過ごせる。
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