奇跡の歌姫

四季

文字の大きさ
111 / 209

110話「エレノアのセンスには個性がある」

しおりを挟む
 今日も次から次へと負傷者が運び込まれてくる。
 軽傷の者は手当てが済み次第建物から追い出されるという気の毒な状態。だがそれも仕方のないこと。新たな負傷者が続々と運び込まれるこの状況においては、軽度の負傷者まで大切に保護している余裕はない。
 医師は新しい患者の診察のため建物中を巡っている。看護師は分担の区画にいる負傷者たちに対して必要最低限の世話を行う。そして、エレノアや私のような素人のお手伝いは、医療行為から遠く離れた内容の手伝いを継続する。

「エレノアちゃん! ガーゼの箱を一階の奥まで運んで!」
「はーいっ」
「そっちの二人はお水を汲んできて! 早めに!」
「「イエーッスゥ」」

 私は朝からずっと流しに立っている。
 手袋をはめ、いろんな物を洗う行為を続けているのだ。

 一カ所で洗い続けるだけの仕事ゆえ、長い距離移動することはあまりない。足を動かし移動しなくて済むので、体力の消耗自体はそこまで多くなかった。それほど運動にはならないのだ。

 ただ、人の多い部屋の隅で洗い物をやり続けていると、段々頭が痛くなってくる。

 すべての人が、皆が心地よく過ごせる空間を作ろうと心掛けているわけではなかった。不満を喚き散らす収容者も少なくないのだ。それに対応せねばならない看護師たちは、皆、裏で収容者の悪口を言っていった。

 そんな空間での洗い物係。
 放たれる負の空気に直接関わらなくて良いところは助かるけれど、疲れは徐々に蓄積してくる。

「トレイ十枚ねー。よろしくー」
「食器八セット! ここに置いておくわ!」

 この役割は、とにかく休む暇がない。食事の時間の直後はやたらと仕事が増えるし、それ以外の時間も洗う物がない時間帯はほぼないし。これはもはや、愚痴を漏らしたくなるくらいの劣悪な労働環境。毎日ではないから何とか耐えられるが、これが連日続くとなると、しまいには逃げ出してしまいそうだ。

「カップ洗えましたー?」
「あ、はい。四つ」
「じゃあ借りていきますー。次これ、水入れ頼むねー」
「……はい」

 またしても追加された洗うべき物を見て、反射的に大きな溜め息をついてしまった——その時。

「あ、ぼく手伝いますよ」

 ビニール製の手袋をはめた青年が、唐突に現れた。

「え」
「洗い物、ですよね。ぼくが手伝います」

 眠そうな目をした青年は、静かに言って、私の隣に立ってくる。二人して流しに向き合う形となった。

「休んでいてもらっても構わないですよ」
「あ……ありがとうございます」

 キエルの言語で話せる内容には限りがある。
 が、礼を述べることだけはできた。

 彼のおかげで、私は、恐怖の洗い物から逃れられることとなったのだった。


「今日はまた、すっごく忙しかったねー!」

 夜、一日の手伝いを終え、部屋へ戻る。その時はまだ、室内には誰もいなかった。私が一人で休憩していると、やがてエレノアも戻ってきた。彼女も与えられた手伝いをすべて終わらせることができたようだ。

「えぇ……本当に」
「ん!? ウタさん、今の言い方、妙に気持ちがこもってなかった?」

 特に深く考えることなく発した言葉だったが、気持ちがこもっているのを感じ取られたようだ。

「今日は何してたの?」
「洗い物」
「え! そうなの!? ……そりゃ疲れるのも当然だね」

 エレノアは唇を小鳥のように尖らせて言う。

「もーあれ嫌になりそーだよねー」

 それから彼女に聞いた話によれば、エレノアも過去に洗い物係にされたことがあるらしい。手袋をしていても指は冷えるし、一日中同じ地点で作業をしなくてはならないしで、苦行に耐え切れず途中からさぼってしまったとか。

「その時にね、さぼってて怒られたの。そんな時、アンヌが助け舟を出してくれて。その一件以来、エレノアとアンヌはずーっと仲良しなんだっ」

 アンヌとエレノアの出会いのエピソードがこんなところに潜んでいたとは、と私は内心驚く。
 だが、人と人との縁というのは、案外そんなものなのかもしれない。
 誰もが大事件の中で巡り合うわけではない。細やかなことから始まる縁というのも、この世には確かに存在する。しかし、逆に、信じられないような嵐にも似た現象の中で幕開ける繋がりもないわけではない。

「ウタさんには、そんな仲良しな人いるっ?」

 エレノアは無邪気な笑みを振り撒きながら質問してきた。

「そうね……私は、あまりかしら」
「ええ? そうなのっ?」
「私は母とは仲が良かったわ。でも、他にはそれほど仲良しな人はいなかったの。だから、友人らしい友人はいないのよね」

 今は己を飾ることにさえ疲れる。
 良く見せよう、なんて気にはなれない。

「へーっ。じゃあ、エレノアが最初の一人になれる?」
「……え」
「エレノア、ウタさんと友達だと思ってるの。でも、ウタさんはどうかなって、気になってた。だから聞きたくてっ。ウタさんはエレノアのこと、友達って思ってくれてる?」

 私はすぐには答えられなかった。けれどそれは、彼女のことを友達だと捉えていないからではない。彼女の問いに真っ直ぐに答える自信が私になかったから、ただそれだけ。

 心の準備を整えてから、私は改めてエレノアへ視線を向ける。
 私が直視した瞬間、エレノアは小さく喉を上下させた。

「もちろん。友人と思っているわ」

 直後、エレノアは「はあぁぁぁ」と巨大な溜め息を吐き出した。

「よ、良かったぁぁぁー」

 彼女は両手で頭を押さえながら、安堵の色を顔に浮かべる。

「怖かったぁ。これで嫌われたらどうしよーってぇー。はぁぁぁ、良かったぁ」
「嫌いになんてならないわ。優しい貴女のことだもの」

 返すと、エレノアは両手で二つの目を塞ぐ。
 怒ったり悲しんだりしているようではないからそこまで不安ではないけれど。

「うぅー、眩しいー」
「え? そ、それは、どういうこと?」
「ウタさん女神過ぎるぅ」

 これまた奇妙な発言が飛び出したものだ。
 女神、だなんて、大層過ぎる。
 エレノアの独特のセンスには目を見開かされることも多い。私の頭が固いだけかもしれないが。ただ、彼女の脳に私の脳内にはない自由な発想が存在していることだけは確かだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...