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110話「エレノアのセンスには個性がある」
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今日も次から次へと負傷者が運び込まれてくる。
軽傷の者は手当てが済み次第建物から追い出されるという気の毒な状態。だがそれも仕方のないこと。新たな負傷者が続々と運び込まれるこの状況においては、軽度の負傷者まで大切に保護している余裕はない。
医師は新しい患者の診察のため建物中を巡っている。看護師は分担の区画にいる負傷者たちに対して必要最低限の世話を行う。そして、エレノアや私のような素人のお手伝いは、医療行為から遠く離れた内容の手伝いを継続する。
「エレノアちゃん! ガーゼの箱を一階の奥まで運んで!」
「はーいっ」
「そっちの二人はお水を汲んできて! 早めに!」
「「イエーッスゥ」」
私は朝からずっと流しに立っている。
手袋をはめ、いろんな物を洗う行為を続けているのだ。
一カ所で洗い続けるだけの仕事ゆえ、長い距離移動することはあまりない。足を動かし移動しなくて済むので、体力の消耗自体はそこまで多くなかった。それほど運動にはならないのだ。
ただ、人の多い部屋の隅で洗い物をやり続けていると、段々頭が痛くなってくる。
すべての人が、皆が心地よく過ごせる空間を作ろうと心掛けているわけではなかった。不満を喚き散らす収容者も少なくないのだ。それに対応せねばならない看護師たちは、皆、裏で収容者の悪口を言っていった。
そんな空間での洗い物係。
放たれる負の空気に直接関わらなくて良いところは助かるけれど、疲れは徐々に蓄積してくる。
「トレイ十枚ねー。よろしくー」
「食器八セット! ここに置いておくわ!」
この役割は、とにかく休む暇がない。食事の時間の直後はやたらと仕事が増えるし、それ以外の時間も洗う物がない時間帯はほぼないし。これはもはや、愚痴を漏らしたくなるくらいの劣悪な労働環境。毎日ではないから何とか耐えられるが、これが連日続くとなると、しまいには逃げ出してしまいそうだ。
「カップ洗えましたー?」
「あ、はい。四つ」
「じゃあ借りていきますー。次これ、水入れ頼むねー」
「……はい」
またしても追加された洗うべき物を見て、反射的に大きな溜め息をついてしまった——その時。
「あ、ぼく手伝いますよ」
ビニール製の手袋をはめた青年が、唐突に現れた。
「え」
「洗い物、ですよね。ぼくが手伝います」
眠そうな目をした青年は、静かに言って、私の隣に立ってくる。二人して流しに向き合う形となった。
「休んでいてもらっても構わないですよ」
「あ……ありがとうございます」
キエルの言語で話せる内容には限りがある。
が、礼を述べることだけはできた。
彼のおかげで、私は、恐怖の洗い物から逃れられることとなったのだった。
「今日はまた、すっごく忙しかったねー!」
夜、一日の手伝いを終え、部屋へ戻る。その時はまだ、室内には誰もいなかった。私が一人で休憩していると、やがてエレノアも戻ってきた。彼女も与えられた手伝いをすべて終わらせることができたようだ。
「えぇ……本当に」
「ん!? ウタさん、今の言い方、妙に気持ちがこもってなかった?」
特に深く考えることなく発した言葉だったが、気持ちがこもっているのを感じ取られたようだ。
「今日は何してたの?」
「洗い物」
「え! そうなの!? ……そりゃ疲れるのも当然だね」
エレノアは唇を小鳥のように尖らせて言う。
「もーあれ嫌になりそーだよねー」
それから彼女に聞いた話によれば、エレノアも過去に洗い物係にされたことがあるらしい。手袋をしていても指は冷えるし、一日中同じ地点で作業をしなくてはならないしで、苦行に耐え切れず途中からさぼってしまったとか。
「その時にね、さぼってて怒られたの。そんな時、アンヌが助け舟を出してくれて。その一件以来、エレノアとアンヌはずーっと仲良しなんだっ」
アンヌとエレノアの出会いのエピソードがこんなところに潜んでいたとは、と私は内心驚く。
だが、人と人との縁というのは、案外そんなものなのかもしれない。
誰もが大事件の中で巡り合うわけではない。細やかなことから始まる縁というのも、この世には確かに存在する。しかし、逆に、信じられないような嵐にも似た現象の中で幕開ける繋がりもないわけではない。
「ウタさんには、そんな仲良しな人いるっ?」
エレノアは無邪気な笑みを振り撒きながら質問してきた。
「そうね……私は、あまりかしら」
「ええ? そうなのっ?」
「私は母とは仲が良かったわ。でも、他にはそれほど仲良しな人はいなかったの。だから、友人らしい友人はいないのよね」
今は己を飾ることにさえ疲れる。
良く見せよう、なんて気にはなれない。
「へーっ。じゃあ、エレノアが最初の一人になれる?」
「……え」
「エレノア、ウタさんと友達だと思ってるの。でも、ウタさんはどうかなって、気になってた。だから聞きたくてっ。ウタさんはエレノアのこと、友達って思ってくれてる?」
私はすぐには答えられなかった。けれどそれは、彼女のことを友達だと捉えていないからではない。彼女の問いに真っ直ぐに答える自信が私になかったから、ただそれだけ。
心の準備を整えてから、私は改めてエレノアへ視線を向ける。
私が直視した瞬間、エレノアは小さく喉を上下させた。
「もちろん。友人と思っているわ」
直後、エレノアは「はあぁぁぁ」と巨大な溜め息を吐き出した。
「よ、良かったぁぁぁー」
彼女は両手で頭を押さえながら、安堵の色を顔に浮かべる。
「怖かったぁ。これで嫌われたらどうしよーってぇー。はぁぁぁ、良かったぁ」
「嫌いになんてならないわ。優しい貴女のことだもの」
返すと、エレノアは両手で二つの目を塞ぐ。
怒ったり悲しんだりしているようではないからそこまで不安ではないけれど。
「うぅー、眩しいー」
「え? そ、それは、どういうこと?」
「ウタさん女神過ぎるぅ」
これまた奇妙な発言が飛び出したものだ。
女神、だなんて、大層過ぎる。
エレノアの独特のセンスには目を見開かされることも多い。私の頭が固いだけかもしれないが。ただ、彼女の脳に私の脳内にはない自由な発想が存在していることだけは確かだ。
軽傷の者は手当てが済み次第建物から追い出されるという気の毒な状態。だがそれも仕方のないこと。新たな負傷者が続々と運び込まれるこの状況においては、軽度の負傷者まで大切に保護している余裕はない。
医師は新しい患者の診察のため建物中を巡っている。看護師は分担の区画にいる負傷者たちに対して必要最低限の世話を行う。そして、エレノアや私のような素人のお手伝いは、医療行為から遠く離れた内容の手伝いを継続する。
「エレノアちゃん! ガーゼの箱を一階の奥まで運んで!」
「はーいっ」
「そっちの二人はお水を汲んできて! 早めに!」
「「イエーッスゥ」」
私は朝からずっと流しに立っている。
手袋をはめ、いろんな物を洗う行為を続けているのだ。
一カ所で洗い続けるだけの仕事ゆえ、長い距離移動することはあまりない。足を動かし移動しなくて済むので、体力の消耗自体はそこまで多くなかった。それほど運動にはならないのだ。
ただ、人の多い部屋の隅で洗い物をやり続けていると、段々頭が痛くなってくる。
すべての人が、皆が心地よく過ごせる空間を作ろうと心掛けているわけではなかった。不満を喚き散らす収容者も少なくないのだ。それに対応せねばならない看護師たちは、皆、裏で収容者の悪口を言っていった。
そんな空間での洗い物係。
放たれる負の空気に直接関わらなくて良いところは助かるけれど、疲れは徐々に蓄積してくる。
「トレイ十枚ねー。よろしくー」
「食器八セット! ここに置いておくわ!」
この役割は、とにかく休む暇がない。食事の時間の直後はやたらと仕事が増えるし、それ以外の時間も洗う物がない時間帯はほぼないし。これはもはや、愚痴を漏らしたくなるくらいの劣悪な労働環境。毎日ではないから何とか耐えられるが、これが連日続くとなると、しまいには逃げ出してしまいそうだ。
「カップ洗えましたー?」
「あ、はい。四つ」
「じゃあ借りていきますー。次これ、水入れ頼むねー」
「……はい」
またしても追加された洗うべき物を見て、反射的に大きな溜め息をついてしまった——その時。
「あ、ぼく手伝いますよ」
ビニール製の手袋をはめた青年が、唐突に現れた。
「え」
「洗い物、ですよね。ぼくが手伝います」
眠そうな目をした青年は、静かに言って、私の隣に立ってくる。二人して流しに向き合う形となった。
「休んでいてもらっても構わないですよ」
「あ……ありがとうございます」
キエルの言語で話せる内容には限りがある。
が、礼を述べることだけはできた。
彼のおかげで、私は、恐怖の洗い物から逃れられることとなったのだった。
「今日はまた、すっごく忙しかったねー!」
夜、一日の手伝いを終え、部屋へ戻る。その時はまだ、室内には誰もいなかった。私が一人で休憩していると、やがてエレノアも戻ってきた。彼女も与えられた手伝いをすべて終わらせることができたようだ。
「えぇ……本当に」
「ん!? ウタさん、今の言い方、妙に気持ちがこもってなかった?」
特に深く考えることなく発した言葉だったが、気持ちがこもっているのを感じ取られたようだ。
「今日は何してたの?」
「洗い物」
「え! そうなの!? ……そりゃ疲れるのも当然だね」
エレノアは唇を小鳥のように尖らせて言う。
「もーあれ嫌になりそーだよねー」
それから彼女に聞いた話によれば、エレノアも過去に洗い物係にされたことがあるらしい。手袋をしていても指は冷えるし、一日中同じ地点で作業をしなくてはならないしで、苦行に耐え切れず途中からさぼってしまったとか。
「その時にね、さぼってて怒られたの。そんな時、アンヌが助け舟を出してくれて。その一件以来、エレノアとアンヌはずーっと仲良しなんだっ」
アンヌとエレノアの出会いのエピソードがこんなところに潜んでいたとは、と私は内心驚く。
だが、人と人との縁というのは、案外そんなものなのかもしれない。
誰もが大事件の中で巡り合うわけではない。細やかなことから始まる縁というのも、この世には確かに存在する。しかし、逆に、信じられないような嵐にも似た現象の中で幕開ける繋がりもないわけではない。
「ウタさんには、そんな仲良しな人いるっ?」
エレノアは無邪気な笑みを振り撒きながら質問してきた。
「そうね……私は、あまりかしら」
「ええ? そうなのっ?」
「私は母とは仲が良かったわ。でも、他にはそれほど仲良しな人はいなかったの。だから、友人らしい友人はいないのよね」
今は己を飾ることにさえ疲れる。
良く見せよう、なんて気にはなれない。
「へーっ。じゃあ、エレノアが最初の一人になれる?」
「……え」
「エレノア、ウタさんと友達だと思ってるの。でも、ウタさんはどうかなって、気になってた。だから聞きたくてっ。ウタさんはエレノアのこと、友達って思ってくれてる?」
私はすぐには答えられなかった。けれどそれは、彼女のことを友達だと捉えていないからではない。彼女の問いに真っ直ぐに答える自信が私になかったから、ただそれだけ。
心の準備を整えてから、私は改めてエレノアへ視線を向ける。
私が直視した瞬間、エレノアは小さく喉を上下させた。
「もちろん。友人と思っているわ」
直後、エレノアは「はあぁぁぁ」と巨大な溜め息を吐き出した。
「よ、良かったぁぁぁー」
彼女は両手で頭を押さえながら、安堵の色を顔に浮かべる。
「怖かったぁ。これで嫌われたらどうしよーってぇー。はぁぁぁ、良かったぁ」
「嫌いになんてならないわ。優しい貴女のことだもの」
返すと、エレノアは両手で二つの目を塞ぐ。
怒ったり悲しんだりしているようではないからそこまで不安ではないけれど。
「うぅー、眩しいー」
「え? そ、それは、どういうこと?」
「ウタさん女神過ぎるぅ」
これまた奇妙な発言が飛び出したものだ。
女神、だなんて、大層過ぎる。
エレノアの独特のセンスには目を見開かされることも多い。私の頭が固いだけかもしれないが。ただ、彼女の脳に私の脳内にはない自由な発想が存在していることだけは確かだ。
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