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111話「ウィクトルの備え、シャルティエラの望み」
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帝都の中央部に位置する、とある商店の前。
砂埃の匂いだけが漂う街角にウィクトルとリベルテはいた。
「あの……主。『外でしかできない話』とは、一体どのような話でございますか?」
扉を挟むガラスの向こう側には、クマのぬいぐるみを始めとする可愛らしい雑貨が並んでいる。しかし店内は暗く、人の姿は一人とて見当たらない。店員も客も存在しない。そんな店の前で、今、二人は向かい合っている。
遠くからは時折何かが聞こえてくる。
怒鳴るような声や、何かが壊れるような音。様々な音が混じっているが、そのすべてが、棘のある決して優しくはない種の音だ。
「すまない、リベルテ。わざわざこんなところまで連れてきて」
「それは構いませんが、話とは?」
リベルテは普段と変わらない穏やかな顔をしているが、それとは対照的に、ウィクトルは追い詰まったような顔つきをしている。
「……もしもの、話だ」
「はい」
「万が一、ウタくんを殺めるよう命ぜられる時が来たら」
そこまで聞いた瞬間、リベルテの丸い目が見開かれる。
「私は……命令に従うことはできない」
「はい。それはもう、そうでございましょうね」
リベルテがウィクトルの唐突な発言に対し驚きという感情を抱いていることは、誰の目にも明らかな状態であった。だが、リベルテ自身は、その感情を剥き出しする気はないらしい。彼なりに平静を装っている。
「そうなったら、私は……私はもう、今のままではいられないだろう」
「はい。それはもちろん、承知しております」
「いつかその時が来たら、リベルテ、お前に後始末を頼みたい——そう考えている」
ウィクトルは心なしか俯きながら話す。
「私を悪者にして構わない。私は裏切り者で、それでいい」
「主……もしや、帝国軍からお抜けになる気で……?」
「あくまで万が一だ。なるべくそんなことにならないよう努力はしよう。だが、万が一に備えておくことも必要ではあるだろう」
風が吹くと、砂埃が巻き起こり、咳き込みそうな空気が宙を駆ける。道の端の数枚の枯れ葉だけが道を転がり、どこへともなく飛び去ってゆく。
「部隊の者たちの立場が悪くならないよう、気にしてやってくれ」
「嫌、でございます」
「……な! 断るのか! いや、その権利がないわけではないが……だがしかし、その、予想外だ」
はっきり断られたウィクトルは、衝撃を受けていることを隠しはしない。
「だが、嫌なら強要はしない。すまなかった。今の話は忘れてくれ」
「主。リベルテは常に、主と共にあるのでございます。身も、心も。どうか、それをお忘れなく」
そう述べるリベルテの表情は、雨が降る直前の空のように薄暗いものだった。いつも春の昼下がりのように穏やかな顔つきを保っているリベルテだが、今は、その温厚さを保てずにいるようだ。
「……置いてゆかれるのは、嫌でございます」
「リベルテ? 何を言っている?」
「主がウタ様を大切に思っているということは存じ上げております。リベルテとて、それを批判する気はございません。ただ……主の人生には、リベルテも同伴致しますので」
リベルテの言葉を聞いてもなお意味が理解できず、ウィクトルは戸惑っているままだ。
「そう簡単に逃れられるとは思わないで下さい」
強い視線を向けられたウィクトルは、数秒経ってから、ふっと笑みをこぼす。
「……すまない、感謝する」
リベルテの口から放たれる言葉の意味を、ウィクトルはずっと理解できていない様子だった。否、今とて完全に理解できたわけではないのだろう。ただ、自身なりの解釈という意味では、ウィクトルはリベルテの言葉の意味を掴んだのかもしれない。
「リベルテが部下で、良かった」
吹き荒れるのは、荒んだ灰色の風。それは躊躇という言葉を知らない。ゆえに、恐ろしいほどの勢いで世を包み、蝕んでゆく。その果てにある世界を知る者は、まだこの世には在りはしないだろう。
◆
「報告するよぅ。ウィクトルという男、確認できたよぉ」
ビルの二階の一室で待機していたビタリーのもとへ、一人の男がやって来る。
茄子のような顔の形、吹き出物の目立つ広い額、後退した生え際と妙に多い髪の毛。そんな独創的な外見の男が、今まさに、ビタリーに報告しようとしている。
「ふん。そうか。では噂は本当だったようだね」
「おじさん、そう思うよぅ。あ! それと、美少年みたいなのが一緒にいたよぉ」
男が片手で素早く頭を掻くと、頭皮の破片が飛び散り、銀世界を作り出す。
ビタリーは顔をしかめた。
「リベルテか」
「それと、女の子もいたよぉ。かわーいーいお姉ちゃんがさぁ」
言いながら、男は肩に軽く積もった頭皮の破片を手で払う。そして、黒いジャケットの肩の部分が綺麗になったことを確認するや否や、舞い始める。右、左、前、後ろ、と腰の位置を変えてリズムを取りながら、カニのようにした両手を右上と左上に交互に突き出す踊りだ。
「あの娘は結構おじさんの好みだったなぁ」
「娘の話はいいよ。さ、もう帰るんだ」
「お金はまだ貰えないのかい? おじさん、早く女の子買うお金が欲しいよぅ」
「それは後。さ、一旦帰ってくれるかな」
「む、むぅぅ……仕方ないなぁ。分かったよ。おじさん、帰るよ」
男は不満を堪えるような声を発しつつ、部屋から出ていった。
それと入れ替わるように、シャルティエラが入ってくる。
「話は終わりましたの?」
シャルティエラに続き、彼女の侍女も入室してくる。が、侍女は一言も発さないため、いてもいなくても同じという程度の存在感だ。
「あぁ、終わったよ」
「それで、噂の真偽は? どうでしたの?」
「本当だったみたいだね」
「そう! ではやはり、ウィクトルは帝都に来ていますのね」
ウィクトルが帝都へ戻ってきているという噂、それが真実であったのだと知り、シャルティエラは頬を赤く染める。
「ではちょうど良いですわね! 叩き潰せますわ!」
急に快活な表情になったシャルティエラを見て、ビタリーは片側の口角を持ち上げ笑う。
「シャロ、妙にやる気だね」
「もちろん! わたくし実は、ウィクトルを叩き潰したいと思っていたんですのよ!」
「そうか……フリントは親の仇だもんね」
「いよいよこの時が来ましたわね。楽しみですわ」
シャルティエラは軽やかな足取りでビタリーへ近づき、彼の片手をそっと握る。それからもたれかかるようにして、体と髪をビタリーに絡ませた。
「ウィクトルを仕留めるのは、わたくしで構いませんこと?」
「それは構わないけど……危険だよ。あの男はあれでもそこそこ実力者だからね」
「やってみせますわ! わたくし!」
砂埃の匂いだけが漂う街角にウィクトルとリベルテはいた。
「あの……主。『外でしかできない話』とは、一体どのような話でございますか?」
扉を挟むガラスの向こう側には、クマのぬいぐるみを始めとする可愛らしい雑貨が並んでいる。しかし店内は暗く、人の姿は一人とて見当たらない。店員も客も存在しない。そんな店の前で、今、二人は向かい合っている。
遠くからは時折何かが聞こえてくる。
怒鳴るような声や、何かが壊れるような音。様々な音が混じっているが、そのすべてが、棘のある決して優しくはない種の音だ。
「すまない、リベルテ。わざわざこんなところまで連れてきて」
「それは構いませんが、話とは?」
リベルテは普段と変わらない穏やかな顔をしているが、それとは対照的に、ウィクトルは追い詰まったような顔つきをしている。
「……もしもの、話だ」
「はい」
「万が一、ウタくんを殺めるよう命ぜられる時が来たら」
そこまで聞いた瞬間、リベルテの丸い目が見開かれる。
「私は……命令に従うことはできない」
「はい。それはもう、そうでございましょうね」
リベルテがウィクトルの唐突な発言に対し驚きという感情を抱いていることは、誰の目にも明らかな状態であった。だが、リベルテ自身は、その感情を剥き出しする気はないらしい。彼なりに平静を装っている。
「そうなったら、私は……私はもう、今のままではいられないだろう」
「はい。それはもちろん、承知しております」
「いつかその時が来たら、リベルテ、お前に後始末を頼みたい——そう考えている」
ウィクトルは心なしか俯きながら話す。
「私を悪者にして構わない。私は裏切り者で、それでいい」
「主……もしや、帝国軍からお抜けになる気で……?」
「あくまで万が一だ。なるべくそんなことにならないよう努力はしよう。だが、万が一に備えておくことも必要ではあるだろう」
風が吹くと、砂埃が巻き起こり、咳き込みそうな空気が宙を駆ける。道の端の数枚の枯れ葉だけが道を転がり、どこへともなく飛び去ってゆく。
「部隊の者たちの立場が悪くならないよう、気にしてやってくれ」
「嫌、でございます」
「……な! 断るのか! いや、その権利がないわけではないが……だがしかし、その、予想外だ」
はっきり断られたウィクトルは、衝撃を受けていることを隠しはしない。
「だが、嫌なら強要はしない。すまなかった。今の話は忘れてくれ」
「主。リベルテは常に、主と共にあるのでございます。身も、心も。どうか、それをお忘れなく」
そう述べるリベルテの表情は、雨が降る直前の空のように薄暗いものだった。いつも春の昼下がりのように穏やかな顔つきを保っているリベルテだが、今は、その温厚さを保てずにいるようだ。
「……置いてゆかれるのは、嫌でございます」
「リベルテ? 何を言っている?」
「主がウタ様を大切に思っているということは存じ上げております。リベルテとて、それを批判する気はございません。ただ……主の人生には、リベルテも同伴致しますので」
リベルテの言葉を聞いてもなお意味が理解できず、ウィクトルは戸惑っているままだ。
「そう簡単に逃れられるとは思わないで下さい」
強い視線を向けられたウィクトルは、数秒経ってから、ふっと笑みをこぼす。
「……すまない、感謝する」
リベルテの口から放たれる言葉の意味を、ウィクトルはずっと理解できていない様子だった。否、今とて完全に理解できたわけではないのだろう。ただ、自身なりの解釈という意味では、ウィクトルはリベルテの言葉の意味を掴んだのかもしれない。
「リベルテが部下で、良かった」
吹き荒れるのは、荒んだ灰色の風。それは躊躇という言葉を知らない。ゆえに、恐ろしいほどの勢いで世を包み、蝕んでゆく。その果てにある世界を知る者は、まだこの世には在りはしないだろう。
◆
「報告するよぅ。ウィクトルという男、確認できたよぉ」
ビルの二階の一室で待機していたビタリーのもとへ、一人の男がやって来る。
茄子のような顔の形、吹き出物の目立つ広い額、後退した生え際と妙に多い髪の毛。そんな独創的な外見の男が、今まさに、ビタリーに報告しようとしている。
「ふん。そうか。では噂は本当だったようだね」
「おじさん、そう思うよぅ。あ! それと、美少年みたいなのが一緒にいたよぉ」
男が片手で素早く頭を掻くと、頭皮の破片が飛び散り、銀世界を作り出す。
ビタリーは顔をしかめた。
「リベルテか」
「それと、女の子もいたよぉ。かわーいーいお姉ちゃんがさぁ」
言いながら、男は肩に軽く積もった頭皮の破片を手で払う。そして、黒いジャケットの肩の部分が綺麗になったことを確認するや否や、舞い始める。右、左、前、後ろ、と腰の位置を変えてリズムを取りながら、カニのようにした両手を右上と左上に交互に突き出す踊りだ。
「あの娘は結構おじさんの好みだったなぁ」
「娘の話はいいよ。さ、もう帰るんだ」
「お金はまだ貰えないのかい? おじさん、早く女の子買うお金が欲しいよぅ」
「それは後。さ、一旦帰ってくれるかな」
「む、むぅぅ……仕方ないなぁ。分かったよ。おじさん、帰るよ」
男は不満を堪えるような声を発しつつ、部屋から出ていった。
それと入れ替わるように、シャルティエラが入ってくる。
「話は終わりましたの?」
シャルティエラに続き、彼女の侍女も入室してくる。が、侍女は一言も発さないため、いてもいなくても同じという程度の存在感だ。
「あぁ、終わったよ」
「それで、噂の真偽は? どうでしたの?」
「本当だったみたいだね」
「そう! ではやはり、ウィクトルは帝都に来ていますのね」
ウィクトルが帝都へ戻ってきているという噂、それが真実であったのだと知り、シャルティエラは頬を赤く染める。
「ではちょうど良いですわね! 叩き潰せますわ!」
急に快活な表情になったシャルティエラを見て、ビタリーは片側の口角を持ち上げ笑う。
「シャロ、妙にやる気だね」
「もちろん! わたくし実は、ウィクトルを叩き潰したいと思っていたんですのよ!」
「そうか……フリントは親の仇だもんね」
「いよいよこの時が来ましたわね。楽しみですわ」
シャルティエラは軽やかな足取りでビタリーへ近づき、彼の片手をそっと握る。それからもたれかかるようにして、体と髪をビタリーに絡ませた。
「ウィクトルを仕留めるのは、わたくしで構いませんこと?」
「それは構わないけど……危険だよ。あの男はあれでもそこそこ実力者だからね」
「やってみせますわ! わたくし!」
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