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112話「ウタの自力調査」
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今日は洗い場の担当ではない。いろんな部屋を回って負傷者の様子を確認する役だ。この役割が、私は好き。なぜなら、好きなように自由に動けるから。決められたことに従うではなく、次々用事を押し付けられるでもない、そんなバランスが私にはちょうどいいのだ。
「ほんと怖かったんすよ! 聞いてほしいっす!」
「看板が飛んできたんですよね」
「そうそう、そうなんすよ。衝突してるところから少し離れとこうと思って、道の端でじっとしてたら——急に看板が! 普通にぶつかりかけたっす。何とかかわしはしたんすけど、その時に足首を捻っちまって。それで、歩けなくなったんすよ。戦場で歩けなくなるとかマジ死ぬかと思って、焦りまくりっす」
私は負傷者たちに話を聞いて回る活動をした。
昨日まではなかったが、今朝小型自動翻訳機が到着したので、キエル人とも楽に話ができるようになったからだ。
私は元々自動翻訳機を付けているため、キエル人が話す内容が分かる。しかし、相手は自動翻訳機を装着していないので、私が話す地球の言語を理解することができない。
そんな状況から、ようやく抜け出すことができた。
自動翻訳機は一台あれば問題ない。私がそれを持って歩き、会話する際に相手に渡して一時的に使ってもらえば、それで無問題だからだ。
「足首を捻るだけで済んで良かったですね」
「おうよ! でもなぁ、またすぐ戦場に戻されるんすよ。多分すけど。それがとにかく嫌! 胃が痛いっす」
たいして知り合いではない相手との会話も、つまらないことはない。真逆のような暮らしをしてきた者と話をする機会というのは多くはないが、だからこそ、話をして分かることもある。
それにしても不思議だ。
私と話し相手では人種も民族も違うが、平和な場所でであれば、こうして穏やかに話すことができる。
知り合いではなく、親しくもない。縁もゆかりもない二人。でも、だからこそ、こうして平穏な時間を過ごすことができる。両者の間に親しみはないが、逆に憎しみもない。何もない、真っ白な心で、私たちは向き合える。
「胃薬が要ります?」
「いやいや、冗談すよ。そこは。……ただねぇ、どうも気が進まないっす。あんな戦いに意味はあるのかって、それは考えてしまうっすね」
無とは良いものだ。
こういうご時世だからこそ、何でもない関係が心地よい。
乱れた世において、敵と慣れ合う道は存在しない。それはつまり、味方であれば親しくできるが敵になれば親しくできないと決まってしまうということであって。敵とか味方とか、そういう枠は、関係の可能性を大幅に狭めてしまう。
「驚いたわ、急に軍が進んできていたから。娘と二人、着の身着のまま逃げるしかなかったの。その最中にわたしが怪我をしてしまってね。でも、こうしてここへ来られたのは、幸運だったわ。あんな戦いの最中を駆け抜けるなんて、わたしにはできそうにないもの」
そう話してくれたのは、子どもを連れた婦人。
彼女は家から避難する途中に怪我したらしい。命に影響を与えるような怪我ではなかったが偶然近くに救護部隊がいてここへ連れられてきた、と、彼女はここへたどり着いた経緯を述べる。
「命に別状はないようで安心しました」
「娘まで食事も貰っているし、本当に感謝しているのよ」
「人は多いですけど、環境に問題はありませんか?」
「えぇ。わたしはきちんと手当てを受けられているし、お手伝いのお嬢さんは娘と遊んでくれるもの。そこまで不満はないわね」
不満を喚き散らしている者は多いが、中には今の環境に感謝している人もいる——彼女と話してそれが分かった。
「聞いて下さいよ。ワタシ、道を歩いていたらビタリーの軍勢の中の人たちに突然殴られたんです。野蛮人にもほどがありますよね。この騒ぎ、現皇帝の世をひっくり返さんとするビタリーさんが起こしているという話ですけど、あんな輩しか仲間に引き込めないようじゃ、偉大でないことは明らかですよね」
考えを話してくれたのは、十代半ばと思われる少女。
彼女は頭に包帯を巻かれた状態でベッドに横たわっていた。安静を命じられているそうだ。
「地球の方、アンタはどう考えるんですか? ビタリーさん派なんですか?」
「いえ、私は」
私は首を左右に振る。
イヴァンを尊敬しているわけではないが、ビタリーの方が嫌いであることは確かだ。
もちろん、最初からビタリーを嫌っていたわけではなかった。リベルテを助ける手助けをしてくれた時には感謝したし、寄ってこられるのは嬉しくなくても、はっきり嫌いと言えるほど嫌いではなかったのだ。だが、成婚パレードの時のことやフーシェの命を平然と奪ったことなどがあったから、今はもう彼に親しみを覚えることはできない。
「ふぅん。じゃ、ビタリーさんに従う気はないんですね」
「はい」
「それなら安心しました。あの男を信奉する輩がこんなところで働いていたら、正直、夜もまともに休めませんから」
それにしても気の毒だ、いきなり殴られるなんて。
ビタリーの率いている軍勢はまともな人たちではないのだろうか。キエル軍に勤めていた者なら、そこまで乱暴なことはしないように思うのだけれど。
「じゃ、ワタシはもう寝るので。これで失礼しますね」
「あ、はい。ありがとうございました」
少女は私に自動翻訳機を返すと、そのまま瞼を閉ざした。
私は横になっている彼女に一礼して、その場を去る。
次はどの人に話を聞いてみよう、などと、一人色々考えながら。
建物内の色々な人に話を聞き回っていた日の、夕暮れ時。
灰色のスーツを着た五十代くらいに見える男性がやって来た。
「ウタさんとは、貴女ですね」
「は、はい……」
その男性が訪ねてきた理由は、治療を受けるためではなく、私と顔を合わせるため。
私は最初、穏やかな心で男性と向き合うことができなかった。なぜなら、彼の意図が雲に包まれていたからである。顔合わせを願われるのは構わないが、相手が何の目的でやって来たのかが不明だと、不気味でしかない。特にこんな世が荒れている時だから。
「皇帝陛下より、呼び出しがかかっております」
「え?」
「ですから、皇帝陛下がウタさんを呼んでいらっしゃるのです」
皇帝陛下……イヴァンのことなのだろう。イヴァンが私を呼び出しているというのか。でも、なぜ私を? 護衛を付けたいならもっと戦闘能力を有した者を呼び出すだろう。もしかして歌が目的? いや、この荒々しい時期に歌を必要となんてしないだろう。
思考は巡る。
私の脳内を走り回る。
「安全な経路を案内します。共に来て下さい」
「……目的は、何ですか」
そんなことを言うつもりはなかったのだが、私は半ば無意識のうちに言ってしまっていた。
「はい?」
男性は眉間にしわを寄せる。
まるで、妻の浮気の噂を耳にしてしまったかのように。
「すみません。その、悪く言うつもりはないのです。ただ、なぜ私なのかな、と」
「あぁ、そういうことでしたか。実はですね、皇帝陛下が、貴女様の歌を聴きたいと」
そこ!? と私は密かに衝撃を受けた。
可能性として考えてみなかったわけではないけれど、本当にそれが理由だなんて思わなくて、不覚にも驚いてしまった。
「……そうなんですか」
「あの、不愉快でしたか? もしそうなら申し訳ありません」
「いえ。大丈夫です」
「ほんと怖かったんすよ! 聞いてほしいっす!」
「看板が飛んできたんですよね」
「そうそう、そうなんすよ。衝突してるところから少し離れとこうと思って、道の端でじっとしてたら——急に看板が! 普通にぶつかりかけたっす。何とかかわしはしたんすけど、その時に足首を捻っちまって。それで、歩けなくなったんすよ。戦場で歩けなくなるとかマジ死ぬかと思って、焦りまくりっす」
私は負傷者たちに話を聞いて回る活動をした。
昨日まではなかったが、今朝小型自動翻訳機が到着したので、キエル人とも楽に話ができるようになったからだ。
私は元々自動翻訳機を付けているため、キエル人が話す内容が分かる。しかし、相手は自動翻訳機を装着していないので、私が話す地球の言語を理解することができない。
そんな状況から、ようやく抜け出すことができた。
自動翻訳機は一台あれば問題ない。私がそれを持って歩き、会話する際に相手に渡して一時的に使ってもらえば、それで無問題だからだ。
「足首を捻るだけで済んで良かったですね」
「おうよ! でもなぁ、またすぐ戦場に戻されるんすよ。多分すけど。それがとにかく嫌! 胃が痛いっす」
たいして知り合いではない相手との会話も、つまらないことはない。真逆のような暮らしをしてきた者と話をする機会というのは多くはないが、だからこそ、話をして分かることもある。
それにしても不思議だ。
私と話し相手では人種も民族も違うが、平和な場所でであれば、こうして穏やかに話すことができる。
知り合いではなく、親しくもない。縁もゆかりもない二人。でも、だからこそ、こうして平穏な時間を過ごすことができる。両者の間に親しみはないが、逆に憎しみもない。何もない、真っ白な心で、私たちは向き合える。
「胃薬が要ります?」
「いやいや、冗談すよ。そこは。……ただねぇ、どうも気が進まないっす。あんな戦いに意味はあるのかって、それは考えてしまうっすね」
無とは良いものだ。
こういうご時世だからこそ、何でもない関係が心地よい。
乱れた世において、敵と慣れ合う道は存在しない。それはつまり、味方であれば親しくできるが敵になれば親しくできないと決まってしまうということであって。敵とか味方とか、そういう枠は、関係の可能性を大幅に狭めてしまう。
「驚いたわ、急に軍が進んできていたから。娘と二人、着の身着のまま逃げるしかなかったの。その最中にわたしが怪我をしてしまってね。でも、こうしてここへ来られたのは、幸運だったわ。あんな戦いの最中を駆け抜けるなんて、わたしにはできそうにないもの」
そう話してくれたのは、子どもを連れた婦人。
彼女は家から避難する途中に怪我したらしい。命に影響を与えるような怪我ではなかったが偶然近くに救護部隊がいてここへ連れられてきた、と、彼女はここへたどり着いた経緯を述べる。
「命に別状はないようで安心しました」
「娘まで食事も貰っているし、本当に感謝しているのよ」
「人は多いですけど、環境に問題はありませんか?」
「えぇ。わたしはきちんと手当てを受けられているし、お手伝いのお嬢さんは娘と遊んでくれるもの。そこまで不満はないわね」
不満を喚き散らしている者は多いが、中には今の環境に感謝している人もいる——彼女と話してそれが分かった。
「聞いて下さいよ。ワタシ、道を歩いていたらビタリーの軍勢の中の人たちに突然殴られたんです。野蛮人にもほどがありますよね。この騒ぎ、現皇帝の世をひっくり返さんとするビタリーさんが起こしているという話ですけど、あんな輩しか仲間に引き込めないようじゃ、偉大でないことは明らかですよね」
考えを話してくれたのは、十代半ばと思われる少女。
彼女は頭に包帯を巻かれた状態でベッドに横たわっていた。安静を命じられているそうだ。
「地球の方、アンタはどう考えるんですか? ビタリーさん派なんですか?」
「いえ、私は」
私は首を左右に振る。
イヴァンを尊敬しているわけではないが、ビタリーの方が嫌いであることは確かだ。
もちろん、最初からビタリーを嫌っていたわけではなかった。リベルテを助ける手助けをしてくれた時には感謝したし、寄ってこられるのは嬉しくなくても、はっきり嫌いと言えるほど嫌いではなかったのだ。だが、成婚パレードの時のことやフーシェの命を平然と奪ったことなどがあったから、今はもう彼に親しみを覚えることはできない。
「ふぅん。じゃ、ビタリーさんに従う気はないんですね」
「はい」
「それなら安心しました。あの男を信奉する輩がこんなところで働いていたら、正直、夜もまともに休めませんから」
それにしても気の毒だ、いきなり殴られるなんて。
ビタリーの率いている軍勢はまともな人たちではないのだろうか。キエル軍に勤めていた者なら、そこまで乱暴なことはしないように思うのだけれど。
「じゃ、ワタシはもう寝るので。これで失礼しますね」
「あ、はい。ありがとうございました」
少女は私に自動翻訳機を返すと、そのまま瞼を閉ざした。
私は横になっている彼女に一礼して、その場を去る。
次はどの人に話を聞いてみよう、などと、一人色々考えながら。
建物内の色々な人に話を聞き回っていた日の、夕暮れ時。
灰色のスーツを着た五十代くらいに見える男性がやって来た。
「ウタさんとは、貴女ですね」
「は、はい……」
その男性が訪ねてきた理由は、治療を受けるためではなく、私と顔を合わせるため。
私は最初、穏やかな心で男性と向き合うことができなかった。なぜなら、彼の意図が雲に包まれていたからである。顔合わせを願われるのは構わないが、相手が何の目的でやって来たのかが不明だと、不気味でしかない。特にこんな世が荒れている時だから。
「皇帝陛下より、呼び出しがかかっております」
「え?」
「ですから、皇帝陛下がウタさんを呼んでいらっしゃるのです」
皇帝陛下……イヴァンのことなのだろう。イヴァンが私を呼び出しているというのか。でも、なぜ私を? 護衛を付けたいならもっと戦闘能力を有した者を呼び出すだろう。もしかして歌が目的? いや、この荒々しい時期に歌を必要となんてしないだろう。
思考は巡る。
私の脳内を走り回る。
「安全な経路を案内します。共に来て下さい」
「……目的は、何ですか」
そんなことを言うつもりはなかったのだが、私は半ば無意識のうちに言ってしまっていた。
「はい?」
男性は眉間にしわを寄せる。
まるで、妻の浮気の噂を耳にしてしまったかのように。
「すみません。その、悪く言うつもりはないのです。ただ、なぜ私なのかな、と」
「あぁ、そういうことでしたか。実はですね、皇帝陛下が、貴女様の歌を聴きたいと」
そこ!? と私は密かに衝撃を受けた。
可能性として考えてみなかったわけではないけれど、本当にそれが理由だなんて思わなくて、不覚にも驚いてしまった。
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