奇跡の歌姫

四季

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167話「ビタリーの残念ティータイム」

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「仕事が多すぎる!!」

 長きにわたり厳かな雰囲気を保ち続けてきた皇帝の間に、俗世間的な叫びが響く。

 皇帝の間。それは、キエル帝国建国以来、国を統べるただ一人だけが過ごしてきた、格ある一室だ。その室内は、夜の湖畔のような静けさを保ち続けてきた。が、今はその高貴な部屋の空気が乱されている。

「なぜ書類がこんなにあるんだ!!」

 キエル皇帝となったビタリーは、日々、仕事という名のハンコ押し作業に追われている。

「旦那ぁ。まずは落ち着いてほしいっすよぅ」
「カマカニ! そろそろ変わってくれないかな!」

 皇帝が認めたという証拠に、印鑑を押さなくてはならない書類が山のようにある。それも、一日に一回届けられるわけではなく、次から次へと運び込まれてくるのだ。それゆえ、最初に一日の予定を立てるということができない。

「残念ながら、一般人が皇帝の印に触れることは許されないんっすぅ」
「……そう言うと思ったよ。まったく」

 ビタリーとて、こういった地味な職務があることは知っていたことだろう。だが、ここまで忙しいとは想像していなかったようで、永遠に続く単純作業にげんなりしている。

「一旦休憩するのはどうすかぁ?」

 カマカニは今やビタリーに一番近いくらいの存在になっている。
 来る日も来る日も侍女風ワンピースを着ている超個性的なカマカニだが、ビタリーには嫌われていないのだ。

「そうだね。発狂する前に休憩した方が良いと思っていたところだよ」
「オゥ! 同意見だったんすね、旦那ぁ」

 初めてビタリーに出会った時、カマカニはこんなことになるとは思っていなかっただろう。皇帝に一番近い人になることなんて、想像していなかったはずだ。それでも、運命が二人をくっつけた。そして、今に至っている。

「茶でも飲むかい? それとも酒を?」

 ビタリーは席から立ち上がると、両腕を真上に伸ばして背伸びをする。

「自分、酒の気分じゃあないすぅ……」
「なら茶かな」
「休憩する気満々っすねぇ、旦那ぁ」

 カマカニにそんなことを言われたビタリーは、山積みになった書類を一瞥した後、ふっと笑みをこぼす。

「休憩したくもなるよ、この仕事量だから」

 カマカニは何かに気づいたかのような顔をする。目を開き、一点を見つめて。その平常時とは異なる目つきに違和感を覚えてか、ビタリーは「どうしたんだい? おかしな顔をして」と問う。その問いかけによって、思考停止していたカマカニが正気を取り戻す。

「はっ! ……す、すんませんすぅ」
「いや、べつに怒っているわけじゃないよ。ただ、どうしたのか気になって」

 ビタリーが怒っていないことは誰の目にも明らかだ。
 なぜなら、顔つきが明らかに怒っている人のそれでないから。

「じ、実は……その……」
「言いにくいことかい?」

 はっきりと答えを述べずモゴモゴしているカマカニに、ビタリーはじっとりとした視線を向ける。湿った視線を刺されたカマカニは、焦り出し、口を大きく開けて白状する。

「ち、違うっすぅ! ……ただ、旦那の微笑みを見ていたらほっこりしてしまったんすぅ」
「微笑み? 僕の?」

 立ったまま怪訝な顔をするビタリー。

「そ、そうなんすよぅ! 旦那の微笑みに心奪われたんすぅ!」

 カマカニが大きな声で述べた瞬間、ビタリーは片手を額に当てて呆れ顔。

「……男の心を奪う趣味はないのだけどね」

 そう呟いたビタリーの顔面は、渋くて苦い物を食べてしまったかのような状態になっていた。眉間や口もとなど、様々なところにしわができている。カマカニのことが嫌いというわけではないのだろうが、妙な物言いをされたことが不快だったのかもしれない。

「とにかく、休憩するとしよう。カマカニ、お茶を淹れてきてくれるかい?」
「も、もちろんすぅ! ……あ、でも、自分はお茶淹れるの下手すけどぅ」

 カマカニは己の茶を淹れる能力が低いことを気にしていたが、ビタリーの方はさほど気にしていないようで、さらりと「構わないよ」と返していた。

 お茶を淹れるよう言われたカマカニは皇帝の間から出ていく。

 一人で寛ぐには広すぎる部屋にビタリーだけが残った。

 キエル帝国は今のところ落ち着いた状態にある。激突もない。しかしながら、皇帝が変わったばかりなので、まだ安心安全な世とは言えない。これから進めなくてはならないことだって多くある。課題は山積みで、それゆえ、ビタリーも疲れは感じている。仕方ないことだと理解してはいるけれど。

「お待たせしたっすぅ! 旦那ぁ!」

 出ていってから十分ほどが経過し、カマカニが戻ってきた。彼の手には銀のお盆。その上には、白うさぎのような丸みを帯びたポットが一つ乗っていた。そして、彼の後ろには、一人の女性が続いてきている。ビタリーはそのことに驚いたようで、目をぱちぱちさせていた。

「んん? 旦那ぁ? どうしたんすか」

 珍しく情けない顔つきになるビタリーを見て、カマカニは首を傾げる。

「……あぁ、いや。すまないね」
「頭痛でもするんすか? 旦那ぁ。体調悪いっすか?」

 カマカニがビタリーに色々問うのは、冷やかしや挑発ではない。純粋にビタリーのことを心配しているからこそ、状態を詳しく聞き出そうとして、連続で問いを放ってしまうのだ。

「大丈夫だよ。君が気にすることは何もない」
「そ、そうすか。承知したっすぅ」

 カマカニは安心したように一礼し、ビタリーがハンコ押しをしている台にポットを置く。お盆ごと。直後、付き添いの女性に「カマカニさん、こちらが先です」と指摘されると、カマカニは「す、すんませんすぅ」と小さく言いつつポットが乗ったお盆を持ち上げた。その後、女性が、持っていたティーカップを机に置く。音をほとんど立てない、静寂を保つ置き方だった。

「注いで下さい」
「は、はい。理解するすぅ……」

 女性に指示され、カマカニはポットを持つ。手が震えるが、今さら置くわけにはいかない。女性に「しっかり持って、一気に注ぐのです」と励まされ、数秒後、カマカニはようやくポットを傾けることができた。うさぎのように愛らしいポットの口から液体が流れ出る。湯気とともに柔らかい香りが溢れ、室内を満たした。

「か、完了! できたっすよ! 旦那ぁ」
「……君に頼むべきではなかったかもしれないね」
「へ!? 何でっすか!?」
「……机のあちこちに飛沫が」

 言われて、カマカニは初めて気づく。

「ふ、ふわぁぁ!?」

 書類は何とか無事だったが、机のあちこちに小さなお茶の滴が付着してしまっていた。
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