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178話「ビタリーの密かな疲れ」
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舞台に立ち、動き、歌う。
そんなことを繰り返してきた日々は終わった。
また公演の予定が入るのかどうかは、今のところまだ未定。ある、とも、ない、とも言えない。が、ミソカニは「帰宅していて良い」と言ってくれたので、付き添いのリベルテと共にホーション付近の家へと帰った。
「ウタくん! 戻ったのだな!」
公演を終え帰宅した私を、ウィクトルは温かく迎えてくれた。
玄関にまで飛び出てきた彼の顔には嬉しそうな色が滲んでいる。笑顔というほどではないが、頬は緩み気味だ。琥珀のような瞳にも微かに輝きが宿っている。
「えぇ。無事全部終わったわ」
「テレビに出ていたな。驚いた。まさか放送まであるとは」
「え! 出てたの!?」
放送関係者が来ているという話は聞いていた。それゆえ、よく考えてみれば驚くようなことではないのだ。劇場に放送関係者が来ていて、テレビ放送されている。それは何もおかしなことではない。ただ、いきなりウィクトルに言われたものだから、ついうっかり驚いてしまったのだ。冷静に考える余裕がなかった。
「……まさか、知らなかったのか?」
「い、いえ。放送関係者が来てるって話は聞いたわ。ただ……本当に放送されていたなんて」
「フルで、ではないがな。ダイジェスト版のようになっていた」
「へぇー」
録画したものを編集して流していたということだろうか。
「番組のタイトルは確か、『今注目の舞台! Vol.12』だったはずだ」
「よく覚えてるのね」
Vol.12ということは、今までにも十一回ほど放送されていたということなのだろうか?
真相は分からない。
ただ、何にせよ、そのような番組で特集されたことが誇らしい。
舞台芸術という文化が発展しているファルシエラで紹介してもらえたのだから、なおさら価値があるというものではないか。
「やはり君はとても美しかった」
「……妙に直球ね」
「事実を言っただけのことだ。それ以上でも以下でもない」
「そ、そう……」
面と向かって「美しい」なんて言われたら、不必要に意識してしまう。ウィクトルのことだから思ったことを言っているだけなのだろうが、そのまま受け取ることは難しい。
「相変わらず、主はウタ様が大好きでございますね!」
リベルテはじっとりした視線をウィクトルへ向けながら、口角を持ち上げる。
「……いきなり何を言い出すんだ」
思春期の学生がするような茶化し方をされ、ウィクトルは怪訝な顔。
「ふっふっふふー」
なぜか妙にご機嫌なリベルテは、怪しい笑い方をする。
「どうした、リベルテ」
「ウタ様に惚れきっている主を眺めるのが楽しいのでございますー」
「まさか馬鹿にしているのか?」
リベルテの掴みづらい言動に翻弄されるウィクトルは、少し困っているようではあったが、不快感を抱いている様子はなかった。それどころか、若干楽しそうだ。
◆
「旦那ぁ! ヤバいすぅ!」
皇帝の間に青い顔をしたカマカニが飛び込んでくる。
騒々しさに驚き、一人寂しく寛いでいたビタリーは素早く顔を上げた。
「……何事?」
ビタリーは少しばかり煩わしそうに尋ねる。
窓の外は明るい。今日は雲一つない快晴だ。一つの色の絵の具で塗り潰したような空が、キエルに生きる人々を静かに見下ろしている。
「不満を抱いた輩が訪ねてきてるんすよぅ! それもいっぱい!」
カマカニがその情報を得たのは十分ほど前。雑用をこなし働いている侍女から噂話のような感じで聞いたのが最初だった。その後、カマカニは話の真偽を確かめるべく自力で様子を見に行った。すると、玄関口の前に人が集まっているのが確かに見え、侍女の話が本当のことだったのだと分かった。それで、ビタリーに報告しに来たのである。
「何があったんだい? いきなり」
「呑気過ぎっすよぅ! 暴徒化しかかってるんすよぅ!」
「……そんなに危ない感じなのかい?」
ビタリーとカマカニの間には大きな温度差があった。
カマカニは外の様子をその目で見てきた。そのため、かなり緊迫した状況であることを理解している。しかしビタリーはそうではない。人々が集まっているのが現場をその目では見ていないということもあって、そこまで危機感を覚えてはいないのだ。
「そうすよぅ! マジギレっすよぅ!」
胸の前で二つの拳を上下させつつ、現状の危険さを懸命に訴える。
だが、カマカニの訴えは、ビタリーに届ききらない。
「ほう。……それは問題だね」
ビタリーは口もとにうっすら笑みを浮かべながらそんなことを言う。余裕を感じさせる表情だ。だが、余裕たっぷりのビタリーを見たがために、カマカニはなおさら不安になってしまう。
「そんなこと言ってる状況じゃないんす! 何か対応を!」
「対策、か。取り敢えず人を避けるよう指示しよう」
「そ、そ、それがいいすぅ!」
首が飛んで宙を舞いそうな勢いで頷き続けるカマカニ。
「警備隊を呼ぼう。そして命じるんだ、市民を中に入れないようにと」
「では、警備隊長を呼んできたら良いすか?」
「あぁ。頼むよ」
「承知っすぅ!」
なぜか一度敬礼をして、カマカニは走り去っていく。力強い太さの脚で床を蹴ると、沈み込むような低い音が空気を揺らす。嵐が去るような勢いで、彼は皇帝の間から出ていった。
一人きりの環境に戻るや否や、ビタリーは大きな溜め息をつく。
ビタリーは高い天井を見上げる。そして少しだけ口を開け、ぼんやりした。誰かがいるところではぼんやりはできない。だからこその、一人での休憩だ。
皇帝になってからというもの、日々働かなくてはならなくなってしまった。
大量に届く書類を読み、印をつけ、返却。そんな、雑用にも近いような仕事がやたらと舞い込んでくる。
それは、皇帝の座に就く前には経験しなかったことだ。元々帝国軍に所属していたため、そちらの任務に取り組むことはあったが、事務的な仕事はほぼ行っていなかった。事務作業やハンコ押しに取り組み出したのは、今の地位に就いてからである。
「……難しいな、なかなか」
ビタリーは密かに疲れを感じている。その原因は、国民からの不満の声が多いこと。日々やって来る不満の声への対処というのは、かなり厄介なものなのだ。それに、来る日も来る日も文句を言われれば、疲れずにはいられない。
そんなことを繰り返してきた日々は終わった。
また公演の予定が入るのかどうかは、今のところまだ未定。ある、とも、ない、とも言えない。が、ミソカニは「帰宅していて良い」と言ってくれたので、付き添いのリベルテと共にホーション付近の家へと帰った。
「ウタくん! 戻ったのだな!」
公演を終え帰宅した私を、ウィクトルは温かく迎えてくれた。
玄関にまで飛び出てきた彼の顔には嬉しそうな色が滲んでいる。笑顔というほどではないが、頬は緩み気味だ。琥珀のような瞳にも微かに輝きが宿っている。
「えぇ。無事全部終わったわ」
「テレビに出ていたな。驚いた。まさか放送まであるとは」
「え! 出てたの!?」
放送関係者が来ているという話は聞いていた。それゆえ、よく考えてみれば驚くようなことではないのだ。劇場に放送関係者が来ていて、テレビ放送されている。それは何もおかしなことではない。ただ、いきなりウィクトルに言われたものだから、ついうっかり驚いてしまったのだ。冷静に考える余裕がなかった。
「……まさか、知らなかったのか?」
「い、いえ。放送関係者が来てるって話は聞いたわ。ただ……本当に放送されていたなんて」
「フルで、ではないがな。ダイジェスト版のようになっていた」
「へぇー」
録画したものを編集して流していたということだろうか。
「番組のタイトルは確か、『今注目の舞台! Vol.12』だったはずだ」
「よく覚えてるのね」
Vol.12ということは、今までにも十一回ほど放送されていたということなのだろうか?
真相は分からない。
ただ、何にせよ、そのような番組で特集されたことが誇らしい。
舞台芸術という文化が発展しているファルシエラで紹介してもらえたのだから、なおさら価値があるというものではないか。
「やはり君はとても美しかった」
「……妙に直球ね」
「事実を言っただけのことだ。それ以上でも以下でもない」
「そ、そう……」
面と向かって「美しい」なんて言われたら、不必要に意識してしまう。ウィクトルのことだから思ったことを言っているだけなのだろうが、そのまま受け取ることは難しい。
「相変わらず、主はウタ様が大好きでございますね!」
リベルテはじっとりした視線をウィクトルへ向けながら、口角を持ち上げる。
「……いきなり何を言い出すんだ」
思春期の学生がするような茶化し方をされ、ウィクトルは怪訝な顔。
「ふっふっふふー」
なぜか妙にご機嫌なリベルテは、怪しい笑い方をする。
「どうした、リベルテ」
「ウタ様に惚れきっている主を眺めるのが楽しいのでございますー」
「まさか馬鹿にしているのか?」
リベルテの掴みづらい言動に翻弄されるウィクトルは、少し困っているようではあったが、不快感を抱いている様子はなかった。それどころか、若干楽しそうだ。
◆
「旦那ぁ! ヤバいすぅ!」
皇帝の間に青い顔をしたカマカニが飛び込んでくる。
騒々しさに驚き、一人寂しく寛いでいたビタリーは素早く顔を上げた。
「……何事?」
ビタリーは少しばかり煩わしそうに尋ねる。
窓の外は明るい。今日は雲一つない快晴だ。一つの色の絵の具で塗り潰したような空が、キエルに生きる人々を静かに見下ろしている。
「不満を抱いた輩が訪ねてきてるんすよぅ! それもいっぱい!」
カマカニがその情報を得たのは十分ほど前。雑用をこなし働いている侍女から噂話のような感じで聞いたのが最初だった。その後、カマカニは話の真偽を確かめるべく自力で様子を見に行った。すると、玄関口の前に人が集まっているのが確かに見え、侍女の話が本当のことだったのだと分かった。それで、ビタリーに報告しに来たのである。
「何があったんだい? いきなり」
「呑気過ぎっすよぅ! 暴徒化しかかってるんすよぅ!」
「……そんなに危ない感じなのかい?」
ビタリーとカマカニの間には大きな温度差があった。
カマカニは外の様子をその目で見てきた。そのため、かなり緊迫した状況であることを理解している。しかしビタリーはそうではない。人々が集まっているのが現場をその目では見ていないということもあって、そこまで危機感を覚えてはいないのだ。
「そうすよぅ! マジギレっすよぅ!」
胸の前で二つの拳を上下させつつ、現状の危険さを懸命に訴える。
だが、カマカニの訴えは、ビタリーに届ききらない。
「ほう。……それは問題だね」
ビタリーは口もとにうっすら笑みを浮かべながらそんなことを言う。余裕を感じさせる表情だ。だが、余裕たっぷりのビタリーを見たがために、カマカニはなおさら不安になってしまう。
「そんなこと言ってる状況じゃないんす! 何か対応を!」
「対策、か。取り敢えず人を避けるよう指示しよう」
「そ、そ、それがいいすぅ!」
首が飛んで宙を舞いそうな勢いで頷き続けるカマカニ。
「警備隊を呼ぼう。そして命じるんだ、市民を中に入れないようにと」
「では、警備隊長を呼んできたら良いすか?」
「あぁ。頼むよ」
「承知っすぅ!」
なぜか一度敬礼をして、カマカニは走り去っていく。力強い太さの脚で床を蹴ると、沈み込むような低い音が空気を揺らす。嵐が去るような勢いで、彼は皇帝の間から出ていった。
一人きりの環境に戻るや否や、ビタリーは大きな溜め息をつく。
ビタリーは高い天井を見上げる。そして少しだけ口を開け、ぼんやりした。誰かがいるところではぼんやりはできない。だからこその、一人での休憩だ。
皇帝になってからというもの、日々働かなくてはならなくなってしまった。
大量に届く書類を読み、印をつけ、返却。そんな、雑用にも近いような仕事がやたらと舞い込んでくる。
それは、皇帝の座に就く前には経験しなかったことだ。元々帝国軍に所属していたため、そちらの任務に取り組むことはあったが、事務的な仕事はほぼ行っていなかった。事務作業やハンコ押しに取り組み出したのは、今の地位に就いてからである。
「……難しいな、なかなか」
ビタリーは密かに疲れを感じている。その原因は、国民からの不満の声が多いこと。日々やって来る不満の声への対処というのは、かなり厄介なものなのだ。それに、来る日も来る日も文句を言われれば、疲れずにはいられない。
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