奇跡の歌姫

四季

文字の大きさ
178 / 209

177話「フリュイの疲れたような発言」

しおりを挟む
 一連の公演、その終着地点。それがクーオ劇場だった。
 これまで私が演じてきた劇場よりは規模が大きく、五百近い席数がある。

「今日、この公演でツアーが終わるワ。それと、今日は放送も入るノ。これからのために大事な公演ヨ。頑張ってネ」

 開幕の直前、舞台袖でミソカニに告げられた。

 私からすれば「だからってどうしろと言うの?」というような感じだ。大事と言われても、それで何がどう変わるのか分からない。これまでの公演だって、一回一回を大切に思って出演してきたのだから。

 これが放送されるのか——そう思うと、何とも言えない気分になる。

 不快というわけではない。
 ただ、不思議というか何というか。

 ついこの前まで隠れて生きていた私が、今は舞台の上で光を浴びている。姿をファルシエラの多くの者に晒す。

 その事実があまりに非現実的で、不思議で仕方がないのだ。

 ただ、そんな不思議に思う気持ちが、現実の時の流れを変えたりはしない。時は刻まれる。何も待たず、誰も待たず、時間は流れていく。

 そして、今日もまた、開幕の時が来る。


 靴を履かない、素足のままで、舞台へと進んでいく。

 どこの劇場も、床は冷たい。裸足で舞台へ進んでいく時、私はいつも、異様にその冷たさを感じる。足の裏の感覚がこんなに鮮明になる時なんて、この時以外にはない。

『村を悲劇が襲った。それがその娘の絶望の記憶だった』

 夜の闇の中、足を引きずるようにして歩く。
 みすぼらしいワンピースだけを身にまとい、希望など欠片も持たずに。

『その悲劇は多くの者の生命を奪った。娘の肉親も、くれないに焼かれる』

 無の空間を訳もなく見つめる時、私はふと思い出すことがある。

 それは、地球で過ごした最後の記憶。美しかった青い空が変わり果てた、あの日のこと。

 愛しくはなかった。つまらない世界だと思っていた。それなのに、思い返せば、不自然なほどに懐かしい。未練なんてあるはずがないのに、こうして静寂にいるとなぜか思い出してしまう。

『何もない。すべてが闇に消える。——だが娘は、世に未練はなかった』

 フリュイの静かな朗読の合間には、呼吸だけの瞬間があった。
 客席に座る人、一人一人の息遣いまで、確かに聞こえてくる気がする。

『もはや彼女に考える力は残されていない……』

 紅を散らした闇を見つめるのは誰か。

 それが私なのか、物語の主人公なのか、それすらよく分からなくなってくるほどに。

 私と彼女は鏡に映したようなもの。
 一つであり、二人でもある。

 見つめる目とそこに在る肉体は間違いなく私のもので。けれど、胸に生きるのは私だけではなくて。

 手を伸ばせば届きそうな距離にいるのに、その娘は掴めない。

 彼女は私であり、私は彼女でもある——その奇妙な感覚に、今日も言葉を詰まらせる。


 毎度のことだ、気づけば終わっているのは。

 公演中には色々なことを考える余裕はない。公演とは道路を駆け抜けるようなもの。最中にいる時は、周囲に目を向ける余裕なんてないのだ。それで、気がついた時には、いつももう済んだ後なのである。

 拍手の温かさに安堵しつつ、終幕を迎える。

 少人数でのカーテンコールは心なしか寂しいけれど、心穏やかになれるこの時間は嫌いではない。

 特に今日は拍手が大きい気がする。客の数が多いからか、一連の公演の最後だからか、理由は定かではないけれど。ただ、確かにいつもより激しい拍手が鳴り響いている。

 暫しの拍手の後、観客は解散。
 幕は既に降りている。
 観客がほとんど去った頃になって、私とフリュイは舞台から退場することができた。

「はぁー。疲れましたね」

 舞台袖へとはけるや否や、フリュイはそんなことを言う。
 正直なのは悪いことではないが、今この状況でそれを述べる正直さというのは、良いものか悪いものかよく分からない。

「お疲れ様でした。フリュイさん」

 返し方が掴めないため、取り敢えず無難な言葉だけを発しておいた。

「どうも。そっちこそ、疲れてるんじゃないですか?」
「いえ、私はたいして何もしていないので……」

 私にはセリフはない。声を発するタイミングというのは歌う時くらいのもの。他はすべて動きでの表現のみだ。それゆえ、喉はそこまで辛くない。

「してますよ。だってほら、演技してるじゃないですか。あと歌も」
「フリュイさんの方が凄いです」
「知ってます? 褒めても何も出ないって」
「見返りを求めて褒めたわけじゃ……」

 その後、ミソカニと合流。
 また、ミソカニの隣にはリベルテがいたので、彼とも再会することができた。


 その日はもう夜が近づいていたため、劇場近くのホテルに宿泊することとなった。

 ミソカニやフリュイ、他の関係者などは、それぞれで宿を確保していたようで。今夜のことは何も考えていなかった私は焦ったが、リベルテが気を利かせてくれたため、何とかホテルに泊まることが可能となった。

 リベルテと共に一夜を過ごすため、確保したのは二人部屋。

 そのホテルは豪奢なホテルではない。狭めの部屋がたくさん入った、出張の者が泊まるようなホテルだ。そのため娯楽施設的な要素は控えめ。ただ、ベッドはきちんとあったし、手洗い場や浴槽も設置されている。だから、一晩過ごすくらいなら文句はない。

「部屋取ってくれてありがとう、リベルテ」

 私服に着替えた状態で、白色のベッドに腰を下ろす。尻に乾いた弾力を感じる。

「いえ! リベルテの仕事でございますから!」
「手配が早かったわね」
「雑用はこのリベルテにお任せ下さい。リベルテ、そういったことは得意なのでございます」

 元々部屋の敷地が狭めで、ベッドが大きめであるため、室内の自由に動けるスペースは小さい。こじんまりとした構造だ。それを思えば、共に泊まるのがリベルテで幸運だったかもしれない。リベルテは小柄なので、邪魔にならない。そういう意味では、彼は共に泊まることに適した人物である。

「お風呂に入られますか?」
「そうね。でも……疲れたわ。正直今は寝たい気分ね」

 ひとまず公演はすべて終わった。そのことへの安堵感があるせいか、今日は異様に眠たい。緊張感から解き放たれ、気が緩んでいるのかもしれない。

「では、お眠りになりますか?」
「えぇ……。入浴は朝にするわ」
「承知致しました! では、ゆっくり休んで下さい」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...