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192話「ウタの明日への決意」
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残すところあと一日。
明日はいよいよ帝国での初めての公演だ。
これまで何度も舞台には立ってきた。歌姫祭から始まり、帝国内の様々なところを巡りながら歌い、成婚パレードの幕開けさえ歌った。
それでも、前日のこの心情にはいまだに慣れない。
特に、今回は緊張が大きい。いつも以上だ。それは多分、ミソカニのプロジェクトの一環として帝国で歌うのが初めてだからなのだろう。
そして、気になることが他にも一つ。
ウィクトルのことである。
彼とは別々に出発した。でも、それはあくまで、彼が人目に触れられない状態だから。現地に到着すればまた会えるものと、当たり前にそう思っていた。しかし、彼とはあれ以来会えていない。しかも、会えていないだけではなく、連絡を取ることすらできていないのだ。
途中で誰かに見つかって捕らわれたとか、そんなことはないだろうが、音信不通になってしまうというのは実に謎だ。こんなタイミングで行方をくらますなんてことは、さすがにないと思うのだが。
とはいえ、ウィクトルとのことで悩み続けているわけにもいかない。
私には為すべきことがある。
今はただ、それを成功させるために歩まねば。
「ウタさん! 聞いたわヨ! シャルティエラ妃を呼んだんですッテ!?」
昼下がり、劇場内の個室で動作を練習していたら、ミソカニが走りながらやって来た。
「呼んだ……というか、誘ってみただけです」
ミソカニの言っていることは間違ってはいない。
事実、私はシャルティエラと話したのだ——公演について。
「連絡が来たのヨ! 話を聞いたのだけど、今からでも席を取れるかッテ!」
買い出しの帰り道、私は偶然シャルティエラと出会った。そして、彼女が今住んでいるという家へ行き、静かにお茶をしたのだ。そこで色々話していたら、彼女が劇場での公演の話を持ち出してきた。彼女はその話をしたかったのだろう。そうして、帝国で公演することを知られてしまったので、一応「観に来ていただけたら嬉しい」などと言った。
「もウ、びーっくりヨ!」
「……すみません。勝手なことをして」
客が増えるなら悪いことではないだろうと考えての行動だった。けれども、それによってミソカニが迷惑を被ったのだとしたら、私の行動が迂闊だったのかもしれない。
「え?」
「ごめんなさい。調子に乗ったことを」
謝罪した直後、ミソカニは「まっさカ! 責めてなんてないワ!」と言いながら肩を勢いよく数回叩いてきた。
どうやら、ミソカニがご機嫌だったらしい。
私の想像が間違いだったみたいだ。
「でネ! 席を確保しておいたワ!」
ミソカニは片手の人差し指だけを伸ばし、生徒を指導するかのような格好で、胸を張りつつ言った。
「え……じゃあ、シャロさんもいらっしゃるのですか」
「そういうことヨ!」
「そ、そうなんですね……」
今、とても不思議な心境だ。
嬉しいような、緊張して胃が痛くなるような、そんな何とも言えない気分。
でも、新たな形で舞台に立つ私を彼女に見てもらえるというのは、嬉しいことではある。きっと成長を感じてもらえる、その自信は確かにあるから。私が築いてきたものをこんな形で彼女に見てもらえるなら、それは幸せなことと言えるだろう。
シャルティエラは昔とは変わった。私もウィクトルもそうだったけれど、彼女もまた中身から豪快に変貌した者の一人だ。復讐心を捨てた彼女は、今や一人の品のある女性である。
「あラ? 嬉しくないノ?」
「いえ、そんなことはないです。嬉しいですよ」
「でも暗い顔してるわヨ?」
「それは、その……少し緊張しているだけです」
自分でも分かる。今の私が明るい顔をしていないことくらい。でもそれは、明日の公演に向けて緊張感を抱いているからであって、現状を憂いているからではない。
「ますます頑張らなくちゃネ」
「は、はい! 明日は全力で頑張ります!」
咄嗟に口から出たのは、そんな当たり前の言葉。
頑張る、真剣に取り組むのは、何も特別なことではないではないか——そう思って、私はつい笑ってしまう。
「あラ? 急に笑ってどうしたノ?」
うっかり漏らしてしまった笑みをミソカニは見逃さなかった。
さすがに鋭い。
「あっ……ごめんなさい。ただ、頑張るなんて当たり前のことを言ってしまったから……おかしかったなと思って」
私はひとまずシンプルな言葉を返す。
「そうだったのネ。明日もその調子でネ!」
会話の途中で笑い出すなんてと言われてしまうかと思ったけれど、案外そんなことはなかった。どころか、むしろ、笑うことを勧めてくれているかのようだった。
「力は抜いテ。らくーにネ。オッケイ?」
「はい!」
「動作もヨ?」
「は、はい! やってみます!」
「いい返事ネ。あと、今夜は早めに寝てちょうだいネ」
「努力します!」
公演の前、ミソカニには、よく力を抜くように言われる。今日もそれは同じだった。初回公演の前よりかは余裕も生まれつつあるが、完全に余裕でいられるところまではまだたどり着けていない。そこへたどり着こうとするなら、道のりは決して平坦ではないだろう。
「じゃ、用はそれだけヨ。邪魔したわネ」
「またいつでも来て下さい」
「お気遣いアリガト!」
ミソカニが部屋から出ていく。
室内に静けさが戻る。
手と手を重ね、一度だけ背伸びをして、ふぅと息を吐き出す。
「いよいよ明日……」
必要か否かさえ分からぬような言葉を呟き、何もない天井を見上げる。
思えばここまで長かった。随分遠回りをしてきた気がする。一度は帝国から離れ、もう舞台で歌うことはないかもしれないと思っていたほどだった。
けれど運命は、私をここへと連れてきた。
目に見えぬ何かが、私を、再び光の下へと導いたのだ。
「きっと……」
そこが始まりの場所になるのか終わりの場所となるのかは分からない。
でも、それでも。
「花を咲かせてみせる」
明日はいよいよ帝国での初めての公演だ。
これまで何度も舞台には立ってきた。歌姫祭から始まり、帝国内の様々なところを巡りながら歌い、成婚パレードの幕開けさえ歌った。
それでも、前日のこの心情にはいまだに慣れない。
特に、今回は緊張が大きい。いつも以上だ。それは多分、ミソカニのプロジェクトの一環として帝国で歌うのが初めてだからなのだろう。
そして、気になることが他にも一つ。
ウィクトルのことである。
彼とは別々に出発した。でも、それはあくまで、彼が人目に触れられない状態だから。現地に到着すればまた会えるものと、当たり前にそう思っていた。しかし、彼とはあれ以来会えていない。しかも、会えていないだけではなく、連絡を取ることすらできていないのだ。
途中で誰かに見つかって捕らわれたとか、そんなことはないだろうが、音信不通になってしまうというのは実に謎だ。こんなタイミングで行方をくらますなんてことは、さすがにないと思うのだが。
とはいえ、ウィクトルとのことで悩み続けているわけにもいかない。
私には為すべきことがある。
今はただ、それを成功させるために歩まねば。
「ウタさん! 聞いたわヨ! シャルティエラ妃を呼んだんですッテ!?」
昼下がり、劇場内の個室で動作を練習していたら、ミソカニが走りながらやって来た。
「呼んだ……というか、誘ってみただけです」
ミソカニの言っていることは間違ってはいない。
事実、私はシャルティエラと話したのだ——公演について。
「連絡が来たのヨ! 話を聞いたのだけど、今からでも席を取れるかッテ!」
買い出しの帰り道、私は偶然シャルティエラと出会った。そして、彼女が今住んでいるという家へ行き、静かにお茶をしたのだ。そこで色々話していたら、彼女が劇場での公演の話を持ち出してきた。彼女はその話をしたかったのだろう。そうして、帝国で公演することを知られてしまったので、一応「観に来ていただけたら嬉しい」などと言った。
「もウ、びーっくりヨ!」
「……すみません。勝手なことをして」
客が増えるなら悪いことではないだろうと考えての行動だった。けれども、それによってミソカニが迷惑を被ったのだとしたら、私の行動が迂闊だったのかもしれない。
「え?」
「ごめんなさい。調子に乗ったことを」
謝罪した直後、ミソカニは「まっさカ! 責めてなんてないワ!」と言いながら肩を勢いよく数回叩いてきた。
どうやら、ミソカニがご機嫌だったらしい。
私の想像が間違いだったみたいだ。
「でネ! 席を確保しておいたワ!」
ミソカニは片手の人差し指だけを伸ばし、生徒を指導するかのような格好で、胸を張りつつ言った。
「え……じゃあ、シャロさんもいらっしゃるのですか」
「そういうことヨ!」
「そ、そうなんですね……」
今、とても不思議な心境だ。
嬉しいような、緊張して胃が痛くなるような、そんな何とも言えない気分。
でも、新たな形で舞台に立つ私を彼女に見てもらえるというのは、嬉しいことではある。きっと成長を感じてもらえる、その自信は確かにあるから。私が築いてきたものをこんな形で彼女に見てもらえるなら、それは幸せなことと言えるだろう。
シャルティエラは昔とは変わった。私もウィクトルもそうだったけれど、彼女もまた中身から豪快に変貌した者の一人だ。復讐心を捨てた彼女は、今や一人の品のある女性である。
「あラ? 嬉しくないノ?」
「いえ、そんなことはないです。嬉しいですよ」
「でも暗い顔してるわヨ?」
「それは、その……少し緊張しているだけです」
自分でも分かる。今の私が明るい顔をしていないことくらい。でもそれは、明日の公演に向けて緊張感を抱いているからであって、現状を憂いているからではない。
「ますます頑張らなくちゃネ」
「は、はい! 明日は全力で頑張ります!」
咄嗟に口から出たのは、そんな当たり前の言葉。
頑張る、真剣に取り組むのは、何も特別なことではないではないか——そう思って、私はつい笑ってしまう。
「あラ? 急に笑ってどうしたノ?」
うっかり漏らしてしまった笑みをミソカニは見逃さなかった。
さすがに鋭い。
「あっ……ごめんなさい。ただ、頑張るなんて当たり前のことを言ってしまったから……おかしかったなと思って」
私はひとまずシンプルな言葉を返す。
「そうだったのネ。明日もその調子でネ!」
会話の途中で笑い出すなんてと言われてしまうかと思ったけれど、案外そんなことはなかった。どころか、むしろ、笑うことを勧めてくれているかのようだった。
「力は抜いテ。らくーにネ。オッケイ?」
「はい!」
「動作もヨ?」
「は、はい! やってみます!」
「いい返事ネ。あと、今夜は早めに寝てちょうだいネ」
「努力します!」
公演の前、ミソカニには、よく力を抜くように言われる。今日もそれは同じだった。初回公演の前よりかは余裕も生まれつつあるが、完全に余裕でいられるところまではまだたどり着けていない。そこへたどり着こうとするなら、道のりは決して平坦ではないだろう。
「じゃ、用はそれだけヨ。邪魔したわネ」
「またいつでも来て下さい」
「お気遣いアリガト!」
ミソカニが部屋から出ていく。
室内に静けさが戻る。
手と手を重ね、一度だけ背伸びをして、ふぅと息を吐き出す。
「いよいよ明日……」
必要か否かさえ分からぬような言葉を呟き、何もない天井を見上げる。
思えばここまで長かった。随分遠回りをしてきた気がする。一度は帝国から離れ、もう舞台で歌うことはないかもしれないと思っていたほどだった。
けれど運命は、私をここへと連れてきた。
目に見えぬ何かが、私を、再び光の下へと導いたのだ。
「きっと……」
そこが始まりの場所になるのか終わりの場所となるのかは分からない。
でも、それでも。
「花を咲かせてみせる」
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