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193話「ミソカニのご機嫌な当日」
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公演当日はあいにくの雨。
空は灰色に染まり、涙のような粒が降り注ぎ——ファルシエラでの日々を思い起こさせる。
それでも日程は予定通り進んでゆく。
朝から舞台の最終確認。セットやライトの調整から始まって、フリュイの読みと私の動きを軽く確認、そして、ひと通り公演をやってみる。舞台に立ち、本番通りに動く。でも、客席にはほとんど誰もいない。見ているのはミソカニだけ。
「うーふっふっふ! 完璧に近いわネ!」
ひと通り公演を終えると、舞台上で全員集合。
そこでミソカニが言いたいことを言う。
「みーんな素敵ヨ! うーふっふっふ。あとはこの調子で……ガンバ!」
ミソカニは上機嫌。
すべてが上手くいくと確信しているような顔つきをしている。
多分、彼には、成功を信じるという才能があるのだろう。だからこそ、彼はここまで成功を繰り返してきた。そういうことなのだろうと思う。
素晴らしい完成図を思い描き、そこにたどり着くため努力し、最後は自信で運までも引き寄せる。
その結果、想像以上のものが出来上がるのだ。
「じゃ、一旦解散ネ! 次は本番デ。成功させるわヨ!」
ミソカニのその言葉を合図に、最終確認は終了。
自由時間に入る。
解散するや否や、私は控え室へ直行した。
「……ウタさん」
だから、背後からそう声をかけられたのは予想外だった。
「あっ……は、はい? 何でしょう、フリュイさん?」
ようやく控え室で一人ゆっくりできると思ったのに。
いつの間にかフリュイがついてきていた。
「今日は彼は来ないんですか」
「彼?」
「えっと、確か……ウィクトル、さん、でしたっけ」
フリュイが気にしているのはどうやらウィクトルのことらしい。
それは私も多少気にしていたことだ。彼は今日来てくれるのか、そこは私も心配だった。とはいえ、その程度のことで騒ぐことはできないので、誰にも相談せず黙っていたのだが。
「実は、まだ分からないんです」
私は正直なところを述べる。
それしか言えることがないから。
「来る予定ではあるんですか」
「はい。それはそうです。きっと来てくれるって、信じています」
ウィクトルはきっと来る。今はそう信じたい。
「彼は私の歌を褒めてくれた一人目の人です。この晴れ舞台を見せないわけにはいきません」
開場の時間までは時間がある。その時間に合わせてぴったり来るのだとしたら、まだ会えていないことにも説明がつく。
「今日はよろしくお願いしますね、フリュイさん」
話が続かないので一応挨拶しておく。
間を持たせるための咄嗟の行動である。
「お互い、それなりに頑張りましょう」
フリュイはさらりとそんな言葉を返してくる。
他者に深く係わろうとしない雰囲気の言葉選びが彼らしい。
「ですね! 準備はし過ぎなくらいしてきましたから!」
「じゃ、これで失礼します」
「お気遣いありがとうございました。フリュイさん」
そこまで話して、私はようやく一人になることができた。
フリュイが退室していってくれたからだ。
彼が長居する質でなくて良かった、と安堵しつつ、静寂に身を委ねる。
「ウィクトル……何してるの……?」
何もない空間へ視線を投げ出し、意味もなく呟く。
答えが返ってくる可能性なんて微塵もないのに。
◆
天が零した滴は真下へ進み、屋根に、地面に、ぶつかり音を立てる。分厚い雲に覆われた空は何も言わず、ただ、地上を見下ろしている。
皇帝の間の入る建物の前には、数えられぬほどの人の姿。
その中に、漆黒の布をまとう者もいた。
「……主、もう抜けませんか?」
漆黒の布をまとう者——ウィクトルの脇には、リベルテがいつもと変わらぬ姿で立っている。
「時間がない」
「で、ですから、抜けましょう。もう公演当日でございますよ」
本当なら昨日中にすべて終わるはずだった。だが、何もかもが順調に行くはずもなく、今日にまでもつれ込んでしまった。しかも、幸か不幸か、決着の日が今日となってしまいそうなのである。
「だが、今さら退くわけにもいかない」
「彼は最初言っていたではないですか……。公演に間に合うよう抜けて構わない、と」
悲しげな顔をしつつリベルテがそう言った刹那、数日にわたり固く閉ざされていた建物の玄関が開いた。
「ウィクトルさん! 開きました!」
そう叫ぶのは、元部下の少年。
その声を聞いたウィクトルは、即座にリベルテへ目をやる。そして静かに「行くぞ」と発した。リベルテは困ったような顔をしながらも「はい」と返す。そして、二人は人混みの中を駆け抜ける。ウィクトルが先、リベルテはそれを追う形で。
動き出したのは二人だけではない。
周囲の、国の現状に憤慨している者たちも、一斉に動き出す。
「突入! ただし押し合わないように!」
「突き飛ばさず進んで下さい!」
まるでバーゲンセールである。
「いっくぜぇ! おぅららららっ!」
バーゲンセールの時に大概いる周囲よりあつかましいような人間は、当たり前のようにここにもいた。
「おい、押すなって」
「のけぃのけのけ! のけのけけぃ!」
「コラ! 少しずつ進みなさい」
「邪魔だぜぇ! もはや俺を止めるなんて無理ぃ!」
ウィクトルはあつかましく進む人の近くを通ることは避けて進む。
何をされるか分からず危険と判断したのだろう。
人と人の間をすり抜け、数十秒ほどで人の群れから抜け出した。視界が開けた瞬間、ウィクトルは足の回転を急加速させる。リベルテは差をつけられまいと必死に駆ける。
「ウィクトルさん! このまま予定通り行きましょう!」
「そうだな」
元部下の少年も人混みから器用に抜け出しウィクトルに並走する。
「主!? 公演は良いので!?」
「後にしてくれ、リベルテ」
「え、ええー!? ウタ様は良いのでございますか!?」
「それまでに終わらせる」
空は灰色に染まり、涙のような粒が降り注ぎ——ファルシエラでの日々を思い起こさせる。
それでも日程は予定通り進んでゆく。
朝から舞台の最終確認。セットやライトの調整から始まって、フリュイの読みと私の動きを軽く確認、そして、ひと通り公演をやってみる。舞台に立ち、本番通りに動く。でも、客席にはほとんど誰もいない。見ているのはミソカニだけ。
「うーふっふっふ! 完璧に近いわネ!」
ひと通り公演を終えると、舞台上で全員集合。
そこでミソカニが言いたいことを言う。
「みーんな素敵ヨ! うーふっふっふ。あとはこの調子で……ガンバ!」
ミソカニは上機嫌。
すべてが上手くいくと確信しているような顔つきをしている。
多分、彼には、成功を信じるという才能があるのだろう。だからこそ、彼はここまで成功を繰り返してきた。そういうことなのだろうと思う。
素晴らしい完成図を思い描き、そこにたどり着くため努力し、最後は自信で運までも引き寄せる。
その結果、想像以上のものが出来上がるのだ。
「じゃ、一旦解散ネ! 次は本番デ。成功させるわヨ!」
ミソカニのその言葉を合図に、最終確認は終了。
自由時間に入る。
解散するや否や、私は控え室へ直行した。
「……ウタさん」
だから、背後からそう声をかけられたのは予想外だった。
「あっ……は、はい? 何でしょう、フリュイさん?」
ようやく控え室で一人ゆっくりできると思ったのに。
いつの間にかフリュイがついてきていた。
「今日は彼は来ないんですか」
「彼?」
「えっと、確か……ウィクトル、さん、でしたっけ」
フリュイが気にしているのはどうやらウィクトルのことらしい。
それは私も多少気にしていたことだ。彼は今日来てくれるのか、そこは私も心配だった。とはいえ、その程度のことで騒ぐことはできないので、誰にも相談せず黙っていたのだが。
「実は、まだ分からないんです」
私は正直なところを述べる。
それしか言えることがないから。
「来る予定ではあるんですか」
「はい。それはそうです。きっと来てくれるって、信じています」
ウィクトルはきっと来る。今はそう信じたい。
「彼は私の歌を褒めてくれた一人目の人です。この晴れ舞台を見せないわけにはいきません」
開場の時間までは時間がある。その時間に合わせてぴったり来るのだとしたら、まだ会えていないことにも説明がつく。
「今日はよろしくお願いしますね、フリュイさん」
話が続かないので一応挨拶しておく。
間を持たせるための咄嗟の行動である。
「お互い、それなりに頑張りましょう」
フリュイはさらりとそんな言葉を返してくる。
他者に深く係わろうとしない雰囲気の言葉選びが彼らしい。
「ですね! 準備はし過ぎなくらいしてきましたから!」
「じゃ、これで失礼します」
「お気遣いありがとうございました。フリュイさん」
そこまで話して、私はようやく一人になることができた。
フリュイが退室していってくれたからだ。
彼が長居する質でなくて良かった、と安堵しつつ、静寂に身を委ねる。
「ウィクトル……何してるの……?」
何もない空間へ視線を投げ出し、意味もなく呟く。
答えが返ってくる可能性なんて微塵もないのに。
◆
天が零した滴は真下へ進み、屋根に、地面に、ぶつかり音を立てる。分厚い雲に覆われた空は何も言わず、ただ、地上を見下ろしている。
皇帝の間の入る建物の前には、数えられぬほどの人の姿。
その中に、漆黒の布をまとう者もいた。
「……主、もう抜けませんか?」
漆黒の布をまとう者——ウィクトルの脇には、リベルテがいつもと変わらぬ姿で立っている。
「時間がない」
「で、ですから、抜けましょう。もう公演当日でございますよ」
本当なら昨日中にすべて終わるはずだった。だが、何もかもが順調に行くはずもなく、今日にまでもつれ込んでしまった。しかも、幸か不幸か、決着の日が今日となってしまいそうなのである。
「だが、今さら退くわけにもいかない」
「彼は最初言っていたではないですか……。公演に間に合うよう抜けて構わない、と」
悲しげな顔をしつつリベルテがそう言った刹那、数日にわたり固く閉ざされていた建物の玄関が開いた。
「ウィクトルさん! 開きました!」
そう叫ぶのは、元部下の少年。
その声を聞いたウィクトルは、即座にリベルテへ目をやる。そして静かに「行くぞ」と発した。リベルテは困ったような顔をしながらも「はい」と返す。そして、二人は人混みの中を駆け抜ける。ウィクトルが先、リベルテはそれを追う形で。
動き出したのは二人だけではない。
周囲の、国の現状に憤慨している者たちも、一斉に動き出す。
「突入! ただし押し合わないように!」
「突き飛ばさず進んで下さい!」
まるでバーゲンセールである。
「いっくぜぇ! おぅららららっ!」
バーゲンセールの時に大概いる周囲よりあつかましいような人間は、当たり前のようにここにもいた。
「おい、押すなって」
「のけぃのけのけ! のけのけけぃ!」
「コラ! 少しずつ進みなさい」
「邪魔だぜぇ! もはや俺を止めるなんて無理ぃ!」
ウィクトルはあつかましく進む人の近くを通ることは避けて進む。
何をされるか分からず危険と判断したのだろう。
人と人の間をすり抜け、数十秒ほどで人の群れから抜け出した。視界が開けた瞬間、ウィクトルは足の回転を急加速させる。リベルテは差をつけられまいと必死に駆ける。
「ウィクトルさん! このまま予定通り行きましょう!」
「そうだな」
元部下の少年も人混みから器用に抜け出しウィクトルに並走する。
「主!? 公演は良いので!?」
「後にしてくれ、リベルテ」
「え、ええー!? ウタ様は良いのでございますか!?」
「それまでに終わらせる」
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