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9話 「堕ちた天使」
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せめて今夜だけでも。そう思いエリアスが入れられている牢の前に座っておくことにした私がうとうとしていると、不意にエリアスが口を開く。
「王女、ここへ来られるのは初めてですか?」
落ち着いた静かな声が暗い地下牢内に響く。現在地下牢には私たち三人以外には誰もいないらしく、辺りは静寂に包まれている。私のすぐ横に立っているヴァネッサは黙って様子を見ているだけだ。
「いいえ、初めてじゃないわ。前に一度ぐらい来たことがあるの。エリアスは?」
「えぇ、私はよく来たことがあります」
エリアスは私の護衛隊長になる前、王を守る親衛隊の一員だった。その頃のことを私はあまり知らない。
「よく……って、何しに?」
そう聞いた途端、彼は少し俯いて唇を噛み、しばらく黙り込む。何か考えているのだろうと察し、私は敢えて何も言わずに彼を見つめるだけにした。
しばらくすると彼は何か決意したように顔を上げて視線をこちらへ向ける。
「私の弟がずっとここにいたからです」
エリアスがそう切り出すと、それまで一言も発さなかったヴァネッサが急に口を開く。
「貴方の弟。ルッツのことね」
「ヴァネッサ知ってるの!?」
私はエリアスの弟の話なんて一度も聞いたことがない。
「はい。エリアスとルッツ。兄弟は親衛隊の中でも特に優秀な天使として、エンジェリカではとても有名でしたから」
誰でも知っている常識のように話すヴァネッサ。
「エリアスって有名だったの!? 私、全然知らなかった。でも、ルッツなんて名前は、聞いたこともないけど……」
「ルッツは裏切り者ですから」
エリアスが悲しそうな顔をしながら、しかしはっきりと言った。
「裏切り者? でもエリアスの弟でしょ。一体何が……」
「私とルッツは親衛隊員として働いていました。しかしある時、ルッツは力を求めて魔界の悪魔と接触していたことが発覚し、貴女のお父上であるディルク王の命によって、この地下牢へ囚われました。私は兄としてルッツの世話を任せられ毎日のようにここへ通っていたのです」
そんな話は小耳に挟んだことすらない。私は外の世界のことどころか、王宮内の出来事すら知らなかったのだ。
「彼は今どこにいるの? この地下牢にはいないわよね」
今日ここへ来てから今に至るまで、風と私たち三人の声以外の物音は聞いていない。当然ながら気配もしない。
「はい。ある夜、いつものように向かった地下牢で私は、脱走するために更なる悪魔の力を得て黒く染まったルッツを見ました。少しでも悪魔の力を得た天使は天界にはいられない。だから自ら魔界に行くつもりだったのでしょう」
数年間ずっと近くにいたのにエリアスの過去の話を聞くのは初めてだ。恐らく私に気を使ってくれていたのだろう。
「私は止めようとしました。けれど、止められなかった。ルッツは地下牢から脱走し、それ以来一度も会っていません」
きっと辛かっただろう。そんなことを心の内に秘めて今まで生きていたのだと思うと、他人事ながら胸が締め付けられて痛くなる。
私は鉄柵の隙間から手を差し出し、彼にも手を伸ばすように言った。足は鎖に繋がれているが手は繋がれておらず動かせるらしい。エリアスは私の方へ一生懸命手を伸ばす。ぎりぎり届く距離。私は彼の手をそっと握った。
「……王女?」
すっかり冷えきってしまっている彼の手を温めるように触れる。私やヴァネッサの手に比べれば指は長く全体的にかっちりしているのが分かる。
「あの、何を?」
「何って……寒いでしょ? 貴方の手、冷えてるわ。だから温めているところ」
するとエリアスは急にふっと笑みをこぼし頬を緩める。
「そうでしたか」
彼の表情が少しばかり晴れやかになった。
「今ふと、懐かしいことを思い出しました」
「懐かしいこと?」
「えぇ。貴女と初めて出会った時のことです」
さすがにそれは覚えている。
自分の護衛隊というものに漠然と憧れていた私は、エリアスが親衛隊を辞めると聞いてすぐにスカウトしようと閃いた。
「確かに懐かしいわね。話しかけようと思って、でも何回も声をかけられなくて……エリアスを追い回し続けたりしたっけ」
今日は妙に昔の話をするなぁと思いつつ話をする。
「ふふっ、そんなこともありましたね」
エリアスは穏やかに微笑む。
「ルッツの脱走に協力したと疑われた私は、その責任を負って親衛隊を辞めることになり、どうすればよいものか分からずにさまよっていたところ、王女に声をかけていただいたのです。あの時も王女はこうやって手を差し出してくださいました。貴女は私に新しい人生を与えてくださったのです」
「何かごめんなさい。そんな事情まったく知らなかったわ」
昔の私は、エリアスが戦闘に長けていることは知っていたものの、表情の薄い冷淡な天使だと思っていた。話を聞いてしまった今では絶対に言えないが。
「あの時の王女の手の温もり、私は決して忘れません。……ふふ、ふふふふふっ」
突然エリアスが不気味に笑い出す。
「……っ!?」
私は唐突なことに驚いて口を開けるほかなかった。
「エリアス! おかしな笑い方をしないでちょうだい!」
顔をしかめて鋭く放ったのはヴァネッサ。
「あ、はい。すみません。つい……。王女、今のことは気にしないで下さい」
エリアスは正気に戻ったらしく恥ずかしそうに笑う。今さっき何が起こったのかは理解できなかったが、敢えて突っ込む必要性はないだろう。いや、聞いてみるのが怖い。
さて、気を取り直そう。
「王女、ここへ来られるのは初めてですか?」
落ち着いた静かな声が暗い地下牢内に響く。現在地下牢には私たち三人以外には誰もいないらしく、辺りは静寂に包まれている。私のすぐ横に立っているヴァネッサは黙って様子を見ているだけだ。
「いいえ、初めてじゃないわ。前に一度ぐらい来たことがあるの。エリアスは?」
「えぇ、私はよく来たことがあります」
エリアスは私の護衛隊長になる前、王を守る親衛隊の一員だった。その頃のことを私はあまり知らない。
「よく……って、何しに?」
そう聞いた途端、彼は少し俯いて唇を噛み、しばらく黙り込む。何か考えているのだろうと察し、私は敢えて何も言わずに彼を見つめるだけにした。
しばらくすると彼は何か決意したように顔を上げて視線をこちらへ向ける。
「私の弟がずっとここにいたからです」
エリアスがそう切り出すと、それまで一言も発さなかったヴァネッサが急に口を開く。
「貴方の弟。ルッツのことね」
「ヴァネッサ知ってるの!?」
私はエリアスの弟の話なんて一度も聞いたことがない。
「はい。エリアスとルッツ。兄弟は親衛隊の中でも特に優秀な天使として、エンジェリカではとても有名でしたから」
誰でも知っている常識のように話すヴァネッサ。
「エリアスって有名だったの!? 私、全然知らなかった。でも、ルッツなんて名前は、聞いたこともないけど……」
「ルッツは裏切り者ですから」
エリアスが悲しそうな顔をしながら、しかしはっきりと言った。
「裏切り者? でもエリアスの弟でしょ。一体何が……」
「私とルッツは親衛隊員として働いていました。しかしある時、ルッツは力を求めて魔界の悪魔と接触していたことが発覚し、貴女のお父上であるディルク王の命によって、この地下牢へ囚われました。私は兄としてルッツの世話を任せられ毎日のようにここへ通っていたのです」
そんな話は小耳に挟んだことすらない。私は外の世界のことどころか、王宮内の出来事すら知らなかったのだ。
「彼は今どこにいるの? この地下牢にはいないわよね」
今日ここへ来てから今に至るまで、風と私たち三人の声以外の物音は聞いていない。当然ながら気配もしない。
「はい。ある夜、いつものように向かった地下牢で私は、脱走するために更なる悪魔の力を得て黒く染まったルッツを見ました。少しでも悪魔の力を得た天使は天界にはいられない。だから自ら魔界に行くつもりだったのでしょう」
数年間ずっと近くにいたのにエリアスの過去の話を聞くのは初めてだ。恐らく私に気を使ってくれていたのだろう。
「私は止めようとしました。けれど、止められなかった。ルッツは地下牢から脱走し、それ以来一度も会っていません」
きっと辛かっただろう。そんなことを心の内に秘めて今まで生きていたのだと思うと、他人事ながら胸が締め付けられて痛くなる。
私は鉄柵の隙間から手を差し出し、彼にも手を伸ばすように言った。足は鎖に繋がれているが手は繋がれておらず動かせるらしい。エリアスは私の方へ一生懸命手を伸ばす。ぎりぎり届く距離。私は彼の手をそっと握った。
「……王女?」
すっかり冷えきってしまっている彼の手を温めるように触れる。私やヴァネッサの手に比べれば指は長く全体的にかっちりしているのが分かる。
「あの、何を?」
「何って……寒いでしょ? 貴方の手、冷えてるわ。だから温めているところ」
するとエリアスは急にふっと笑みをこぼし頬を緩める。
「そうでしたか」
彼の表情が少しばかり晴れやかになった。
「今ふと、懐かしいことを思い出しました」
「懐かしいこと?」
「えぇ。貴女と初めて出会った時のことです」
さすがにそれは覚えている。
自分の護衛隊というものに漠然と憧れていた私は、エリアスが親衛隊を辞めると聞いてすぐにスカウトしようと閃いた。
「確かに懐かしいわね。話しかけようと思って、でも何回も声をかけられなくて……エリアスを追い回し続けたりしたっけ」
今日は妙に昔の話をするなぁと思いつつ話をする。
「ふふっ、そんなこともありましたね」
エリアスは穏やかに微笑む。
「ルッツの脱走に協力したと疑われた私は、その責任を負って親衛隊を辞めることになり、どうすればよいものか分からずにさまよっていたところ、王女に声をかけていただいたのです。あの時も王女はこうやって手を差し出してくださいました。貴女は私に新しい人生を与えてくださったのです」
「何かごめんなさい。そんな事情まったく知らなかったわ」
昔の私は、エリアスが戦闘に長けていることは知っていたものの、表情の薄い冷淡な天使だと思っていた。話を聞いてしまった今では絶対に言えないが。
「あの時の王女の手の温もり、私は決して忘れません。……ふふ、ふふふふふっ」
突然エリアスが不気味に笑い出す。
「……っ!?」
私は唐突なことに驚いて口を開けるほかなかった。
「エリアス! おかしな笑い方をしないでちょうだい!」
顔をしかめて鋭く放ったのはヴァネッサ。
「あ、はい。すみません。つい……。王女、今のことは気にしないで下さい」
エリアスは正気に戻ったらしく恥ずかしそうに笑う。今さっき何が起こったのかは理解できなかったが、敢えて突っ込む必要性はないだろう。いや、聞いてみるのが怖い。
さて、気を取り直そう。
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