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#048 Recitativo Ⅳ
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東京都・年齢不詳男性「作曲家としての才能だけは尊敬できる部分がありましたが、本当に才能以外はクズのド畜生でしたね。胡散臭い笑顔は今思い出しても虫唾が走ります。さて、どう仕返ししてやりましょうか…」
…………………………………………………………………………………
所狭しと並べられた本棚には、古今東西あらゆる時代と国の楽譜が詰め込まれていた。
書庫に入ったユリエルが壁のスイッチを押して真っ暗な室内に明かりを灯す。
「やあ、遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
唐突に響いた男の声に、ユリエルと椙浦は身構えて周囲を見回した。五線紙の積まれた作業台の椅子に浅く腰掛け天井を見上げていたのは、異端がかねてよりどうにかして捕えようと画策していた楽団の要であった。
季節柄、正気とは思えない甚平姿の託斗は、勢い良く椅子から立ち上がり、踵を返した。そして、ユリエルと椙浦の姿を順番に見て小首を傾げる。
「あれ?どっちが盗作犯?変なお面人間とツヤテカ丸メガネ……どっちも怪しいな…」
二人の方に歩み寄りながらそう呟くと、クツクツと笑うユリエルが答え合わせをした。
「どうも、初めまして。異端の専属作曲家として雇われている、ユリエルと申します」
一歩前に出た半面の男の方に視線を向けた託斗はニコリと笑顔を見せると、その左手に持っていた白いハードカバーの冊子を彼の方に見せつけた。
第1楽章『天照大御神』。アメリカ支部長であったジョセフ・アーロンが所有していた超絶技巧の楽譜で、彼を殺害した異端によって奪われていた物である。
「ソレを奪い返しに来た訳ですか?」
万が一の事態に備えて、ユリエルは楽譜の写しを別の場所に保管していた。今、目の前にいる男によって持ち出されたとしても何の問題も無いと考えており、彼は余裕の表情で託斗の様子を見つめている。
「まさか。もうコレに用は無いよ」
甚平の合わせに右手を突っ込んだ託斗の手にはライターが握られており、カチンと小さな金属音が響いた後青色の焔が左手に持った楽譜に向けて放出された。
見る見るうちに炭になっていく姿を目の当たりにしたユリエルは、託斗のその奇行にも超絶技巧のロジックが隠されているのではないかと彼の一挙手一投足を凝視する。
「……その楽譜自体に力が込められている訳では無い…という事ですかね?」
「研究熱心だね、君は。流石、僕の大ファンだ」
冊子が完全に燃え尽きるのを見届けた託斗は、手に着いた煤をパンパンと叩くと右手の人差し指を自身のこめかみにコツコツと当てた。
「此処に入ってるからさ、全部」
今迄作曲してきた自身の作品はすべて、託斗の頭の中に記憶されているのだと言う。大編成のオーケストラの曲から暇潰しに書いた童謡のような短い曲まで、全てである。
「君達に奪われたって聞いたその日のうちに、第1楽章をもう一度書かされたよ。だから、コレは用済み。僕の楽譜はね、奏者と1対1の関係でなければならないんだ」
「……それは何故?」
固唾を飲んで答えを待つユリエルの表情を見て、今度は託斗の方がクツクツと怪しい笑みを浮かべた。
…………………………………………………………………………………
「君と僕の違いって何だろうね?何故、僕にできて君にはできないのか。何だと思う?丸メガネの人?」
突然指をさされた椙浦は困惑の表情を浮かべてユリエルの顔色を伺う。回答を急く様に顎をしゃくった彼を見て、低い声で唸りながら思考を巡らせる。
「……単純に経験年数の違いか…はたまた、バックグラウンドに何か特殊な要素が…」
「ピンポンピンポン!正解!素晴らしいな、丸メガネの人!」
椙浦の言葉を途中で遮った託斗は、パチパチと拍手しながら二人の目の前まで一気に歩み寄った。
「良いかい、ド三流……コレは最初で最後の警告だ」
託斗の顔からスッと表情が消える。唯ならぬ雰囲気を纏う目の前の男に真正面から指をさされたユリエルは、冷や汗を滲ませながら黙ってその両眼に視線を合わせた。
「楽譜の呪いは相互作用の制約がなければ異能たり得ない。お前の猿真似は聴衆を痛ぶるだけの呪物。演奏によって力を得る責任は奏者が負うべきだ」
「……呪い…」
超絶技巧を模倣する意味。それは例えるなら、コックリさんやひとりかくれんぼといった降霊術の類を面白半分に試すような物であった。
興味本位で触れてはいけない領域、下手をすれば命すら奪われる程の穢れを呪曲として落とし込む芸当は、幼い頃から専門の知識を叩き込まれた託斗にしか成し得ないものである。
そして、託斗の作り出した超絶技巧は、奏者に対して相応の『災厄』を被らせる事で、物理現象である音エネルギーの武力化を超越した正真正銘の異能という『祝福』を獲得する事ができるのだ。
そのロジックを知らない人間が真似て作った紛い物では、呪いの断片のみが暴走する結果となる事は茅沙紀や福音、霊歌の件で実証されている。
これ以上望まぬ形で呪曲が猛威を振るう事例を、託斗は看過する事ができなかったのだ。
「僕のように異能を宿す曲を書きたいと思うのなら、シャーマンにでも頼んで弟子入りしてくると良い。それなら盗作なんてしないで済むだろ?」
「……その言い分ですと…私が人死の出る曲を書こうが我関せずという事でしょうか?」
薄ら笑みを取り戻した託斗があっけらかんとした態度で言い放つと、ユリエルは訝しげに隻眼で睨み付ける。
「そりゃあね。巡り巡ってそもそも僕が書いた曲のせいだって言われるの嫌だもん。やるなら自分の曲で勝手にどうぞ」
無責任に肩を竦めた託斗の様子に、ユリエルと椙浦は顔を見合わせる。そしてゆっくりと視線を戻しながら愉快そうに笑い始めた。
「流石は楽団の要たる人物ですね……畜生の度合いも並外れているとは…」
「お褒めに預かり光栄だよ、ユリエル君。それじゃあ……僕は本来の目的を果たしても良いかな?」
ニンマリと笑った託斗の右の拳が迫り来ると察知した頃には、左頬にめり込んだストレートの勢いで書庫の壁に背中を強打していた。
バラバラと棚から落下してくる冊子が倒れ込んだユリエルの体の上に覆いかぶさっていく。
「ゆ…ユリエルさん!」
見事に吹き飛んでいったユリエルの元に駆け寄ろうとした椙浦であったが、背後で再び響いた金属音を聞いてその動きを止めた。
託斗が投げ捨てたのは、火が付いた状態のライター。書庫内に散乱する五線紙に次々と引火し、既に火柱を上げながら燃え始めている。
橙色に揺らめく炎に照らされながら踵を返した託斗は、一歩後退してからボウ・アンド・スクレープで頭を下げた。
「ごきげんよう、異端の使徒達。また何処かで会おうじゃないか」
顔を上げてニコリと笑った託斗の身体が足元から透けていき、意識を取り戻したユリエルが慌てて上体を起き上がらせた頃には、完全に彼の姿は見えなくなっていた。
…………………………………………………………………………………
夕焼け空よりも赤く、最上階の一角からメラメラと勢い良く炎を上げている異端本拠地の高層ビルを地上から眺めていた鬼頭は、固く閉ざされていた防災シャッターをこじ開けて這い出てきた三人の人影の方に手を振った。
「何も燃やす事ァなかっただろ…」
呆れ顔の鬼頭とは対照的に、ニカニカと満足げな笑顔を見せているのは託斗であった。
「いやぁ、鬱憤溜まってたからさ!でも殴ったのは1回だけ。大人になったでしょ?」
「計画に無い事すんなっつってんだろ馬鹿タレ」
自慢げに腕を組んでいる託斗の背中を、数歩後ろを歩いていた梓が相当な力で叩く。情け無い叫び声を上げて地面で悶絶する彼を睨み付けた彼女を見て、鬼頭が感嘆の声を漏らす。
「現場の写真が送られてきた時は一瞬ドキッとしたがな…元気そうで何よりだ」
「あぁ、茅沙紀チャンに刺されたアレでしょ?すごいわよねー、敦賀さんの特殊メイク!どうせなら3割増しで美人にしといてって頼んでおけばよかった…まぁ、十分美人だったケド」
残念そうに肩を竦めた梓の隣で、麗慈の背中に悪寒が走る。
茅沙紀が椙浦に連れられて都営団地を離れた後、梓の寝室に乾いた破裂音が響く。
耳には届かないヴァイオリンの音を断ち切り、姿を現した彼女はベッドの上で首元からドクドクと血を流す自身の姿を見て感動していた様子であった。
PHSのカメラ機能で数枚写真を撮っている所に、敦賀がドアをノックして合流してくる。
「あ、新妻さん…?何をされてるんですか?」
「いやぁ、すっごいなぁって思って!50代くらいのオジサンの死体が私そっくりな見た目になってるんだもん…」
事前に梓から型を取って作成していたシリコンマスクによって特殊メイクを施された死体は、誰がどう見ても本人としか思えない出来栄えであった。
「コレで稼がせてもらってますからね。指示が二転三転したので正直戸惑いましたが、なるほど……右神さんの発案でしたか」
にこやかに笑った敦賀に、梓は眉を下げて両手を合わせた。
「ごめんなさいねー、アイツのせいで色々と大変だったでしょ?本社には色付けて貰うように私から頼んでおくから許して」
「いえいえ、私は特段困りませんでしたのでお気になさらず。梓さんはこれからまだ仕事があるそうですが、ゆっくりされていても大丈夫なのでしょうか?」
遺体の後処理を始めようとラテックスの手袋をはめた敦賀に指摘されて、梓は先程撮影した写真を添付して手早く入力したメールを送信する。
「あぶなーっ!敦賀サンありがとね。アイツの事散々言っておいて私のせいで間に合わなかったら笑い話にもならない所だったわ…」
「お役に立てたようで光栄です。では、此処でお別れのようですね」
ペコリと頭を下げた敦賀に手を振って別れを告げた梓は、ヴァイオリンを収納したジュラルミンケースを背負って部屋の外に飛び出したのであった。
…………………………………………………………………………………
麻布警察署の建物を出て駐車場を歩く卯月榛埜はある場所に向かっていた。
六本木管轄区内の様々な雑居ビルにて変死体が次々に発見されていたからである。
自ら手を挙げた榛埜は晴れてこの事件の担当となったが、彼女の教育係である伊調慎の相変わらずの勤務態度のせいで一度も捜査に出る事ができなかった。
上長に懇願し、何とか一人で捜査に出る許可を得た榛埜は、スーツの襟をビシッと正して両頬を叩いてから覆面パトカーの運転手側のドアに手を近づける。
「榛埜チャンは助手席でしょーが。早く乗った乗った」
パワーウインドウがゆっくりと開き、誰も乗っていない筈の車両から伊調が顔を出した。
何故?いつ?どうやって!?
今し方受け取ったばかりの右手の鍵と伊調を交互に見やりながら、幾重にも頭に浮かぶ疑問に脳内がショートしそうになる榛埜。
「ギロッポンの変死体事件、調べるんでしょ?仕方ないからオジサンがついてってやるからね」
「つ、ついてってやるって……仕事ですよ!伊調さんコレ……」
無責任を体現したような伊調の発言に怒りを覚えながらも、榛埜は車両の反対側に回り込んで助手席に素早く乗り込んだ。
変死体として見つかったのは、全部で5人の男。全員、反政府運動に参加していた人間であった。
遺体は六本木で見つかったが、彼らの根城は新宿、渋谷、目黒、品川、そして文京区と実にバラバラである。
「死人が出る規模の大きな抗争は近々では発生していません。愉快犯による無差別殺人に巻き込まれたか、音楽家による何らかの事件か…」
真剣な表情で手帳を見つめている榛埜を横目に、ハンドルを握っていた伊調は大きな欠伸をしていた。
「何でそこに音楽家が出てくんのよ?榛埜チャン、奴らに親でも殺された?」
「ち、違いますけど……あんな戦いを見せられてしまうと、容易く人を殺せるのは音楽家ぐらいなんじゃないかって思ってしまうと言いますか…」
矢馬岸灼の邸宅で巻き起こったシェムハザと京哉の戦いを目の当たりにしていた榛埜は、音楽家に対する不信感を一層強めていた。
銃火器を使用した訳でもないのに、たった数人の人間によって多くの警官隊が命を落とし、邸宅もものの見事に破壊されてしまっていたのだから無理もない。
「そう思うんなら近寄らなけりゃ良いのに…榛埜チャンって怖いもの見たさみたいな感情で動いちゃうタイプの人?もしかして?」
「ち…違いますよ!私はただ、悪い人間には然るべき処罰をですね…」
バッと勢い良く伊調の方を振り向いた榛埜は、急ブレーキによって働いた慣性のままに前方に強く引きつけられ、シートベルトが体の正面に食い込んで背もたれに戻された。
「ちょっと…!何してるんですか伊調さ…」
「シッ…!聞こえなかったか?男の悲鳴だ…」
榛埜の言葉を遮り、右手の人差し指を口の前に立てた伊調はエンジンを止めて車の外に飛び出していった。訳のわからないまま、榛埜も慌ててシートベルトを外し彼の後を追いかけていく。
…………………………………………………………………………………
悲鳴が聞こえたと言っていた伊調が駆け込んだのは、例の如く雑居ビルであった。
ヨレヨレのコートのポケットから取り出したペンライトで足元を照らしながら薄暗い屋内を進んでいく。投棄された家電や廃材の積まれた広い空間に出た所で、伊調は後ろを追いかけて来た榛埜の目の前に腕を出して進行を妨げた。
「なっ…何ですか!?」
「署に連絡。救急車は必要ないって言っておいて」
何事かと訝しげに奥を凝視した榛埜は、薄暗いフロアの壁面一帯にこびり付いた赤くドロドロとしたものを確認する。そして、天井近くを貫くH鋼の柱からワイヤーの様に細いもので首を吊られた男の死体と目が合い、息を呑んだ。
5件の連続殺人事件。殺害された人間の遺体はどれも身体を強く押さえつけられた状態のまま床や天井、壁面に何度も擦り付けられた後に首を絞められていた。
そして、今回伊調と榛埜が発見した遺体も全く同様の手口で殺害されていた事から、同一犯による犯行と思われる。
麻布署への連絡を終えた榛埜は、ひび割れたコンクリートの床にポタポタと滴る血を遠くから眺めていた伊調の横に並んで手帳を開いた。
「先程伊調さんが聞いたという悲鳴がこの男性のものだとしたら……犯人はまだ近くに潜んでる可能性があるかもしれません」
「怖い事言うなよ、榛埜チャン……大の大人をこんな大根おろしみたいにしちゃう奴だよ?化け物の類かもしれないじゃない…」
情けない声色で震え上がった伊調。榛埜の呆れ顔を見て見ぬふりした彼は、タバコを吸ってくると言い残して雑居ビルから屋外に出た。
そして、建物から十分に距離を取った所でシワシワのコートの内ポケットからPHSを取り出す。
「はいはい、何だよ。そっちから掛けてくるなんて珍しいじゃないか」
通話ボタンをタップし左肩で端末を押さえながら耳元にスピーカーを当てた伊調は、右手でタバコを取り出して口に咥えながら話し掛けた。
『ちょっとさ、過去の記録当たって欲しいんだけど頼める?』
電話をかけてきたのは、託斗であった。伊調は楽団の内通者であり、警察関係者でしか知り得ない情報を横流しする為に潜入している人間なのである。
「過去だァ?どれぐらい前よ?」
『16年前。僕の妻について…』
シエナ・シルヴェスター・ミヤノは託斗の妻であり京哉の母親であった。16年前、当時5歳の京哉の目の前で警官隊により射殺されている筈だった。
「お前の上さんか……何か気になる事でもあったのか?」
『あぁ…彼女の遺体がどうなったか調べて欲しいんだ』
どうなったか、という彼の聞き方に伊調は疑問を抱く。
音楽等禁止法のもと、処刑された音楽家達は戦時中さながら深く掘られた穴の中でまとめて焼却される事が殆どであり、その後は余程著名な音楽家か政府が危険視していた人物で無い限りその死亡記録に『特記事項』は追加されない筈であった。
「……警視庁のサーバあたり調べてみるわ。何かわかれば、また例の場所で」
…………………………………………………………………………………
「それじゃあ、頼んだよー」
軽い調子で通話を終了させ、託斗はPHSの端末を甚平の合わせの中に手を突っ込んで仕舞い込んだ。
鳥葬場とされている六本木の雑居ビル屋上には、至る所に人骨の断片と思しき白い塊が転がっていた。どれも雨風にさらされつづけ、風化している。
楽団の処刑対象である那珂島茅沙紀を殺害し、異端の本拠地からオルバス・シェスカの設計図を奪取する事に成功した。作戦に参加した面々は各々の根城に送り届けられたものの、託斗は最後までワゴン車の中に残り今息子と並んで東京の静かな夜の姿を眺めている。
「処刑の件、黙ってたのは悪かったよ。お前に知れたらあのコを逃すんじゃないかって心配だったんだよ。甘ちゃんだから」
コンクリートブロックの上に三角座りをする京哉の表情は不満気であった。
楽団が持つ超絶技巧の情報を他に漏らさない為、そして敵組織から情報を奪う為、茅沙紀の死を利用して作戦を円滑に進めるという目的の為に全員が動いていた。
しかし、作戦決行の直前まで詳細を伏せられた挙句、1番の汚れ役を被る事になったのは京哉一人である。
「……甘い?僕が?」
託斗の言葉に反応した京哉は、彼の後頭部をグレーの左目で上目遣いに睨み付けた。
事あるごとに息子に対して技量や実力の不足を指摘してきた託斗は、今回もそれを理由に京哉へ事の詳細を伝えなかったのだという。
「茅沙紀はあの曲を弾いてしまった時点で楽団に入る以外生存ルートは無かったんだよ。……命令が無ければ、お前は出来れば殺さずに済む方法ばかり考える癖があるから」
踵を返し、しゃがみ込んだ託斗と真正面で目が合う。和やかな笑顔を見せているものの、いつまでもその真の心は見抜けない。親子でありながら、彼が何を考えているのか、京哉は知る事を拒まれ続けているようにすら感じていた。
「楽団に入れば、一生日陰者になる。発電所で歯車にされてたあの子がやっと陽の光を浴びれるようになったのに、また暗闇に引き戻すような事はしたくなかったんだろ?楽団から遠ざけようとした事は麗慈から話は聞いてる」
「……それは…」
遊ばせていた指先を見つめながら、京哉は口籠る。
七白に刺された彼女に、忠告したのは京哉であった。楽団の一員になれば自分の意思とは関係無しに人の命を奪うことも強要される事になる。関わらずとも生きていけるのなら、触れるべきでは無いのだと。
しかし、第17楽章を演奏した事で既に楽団の処刑対象となっていたのなら、彼は茅沙紀を死へと追いやってしまった事になる。
楽団は利益を追求する法人であり、悪を成敗する正義の存在では無い。社の保有する機密情報を守る為ならば、例え故意でなくともその核心に触れてしまった人間は物理的に削除せざるを得ない。そんな事はわかりきっていた筈なのに…。
「…自分の生きる道を選んだのはあの子自身だ。それに、あずあずだってお前と同じ様に茅沙紀には旋律師になるべきじゃないって再三言ってたらしい。別に誰が悪いって訳でもないだろ」
だから、気に病むな。そう付け加えてきた託斗の言葉で、京哉は初めて自身が茅沙紀を手に掛けた事で気を落としているのだと気が付いた。
10歳で旋律師になってから幾度となく命を奪ってきたのに、身内の死は人間らしく悲しむなんて実に身勝手で卑しいと、京哉は自嘲した。
「さて、ここからが本題なんだけどさ」
唐突に隣に腰掛けて肩を組んできた託斗が耳元で囁く。これ迄の話は本題では無かったのかと呆れ顔を見せる京哉であったが、次に彼の口から紡がれた言葉に表情を失った。
「何で社長室の書庫に保管しておいた『素戔嗚尊』の楽譜を勝手にミーアに渡したのかな?」
雲間から覗いた月明かりが眩しく、電気の失われた東京の街並みとの対比を一層色濃いものにしていった。
およそ父親が我が子に向けるものとは思えない程凍り付くような冷たい視線が纏わりつき、京哉は彼の方を振り向く事ができなかった。
[48] Recitativo Ⅳ 完
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所狭しと並べられた本棚には、古今東西あらゆる時代と国の楽譜が詰め込まれていた。
書庫に入ったユリエルが壁のスイッチを押して真っ暗な室内に明かりを灯す。
「やあ、遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
唐突に響いた男の声に、ユリエルと椙浦は身構えて周囲を見回した。五線紙の積まれた作業台の椅子に浅く腰掛け天井を見上げていたのは、異端がかねてよりどうにかして捕えようと画策していた楽団の要であった。
季節柄、正気とは思えない甚平姿の託斗は、勢い良く椅子から立ち上がり、踵を返した。そして、ユリエルと椙浦の姿を順番に見て小首を傾げる。
「あれ?どっちが盗作犯?変なお面人間とツヤテカ丸メガネ……どっちも怪しいな…」
二人の方に歩み寄りながらそう呟くと、クツクツと笑うユリエルが答え合わせをした。
「どうも、初めまして。異端の専属作曲家として雇われている、ユリエルと申します」
一歩前に出た半面の男の方に視線を向けた託斗はニコリと笑顔を見せると、その左手に持っていた白いハードカバーの冊子を彼の方に見せつけた。
第1楽章『天照大御神』。アメリカ支部長であったジョセフ・アーロンが所有していた超絶技巧の楽譜で、彼を殺害した異端によって奪われていた物である。
「ソレを奪い返しに来た訳ですか?」
万が一の事態に備えて、ユリエルは楽譜の写しを別の場所に保管していた。今、目の前にいる男によって持ち出されたとしても何の問題も無いと考えており、彼は余裕の表情で託斗の様子を見つめている。
「まさか。もうコレに用は無いよ」
甚平の合わせに右手を突っ込んだ託斗の手にはライターが握られており、カチンと小さな金属音が響いた後青色の焔が左手に持った楽譜に向けて放出された。
見る見るうちに炭になっていく姿を目の当たりにしたユリエルは、託斗のその奇行にも超絶技巧のロジックが隠されているのではないかと彼の一挙手一投足を凝視する。
「……その楽譜自体に力が込められている訳では無い…という事ですかね?」
「研究熱心だね、君は。流石、僕の大ファンだ」
冊子が完全に燃え尽きるのを見届けた託斗は、手に着いた煤をパンパンと叩くと右手の人差し指を自身のこめかみにコツコツと当てた。
「此処に入ってるからさ、全部」
今迄作曲してきた自身の作品はすべて、託斗の頭の中に記憶されているのだと言う。大編成のオーケストラの曲から暇潰しに書いた童謡のような短い曲まで、全てである。
「君達に奪われたって聞いたその日のうちに、第1楽章をもう一度書かされたよ。だから、コレは用済み。僕の楽譜はね、奏者と1対1の関係でなければならないんだ」
「……それは何故?」
固唾を飲んで答えを待つユリエルの表情を見て、今度は託斗の方がクツクツと怪しい笑みを浮かべた。
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「君と僕の違いって何だろうね?何故、僕にできて君にはできないのか。何だと思う?丸メガネの人?」
突然指をさされた椙浦は困惑の表情を浮かべてユリエルの顔色を伺う。回答を急く様に顎をしゃくった彼を見て、低い声で唸りながら思考を巡らせる。
「……単純に経験年数の違いか…はたまた、バックグラウンドに何か特殊な要素が…」
「ピンポンピンポン!正解!素晴らしいな、丸メガネの人!」
椙浦の言葉を途中で遮った託斗は、パチパチと拍手しながら二人の目の前まで一気に歩み寄った。
「良いかい、ド三流……コレは最初で最後の警告だ」
託斗の顔からスッと表情が消える。唯ならぬ雰囲気を纏う目の前の男に真正面から指をさされたユリエルは、冷や汗を滲ませながら黙ってその両眼に視線を合わせた。
「楽譜の呪いは相互作用の制約がなければ異能たり得ない。お前の猿真似は聴衆を痛ぶるだけの呪物。演奏によって力を得る責任は奏者が負うべきだ」
「……呪い…」
超絶技巧を模倣する意味。それは例えるなら、コックリさんやひとりかくれんぼといった降霊術の類を面白半分に試すような物であった。
興味本位で触れてはいけない領域、下手をすれば命すら奪われる程の穢れを呪曲として落とし込む芸当は、幼い頃から専門の知識を叩き込まれた託斗にしか成し得ないものである。
そして、託斗の作り出した超絶技巧は、奏者に対して相応の『災厄』を被らせる事で、物理現象である音エネルギーの武力化を超越した正真正銘の異能という『祝福』を獲得する事ができるのだ。
そのロジックを知らない人間が真似て作った紛い物では、呪いの断片のみが暴走する結果となる事は茅沙紀や福音、霊歌の件で実証されている。
これ以上望まぬ形で呪曲が猛威を振るう事例を、託斗は看過する事ができなかったのだ。
「僕のように異能を宿す曲を書きたいと思うのなら、シャーマンにでも頼んで弟子入りしてくると良い。それなら盗作なんてしないで済むだろ?」
「……その言い分ですと…私が人死の出る曲を書こうが我関せずという事でしょうか?」
薄ら笑みを取り戻した託斗があっけらかんとした態度で言い放つと、ユリエルは訝しげに隻眼で睨み付ける。
「そりゃあね。巡り巡ってそもそも僕が書いた曲のせいだって言われるの嫌だもん。やるなら自分の曲で勝手にどうぞ」
無責任に肩を竦めた託斗の様子に、ユリエルと椙浦は顔を見合わせる。そしてゆっくりと視線を戻しながら愉快そうに笑い始めた。
「流石は楽団の要たる人物ですね……畜生の度合いも並外れているとは…」
「お褒めに預かり光栄だよ、ユリエル君。それじゃあ……僕は本来の目的を果たしても良いかな?」
ニンマリと笑った託斗の右の拳が迫り来ると察知した頃には、左頬にめり込んだストレートの勢いで書庫の壁に背中を強打していた。
バラバラと棚から落下してくる冊子が倒れ込んだユリエルの体の上に覆いかぶさっていく。
「ゆ…ユリエルさん!」
見事に吹き飛んでいったユリエルの元に駆け寄ろうとした椙浦であったが、背後で再び響いた金属音を聞いてその動きを止めた。
託斗が投げ捨てたのは、火が付いた状態のライター。書庫内に散乱する五線紙に次々と引火し、既に火柱を上げながら燃え始めている。
橙色に揺らめく炎に照らされながら踵を返した託斗は、一歩後退してからボウ・アンド・スクレープで頭を下げた。
「ごきげんよう、異端の使徒達。また何処かで会おうじゃないか」
顔を上げてニコリと笑った託斗の身体が足元から透けていき、意識を取り戻したユリエルが慌てて上体を起き上がらせた頃には、完全に彼の姿は見えなくなっていた。
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夕焼け空よりも赤く、最上階の一角からメラメラと勢い良く炎を上げている異端本拠地の高層ビルを地上から眺めていた鬼頭は、固く閉ざされていた防災シャッターをこじ開けて這い出てきた三人の人影の方に手を振った。
「何も燃やす事ァなかっただろ…」
呆れ顔の鬼頭とは対照的に、ニカニカと満足げな笑顔を見せているのは託斗であった。
「いやぁ、鬱憤溜まってたからさ!でも殴ったのは1回だけ。大人になったでしょ?」
「計画に無い事すんなっつってんだろ馬鹿タレ」
自慢げに腕を組んでいる託斗の背中を、数歩後ろを歩いていた梓が相当な力で叩く。情け無い叫び声を上げて地面で悶絶する彼を睨み付けた彼女を見て、鬼頭が感嘆の声を漏らす。
「現場の写真が送られてきた時は一瞬ドキッとしたがな…元気そうで何よりだ」
「あぁ、茅沙紀チャンに刺されたアレでしょ?すごいわよねー、敦賀さんの特殊メイク!どうせなら3割増しで美人にしといてって頼んでおけばよかった…まぁ、十分美人だったケド」
残念そうに肩を竦めた梓の隣で、麗慈の背中に悪寒が走る。
茅沙紀が椙浦に連れられて都営団地を離れた後、梓の寝室に乾いた破裂音が響く。
耳には届かないヴァイオリンの音を断ち切り、姿を現した彼女はベッドの上で首元からドクドクと血を流す自身の姿を見て感動していた様子であった。
PHSのカメラ機能で数枚写真を撮っている所に、敦賀がドアをノックして合流してくる。
「あ、新妻さん…?何をされてるんですか?」
「いやぁ、すっごいなぁって思って!50代くらいのオジサンの死体が私そっくりな見た目になってるんだもん…」
事前に梓から型を取って作成していたシリコンマスクによって特殊メイクを施された死体は、誰がどう見ても本人としか思えない出来栄えであった。
「コレで稼がせてもらってますからね。指示が二転三転したので正直戸惑いましたが、なるほど……右神さんの発案でしたか」
にこやかに笑った敦賀に、梓は眉を下げて両手を合わせた。
「ごめんなさいねー、アイツのせいで色々と大変だったでしょ?本社には色付けて貰うように私から頼んでおくから許して」
「いえいえ、私は特段困りませんでしたのでお気になさらず。梓さんはこれからまだ仕事があるそうですが、ゆっくりされていても大丈夫なのでしょうか?」
遺体の後処理を始めようとラテックスの手袋をはめた敦賀に指摘されて、梓は先程撮影した写真を添付して手早く入力したメールを送信する。
「あぶなーっ!敦賀サンありがとね。アイツの事散々言っておいて私のせいで間に合わなかったら笑い話にもならない所だったわ…」
「お役に立てたようで光栄です。では、此処でお別れのようですね」
ペコリと頭を下げた敦賀に手を振って別れを告げた梓は、ヴァイオリンを収納したジュラルミンケースを背負って部屋の外に飛び出したのであった。
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麻布警察署の建物を出て駐車場を歩く卯月榛埜はある場所に向かっていた。
六本木管轄区内の様々な雑居ビルにて変死体が次々に発見されていたからである。
自ら手を挙げた榛埜は晴れてこの事件の担当となったが、彼女の教育係である伊調慎の相変わらずの勤務態度のせいで一度も捜査に出る事ができなかった。
上長に懇願し、何とか一人で捜査に出る許可を得た榛埜は、スーツの襟をビシッと正して両頬を叩いてから覆面パトカーの運転手側のドアに手を近づける。
「榛埜チャンは助手席でしょーが。早く乗った乗った」
パワーウインドウがゆっくりと開き、誰も乗っていない筈の車両から伊調が顔を出した。
何故?いつ?どうやって!?
今し方受け取ったばかりの右手の鍵と伊調を交互に見やりながら、幾重にも頭に浮かぶ疑問に脳内がショートしそうになる榛埜。
「ギロッポンの変死体事件、調べるんでしょ?仕方ないからオジサンがついてってやるからね」
「つ、ついてってやるって……仕事ですよ!伊調さんコレ……」
無責任を体現したような伊調の発言に怒りを覚えながらも、榛埜は車両の反対側に回り込んで助手席に素早く乗り込んだ。
変死体として見つかったのは、全部で5人の男。全員、反政府運動に参加していた人間であった。
遺体は六本木で見つかったが、彼らの根城は新宿、渋谷、目黒、品川、そして文京区と実にバラバラである。
「死人が出る規模の大きな抗争は近々では発生していません。愉快犯による無差別殺人に巻き込まれたか、音楽家による何らかの事件か…」
真剣な表情で手帳を見つめている榛埜を横目に、ハンドルを握っていた伊調は大きな欠伸をしていた。
「何でそこに音楽家が出てくんのよ?榛埜チャン、奴らに親でも殺された?」
「ち、違いますけど……あんな戦いを見せられてしまうと、容易く人を殺せるのは音楽家ぐらいなんじゃないかって思ってしまうと言いますか…」
矢馬岸灼の邸宅で巻き起こったシェムハザと京哉の戦いを目の当たりにしていた榛埜は、音楽家に対する不信感を一層強めていた。
銃火器を使用した訳でもないのに、たった数人の人間によって多くの警官隊が命を落とし、邸宅もものの見事に破壊されてしまっていたのだから無理もない。
「そう思うんなら近寄らなけりゃ良いのに…榛埜チャンって怖いもの見たさみたいな感情で動いちゃうタイプの人?もしかして?」
「ち…違いますよ!私はただ、悪い人間には然るべき処罰をですね…」
バッと勢い良く伊調の方を振り向いた榛埜は、急ブレーキによって働いた慣性のままに前方に強く引きつけられ、シートベルトが体の正面に食い込んで背もたれに戻された。
「ちょっと…!何してるんですか伊調さ…」
「シッ…!聞こえなかったか?男の悲鳴だ…」
榛埜の言葉を遮り、右手の人差し指を口の前に立てた伊調はエンジンを止めて車の外に飛び出していった。訳のわからないまま、榛埜も慌ててシートベルトを外し彼の後を追いかけていく。
…………………………………………………………………………………
悲鳴が聞こえたと言っていた伊調が駆け込んだのは、例の如く雑居ビルであった。
ヨレヨレのコートのポケットから取り出したペンライトで足元を照らしながら薄暗い屋内を進んでいく。投棄された家電や廃材の積まれた広い空間に出た所で、伊調は後ろを追いかけて来た榛埜の目の前に腕を出して進行を妨げた。
「なっ…何ですか!?」
「署に連絡。救急車は必要ないって言っておいて」
何事かと訝しげに奥を凝視した榛埜は、薄暗いフロアの壁面一帯にこびり付いた赤くドロドロとしたものを確認する。そして、天井近くを貫くH鋼の柱からワイヤーの様に細いもので首を吊られた男の死体と目が合い、息を呑んだ。
5件の連続殺人事件。殺害された人間の遺体はどれも身体を強く押さえつけられた状態のまま床や天井、壁面に何度も擦り付けられた後に首を絞められていた。
そして、今回伊調と榛埜が発見した遺体も全く同様の手口で殺害されていた事から、同一犯による犯行と思われる。
麻布署への連絡を終えた榛埜は、ひび割れたコンクリートの床にポタポタと滴る血を遠くから眺めていた伊調の横に並んで手帳を開いた。
「先程伊調さんが聞いたという悲鳴がこの男性のものだとしたら……犯人はまだ近くに潜んでる可能性があるかもしれません」
「怖い事言うなよ、榛埜チャン……大の大人をこんな大根おろしみたいにしちゃう奴だよ?化け物の類かもしれないじゃない…」
情けない声色で震え上がった伊調。榛埜の呆れ顔を見て見ぬふりした彼は、タバコを吸ってくると言い残して雑居ビルから屋外に出た。
そして、建物から十分に距離を取った所でシワシワのコートの内ポケットからPHSを取り出す。
「はいはい、何だよ。そっちから掛けてくるなんて珍しいじゃないか」
通話ボタンをタップし左肩で端末を押さえながら耳元にスピーカーを当てた伊調は、右手でタバコを取り出して口に咥えながら話し掛けた。
『ちょっとさ、過去の記録当たって欲しいんだけど頼める?』
電話をかけてきたのは、託斗であった。伊調は楽団の内通者であり、警察関係者でしか知り得ない情報を横流しする為に潜入している人間なのである。
「過去だァ?どれぐらい前よ?」
『16年前。僕の妻について…』
シエナ・シルヴェスター・ミヤノは託斗の妻であり京哉の母親であった。16年前、当時5歳の京哉の目の前で警官隊により射殺されている筈だった。
「お前の上さんか……何か気になる事でもあったのか?」
『あぁ…彼女の遺体がどうなったか調べて欲しいんだ』
どうなったか、という彼の聞き方に伊調は疑問を抱く。
音楽等禁止法のもと、処刑された音楽家達は戦時中さながら深く掘られた穴の中でまとめて焼却される事が殆どであり、その後は余程著名な音楽家か政府が危険視していた人物で無い限りその死亡記録に『特記事項』は追加されない筈であった。
「……警視庁のサーバあたり調べてみるわ。何かわかれば、また例の場所で」
…………………………………………………………………………………
「それじゃあ、頼んだよー」
軽い調子で通話を終了させ、託斗はPHSの端末を甚平の合わせの中に手を突っ込んで仕舞い込んだ。
鳥葬場とされている六本木の雑居ビル屋上には、至る所に人骨の断片と思しき白い塊が転がっていた。どれも雨風にさらされつづけ、風化している。
楽団の処刑対象である那珂島茅沙紀を殺害し、異端の本拠地からオルバス・シェスカの設計図を奪取する事に成功した。作戦に参加した面々は各々の根城に送り届けられたものの、託斗は最後までワゴン車の中に残り今息子と並んで東京の静かな夜の姿を眺めている。
「処刑の件、黙ってたのは悪かったよ。お前に知れたらあのコを逃すんじゃないかって心配だったんだよ。甘ちゃんだから」
コンクリートブロックの上に三角座りをする京哉の表情は不満気であった。
楽団が持つ超絶技巧の情報を他に漏らさない為、そして敵組織から情報を奪う為、茅沙紀の死を利用して作戦を円滑に進めるという目的の為に全員が動いていた。
しかし、作戦決行の直前まで詳細を伏せられた挙句、1番の汚れ役を被る事になったのは京哉一人である。
「……甘い?僕が?」
託斗の言葉に反応した京哉は、彼の後頭部をグレーの左目で上目遣いに睨み付けた。
事あるごとに息子に対して技量や実力の不足を指摘してきた託斗は、今回もそれを理由に京哉へ事の詳細を伝えなかったのだという。
「茅沙紀はあの曲を弾いてしまった時点で楽団に入る以外生存ルートは無かったんだよ。……命令が無ければ、お前は出来れば殺さずに済む方法ばかり考える癖があるから」
踵を返し、しゃがみ込んだ託斗と真正面で目が合う。和やかな笑顔を見せているものの、いつまでもその真の心は見抜けない。親子でありながら、彼が何を考えているのか、京哉は知る事を拒まれ続けているようにすら感じていた。
「楽団に入れば、一生日陰者になる。発電所で歯車にされてたあの子がやっと陽の光を浴びれるようになったのに、また暗闇に引き戻すような事はしたくなかったんだろ?楽団から遠ざけようとした事は麗慈から話は聞いてる」
「……それは…」
遊ばせていた指先を見つめながら、京哉は口籠る。
七白に刺された彼女に、忠告したのは京哉であった。楽団の一員になれば自分の意思とは関係無しに人の命を奪うことも強要される事になる。関わらずとも生きていけるのなら、触れるべきでは無いのだと。
しかし、第17楽章を演奏した事で既に楽団の処刑対象となっていたのなら、彼は茅沙紀を死へと追いやってしまった事になる。
楽団は利益を追求する法人であり、悪を成敗する正義の存在では無い。社の保有する機密情報を守る為ならば、例え故意でなくともその核心に触れてしまった人間は物理的に削除せざるを得ない。そんな事はわかりきっていた筈なのに…。
「…自分の生きる道を選んだのはあの子自身だ。それに、あずあずだってお前と同じ様に茅沙紀には旋律師になるべきじゃないって再三言ってたらしい。別に誰が悪いって訳でもないだろ」
だから、気に病むな。そう付け加えてきた託斗の言葉で、京哉は初めて自身が茅沙紀を手に掛けた事で気を落としているのだと気が付いた。
10歳で旋律師になってから幾度となく命を奪ってきたのに、身内の死は人間らしく悲しむなんて実に身勝手で卑しいと、京哉は自嘲した。
「さて、ここからが本題なんだけどさ」
唐突に隣に腰掛けて肩を組んできた託斗が耳元で囁く。これ迄の話は本題では無かったのかと呆れ顔を見せる京哉であったが、次に彼の口から紡がれた言葉に表情を失った。
「何で社長室の書庫に保管しておいた『素戔嗚尊』の楽譜を勝手にミーアに渡したのかな?」
雲間から覗いた月明かりが眩しく、電気の失われた東京の街並みとの対比を一層色濃いものにしていった。
およそ父親が我が子に向けるものとは思えない程凍り付くような冷たい視線が纏わりつき、京哉は彼の方を振り向く事ができなかった。
[48] Recitativo Ⅳ 完
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