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#058 Scemando
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東京都・32歳男性「天然の人誑しとはよく言ったもので…本人にその自覚が無いのが面倒な所なんだけど……。良い人も悪い人も惹き付けちゃう魅力があるんだなぁって。でも初対面でプロポーズは何故?やっぱり顔?」
…………………………………………………………………………………
零式自鳴琴起動時に必要とされる3つの力。
それは、深い眠りについて久しい“彼女”の脳を目覚めさせる覚醒機構を動かす為の莫大な量の電気エネルギー、彼女が自己を認識する為の“関係者”の存在、そして世界を正しい方向へ導く為の『鍵』である。
オルバス・シェスカが書き残した零式自鳴琴の設計図の記述に、椙浦は頭を悩ませる。
彼にその解読と『鍵』の研究を一任したのはミゲルであった。
人の生と死を別つ明確な基準とは何か。それが横浜の医科大学で医学を学び、延命技術についての研究を行っていた椙浦のテーマであった。
心臓が止まった時、脳が機能停止した時、細胞分裂が止まった時……其々の主張によってそのタイミングは異なり、生物学的な死と社会的に認識されている死との間には大きな乖離があると結論付けた椙浦。
では、心臓が止まらなければ、脳が動き続ければ、細胞分裂が続けば人間は生きているということなのだろうか。
延命措置とはどうあるべきか、そこに患者自身の意思が介入しない事は問題ではないのか。医学としてではなく、倫理的な問題で手を下せていないだけではないのか。
『その先』があるとすれば……ヒトはどのように生きながらえようとするのだろうか。
椙浦が学会で発表した研究内容に興味を持ったミゲルが彼をスカウトしたのは、異端が世界中で燻っていた音楽家達を仲間に引き入れて各国の首脳陣に取り入ろうという段階に入った頃合いであった。
「過去のSF映画、先生は見た事ありますか?私は結構好きでしてね……機械の身体に人間の精神を宿す、というやつです。実現すると思われますか?」
ある日研究室を訪れたミゲルに問われ、椙浦はにこやかな笑みを浮かべながら否定した。
「その“精神”というやつが肉体を動かしていた本人のものだと証明する事ができません。AIがその人っぽい挙動をプログラミングして動かしている単なるロボットです。それを、人間と呼ぶには無理があるかと…」
椙浦の自論に、成程…と返したミゲルは興味津々といった眼差しで更に問い掛けた。
「では、こういうのはどうですか?人間の肉体の内部を機械に置き換えた場合……つまり、内臓やなんやが全て半永久機関になったとします。これが100年、200年と生き続けたとしたら…これは『人間』と呼べるのでしょうか?」
ヒトの脳を持ち、ヒトの肉体の中に機械の臓器を埋め込まれた存在。
椙浦は息を呑んだ。人口的に作られた臓器を体の一部として埋め込む医療は何十年も前から行われている。しかし、その全てとなるとどうなのだろうか。
外側の肉体が滅びるまで動き続ける身体。その外側ですら、何らかの措置を取れば半永久的に生物としての活動状態を継続できる可能性すらある。
「……わかりません。それが…本人の希望であるなら、あるいは……。しかし、生物としての終わりの無い存在を人間であると定義する事は…いや、もともと人間として産まれたのでしたね……困ったな…」
困ったと言いながら、椙浦の目は輝いていた。ミゲルはそれを見逃さない。
「先生、私と一緒に来てくれませんか?是非とも貴方に解き明かしていただきたいのです』
零式自鳴琴を起動させる為の力の1つ……『鍵』という存在。ミゲルは此れを、壱式自鳴琴ではないかと考えていた。
オルバス・シェスカの最高傑作にして遺作である、自身の娘を材料にして作り上げたオルゴール。
シェリアーナ・シェスカが最後の殺戮兵器を呼び覚ます『鍵』であるならば、彼女を研究する必要がある。ハンネス機関に置換された肉体の何がシエナに作用するのかを。
…………………………………………………………………………………
散骨葬からちょうど1週間が経過した頃、京哉のもとに新たなバディの話が舞い込んできた。
『調子はどうだい?そろそろ暴れ回りたい頃かと思ってさ』
「……どんな神経してんだよって思ったけどアンタAIだったな…学習し直した方が良いよ、人の心ってやつ」
ため息混じりに返した京哉に、「それもそうだな!」と所謂全然わかってない奴の返答を寄越したJAC。
『早速だけど今夜久しぶりの依頼が回ってきてる。彼女がもうすぐ君の根城に到着すると思うから、一緒に現場に向かってくれ』
彼女?と聞き返す前に対話モードは終了しており、無機質な自動音声で要件が伝達された。
黒電話の受話器をガチャリとブロックボタンの上に戻した京哉の様子を背後から眺めていた祐介が床のモップがけをしながら話しかける。
「仕事?久しぶりだね」
「んー…まぁ。しかも、新しい奴と組まされてぶっつけで」
新しい奴というフレーズに、祐介は僅かに眉を顰めた。
ナツキとフユキが死に、京哉はバディを失っている。その代わりとなる人間を早々に当てがわれたというのだ。
まるで物を補充するかのような流れで補填される人材。楽団が旋律師達をどのように扱っているのかが窺い知れてしまい、当然良い気分ではない。
その頃、争奪戦になる事がなくなったテレビの前に並んだシェリーと道夫は、フユキが生前観たいと言ってチョイスしていたB級ホラー映画の最後の1作品のエンドロールをぼんやりと眺めていた。
「……相変わらず意味わかんなかった…」
ボソリと感想を述べたシェリーに、苦笑いを浮かべた道夫がフォローする。
「主人公の犬が死ななかったのは良かったですな」
それを聞いたシェリーは確かにそうだと頷いてオフィスチェアーから立ち上がる。
鑑賞を終えたDVDの箱を持ち、下階の棚に戻しに行こうと出入り口方向に歩き出した時であった。冷たい風が吹き込み、突如現れた来客の方へと顔を向ける。
両サイドに輪っかを作った黒髪のカチモリヘア、ダボっとした若草色の人民服にボリュームのあるダウンコートを纏った身長150センチ程度の小柄な少女…。
一体誰だと小首を傾げたシェリーの近くまでズカズカと遠慮なく進んできた少女は、唐突に中国語で語り掛けてきた。
「え?なになに…わかんない……」
狼狽えるシェリーの様子と来客に気が付いた祐介は、黒電話から離れて再び眠り始めた京哉に割り振られたスペースのパーティションの壁をコンコンとノックする。
「京ちゃん、誰か来た。例の新しい人かな」
目覚めの悪い彼がうんうんと唸っている声に、これは時間が掛かりそうだと判断するとモップを壁に立て掛けて二人の元へと歩み寄った。
「楽団の人だよね?はじめまして。京ちゃん、もうすぐ来ると思うから少し待ってもら…」
祐介が笑顔で語り掛けるも、またもや中国語で一方的にベラベラと話し続ける少女の姿にシェリーと顔見合わせて困惑してしまった。
…………………………………………………………………………………
少女が何かを訴え始めてから15分程経過し、やっと起きて来た京哉が面倒臭そうな表情で欠伸をしながら祐介とシェリーの横に並ぶ。
「…どちらさん?」
「いやいや…京ちゃんのお仲間でしょ」
彼女が背中に背負っているジュラルミンケースを指差し、呆れ顔を見せる祐介。
「チンタラしてんじゃねーよ。さっさと起きて来いニート」
ここ1週間仕事もなく暇そうに過ごしていた京哉をニートと呼び続けたシェリー。不満げに唇を尖らせた京哉が今にも彼女と不毛な喧嘩を始めそうな雰囲気を察知した祐介が、彼の肩を掴んで少女の前へと突き出した。
自分の来客だというのにブツブツと文句を言いながら仕方なく話し掛けようと一歩前に出た京哉の顔を見た少女は、目を輝かせて手を握ってきた。しかし、相変わらず中国語で話し掛けてくる。
自身の活動圏内の言語しか習得していない旋律師達。京哉も得意とするのはヨーロッパ圏の各国語であり、アジアの言語には疎かった。
「あのー…ドイツ語は?英語でも良いけど?」
ドイツ語と英語で尋ねるものの、首を捻るばかり。意思疎通が全く出来ないとは困ったものである。
「っていうか……いつまで握手してんの?離せよ」
ずっと京哉の手を握っていた少女の腕を掴んで引き離そうとしたシェリー。すると、少女はシェリーの方を睨み付けて今度は腕にしがみついた。
「怖い怖い!食われる!?」
「そういう感じじゃないけど…」
怯える京哉に苦笑いを浮かべながら返した祐介は、誰か中国語がわかる人間はいないのかと問う。京哉とシェリーには一人だけ心当たりがあった。
早速PHSを取り出して電話を掛けたのは品川の医院。麗慈は上海の一件の際も彼らの通訳をしていた。
『……何だよ急に』
数回のコールの後、気怠そうな声色で麗慈が答える。完全に面倒事であると見抜いている様子である。そんな彼に案の定面倒事を押し付けようとニヤニヤしながら京哉が話し掛けた。
「良いじゃん、暇じゃんどうせ!ちょっと助けてよ!僕の新しい相棒?中国語しか話せないっぽくて困ってんだけど」
そんな事あり得るのか?とぶつぶつ文句を言いながらも、麗慈は京哉がPHSを手渡した少女としばらくの間会話をしていた。
戻された端末を受け取り、スピーカーモードにして翻訳結果を待つ面々。
『…好きです。して欲しい事があれば何でも言ってください。NG無しでなんでもしま…』
「何言ってんの!?みんなに誤解されちゃうでしょ!?」
『は!?お前が通訳しろって言ったんだろ!ふざけんな!』
ブツリと切れた通話の後で、ツーツーと物悲しく電子音がフロアに響く。そして、一息置いて咳払いをしたシェリーが京哉からPHSを奪い取って発信履歴から再び麗慈に電話を掛けた。
「好きってなんだよ!好きって!仕事で来たんじゃねーのかよ馬鹿女!公私混同すんな!脳内お花畑か!日本語でも勉強して出直してこい!…ってこの馬鹿女に伝えて」
『は!?』
「良いから伝えてっつってんの!」
物凄い剣幕でガルガルと唸るシェリーに気圧され、麗慈は少女の手に端末が渡ると彼女の言葉のままに翻訳して伝えた。すると、何やら嬉しそうに返す少女の姿を見て三人は小首を傾げる。
『…日本語覚えたら結婚できるんだ。ヤッター。頑張るぞー……っつってんだけど、頭大丈夫かソイツ?』
「だいぶヤバいな……」
表情を引き攣らせる京哉を横目に、少女はジュラルミンケースと共に背負っていたパンダの姿をしたリュックを床におろした。そして中から一冊の本を取り出して三人の目の前に掲げる。
「えっとなになに…『やさしき日本語~サルですらわかるます~』?だいぶ怪しい本だなぁ…」
正しい日本語が身につく気が全くしない教科書の表紙に、祐介は苦笑いを浮かべた。
…………………………………………………………………………………
陳 猫梅、15歳。
アジア支部所属の彼女は支部長が直々にスカウトして楽団に入社した天才であるという。
『山で虎に育てられた子供って聞くだろ?マオはそんな感じで幼少期に山中に捨てられてから野生動物に育てられたんだよ。アジア支部長が出会ったのは5年前で、その身体能力の高さを買われて旋律師としての教育を受けて入社したのさ』
JACが明かした俄には信じ難い彼女の過去に、京哉は目をパチクリさせる。中国語すら普通に話せるようになったのは最近の事だと聞いて、先行きが不安になってしまう。
「その野生児が……どうしてまた僕のところに?」
『そりゃあタクトの推薦さ!…あっ!ちょっとまだ切らないで!大事な事伝えないといけないんだから!』
またあの父親の仕業かと反射的に受話器を投げ付けようとした京哉の行動を察知して、JACは必死に引き止める。
『第17楽章、彼女がその完奏者だよ。すごいよ彼女は。何たって野生動物の様な聴覚をしている。音楽家としてのキャリアは初心者レベルなんだけど、彼が超絶技巧を渡した理由は何となくわかるな』
「ふ…不安しかないのですが……」
いくら楽団の評価が高いと言われても、いきなり突拍子もない言動で周囲を混乱させる彼女と共に依頼に向かうなど想像したくもない。先の苦労が既に目に見えているからだ。
「まず言葉が通じないのはどうすんのさ?本人はヤバそうなテキストで勉強し始めてるけど…」
『マオが日本語を習得するまでは同時通訳機能を使うと良い。PHSを常時通話状態にする必要があるから、衛星電波の届かない場所では使い物にならないんだけどさ』
JACの説明によると、旋律師達に配布されているPHS端末には日常会話程度であればほぼタイムラグ無しに通訳して自動音声で返してくれる機能が備わっているのだという。
語学には堪能であった京哉にとっては初めて触れるものであった。
黒電話の前から帰った京哉が目にしたのは、道夫と祐介を巻き込んで日本語を勉強するマオの姿。理解不能な行動を取りはするが、根は真面目な子なのだと理解する。
京哉の視線に気が付いたマオは嬉しそうに手を振って彼の方に振り返り、覚えたての日本語を披露した。
「わたす…の…なは……マオです…!ちゅごく…から……きますた…!」
所々謎の訛りが混じる独特な学習成果に、苦笑いを見せる京哉。
「マオちゃん飲み込み早いね。日常会話ぐらいならすぐ覚えられるんじゃないかな」
祐介がテキストの変な日本語訳の部分を修正器を使って直しながら感心した様子で呟いた。
「マオ殿、耳がとても良いようですな。発音の仕方はとても自然ですぞ」
デュフフっと笑う道夫の真似をして、マオもデュフフっと笑っていた。
二人に褒められて嬉しそうに机に戻ったマオの勉強風景を後ろから眺めていると、パーティションの隙間から唯ならぬ視線を感じる。金色の瞳でじっとマオを睨み付けているシェリーに気が付き、以前も同じような事があったなぁと京哉は呆れ顔を見せた。
シェリーが身を隠しているスペースの入り口をバッと開き、ヒョイっと中から彼女を摘み出す。
「仲良くしろ、シェリー。女の子同士だろ」
「いーやーだーっ!そんな変な女、早く突き返せよ!」
彼女がキーッと闘争本能を丸出しにする理由がわからない京哉は、困って二人に助けを求めた。しかし、同時に彼の方を振り返った祐介と道夫は静かに首を横に振る。
「これはね、京ちゃんが悪いと思うんだ。俺らの手に負えないよ」
「京哉殿、天然の人誑しとしての運命を背負って生きている以上、これは仕方のないことなのです」
理解できない返しに余計困惑してしまった京哉の着ていたスウェットの裾を後ろから引っ張ったシェリーは、彼に近くに座るように促す。
「アイツ、アンタと結婚するとかホザいてんだよ?15歳の子供のクセに?どうすんの?このまましつこく付き纏われたら」
唐突に突き付けられた問いに、京哉はにこにこと机に向かうマオの方を見ながら考える。
くりくりと愛らしい目をしており、目鼻立ちは整っている方である。獣に育てられていたと言う割には色白で、手の爪は綺麗に整えられていて色の薄いマニキュアが塗られているようであり、ちょっとした女子力らしきものも伺えた。中華娘と言えば以前上海で出会った玥の記憶が新しく、もしかしたらあんな風に美人に成長する可能性が無きにしも非ず…。
「5年後ならあるいは…」
ごにょごにょと返してきた京哉の頬を思い切り平手打ちしたシェリーは、ドスドスと大袈裟に立てた大きな足音で怒りを表現しながら自分に割り振られた空間の方へと消えていってしまった。
…………………………………………………………………………………
サラフィエルは一人、杉並区の荒廃したビル群の中に立っていた。その周囲には野犬が徘徊しており、時折彼女の近くに寄ってはグルグルと喉を鳴らしながら甘える仕草を見せる。
感情的になり声を荒げる事が多くなりがちなサラフィエルであったが、彼らの前では優しい表情を見せていた。
しかし、遠くの曲がり角からけたたましいエンジン音を響かせるジープが近付いて来ると、怯えた獣達は散り散りになってビルの影に姿を隠してしまった。
一人取り残されたサラフィエルは、彼女の目の前で停止した車両の運転手を睨み付ける。
「遅ェんだよ!待たせんじゃねぇ!」
運転席側から腕を伸ばし、彼女の目の前のドアを押し開けたのは大声を上げられて苦笑いを浮かべたダンタニアンであった。
「済みませーん…」
自分に非がないにも関わらず叱咤された彼は、口先だけの謝罪でその場を乗り切ろうとした。しかし、怒りが収まらない様子のサラフィエルの逆鱗に触れてしまう。
「見つかったのかよ、21番目の手掛かりは?チンタラしやがって……テメェの悪趣味で作ったペテン宗教の信者は揃いも揃って全員役立たずか?」
「彼等は頑張ってくれてますよ。現に今も必死に捜索中です」
しかし…と続けたダンタニアンの顔色がどんよりと曇ったのは、助手席から殺気の籠った睨みを向けられたからである。
「……ガブリエルを疑う訳ではありませんが…ここまで探して見つからないとなると、都内に存在しないのではないかと思ってしまっても仕方ないのでは?」
『目』を使ってガブリエルが感知したという超絶技巧第21楽章の痕跡。大規模な捜索を続ける異端であったが、現在に至るまでその発見には至っていない。
「じゃあ、ガブリエルが感知してるのは超絶技巧じゃねぇ他の何かって事か?」
「その可能性も考え始めるべきかと……。まぁ、ボクとしてはもっと有力な手掛かりは他にあると考えているのですがね」
フフフッと不気味に笑ったダンタニアンの側頭部に掌底をめり込ませたサラフィエルは、勿体ぶるなと睨み付けた。
「楽団は21楽章と関係の深そうな依頼に対して能力の高い旋律師を送り出す傾向にあるようです」
一理ありそうな彼の意見に一瞬考え込むサラフィエル。しかし、窓の外を流れる廃ビル群を眺めながら呆れ顔を見せる。
「……尾行でもしようってのか。情け無ェ」
「情けなくとも目的が達成できれば我々の勝ちですよ、サラフィエルさん。その手の情報に詳しい友人からのタレコミで旋律師が動きそうな案件があるのですが」
そう言いながらダンタニアンがサンバイザーの収納ポケットに挟まっていた一枚の写真を彼女に手渡す。
「誰だコレ?」
それは着物姿で並んで写る女達の白黒写真。
「通称“犬神村”という神奈川県の山奥に存在する因習村の生贄達です。古くから生贄を神に捧げて五穀豊穣を願う祀りを行ってきたと言われています。村民は村長と彼の跡取りとなる男児以外全員女だそうです」
因習村、生贄という言葉の胡散臭さにサラフィエルはベェっと舌を出した。
「で、そのヘンテコ村が何だって?」
「はい。この村で生贄の祀の際に神に捧げる神楽があるというのですが、今の村長になってからその舞の最中に突如跡取りとなる男児が発火し焼死するという奇妙な出来事が続いているそうで…」
…………………………………………………………………………………
依頼人は天津河峰。犬神村の現村長の妻である。
神奈川県相模原市緑区と足柄上郡山北町の境界線上に位置する蛭ヶ岳。その麓に家々の点在する集落にやってきた京哉とマオが目にしたのは、因習村と呼ぶのに似つかわしい閑散とした様子であった。
「人っこ一人いねーな…」
周囲をキョロキョロと確認する京哉に対して、野生児であるマオは既に何かを感じ取っていた。
『……たくさんの人がマオ達を見てる…隠れてるのかな…』
JACに教わった同時翻訳機能によって、イヤーモニターからはマオの話す中国語が自動的に日本語となって読み上げられた。
何故隠れて此方の様子を伺っているのか。奇妙な行動を取る住民達に困惑するが、ただ一つ言えるのは歓迎されている様子は無いという事だ。
そんなジメジメとした雰囲気の中、色褪せた古民家集落では一際目立つ色鮮やかな着物を身に纏った女が二人の元に歩み寄ってきた。そして正面で立ち止まると上品に頭を下げてニッコリと笑う。
「お迎えにあがりました。わたくしは村長の家で使用人をしております、松川と申します。お二人の身の回りのお世話を担当させていただきます」
「松川さん…よろしくお願いします」
京哉とマオもペコリと頭を下げると、屋敷に案内すると言って踵を返した松川はテコテコと足場の悪い砂利道を器用に下駄で進んで行った。
生贄を神に捧げて五穀豊穣を願う祀の歴史は古く、主に年老いた者、役目を終えた者が生贄となる事が決まっているのだという。
「言い方は悪いけど、姥捨ってやつだな」
「はい…この儀式の発端は大飢饉の際の口減しだったと聞いたことがあります。しかし、現村長が就任されてからは…」
松川が何かを言いかけた時、ちょうど目前に迫っていた屋敷の門戸から飛び出してきた別の使用人の女が額に汗を滲ませながら彼女の元に駆けてきた。
「産まれたよ!男の子だって!」
「男の子……男の子!?それではまた祀を?」
コクコクと頷いた使用人の女は踵を返して一目散に屋敷の方へと走り去っていってしまった。
2人のやり取りを側から見てポカンとしていた京哉とマオの方を振り返り、申し訳なさそうな表情で頭を下げた松川が先程言いかけていた事を話し出した。
「この村の村長は世襲制なのです。お世継ぎが産まれ、無事に成人なさると役目を終えられたそれまでの村長は老婆達と共に祀で生贄となる…これが習わしでした」
「じゃあ、今産まれた男の子っていうのが次の村長になるの?」
京哉の問いに、松川は表情を曇らせた。跡取りが産まれ、村の将来も安泰…という訳ではなさそうだ。
「詳細については大奥様からご説明がございます。私のような一使用人の口からは非常にお伝えしにくい事ばかりで…」
そう告げた松川は門戸を潜って敷地内に入った後、何故か正面に見える母屋ではなく、鬱蒼とした竹林の奥に見える荒屋の方を指し示した。
「大奥様は心を病まれておりまして、静かな環境で療養したいと自らあちらのお住まいに移られたのですが…」
松川の説明の途中、またもや彼女の話を遮ったのは母屋の縁側ではしゃぐ若い女達とそれを追い掛ける老爺であった。
この村は村長以外男の村民は存在しないと聞いていた。すると、必然的にあの年甲斐もなく女と戯れる老爺が…ということになり、京哉は苦笑いを浮かべた。
…………………………………………………………………………………
簡素な作りの屋敷。外観こそ薄汚れて見えたものの、足を踏み入れれば綺麗に掃除が行き届いている印象を受ける。
数人の使用人がおり、にこやかな笑みで京哉とマオを歓迎した。気立ての良い娘と言った印象の彼女達であったが、京哉は言いようの無い違和感を覚える。
無言で微笑み続ける使用人達の様子に小首を傾げる京哉に、松川は慌てて移動を促した。
ひんやりと冷たい空気の流れる屋敷の最奥の間に案内された二人は、子供達の手を借りながら布団から上体を起こす50代程の女と目が合う。
「…もう陽が沈む頃ね。こんな時間に呼び出してしまって御免なさいね。昼間はあの人の目があるものだから」
はんなりとした喋り方の女は二人に座るように促して自身も身体の正面を向ける。
「ご依頼ありがとうございます。楽団より参りました、右神と申します。こちらは教育中と言いますか…新人のマオです。日本語がわからないのでお役に立てる場面は少ないかもしれませんが…」
ウズウズと落ち着いていられない様子のマオの両肩を掴んで座布団の上に戻した京哉がため息混じりに紹介する。
「あら、可愛らしい女の子。それじゃあ、今からしようと思っていたお話はこの子にはとても退屈になってしまうわね」
そう言いながらニコリと笑った女は、後方に控えていた数人の子供を傍に呼び寄せた。
「少し向こうのお部屋で遊んでいてくれるかしら?子供同士なら言葉なんてなくても上手く打ち解けられるわよね」
はーい、と元気良く手を挙げたマオよりもだいぶ年齢の低そうな子供達。彼女は周囲をワラワラと取り囲まれて立ち上がるように促されると、彼らの言わんとした事を察した様子でニッカリと笑う。そして野生児を含めた子供の集団は元気良く襖の外へと飛び出していった。
「子供扱いされて怒ってないかしら?」
「……いえ、むしろ本人が一番喜んでいたような…」
精神年齢はもしかしたらあの子供達より低いのかもしれないと思いながら、京哉は依頼人が語り出した“とても退屈な話”に耳を傾けた。
[58] Scemando 完
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零式自鳴琴起動時に必要とされる3つの力。
それは、深い眠りについて久しい“彼女”の脳を目覚めさせる覚醒機構を動かす為の莫大な量の電気エネルギー、彼女が自己を認識する為の“関係者”の存在、そして世界を正しい方向へ導く為の『鍵』である。
オルバス・シェスカが書き残した零式自鳴琴の設計図の記述に、椙浦は頭を悩ませる。
彼にその解読と『鍵』の研究を一任したのはミゲルであった。
人の生と死を別つ明確な基準とは何か。それが横浜の医科大学で医学を学び、延命技術についての研究を行っていた椙浦のテーマであった。
心臓が止まった時、脳が機能停止した時、細胞分裂が止まった時……其々の主張によってそのタイミングは異なり、生物学的な死と社会的に認識されている死との間には大きな乖離があると結論付けた椙浦。
では、心臓が止まらなければ、脳が動き続ければ、細胞分裂が続けば人間は生きているということなのだろうか。
延命措置とはどうあるべきか、そこに患者自身の意思が介入しない事は問題ではないのか。医学としてではなく、倫理的な問題で手を下せていないだけではないのか。
『その先』があるとすれば……ヒトはどのように生きながらえようとするのだろうか。
椙浦が学会で発表した研究内容に興味を持ったミゲルが彼をスカウトしたのは、異端が世界中で燻っていた音楽家達を仲間に引き入れて各国の首脳陣に取り入ろうという段階に入った頃合いであった。
「過去のSF映画、先生は見た事ありますか?私は結構好きでしてね……機械の身体に人間の精神を宿す、というやつです。実現すると思われますか?」
ある日研究室を訪れたミゲルに問われ、椙浦はにこやかな笑みを浮かべながら否定した。
「その“精神”というやつが肉体を動かしていた本人のものだと証明する事ができません。AIがその人っぽい挙動をプログラミングして動かしている単なるロボットです。それを、人間と呼ぶには無理があるかと…」
椙浦の自論に、成程…と返したミゲルは興味津々といった眼差しで更に問い掛けた。
「では、こういうのはどうですか?人間の肉体の内部を機械に置き換えた場合……つまり、内臓やなんやが全て半永久機関になったとします。これが100年、200年と生き続けたとしたら…これは『人間』と呼べるのでしょうか?」
ヒトの脳を持ち、ヒトの肉体の中に機械の臓器を埋め込まれた存在。
椙浦は息を呑んだ。人口的に作られた臓器を体の一部として埋め込む医療は何十年も前から行われている。しかし、その全てとなるとどうなのだろうか。
外側の肉体が滅びるまで動き続ける身体。その外側ですら、何らかの措置を取れば半永久的に生物としての活動状態を継続できる可能性すらある。
「……わかりません。それが…本人の希望であるなら、あるいは……。しかし、生物としての終わりの無い存在を人間であると定義する事は…いや、もともと人間として産まれたのでしたね……困ったな…」
困ったと言いながら、椙浦の目は輝いていた。ミゲルはそれを見逃さない。
「先生、私と一緒に来てくれませんか?是非とも貴方に解き明かしていただきたいのです』
零式自鳴琴を起動させる為の力の1つ……『鍵』という存在。ミゲルは此れを、壱式自鳴琴ではないかと考えていた。
オルバス・シェスカの最高傑作にして遺作である、自身の娘を材料にして作り上げたオルゴール。
シェリアーナ・シェスカが最後の殺戮兵器を呼び覚ます『鍵』であるならば、彼女を研究する必要がある。ハンネス機関に置換された肉体の何がシエナに作用するのかを。
…………………………………………………………………………………
散骨葬からちょうど1週間が経過した頃、京哉のもとに新たなバディの話が舞い込んできた。
『調子はどうだい?そろそろ暴れ回りたい頃かと思ってさ』
「……どんな神経してんだよって思ったけどアンタAIだったな…学習し直した方が良いよ、人の心ってやつ」
ため息混じりに返した京哉に、「それもそうだな!」と所謂全然わかってない奴の返答を寄越したJAC。
『早速だけど今夜久しぶりの依頼が回ってきてる。彼女がもうすぐ君の根城に到着すると思うから、一緒に現場に向かってくれ』
彼女?と聞き返す前に対話モードは終了しており、無機質な自動音声で要件が伝達された。
黒電話の受話器をガチャリとブロックボタンの上に戻した京哉の様子を背後から眺めていた祐介が床のモップがけをしながら話しかける。
「仕事?久しぶりだね」
「んー…まぁ。しかも、新しい奴と組まされてぶっつけで」
新しい奴というフレーズに、祐介は僅かに眉を顰めた。
ナツキとフユキが死に、京哉はバディを失っている。その代わりとなる人間を早々に当てがわれたというのだ。
まるで物を補充するかのような流れで補填される人材。楽団が旋律師達をどのように扱っているのかが窺い知れてしまい、当然良い気分ではない。
その頃、争奪戦になる事がなくなったテレビの前に並んだシェリーと道夫は、フユキが生前観たいと言ってチョイスしていたB級ホラー映画の最後の1作品のエンドロールをぼんやりと眺めていた。
「……相変わらず意味わかんなかった…」
ボソリと感想を述べたシェリーに、苦笑いを浮かべた道夫がフォローする。
「主人公の犬が死ななかったのは良かったですな」
それを聞いたシェリーは確かにそうだと頷いてオフィスチェアーから立ち上がる。
鑑賞を終えたDVDの箱を持ち、下階の棚に戻しに行こうと出入り口方向に歩き出した時であった。冷たい風が吹き込み、突如現れた来客の方へと顔を向ける。
両サイドに輪っかを作った黒髪のカチモリヘア、ダボっとした若草色の人民服にボリュームのあるダウンコートを纏った身長150センチ程度の小柄な少女…。
一体誰だと小首を傾げたシェリーの近くまでズカズカと遠慮なく進んできた少女は、唐突に中国語で語り掛けてきた。
「え?なになに…わかんない……」
狼狽えるシェリーの様子と来客に気が付いた祐介は、黒電話から離れて再び眠り始めた京哉に割り振られたスペースのパーティションの壁をコンコンとノックする。
「京ちゃん、誰か来た。例の新しい人かな」
目覚めの悪い彼がうんうんと唸っている声に、これは時間が掛かりそうだと判断するとモップを壁に立て掛けて二人の元へと歩み寄った。
「楽団の人だよね?はじめまして。京ちゃん、もうすぐ来ると思うから少し待ってもら…」
祐介が笑顔で語り掛けるも、またもや中国語で一方的にベラベラと話し続ける少女の姿にシェリーと顔見合わせて困惑してしまった。
…………………………………………………………………………………
少女が何かを訴え始めてから15分程経過し、やっと起きて来た京哉が面倒臭そうな表情で欠伸をしながら祐介とシェリーの横に並ぶ。
「…どちらさん?」
「いやいや…京ちゃんのお仲間でしょ」
彼女が背中に背負っているジュラルミンケースを指差し、呆れ顔を見せる祐介。
「チンタラしてんじゃねーよ。さっさと起きて来いニート」
ここ1週間仕事もなく暇そうに過ごしていた京哉をニートと呼び続けたシェリー。不満げに唇を尖らせた京哉が今にも彼女と不毛な喧嘩を始めそうな雰囲気を察知した祐介が、彼の肩を掴んで少女の前へと突き出した。
自分の来客だというのにブツブツと文句を言いながら仕方なく話し掛けようと一歩前に出た京哉の顔を見た少女は、目を輝かせて手を握ってきた。しかし、相変わらず中国語で話し掛けてくる。
自身の活動圏内の言語しか習得していない旋律師達。京哉も得意とするのはヨーロッパ圏の各国語であり、アジアの言語には疎かった。
「あのー…ドイツ語は?英語でも良いけど?」
ドイツ語と英語で尋ねるものの、首を捻るばかり。意思疎通が全く出来ないとは困ったものである。
「っていうか……いつまで握手してんの?離せよ」
ずっと京哉の手を握っていた少女の腕を掴んで引き離そうとしたシェリー。すると、少女はシェリーの方を睨み付けて今度は腕にしがみついた。
「怖い怖い!食われる!?」
「そういう感じじゃないけど…」
怯える京哉に苦笑いを浮かべながら返した祐介は、誰か中国語がわかる人間はいないのかと問う。京哉とシェリーには一人だけ心当たりがあった。
早速PHSを取り出して電話を掛けたのは品川の医院。麗慈は上海の一件の際も彼らの通訳をしていた。
『……何だよ急に』
数回のコールの後、気怠そうな声色で麗慈が答える。完全に面倒事であると見抜いている様子である。そんな彼に案の定面倒事を押し付けようとニヤニヤしながら京哉が話し掛けた。
「良いじゃん、暇じゃんどうせ!ちょっと助けてよ!僕の新しい相棒?中国語しか話せないっぽくて困ってんだけど」
そんな事あり得るのか?とぶつぶつ文句を言いながらも、麗慈は京哉がPHSを手渡した少女としばらくの間会話をしていた。
戻された端末を受け取り、スピーカーモードにして翻訳結果を待つ面々。
『…好きです。して欲しい事があれば何でも言ってください。NG無しでなんでもしま…』
「何言ってんの!?みんなに誤解されちゃうでしょ!?」
『は!?お前が通訳しろって言ったんだろ!ふざけんな!』
ブツリと切れた通話の後で、ツーツーと物悲しく電子音がフロアに響く。そして、一息置いて咳払いをしたシェリーが京哉からPHSを奪い取って発信履歴から再び麗慈に電話を掛けた。
「好きってなんだよ!好きって!仕事で来たんじゃねーのかよ馬鹿女!公私混同すんな!脳内お花畑か!日本語でも勉強して出直してこい!…ってこの馬鹿女に伝えて」
『は!?』
「良いから伝えてっつってんの!」
物凄い剣幕でガルガルと唸るシェリーに気圧され、麗慈は少女の手に端末が渡ると彼女の言葉のままに翻訳して伝えた。すると、何やら嬉しそうに返す少女の姿を見て三人は小首を傾げる。
『…日本語覚えたら結婚できるんだ。ヤッター。頑張るぞー……っつってんだけど、頭大丈夫かソイツ?』
「だいぶヤバいな……」
表情を引き攣らせる京哉を横目に、少女はジュラルミンケースと共に背負っていたパンダの姿をしたリュックを床におろした。そして中から一冊の本を取り出して三人の目の前に掲げる。
「えっとなになに…『やさしき日本語~サルですらわかるます~』?だいぶ怪しい本だなぁ…」
正しい日本語が身につく気が全くしない教科書の表紙に、祐介は苦笑いを浮かべた。
…………………………………………………………………………………
陳 猫梅、15歳。
アジア支部所属の彼女は支部長が直々にスカウトして楽団に入社した天才であるという。
『山で虎に育てられた子供って聞くだろ?マオはそんな感じで幼少期に山中に捨てられてから野生動物に育てられたんだよ。アジア支部長が出会ったのは5年前で、その身体能力の高さを買われて旋律師としての教育を受けて入社したのさ』
JACが明かした俄には信じ難い彼女の過去に、京哉は目をパチクリさせる。中国語すら普通に話せるようになったのは最近の事だと聞いて、先行きが不安になってしまう。
「その野生児が……どうしてまた僕のところに?」
『そりゃあタクトの推薦さ!…あっ!ちょっとまだ切らないで!大事な事伝えないといけないんだから!』
またあの父親の仕業かと反射的に受話器を投げ付けようとした京哉の行動を察知して、JACは必死に引き止める。
『第17楽章、彼女がその完奏者だよ。すごいよ彼女は。何たって野生動物の様な聴覚をしている。音楽家としてのキャリアは初心者レベルなんだけど、彼が超絶技巧を渡した理由は何となくわかるな』
「ふ…不安しかないのですが……」
いくら楽団の評価が高いと言われても、いきなり突拍子もない言動で周囲を混乱させる彼女と共に依頼に向かうなど想像したくもない。先の苦労が既に目に見えているからだ。
「まず言葉が通じないのはどうすんのさ?本人はヤバそうなテキストで勉強し始めてるけど…」
『マオが日本語を習得するまでは同時通訳機能を使うと良い。PHSを常時通話状態にする必要があるから、衛星電波の届かない場所では使い物にならないんだけどさ』
JACの説明によると、旋律師達に配布されているPHS端末には日常会話程度であればほぼタイムラグ無しに通訳して自動音声で返してくれる機能が備わっているのだという。
語学には堪能であった京哉にとっては初めて触れるものであった。
黒電話の前から帰った京哉が目にしたのは、道夫と祐介を巻き込んで日本語を勉強するマオの姿。理解不能な行動を取りはするが、根は真面目な子なのだと理解する。
京哉の視線に気が付いたマオは嬉しそうに手を振って彼の方に振り返り、覚えたての日本語を披露した。
「わたす…の…なは……マオです…!ちゅごく…から……きますた…!」
所々謎の訛りが混じる独特な学習成果に、苦笑いを見せる京哉。
「マオちゃん飲み込み早いね。日常会話ぐらいならすぐ覚えられるんじゃないかな」
祐介がテキストの変な日本語訳の部分を修正器を使って直しながら感心した様子で呟いた。
「マオ殿、耳がとても良いようですな。発音の仕方はとても自然ですぞ」
デュフフっと笑う道夫の真似をして、マオもデュフフっと笑っていた。
二人に褒められて嬉しそうに机に戻ったマオの勉強風景を後ろから眺めていると、パーティションの隙間から唯ならぬ視線を感じる。金色の瞳でじっとマオを睨み付けているシェリーに気が付き、以前も同じような事があったなぁと京哉は呆れ顔を見せた。
シェリーが身を隠しているスペースの入り口をバッと開き、ヒョイっと中から彼女を摘み出す。
「仲良くしろ、シェリー。女の子同士だろ」
「いーやーだーっ!そんな変な女、早く突き返せよ!」
彼女がキーッと闘争本能を丸出しにする理由がわからない京哉は、困って二人に助けを求めた。しかし、同時に彼の方を振り返った祐介と道夫は静かに首を横に振る。
「これはね、京ちゃんが悪いと思うんだ。俺らの手に負えないよ」
「京哉殿、天然の人誑しとしての運命を背負って生きている以上、これは仕方のないことなのです」
理解できない返しに余計困惑してしまった京哉の着ていたスウェットの裾を後ろから引っ張ったシェリーは、彼に近くに座るように促す。
「アイツ、アンタと結婚するとかホザいてんだよ?15歳の子供のクセに?どうすんの?このまましつこく付き纏われたら」
唐突に突き付けられた問いに、京哉はにこにこと机に向かうマオの方を見ながら考える。
くりくりと愛らしい目をしており、目鼻立ちは整っている方である。獣に育てられていたと言う割には色白で、手の爪は綺麗に整えられていて色の薄いマニキュアが塗られているようであり、ちょっとした女子力らしきものも伺えた。中華娘と言えば以前上海で出会った玥の記憶が新しく、もしかしたらあんな風に美人に成長する可能性が無きにしも非ず…。
「5年後ならあるいは…」
ごにょごにょと返してきた京哉の頬を思い切り平手打ちしたシェリーは、ドスドスと大袈裟に立てた大きな足音で怒りを表現しながら自分に割り振られた空間の方へと消えていってしまった。
…………………………………………………………………………………
サラフィエルは一人、杉並区の荒廃したビル群の中に立っていた。その周囲には野犬が徘徊しており、時折彼女の近くに寄ってはグルグルと喉を鳴らしながら甘える仕草を見せる。
感情的になり声を荒げる事が多くなりがちなサラフィエルであったが、彼らの前では優しい表情を見せていた。
しかし、遠くの曲がり角からけたたましいエンジン音を響かせるジープが近付いて来ると、怯えた獣達は散り散りになってビルの影に姿を隠してしまった。
一人取り残されたサラフィエルは、彼女の目の前で停止した車両の運転手を睨み付ける。
「遅ェんだよ!待たせんじゃねぇ!」
運転席側から腕を伸ばし、彼女の目の前のドアを押し開けたのは大声を上げられて苦笑いを浮かべたダンタニアンであった。
「済みませーん…」
自分に非がないにも関わらず叱咤された彼は、口先だけの謝罪でその場を乗り切ろうとした。しかし、怒りが収まらない様子のサラフィエルの逆鱗に触れてしまう。
「見つかったのかよ、21番目の手掛かりは?チンタラしやがって……テメェの悪趣味で作ったペテン宗教の信者は揃いも揃って全員役立たずか?」
「彼等は頑張ってくれてますよ。現に今も必死に捜索中です」
しかし…と続けたダンタニアンの顔色がどんよりと曇ったのは、助手席から殺気の籠った睨みを向けられたからである。
「……ガブリエルを疑う訳ではありませんが…ここまで探して見つからないとなると、都内に存在しないのではないかと思ってしまっても仕方ないのでは?」
『目』を使ってガブリエルが感知したという超絶技巧第21楽章の痕跡。大規模な捜索を続ける異端であったが、現在に至るまでその発見には至っていない。
「じゃあ、ガブリエルが感知してるのは超絶技巧じゃねぇ他の何かって事か?」
「その可能性も考え始めるべきかと……。まぁ、ボクとしてはもっと有力な手掛かりは他にあると考えているのですがね」
フフフッと不気味に笑ったダンタニアンの側頭部に掌底をめり込ませたサラフィエルは、勿体ぶるなと睨み付けた。
「楽団は21楽章と関係の深そうな依頼に対して能力の高い旋律師を送り出す傾向にあるようです」
一理ありそうな彼の意見に一瞬考え込むサラフィエル。しかし、窓の外を流れる廃ビル群を眺めながら呆れ顔を見せる。
「……尾行でもしようってのか。情け無ェ」
「情けなくとも目的が達成できれば我々の勝ちですよ、サラフィエルさん。その手の情報に詳しい友人からのタレコミで旋律師が動きそうな案件があるのですが」
そう言いながらダンタニアンがサンバイザーの収納ポケットに挟まっていた一枚の写真を彼女に手渡す。
「誰だコレ?」
それは着物姿で並んで写る女達の白黒写真。
「通称“犬神村”という神奈川県の山奥に存在する因習村の生贄達です。古くから生贄を神に捧げて五穀豊穣を願う祀りを行ってきたと言われています。村民は村長と彼の跡取りとなる男児以外全員女だそうです」
因習村、生贄という言葉の胡散臭さにサラフィエルはベェっと舌を出した。
「で、そのヘンテコ村が何だって?」
「はい。この村で生贄の祀の際に神に捧げる神楽があるというのですが、今の村長になってからその舞の最中に突如跡取りとなる男児が発火し焼死するという奇妙な出来事が続いているそうで…」
…………………………………………………………………………………
依頼人は天津河峰。犬神村の現村長の妻である。
神奈川県相模原市緑区と足柄上郡山北町の境界線上に位置する蛭ヶ岳。その麓に家々の点在する集落にやってきた京哉とマオが目にしたのは、因習村と呼ぶのに似つかわしい閑散とした様子であった。
「人っこ一人いねーな…」
周囲をキョロキョロと確認する京哉に対して、野生児であるマオは既に何かを感じ取っていた。
『……たくさんの人がマオ達を見てる…隠れてるのかな…』
JACに教わった同時翻訳機能によって、イヤーモニターからはマオの話す中国語が自動的に日本語となって読み上げられた。
何故隠れて此方の様子を伺っているのか。奇妙な行動を取る住民達に困惑するが、ただ一つ言えるのは歓迎されている様子は無いという事だ。
そんなジメジメとした雰囲気の中、色褪せた古民家集落では一際目立つ色鮮やかな着物を身に纏った女が二人の元に歩み寄ってきた。そして正面で立ち止まると上品に頭を下げてニッコリと笑う。
「お迎えにあがりました。わたくしは村長の家で使用人をしております、松川と申します。お二人の身の回りのお世話を担当させていただきます」
「松川さん…よろしくお願いします」
京哉とマオもペコリと頭を下げると、屋敷に案内すると言って踵を返した松川はテコテコと足場の悪い砂利道を器用に下駄で進んで行った。
生贄を神に捧げて五穀豊穣を願う祀の歴史は古く、主に年老いた者、役目を終えた者が生贄となる事が決まっているのだという。
「言い方は悪いけど、姥捨ってやつだな」
「はい…この儀式の発端は大飢饉の際の口減しだったと聞いたことがあります。しかし、現村長が就任されてからは…」
松川が何かを言いかけた時、ちょうど目前に迫っていた屋敷の門戸から飛び出してきた別の使用人の女が額に汗を滲ませながら彼女の元に駆けてきた。
「産まれたよ!男の子だって!」
「男の子……男の子!?それではまた祀を?」
コクコクと頷いた使用人の女は踵を返して一目散に屋敷の方へと走り去っていってしまった。
2人のやり取りを側から見てポカンとしていた京哉とマオの方を振り返り、申し訳なさそうな表情で頭を下げた松川が先程言いかけていた事を話し出した。
「この村の村長は世襲制なのです。お世継ぎが産まれ、無事に成人なさると役目を終えられたそれまでの村長は老婆達と共に祀で生贄となる…これが習わしでした」
「じゃあ、今産まれた男の子っていうのが次の村長になるの?」
京哉の問いに、松川は表情を曇らせた。跡取りが産まれ、村の将来も安泰…という訳ではなさそうだ。
「詳細については大奥様からご説明がございます。私のような一使用人の口からは非常にお伝えしにくい事ばかりで…」
そう告げた松川は門戸を潜って敷地内に入った後、何故か正面に見える母屋ではなく、鬱蒼とした竹林の奥に見える荒屋の方を指し示した。
「大奥様は心を病まれておりまして、静かな環境で療養したいと自らあちらのお住まいに移られたのですが…」
松川の説明の途中、またもや彼女の話を遮ったのは母屋の縁側ではしゃぐ若い女達とそれを追い掛ける老爺であった。
この村は村長以外男の村民は存在しないと聞いていた。すると、必然的にあの年甲斐もなく女と戯れる老爺が…ということになり、京哉は苦笑いを浮かべた。
…………………………………………………………………………………
簡素な作りの屋敷。外観こそ薄汚れて見えたものの、足を踏み入れれば綺麗に掃除が行き届いている印象を受ける。
数人の使用人がおり、にこやかな笑みで京哉とマオを歓迎した。気立ての良い娘と言った印象の彼女達であったが、京哉は言いようの無い違和感を覚える。
無言で微笑み続ける使用人達の様子に小首を傾げる京哉に、松川は慌てて移動を促した。
ひんやりと冷たい空気の流れる屋敷の最奥の間に案内された二人は、子供達の手を借りながら布団から上体を起こす50代程の女と目が合う。
「…もう陽が沈む頃ね。こんな時間に呼び出してしまって御免なさいね。昼間はあの人の目があるものだから」
はんなりとした喋り方の女は二人に座るように促して自身も身体の正面を向ける。
「ご依頼ありがとうございます。楽団より参りました、右神と申します。こちらは教育中と言いますか…新人のマオです。日本語がわからないのでお役に立てる場面は少ないかもしれませんが…」
ウズウズと落ち着いていられない様子のマオの両肩を掴んで座布団の上に戻した京哉がため息混じりに紹介する。
「あら、可愛らしい女の子。それじゃあ、今からしようと思っていたお話はこの子にはとても退屈になってしまうわね」
そう言いながらニコリと笑った女は、後方に控えていた数人の子供を傍に呼び寄せた。
「少し向こうのお部屋で遊んでいてくれるかしら?子供同士なら言葉なんてなくても上手く打ち解けられるわよね」
はーい、と元気良く手を挙げたマオよりもだいぶ年齢の低そうな子供達。彼女は周囲をワラワラと取り囲まれて立ち上がるように促されると、彼らの言わんとした事を察した様子でニッカリと笑う。そして野生児を含めた子供の集団は元気良く襖の外へと飛び出していった。
「子供扱いされて怒ってないかしら?」
「……いえ、むしろ本人が一番喜んでいたような…」
精神年齢はもしかしたらあの子供達より低いのかもしれないと思いながら、京哉は依頼人が語り出した“とても退屈な話”に耳を傾けた。
[58] Scemando 完
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