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#063 Variation
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東京都・22歳男性「未成年の前で卑猥な言葉を連呼すると公然猥褻の罪に問われる可能性があるそうです…あれ?ポーランドでピョトルクフに潜入する前に誰かに予言されてたような…僕って公然猥褻しそうな人相…?」
…………………………………………………………………………………
託斗が懲罰房をを出たその日、リング通りの楽団社屋の前にはズラリと一般人の行列が形成されていた。皆、その手には楽器を携えている。
音楽活動を規制していないオーストリアには現在も多くのオーケストラが存在しており、定期的に演奏会を開催しているものもある。観光客には非常に人気な為、奏者側にとっては安定した食い扶持になっていた。
『音楽で食っていく』が、まだ実現可能な夢として存在するこの国であったが、やはり現実はそう甘くない。プロとしてやっていける人間はほんの一握りであり、多くは一般職に就きながら趣味として楽器を続ける程度であった。
楽団が今回募集したのは、旋律師への育成を目的とした音楽家ではない。貿易会社という表の顔で公演活動を行っている、一般的なオーケストラへの増員であった。
現在のフルオーケストラ80名から倍近くの150人の大編成にする為という今回のオーディションの目的は、世界政府と結託し零式自鳴琴を起動するための電力を確保する事である。
社長室を出たロジャー、託斗、クロークスの3名はそのオーディションの様子を確認する為に1階ロビーに併設されたホールに顔を出していた。
「長い事このオケはニーチェに任せきりだった。可もなく、不可もなく。大衆向けに娯楽を提供する弊社の地域貢献の一環として…なんて謳い文句でやらせてた訳だ」
募集要項にて事前に告知されていた課題曲を一人ずつ演奏させ、合否を判定するというごく普通のオーディション。
審査員席の更に後方、楽団社屋に併設されたホールの中央でその様子を眺めていた託斗は、ロジャーの口から出た懐かしい名前に眉をピクリと動かした。
「ニーチェ…あぁ、まだやってたんだ。てっきり僕にケチョンケチョンに言われて辞めちゃったのかと」
「奴もお前に負けず劣らずの頑固者だ。あれから一度修行に出て、戻ってきた時には多少はマシになったようだよ……性格面は」
ロジャーの返しに、ふぅん…と興味無さげに答えた託斗は、舞台上でフルートを演奏している青年の演奏に耳を傾けた。
楽器を鳴らす事で手一杯。音楽家とはとても呼べたものではない演奏に審査員席からは小さな溜め息すら聞こえてくる。
「一世一代の夢を賭けてやってくる者もいれば、面白半分に来た者、食い扶持を探せと言われて親に連れてこられた者もいる。程度もピンキリだな」
不安げに顎に手を置きながらステージ上を見つめるロジャーの横顔を一瞥して、託斗はもう一度青年の演奏に集中した。
きっと彼は、面白半分で来た部類の人間であろう。受かればラッキー。パーカーにジーンズという非常にラフな格好からも本気で職を探している様子にも見えない。
結局ミスばかりでまともな演奏にならなかった彼であったが、ヘラヘラと笑いながら下手にさがっていく様子はどこかシエナに似たものを感じた。
技術やセンスは彼女と比較にならないものの、自由に楽しく音楽をやっているという面では同じだったのかもしれない。
「自分達がタービンを回す為の歯車だって知ったら、あの人達はどうすんだろ。文句言ったりすんのかな?」
「知る由もないだろうな。決行の日は公海を巡航しているイースト・アラベスクで向かう予定だ。気付いた頃にはもう日本にいるだろうな」
…………………………………………………………………………………
託斗はロジャーの返答に眉を顰めた。実際に歯車としてオーケストラに参加した人間が、零式自鳴琴の起動の為に現地に連れて行かれた場合…考えたくもない未来が何種類か想像できてしまう。
まるで使い捨てのように現地に置き去りにされる事。それならまだ良いと思える悪い想像は、警視庁の鎮圧部隊に捕まり、その命を奪われる事だ。
最悪のケースは、目覚めた終末兵器の破壊行動によって奏者達が巻き込まれる事である。零式の中枢がシエナの脳であると知ってしまった託斗は、この最悪のケースが現実のものもなってしまう事を一番恐れていた。
例え機械の躯になったとしても、殺戮という行為をシエナにさせる訳にはいかなかった。それは、旋律師になりたくなかった彼女を深く傷付けるものだからだ。
しかし、どう考えても片道切符の旅としか思えられなかった。今後の計画の中で、決行日の1週間前に日本に派遣している楽団の人間を全員引き上げさせる内容が含まれていたのだ。
「……得意だな、アンタは。そういう外道のやり方」
両腕を頭の後ろで組みながら、浅く腰掛けてズルズルと座高の低くなる託斗の言葉を聞いたロジャーは、口角を歪めて鼻で笑う。
「今更何を言うんだ。お前もその外道の一部じゃないか。自分は手段を提供しただけだ、と……死んだ後に閻魔の前で言い訳でもするつもりか?」
「何言ってんだよ。僕は清廉潔白、おまけに童貞だよ?絶対に天国行きでしょ」
完全に椅子の座面に後頭部がついてしまうほどずり下がった託斗は、はるか頭上に構えるドーム天井のフレスコ画に目を凝らした。
ヴィーナスの周囲を舞う複数の天使達。長閑な花畑を描いた美しい大作は、大嵐によって世界が終焉を迎える前日を表現しているのだと、以前何処かで説明されたのを急に思い出す。
「……終焉とか終末とか…。何だよアンタら。厨二病かよマジで……」
ボソリと呟かれた日本語はロジャーの耳に届く寸前、次にステージの上に立ったトランペッターの外した音によって瞬時に掻き消されていた。
…………………………………………………………………………………
ズッシリと重い何かにのし掛かられていると気が付き、京哉は慌てて目を覚ました。
温かく時折ゆっくりと上下する毛布に包まった物体。勢いを付けて上体を起こせば、ドスンとひっくり返ってマットレスから床へと落下する。
「アイヤッ!」
打ち付けた額を両手で押さえながらのたうち回るマオの姿に、何処から侵入してきたのだと周囲を見回す京哉。そして、内鍵はそのままにパーティションの引き戸部分ごと外されている事に気が付いた彼は怯えながら尋ねた。
「ちょっ!何のつもり!?」
「早安!晚上我爬進你的房間幫你取暖、但我卻睡著了…。真是可悲!!」
弾丸のように次々と飛んでくる理解不能な言葉に、京哉は素早くPHSを取り出して例の翻訳機能をONにした。
「此処!僕の部屋、一応!マオはシェリーの隣っつっただろ!」
『キョウヤ、中国では結婚する男女はなるべく早く子供をもうけたほうが良いって言われてる』
理解不能な返答を咀嚼するのに数秒間要する。それでもやはり、理解不能である。
そして、このままでは次に何をやらかすかわからないと恐怖した京哉は、目の前の野生児をパーティションの外に摘み出した。
「嘘をつくな、嘘を!ジャングルの常識押し付けんな!他の奴らに見つかる前にさっさと自分の…」
早く戻れと言う前に、薄暗いフロアにぼんやりと浮き上がった白い人影。ワナワナと打ち震える彼女が怒鳴り散らかしそうになる寸前、京哉は二人を引きずって給湯室に飛び込んだ。
「何でこのガキ、アンタの所にいたの!?何かしてた!?」
ガルガルと威嚇してくるシェリーの横で、マオはニヨニヨと意味深な笑みを見せている。その態度が余計にシェリーを刺激していた。
「何もしてねーよ!あのねぇ、僕ぁ22歳の立派な大人ですよ?未成年相手に何するっての?」
「ミチオが教えてくれたよ……男にはロリコンっていう種類がいて、若ければ若い程良いって……」
日中彼と過ごす時間の多いシェリーは、アレコレと余計な知識を植え込まれている様だ。面倒な話を持ってきやがってと、髪をクシャクシャと掻く京哉。
「僕にはそういう趣味無いから。健全そのものだから」
「…ユウスケもミチオも、健全な男なら女に興味無いわけ無いって言ってたよ……」
恐らくシェリーの背中を押すための二人からのアドバイスであろう。そんな心など知らない彼にとってはただの迷惑行為である。
何教えてんだアイツら!と一人で頭を抱える京哉の肩を、マオがポンと叩いた。
『キョウヤ、興味ないフリはダメだよ。良いんだよ、あんなことや、こんなこと、本当はそんなことまでしたいんだよね?』
PHSのスピーカーから流れる電子音声の内容に、こめかみに血管をピキッと浮かび上がらせたシェリーが苛立ちを募らせる。
…………………………………………………………………………………
「あんなこと?こんなこと?そんなこと…?何それ……」
唸るように声を低くしたシェリーがドイツ語で京哉に問うものの、自動翻訳のせいで中国語に変換されてマオの耳に届く。
『え?シェリーはマオより大人なのに知らないの?男はね、[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]を[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]に[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]すると[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]][[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なんだよ?』
「は!?……[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]…を……[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]に……!?ほ、本当なの……?」
中国語とドイツ語で卑猥な単語が飛び交い、地獄のような状況に陥る。話を振られた京哉は焦って首をブンブンと横に振った。
『そんなことないよ!キョウヤだって[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]が好きなんでしょ?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]も[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]じゃないと[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なんだよ?』
「[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]も!?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だけじゃないの!?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]って…そんな……そうなの!?」
あろうことか年下のマオからとんでもない知識を植え付けられ続けるシェリーは、息を切らしながら再び京哉に話を振った。
もうやめてくれ…と涙ぐんで蹲る彼の頭上で、電子音声と二人の言語が入り乱れる。
「ねぇ!答えてよ!言わないってことは本当なの!?それとも[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なの!?そんなヤバい事考えてるの!?男って皆[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]!?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]が[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なワケ!?」
『当たり前だよ、シェリー!キョウヤの年齢考えたら、[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なんて[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]][[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だし、[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]しようと思えば[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]…』
何やら騒がしいと起きてきた祐介と道夫は、照明のついている給湯室をそっと覗き込む。そして、ちょうどそのタイミングで痺れを切らした京哉がガバっと勢い良く立ち上がってヤケクソに騒ぎ始めた。
「ウルセェーッ!!!あー、そうですよ!![[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]を[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]で[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]][[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]に決まってんだろ!僕は[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だけど[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]な奴もいるって話だろソレ![[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だの[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だの人様の前で口に出すなよマジで!」
一息で早口に叫び終わり、ハァハァと息を切らした京哉の目の前で、二人の少女が彼の後方を指差している。恐る恐る踵を返した先には、給湯室を覗き込む祐介と道夫の凍てつくような冷たい眼差しが待ち構えていた。
「あ…えー……起こしちゃった…よね?あははー…いやぁ、今日は…うん、お日柄も良くぅ~…」
「……まだ夜明け前だけど」
ピシャリと祐介に突っ込まれて、京哉は苦笑いを引き攣らせる。
「う、うんとねぇ……どこから聞いてたのかなぁ?」
「京哉殿がご自身のとんでもない性癖を、少女二人にとんでもない卑猥な単語を乱用して熱弁している所…でしたかな」
道夫が淡々と答え終わる頃には、京哉のライフはゼロになっていた。
ズルズルと連行されていった京哉が、来客用スリッパを持った二人に四方八方から殴られる様子を遠目に見ていたシェリーとマオ。
興味津々に眺めているマオの方に向き直ったシェリーは、ギロッと彼女を睨み付けながら告げた。
「ガキの癖に色気付いてんじゃねーよ」
翻訳された音声を耳にしたマオは、ニコニコと笑顔をそのままに返す。
『色気だけが女の子の武器じゃないんだよ?シェリーはマオより大人なのに、そんな事も知らないんだぁ!』
売り言葉に買い言葉。二人の間にバチバチと火花が散っている。
『キョウヤはね、シェリーの事もガキだって思ってるんだよ』
「み、未成年だから……でしょ!?でも、18歳だし!あと、アンタなんかより…」
狼狽えるシェリーを見て、マオは一歩彼女の方に歩み寄った。そして、シェリーよりかなり身長の低いマオは見上げる形で彼女の顔を凝視する。
『アンタなんかより長くキョウヤの傍にいる……のに、ガキ扱いしかされてないんだね』
無邪気な表情で次々に痛い所を突いてくる。
『マオはこれからお仕事でキョウヤと一緒になる時間が増えるから、シェリーより仲良くなれるかも!』
一切曇りの無い眼でそう宣ったマオに、シェリーは目を見開いた。
この少女は危険だと、シェリーは直感したのだ。
【キョウヤ ノ コト ズット ズット スキ ナノハ アタシ ナノニ …】
…………………………………………………………………………………
夜明け前のひと騒動後、自身のスペースに戻っていたシェリーはいつの間にか眠ってしまっていた。
パーティションをノックする音で目を覚ますと、慌てて飛び起きて椅子に額をぶつけてしまう。悶絶している彼女が苦しそうな声色で返事をすると、そっと扉を開けた京哉が顔を覗かせた。
「…っキョ……」
思わず大きな声が出かったシェリーに、京哉は唇の前で人差し指を立てて静かにするよう促す。
「しーッ。着替えたらマオに見つからないように下降りてこいよ。ほら、麗慈んトコに預けてた設計図のコピー…確認しに行くから」
シェリーの身体については楽団関係者の中でも上層部と一部の人間にしか知る事を許されていない秘匿事項である。
バディとして京哉のもとにやってきたマオであったが、どこまでの情報が開示されているかわからない以上不用意に話す事はできない。
そして京哉自身、彼女に隠された秘密を多くの人間に知られたくないという心情が大きく働いていた。
フードにフワフワのフェイクファーがついたダウンコートを着て地上に降りてきたシェリーは、違法改造したハンネス機関搭載のジープが待つ路地裏まで駆けていく。
強風に晒されて悴む手を伸ばし、素早くドアを開けて乗り込んだ助手席。シートベルトを締める前に進み出した車体は、品川の医院に向かって穴ボコだらけのアスファルトを進み始めた。
こうして京哉と二人で出掛けるのは夏以来である。あの時は途中で警察に追われて散々な想いをしたのだ。
「……今日はカーチェイスにならないと良いけど」
ボソリと呟いたシェリーに、運転席の京哉はビクリと肩を震わせた。
「やめてェ…僕も御免だわあんなの…」
言霊だ何だとブツブツ文句を垂れる横顔を無意識に見つめていたシェリー。その視線に気が付いた京哉は眉を顰めて尋ねた。
「ど、どした…?落ちてたモンでも食った?」
「……食ってない」
普段通りならばガルガルと噛み付いてくる筈のシェリーが大人しくしている。本当に何かあったのかと心配になった京哉であったが、彼女のコートの袖口からキラリと光るブレスレットが目に入り話題はそちらに方向転換していった。
「付けてんだ、ソレ。僕が作ったやつ」
「う…うん。ふ、普通に可愛い、から…デザインとか…」
キュッと右手首を左手で握ったシェリーは、照れ隠しの為に車内をキョロキョロと見回し、最終的にすぐ隣のシフトレバーにぶら下がっていた編みぐるみを指差した。
「コレ…ハジメくんのやつ……」
「あー、いや、蔑ろにしたら呪われそうだし…かと言っていつも持ち歩くモンに付けるのもなぁって…」
可愛らしい小熊に呪われるとは到底思えないが、何処かに落としてしまうのも鬼頭に悪い。車体の揺れに合わせて飛び跳ねる編みぐるみに触れようと伸ばした手が、うっかり京哉の手の甲に重なる。
慌てて手を引っ込めようとした時、逆に彼の方から伸びてきた左手がシェリーの手を握った。
「えっ…あ……なっ…」
状況が掴めず、言葉が喉から先に出てこない。バッと顔を上げて彼の方を見ると、先程と変わらない横顔。
「つめてーって思って。寒い?」
「さ、寒くは…ない…」
バクバクと心臓が高鳴り、破裂しそうな程脈打っている。冷たいと言いながらずっと手を握ってくる京哉の方はというと、矢張り平常通りの表情をしている。
細くて長い綺麗な指。フルーティストの理想的な手であった。きっと、幼い時から血の滲むような努力をしてきたのだろう。楽器に合わせて身体が成長するという事をシェリーも過去に聞いた事があった。
…………………………………………………………………………………
「……キョウヤはさ………自分は恵まれてると思う?」
思わず口から出た質問。
「え、顔のこ「違うから」
ピシャリと遮られた彼は、うーんと唸りながら考え込んだ。
「正直、人より恵まれてると思う。親父はあんな感じだけど音楽家としては天才だし、母親も……」
京哉の口から彼の母親の話題が出るのは初めてであった。一瞬躊躇う様子を見せたものの、じっと正面を見つめたまま言葉を紡いだ。
「母親も天才だった。フルートを最初に習ったのは母親。その後色々あって、今も師匠してくれてるミーアさんに習い始めた。周囲がみんな化け物だったから、目標は常に高く持てたかな。そういう意味で、恵まれてた」
自分の事を語る彼を見るのも初めてだった。今なら他にも教えてくれるかもしれない。ついそんな欲が出てしまったシェリーは次の質問をする。
「…尊敬してる人っている?」
「えー、何だよソレ。尊敬?うーん…まぁー…」
散々答え辛そうにしながら、京哉は照れ笑いを見せる。
「本人に言うなよ?……麗慈かな。マジでアイツは頭良いから。記憶力バグり過ぎて余計な知識つけまくってんだよ、アホだろ」
ケラケラと笑いながら話す京哉を見ていたシェリーは、麗慈が彼にとって心から頼れる存在なのだと感じた。
「じゃあ僕からも質問」
不意に耳に届いた言葉に、シェリーは慌てて彼の方を向く。
「な、何で?」
シェリーが戸惑う様子を横目に見て、京哉はニヤニヤと笑っていた。
「お前ばっかりじゃズリーじゃん。そうだなー……じゃあ、コレだ。嬉しかったことベスト3発表してくださーい」
「ベスト3とかズル……。えぇ……3位は小さい時入ってた聖歌隊で1番上手いって褒められた時。2位……お母さんが一時退院して帰ってきた時……。1位……」
ピタッと声が止まった助手席を一瞥した京哉は、シェリーがポロポロととめどなく涙を流している様子にギョッとする。すぐに車を路地に止めて彼女の方に向き直った。
「え?ヤバい?なんか辛い事思い出させた感じ?」
慌てふためく京哉に顔を覗き込まれたシェリーは、俯きながら首を横に振る。そして、手の甲で涙を拭いながらゆっくりとドイツ語で話し始める。
「っ……1位………キョウヤに…助けてもらって……みんなで…一緒に暮らして……たまに辛いこともあったけど……でも、楽しくって毎日……」
彼女にとって、京哉と出会ってからの日々は夢のようであった。
見世物として高値で売り買いを繰り返されたシェリーは心に深い傷を負っていた。値段をつけられるという行為によって、人間としての尊厳を何度も、何度も踏み躙られたのである。
彼女自身ではなく、つけられた数字にこそ価値のある存在。だから、買い取られた先ではいつも孤独な冷たい部屋の中に閉じ込められていた。
人間では無く、モノとして扱われ続けたのだから。
…………………………………………………………………………………
しゃくりあげながら泣いているシェリーの頭を、京哉がぽんぽんと優しく撫でた。その大きな手を両手で握って頬に寄せた彼女は、唇の震えを何とか堪えながら続ける。
「……だからね…アタシのこんな…気持ち……おかしいんだって思った…」
シェリーの手が震えている事に気が付いた京哉は、彼女の額に掌をあてる。かなり高熱があるように感じた。
「シェリー、麗慈の所急ぐからな。続きはまた…」
「待って……」
シフトレバーに掛かった左腕を握ったシェリーは、ハァハァと息を切らしながらまた言葉を紡ぎ始めた。
「………感謝しなきゃいけない…相手なのに………アタシ……」
フラフラと前後に揺れながら意識が遠のき始めた様子の彼女を見て、一刻も早く麗慈に処置してもらう必要があると判断した京哉。
バックしようと助手席のシートの後ろに腕を回して体を捻った時、もたれ掛かってきたシェリーが彼の耳元に顔を寄せてぐったりとしてしまった。
「シェリー…?シェリアーナ!しっかりしろよ!」
アクセルを踏みながら声を掛け続ける。明らかに様子がおかしいのだ。
路地をバックで抜けて幹線道路に戻ったところで、彼女をシートに戻そうと抜いた左腕で彼女の身体を押し戻した。
意識が朦朧としているようなのに、まだはくはくと何かを語ろうとしている。
「良いよ、シェリー!後で聞くから!今は黙っ…「……ねぇ…」
呼吸もままならない様子で縋るように京哉の手を握った。どうしても何かを訴えようとするシェリーの口元に顔を近付ける京哉。ヒューヒューと息の抜ける音が続いた後に、こんな状況にも関わらず彼女はその歌を口遊み始めた。
若き日のベートーヴェンが書いた『Zärtliche Liebe 』
明るく伸びやかなメロディの恋歌である。
「~erhalt uns beide……」
最後の音がシェリーの唇から離れた瞬間である。
彼女の体内で小さな金属音が響き、ハンネス機関特有の駆動音が胸の辺りから聞こえ始めたのだ。
[63] Variation 完
…………………………………………………………………………………
託斗が懲罰房をを出たその日、リング通りの楽団社屋の前にはズラリと一般人の行列が形成されていた。皆、その手には楽器を携えている。
音楽活動を規制していないオーストリアには現在も多くのオーケストラが存在しており、定期的に演奏会を開催しているものもある。観光客には非常に人気な為、奏者側にとっては安定した食い扶持になっていた。
『音楽で食っていく』が、まだ実現可能な夢として存在するこの国であったが、やはり現実はそう甘くない。プロとしてやっていける人間はほんの一握りであり、多くは一般職に就きながら趣味として楽器を続ける程度であった。
楽団が今回募集したのは、旋律師への育成を目的とした音楽家ではない。貿易会社という表の顔で公演活動を行っている、一般的なオーケストラへの増員であった。
現在のフルオーケストラ80名から倍近くの150人の大編成にする為という今回のオーディションの目的は、世界政府と結託し零式自鳴琴を起動するための電力を確保する事である。
社長室を出たロジャー、託斗、クロークスの3名はそのオーディションの様子を確認する為に1階ロビーに併設されたホールに顔を出していた。
「長い事このオケはニーチェに任せきりだった。可もなく、不可もなく。大衆向けに娯楽を提供する弊社の地域貢献の一環として…なんて謳い文句でやらせてた訳だ」
募集要項にて事前に告知されていた課題曲を一人ずつ演奏させ、合否を判定するというごく普通のオーディション。
審査員席の更に後方、楽団社屋に併設されたホールの中央でその様子を眺めていた託斗は、ロジャーの口から出た懐かしい名前に眉をピクリと動かした。
「ニーチェ…あぁ、まだやってたんだ。てっきり僕にケチョンケチョンに言われて辞めちゃったのかと」
「奴もお前に負けず劣らずの頑固者だ。あれから一度修行に出て、戻ってきた時には多少はマシになったようだよ……性格面は」
ロジャーの返しに、ふぅん…と興味無さげに答えた託斗は、舞台上でフルートを演奏している青年の演奏に耳を傾けた。
楽器を鳴らす事で手一杯。音楽家とはとても呼べたものではない演奏に審査員席からは小さな溜め息すら聞こえてくる。
「一世一代の夢を賭けてやってくる者もいれば、面白半分に来た者、食い扶持を探せと言われて親に連れてこられた者もいる。程度もピンキリだな」
不安げに顎に手を置きながらステージ上を見つめるロジャーの横顔を一瞥して、託斗はもう一度青年の演奏に集中した。
きっと彼は、面白半分で来た部類の人間であろう。受かればラッキー。パーカーにジーンズという非常にラフな格好からも本気で職を探している様子にも見えない。
結局ミスばかりでまともな演奏にならなかった彼であったが、ヘラヘラと笑いながら下手にさがっていく様子はどこかシエナに似たものを感じた。
技術やセンスは彼女と比較にならないものの、自由に楽しく音楽をやっているという面では同じだったのかもしれない。
「自分達がタービンを回す為の歯車だって知ったら、あの人達はどうすんだろ。文句言ったりすんのかな?」
「知る由もないだろうな。決行の日は公海を巡航しているイースト・アラベスクで向かう予定だ。気付いた頃にはもう日本にいるだろうな」
…………………………………………………………………………………
託斗はロジャーの返答に眉を顰めた。実際に歯車としてオーケストラに参加した人間が、零式自鳴琴の起動の為に現地に連れて行かれた場合…考えたくもない未来が何種類か想像できてしまう。
まるで使い捨てのように現地に置き去りにされる事。それならまだ良いと思える悪い想像は、警視庁の鎮圧部隊に捕まり、その命を奪われる事だ。
最悪のケースは、目覚めた終末兵器の破壊行動によって奏者達が巻き込まれる事である。零式の中枢がシエナの脳であると知ってしまった託斗は、この最悪のケースが現実のものもなってしまう事を一番恐れていた。
例え機械の躯になったとしても、殺戮という行為をシエナにさせる訳にはいかなかった。それは、旋律師になりたくなかった彼女を深く傷付けるものだからだ。
しかし、どう考えても片道切符の旅としか思えられなかった。今後の計画の中で、決行日の1週間前に日本に派遣している楽団の人間を全員引き上げさせる内容が含まれていたのだ。
「……得意だな、アンタは。そういう外道のやり方」
両腕を頭の後ろで組みながら、浅く腰掛けてズルズルと座高の低くなる託斗の言葉を聞いたロジャーは、口角を歪めて鼻で笑う。
「今更何を言うんだ。お前もその外道の一部じゃないか。自分は手段を提供しただけだ、と……死んだ後に閻魔の前で言い訳でもするつもりか?」
「何言ってんだよ。僕は清廉潔白、おまけに童貞だよ?絶対に天国行きでしょ」
完全に椅子の座面に後頭部がついてしまうほどずり下がった託斗は、はるか頭上に構えるドーム天井のフレスコ画に目を凝らした。
ヴィーナスの周囲を舞う複数の天使達。長閑な花畑を描いた美しい大作は、大嵐によって世界が終焉を迎える前日を表現しているのだと、以前何処かで説明されたのを急に思い出す。
「……終焉とか終末とか…。何だよアンタら。厨二病かよマジで……」
ボソリと呟かれた日本語はロジャーの耳に届く寸前、次にステージの上に立ったトランペッターの外した音によって瞬時に掻き消されていた。
…………………………………………………………………………………
ズッシリと重い何かにのし掛かられていると気が付き、京哉は慌てて目を覚ました。
温かく時折ゆっくりと上下する毛布に包まった物体。勢いを付けて上体を起こせば、ドスンとひっくり返ってマットレスから床へと落下する。
「アイヤッ!」
打ち付けた額を両手で押さえながらのたうち回るマオの姿に、何処から侵入してきたのだと周囲を見回す京哉。そして、内鍵はそのままにパーティションの引き戸部分ごと外されている事に気が付いた彼は怯えながら尋ねた。
「ちょっ!何のつもり!?」
「早安!晚上我爬進你的房間幫你取暖、但我卻睡著了…。真是可悲!!」
弾丸のように次々と飛んでくる理解不能な言葉に、京哉は素早くPHSを取り出して例の翻訳機能をONにした。
「此処!僕の部屋、一応!マオはシェリーの隣っつっただろ!」
『キョウヤ、中国では結婚する男女はなるべく早く子供をもうけたほうが良いって言われてる』
理解不能な返答を咀嚼するのに数秒間要する。それでもやはり、理解不能である。
そして、このままでは次に何をやらかすかわからないと恐怖した京哉は、目の前の野生児をパーティションの外に摘み出した。
「嘘をつくな、嘘を!ジャングルの常識押し付けんな!他の奴らに見つかる前にさっさと自分の…」
早く戻れと言う前に、薄暗いフロアにぼんやりと浮き上がった白い人影。ワナワナと打ち震える彼女が怒鳴り散らかしそうになる寸前、京哉は二人を引きずって給湯室に飛び込んだ。
「何でこのガキ、アンタの所にいたの!?何かしてた!?」
ガルガルと威嚇してくるシェリーの横で、マオはニヨニヨと意味深な笑みを見せている。その態度が余計にシェリーを刺激していた。
「何もしてねーよ!あのねぇ、僕ぁ22歳の立派な大人ですよ?未成年相手に何するっての?」
「ミチオが教えてくれたよ……男にはロリコンっていう種類がいて、若ければ若い程良いって……」
日中彼と過ごす時間の多いシェリーは、アレコレと余計な知識を植え込まれている様だ。面倒な話を持ってきやがってと、髪をクシャクシャと掻く京哉。
「僕にはそういう趣味無いから。健全そのものだから」
「…ユウスケもミチオも、健全な男なら女に興味無いわけ無いって言ってたよ……」
恐らくシェリーの背中を押すための二人からのアドバイスであろう。そんな心など知らない彼にとってはただの迷惑行為である。
何教えてんだアイツら!と一人で頭を抱える京哉の肩を、マオがポンと叩いた。
『キョウヤ、興味ないフリはダメだよ。良いんだよ、あんなことや、こんなこと、本当はそんなことまでしたいんだよね?』
PHSのスピーカーから流れる電子音声の内容に、こめかみに血管をピキッと浮かび上がらせたシェリーが苛立ちを募らせる。
…………………………………………………………………………………
「あんなこと?こんなこと?そんなこと…?何それ……」
唸るように声を低くしたシェリーがドイツ語で京哉に問うものの、自動翻訳のせいで中国語に変換されてマオの耳に届く。
『え?シェリーはマオより大人なのに知らないの?男はね、[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]を[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]に[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]すると[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]][[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なんだよ?』
「は!?……[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]…を……[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]に……!?ほ、本当なの……?」
中国語とドイツ語で卑猥な単語が飛び交い、地獄のような状況に陥る。話を振られた京哉は焦って首をブンブンと横に振った。
『そんなことないよ!キョウヤだって[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]が好きなんでしょ?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]も[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]じゃないと[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なんだよ?』
「[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]も!?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だけじゃないの!?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]って…そんな……そうなの!?」
あろうことか年下のマオからとんでもない知識を植え付けられ続けるシェリーは、息を切らしながら再び京哉に話を振った。
もうやめてくれ…と涙ぐんで蹲る彼の頭上で、電子音声と二人の言語が入り乱れる。
「ねぇ!答えてよ!言わないってことは本当なの!?それとも[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なの!?そんなヤバい事考えてるの!?男って皆[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]!?[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]が[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なワケ!?」
『当たり前だよ、シェリー!キョウヤの年齢考えたら、[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]なんて[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]][[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だし、[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]しようと思えば[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]…』
何やら騒がしいと起きてきた祐介と道夫は、照明のついている給湯室をそっと覗き込む。そして、ちょうどそのタイミングで痺れを切らした京哉がガバっと勢い良く立ち上がってヤケクソに騒ぎ始めた。
「ウルセェーッ!!!あー、そうですよ!![[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]を[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]で[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]][[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]に決まってんだろ!僕は[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だけど[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]な奴もいるって話だろソレ![[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だの[[rb:⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ > ピーーー]]だの人様の前で口に出すなよマジで!」
一息で早口に叫び終わり、ハァハァと息を切らした京哉の目の前で、二人の少女が彼の後方を指差している。恐る恐る踵を返した先には、給湯室を覗き込む祐介と道夫の凍てつくような冷たい眼差しが待ち構えていた。
「あ…えー……起こしちゃった…よね?あははー…いやぁ、今日は…うん、お日柄も良くぅ~…」
「……まだ夜明け前だけど」
ピシャリと祐介に突っ込まれて、京哉は苦笑いを引き攣らせる。
「う、うんとねぇ……どこから聞いてたのかなぁ?」
「京哉殿がご自身のとんでもない性癖を、少女二人にとんでもない卑猥な単語を乱用して熱弁している所…でしたかな」
道夫が淡々と答え終わる頃には、京哉のライフはゼロになっていた。
ズルズルと連行されていった京哉が、来客用スリッパを持った二人に四方八方から殴られる様子を遠目に見ていたシェリーとマオ。
興味津々に眺めているマオの方に向き直ったシェリーは、ギロッと彼女を睨み付けながら告げた。
「ガキの癖に色気付いてんじゃねーよ」
翻訳された音声を耳にしたマオは、ニコニコと笑顔をそのままに返す。
『色気だけが女の子の武器じゃないんだよ?シェリーはマオより大人なのに、そんな事も知らないんだぁ!』
売り言葉に買い言葉。二人の間にバチバチと火花が散っている。
『キョウヤはね、シェリーの事もガキだって思ってるんだよ』
「み、未成年だから……でしょ!?でも、18歳だし!あと、アンタなんかより…」
狼狽えるシェリーを見て、マオは一歩彼女の方に歩み寄った。そして、シェリーよりかなり身長の低いマオは見上げる形で彼女の顔を凝視する。
『アンタなんかより長くキョウヤの傍にいる……のに、ガキ扱いしかされてないんだね』
無邪気な表情で次々に痛い所を突いてくる。
『マオはこれからお仕事でキョウヤと一緒になる時間が増えるから、シェリーより仲良くなれるかも!』
一切曇りの無い眼でそう宣ったマオに、シェリーは目を見開いた。
この少女は危険だと、シェリーは直感したのだ。
【キョウヤ ノ コト ズット ズット スキ ナノハ アタシ ナノニ …】
…………………………………………………………………………………
夜明け前のひと騒動後、自身のスペースに戻っていたシェリーはいつの間にか眠ってしまっていた。
パーティションをノックする音で目を覚ますと、慌てて飛び起きて椅子に額をぶつけてしまう。悶絶している彼女が苦しそうな声色で返事をすると、そっと扉を開けた京哉が顔を覗かせた。
「…っキョ……」
思わず大きな声が出かったシェリーに、京哉は唇の前で人差し指を立てて静かにするよう促す。
「しーッ。着替えたらマオに見つからないように下降りてこいよ。ほら、麗慈んトコに預けてた設計図のコピー…確認しに行くから」
シェリーの身体については楽団関係者の中でも上層部と一部の人間にしか知る事を許されていない秘匿事項である。
バディとして京哉のもとにやってきたマオであったが、どこまでの情報が開示されているかわからない以上不用意に話す事はできない。
そして京哉自身、彼女に隠された秘密を多くの人間に知られたくないという心情が大きく働いていた。
フードにフワフワのフェイクファーがついたダウンコートを着て地上に降りてきたシェリーは、違法改造したハンネス機関搭載のジープが待つ路地裏まで駆けていく。
強風に晒されて悴む手を伸ばし、素早くドアを開けて乗り込んだ助手席。シートベルトを締める前に進み出した車体は、品川の医院に向かって穴ボコだらけのアスファルトを進み始めた。
こうして京哉と二人で出掛けるのは夏以来である。あの時は途中で警察に追われて散々な想いをしたのだ。
「……今日はカーチェイスにならないと良いけど」
ボソリと呟いたシェリーに、運転席の京哉はビクリと肩を震わせた。
「やめてェ…僕も御免だわあんなの…」
言霊だ何だとブツブツ文句を垂れる横顔を無意識に見つめていたシェリー。その視線に気が付いた京哉は眉を顰めて尋ねた。
「ど、どした…?落ちてたモンでも食った?」
「……食ってない」
普段通りならばガルガルと噛み付いてくる筈のシェリーが大人しくしている。本当に何かあったのかと心配になった京哉であったが、彼女のコートの袖口からキラリと光るブレスレットが目に入り話題はそちらに方向転換していった。
「付けてんだ、ソレ。僕が作ったやつ」
「う…うん。ふ、普通に可愛い、から…デザインとか…」
キュッと右手首を左手で握ったシェリーは、照れ隠しの為に車内をキョロキョロと見回し、最終的にすぐ隣のシフトレバーにぶら下がっていた編みぐるみを指差した。
「コレ…ハジメくんのやつ……」
「あー、いや、蔑ろにしたら呪われそうだし…かと言っていつも持ち歩くモンに付けるのもなぁって…」
可愛らしい小熊に呪われるとは到底思えないが、何処かに落としてしまうのも鬼頭に悪い。車体の揺れに合わせて飛び跳ねる編みぐるみに触れようと伸ばした手が、うっかり京哉の手の甲に重なる。
慌てて手を引っ込めようとした時、逆に彼の方から伸びてきた左手がシェリーの手を握った。
「えっ…あ……なっ…」
状況が掴めず、言葉が喉から先に出てこない。バッと顔を上げて彼の方を見ると、先程と変わらない横顔。
「つめてーって思って。寒い?」
「さ、寒くは…ない…」
バクバクと心臓が高鳴り、破裂しそうな程脈打っている。冷たいと言いながらずっと手を握ってくる京哉の方はというと、矢張り平常通りの表情をしている。
細くて長い綺麗な指。フルーティストの理想的な手であった。きっと、幼い時から血の滲むような努力をしてきたのだろう。楽器に合わせて身体が成長するという事をシェリーも過去に聞いた事があった。
…………………………………………………………………………………
「……キョウヤはさ………自分は恵まれてると思う?」
思わず口から出た質問。
「え、顔のこ「違うから」
ピシャリと遮られた彼は、うーんと唸りながら考え込んだ。
「正直、人より恵まれてると思う。親父はあんな感じだけど音楽家としては天才だし、母親も……」
京哉の口から彼の母親の話題が出るのは初めてであった。一瞬躊躇う様子を見せたものの、じっと正面を見つめたまま言葉を紡いだ。
「母親も天才だった。フルートを最初に習ったのは母親。その後色々あって、今も師匠してくれてるミーアさんに習い始めた。周囲がみんな化け物だったから、目標は常に高く持てたかな。そういう意味で、恵まれてた」
自分の事を語る彼を見るのも初めてだった。今なら他にも教えてくれるかもしれない。ついそんな欲が出てしまったシェリーは次の質問をする。
「…尊敬してる人っている?」
「えー、何だよソレ。尊敬?うーん…まぁー…」
散々答え辛そうにしながら、京哉は照れ笑いを見せる。
「本人に言うなよ?……麗慈かな。マジでアイツは頭良いから。記憶力バグり過ぎて余計な知識つけまくってんだよ、アホだろ」
ケラケラと笑いながら話す京哉を見ていたシェリーは、麗慈が彼にとって心から頼れる存在なのだと感じた。
「じゃあ僕からも質問」
不意に耳に届いた言葉に、シェリーは慌てて彼の方を向く。
「な、何で?」
シェリーが戸惑う様子を横目に見て、京哉はニヤニヤと笑っていた。
「お前ばっかりじゃズリーじゃん。そうだなー……じゃあ、コレだ。嬉しかったことベスト3発表してくださーい」
「ベスト3とかズル……。えぇ……3位は小さい時入ってた聖歌隊で1番上手いって褒められた時。2位……お母さんが一時退院して帰ってきた時……。1位……」
ピタッと声が止まった助手席を一瞥した京哉は、シェリーがポロポロととめどなく涙を流している様子にギョッとする。すぐに車を路地に止めて彼女の方に向き直った。
「え?ヤバい?なんか辛い事思い出させた感じ?」
慌てふためく京哉に顔を覗き込まれたシェリーは、俯きながら首を横に振る。そして、手の甲で涙を拭いながらゆっくりとドイツ語で話し始める。
「っ……1位………キョウヤに…助けてもらって……みんなで…一緒に暮らして……たまに辛いこともあったけど……でも、楽しくって毎日……」
彼女にとって、京哉と出会ってからの日々は夢のようであった。
見世物として高値で売り買いを繰り返されたシェリーは心に深い傷を負っていた。値段をつけられるという行為によって、人間としての尊厳を何度も、何度も踏み躙られたのである。
彼女自身ではなく、つけられた数字にこそ価値のある存在。だから、買い取られた先ではいつも孤独な冷たい部屋の中に閉じ込められていた。
人間では無く、モノとして扱われ続けたのだから。
…………………………………………………………………………………
しゃくりあげながら泣いているシェリーの頭を、京哉がぽんぽんと優しく撫でた。その大きな手を両手で握って頬に寄せた彼女は、唇の震えを何とか堪えながら続ける。
「……だからね…アタシのこんな…気持ち……おかしいんだって思った…」
シェリーの手が震えている事に気が付いた京哉は、彼女の額に掌をあてる。かなり高熱があるように感じた。
「シェリー、麗慈の所急ぐからな。続きはまた…」
「待って……」
シフトレバーに掛かった左腕を握ったシェリーは、ハァハァと息を切らしながらまた言葉を紡ぎ始めた。
「………感謝しなきゃいけない…相手なのに………アタシ……」
フラフラと前後に揺れながら意識が遠のき始めた様子の彼女を見て、一刻も早く麗慈に処置してもらう必要があると判断した京哉。
バックしようと助手席のシートの後ろに腕を回して体を捻った時、もたれ掛かってきたシェリーが彼の耳元に顔を寄せてぐったりとしてしまった。
「シェリー…?シェリアーナ!しっかりしろよ!」
アクセルを踏みながら声を掛け続ける。明らかに様子がおかしいのだ。
路地をバックで抜けて幹線道路に戻ったところで、彼女をシートに戻そうと抜いた左腕で彼女の身体を押し戻した。
意識が朦朧としているようなのに、まだはくはくと何かを語ろうとしている。
「良いよ、シェリー!後で聞くから!今は黙っ…「……ねぇ…」
呼吸もままならない様子で縋るように京哉の手を握った。どうしても何かを訴えようとするシェリーの口元に顔を近付ける京哉。ヒューヒューと息の抜ける音が続いた後に、こんな状況にも関わらず彼女はその歌を口遊み始めた。
若き日のベートーヴェンが書いた『Zärtliche Liebe 』
明るく伸びやかなメロディの恋歌である。
「~erhalt uns beide……」
最後の音がシェリーの唇から離れた瞬間である。
彼女の体内で小さな金属音が響き、ハンネス機関特有の駆動音が胸の辺りから聞こえ始めたのだ。
[63] Variation 完
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