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#062 Semplice
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東京都・41歳男性「いくつになっても欲しいものが手に入るというのは嬉しい事だね。でも、知っているかな?手に入った瞬間よりも、目の前に置かれたその玩具に手を伸ばした瞬間の方が人間は最高潮に興奮するのさ」
…………………………………………………………………………………
鼻腔からどろりと生温かい液体が流れ出て、そのまま服を汚した。
今日何度目かわからない『躾』を受けて、彼は一人狭い物置の中に取り残される。
遠くから聞こえて来る子供達の楽しげな声。
世間一般に12月24日は家族や友達、恋人同士で特別な夜を過ごすのだと母親から聞いたことがある。
だから今日はこんなに大きなプリンを作ったのか?と問えば、彼女は首を横に振っていた。これは、貴方の誕生日を祝う為のものだと言って。
次に目覚めた時、京哉は自室の天井を見上げていた。隣の部屋からバタバタと忙しない物音がして麗慈が出掛けて行ったのがわかる。
オーストリアに亡命してもうすぐ1年が経とうとしていた。
寮室に軟禁状態で旋律師になる為の教育を受けていた為、この時は師匠のミーアの口から語られる事だけが京哉の世界の全てであった。
「…そういえば、今日はクリスマスイヴだったな」
レッスンの為に部屋にやってきたミーアが、廊下を移動する社員達が両腕に抱えていた色とりどりの小箱を見てポツリと呟く。
楽団に勤める社員達の子供を招いて、年に一度小さなコンサートを行うのが12月24日の定番であるという。そのための準備だろう、と続けたミーアの口振りからは、彼女にとってあまり興味のないものであることが伺えた。
ふと何かを思い出した京哉はミーアをその場に待たせて何処かに駆けて行ったかと思えば、書類が束になって納められた大きな缶の箱を持って帰ってきた。
「コレ……3日前に麗慈宛てに届いてたやつ。中のお手紙読んで要らないって言ってここにしまってたけど……」
赤と緑のストライプ。この色の組み合わせの便箋を使って便りを出す機会は限られてくる。先程ミーアが言っていたクリスマスコンサートのものではないかと京哉は考えたのだ。
「……クリスマスのコンサートにご招待します…。やっぱりそうだ。要らないって言ってたけど、捨てたら困るやつだ」
廃棄しかけていたその招待状をテーブルの上に置いた京哉の様子を見て、ミーアは目を細めていた。
京哉に宛てた招待状は来ていない。彼は部屋を出てはいけないからだ。
「レイジは要らないと言っていたのだろう?行くつもりはないんじゃないか?」
きっと麗慈は、京哉の事を思って内容を告げずに捨てようとしたのだろう。
その日のレッスンを終え、寮室を後にしたミーアは社員寮を包み込む明らかに平常とは違うどこか色めいた雰囲気に居心地の悪さを感じた。
社屋に移動してもそれは変わらず、夕方近くなってやってきた子供達の賑やかな笑い声でさえも苛立ちを感じずにはいられなかった。
彼の事を思えば彼女の心理状態は、至極当然のものであった。
きっと京哉は気が付いている。自分だけが不当な扱いを受けている事を。
託斗を楽団に縛り付けておくために、彼が愛した女に無理矢理産ませたクローン。
きっと旋律師になれば深淵の任務ばかり押し付けられるのだろう。わかりきっていた。
それでも彼が旋律師になる決断をしたキッカケを与えてしまったのは、師であるミーアであった。
母親を目の前で失い、親が音楽家である事を理由に理不尽な痛みを受け続けた京哉が欲したのは、平穏な暮らしでも、暖かく迎え入れてくれる里親でもなく、強さだったからだ。
しかし、京哉が一切の自由を許されない生活を強いられる様子を見る度に彼女は酷く後悔していた。
託斗を腹心として傍においているロジャーならば、話が通るのではないかと打診した事もある。
そして、ミーアは気が付いたのだ。京哉という存在をこの世に産み出す為に最初に非道を働いたロジャー程、京哉をモノのように扱っている人間はいないのだと。
…………………………………………………………………………………
フワフワと柔らかな雪が舞い落ちる様子を、靴を脱いで出窓の窓台に登って眺めていた京哉。玄関の鍵が解除される音に気が付き、振り返った拍子にバランスを崩して床に転がり落ちてしまった。
大きな物音に驚いて駆け寄ってきた麗慈の纏っているコートの肩には薄らと雪が付着している。
「…何してんだお前?」
コロンと床に転がったまま天井を見上げてパチクリと瞬きを繰り返す彼の顔を覗き込んだ麗慈が首を傾げた。
「机の上……拾っといた」
机の上?と聞き返した麗慈は、京哉が指差した先にある赤と緑のストラプ柄の封筒を見て目を見開いた。そして、気不味そうに視線を逸らす。
「クリスマスのコンサート…やってるんだって。ミーアさんが言ってた。そのシマシマのやつ、招待状だったよ。行かないの?」
「行かねぇよ。宿題とか色々あるし…そもそも興味ねーし」
脱いだコートをハンガーに掛けながら返した麗慈の背中をぼんやりと眺めていた京哉は、反動をつけて上体を起こす。そして招待状を手にとって麗慈の目の前に突き出した。
「……行ってきなよ。僕の事とか考えなくて良いから」
真っ直ぐ彼の方を見据える京哉。
「今までも、楽団の人に色々誘われたのに断ってきたの…知ってる」
そう言って招待状を押し付けた京哉は、窓際まで駆けて行って雪の降り頻る空を見上げていた。
オーストリアに来てから、この窓から見える景色と部屋の中の生活だけが京哉の世界の全てだった。
旋律師に育成する為の幽閉だと聞かされていたが、麗慈はそれが本当の意図ではないとわかっている。
上層部は京哉を恐れていたのだ。託斗の血を引く人間が謀反に走る事を。だから、幼く従順なうちに飼い慣らす。『組織の中でしか生きられない』のだと徹底的に植え付ける。
「……胸糞悪いから断った。それだけ」
そう告げて教科書の入ったカバンをひっ掴んだ麗慈は、最後に京哉の後ろ姿を一瞥して自室に籠った。
12月25日の記憶で1番古いのは5歳の時。
山深い場所にある二人の住まいでは、欲しい物はなかなか手に入らなかった。だから、ケーキではなくプリンだったのかもしれない。
「あ、あれ…ロウソク刺さらない…」
自信満々に座卓の上においた巨大なプリンに細い蝋燭を刺そうと奮闘するシエナであったが、やわらかな土台を擦り抜けてしまう。
「僕がもつ!」
見兼ねた京哉がシエナから5本の蝋燭を奪い、アルミホイルで巻かれた部分をギュッと握った。シエナがマッチで火をつけるとなかなかの勢いで燃え始め、慌てて吹き消す。
「……歌、うたう暇なかったねェ…」
「うん…」
顔を見合わせたシエナと京哉は暫く見つめ合った後、ケラケラと笑い始めた。それじゃあ、仕方ないから今から歌い始めようと言ったシエナに、京哉は大きく首を縦に振って応える。
Viel Glück und viel Segen はドイツでは誕生日などの祝いの席でよく歌われていたものだ。反音楽路線に突き進んで行ったドイツ国内では、次第に歌える人間も少なくなっていったという。
ブレゲンツに移住したシエナの家族は、祖母から教えてもらってこの歌をよく歌って誕生日を祝っていた。
「はーい、プレゼントですよ!もうバリバリいっちゃって!思いっきり!」
勢い良く包装紙を剥けとジェスチャーで訴えるシエナの要望に反して、京哉は綺麗に中身を取り出す。ぺらりとした50センチ四方の布が1枚……。
「ほらほら、貸してみて」
シエナの手には京哉が普段練習で使用しているフルートの頭部管が握られていた。小首を傾げながら布を手渡した京哉。シエナが管を丁寧に擦って彼の目の前に差し出すと、目を見開いて嬉しそうに笑い声を上げた。
綺麗に磨かれた表面に自分と母親の顔がみょーんと歪んで映っている。
「京ちゃんに渡してたやつ、中古で表面が曇ってたからさぁ……ちょっとお高いけどめちゃ綺麗になるヤツ、取り寄せちゃいましたー!もちろん闇ルートで…っ!」
ピカピカになった自分のフルートを見て、京哉は飛び跳ねながら喜んでいた。大層嬉しそうにしている彼の様子に、シエナも笑顔を見せる。
「おめでとう、京ちゃん。もう5歳かぁ~……まだ5歳!あと120年は人生楽しめるね~」
「そうなの?120年ってどれくらい?」
考え込んだシエナは、竹の花が咲くぐらい?と答え、京哉は余計に首を傾げてしまった。
「お母さんも竹の花一緒に見れる?」
「さすがに120年は無理かも~」
へへへ、と情けない表情で笑ったシエナは京哉を抱きしめてわしゃわしゃと頭を撫でた。
「でも…できるだけ長く、一緒にいられたら良いね。これからも毎年、京ちゃんのお誕生日お祝いしないといけないから!」
彼女の言葉を聞いてパァッと表情を明るくした京哉。しかし、ふと疑問に思った事を口に出した。
「京ちゃんが結婚しても、お母さんと一緒?ずっと?」
「あっ……しまった…!嫁姑問題かぁ~…京ちゃんをマザコン糞旦那にさせるわけにはいかないなぁ~」
シエナが額に手を置いて畳にへたり込む様子を見て、何それ!何それ!と言いながら嬉しそうに彼女の背中を叩く京哉。
「来年は?来年は一緒?僕の6歳の誕生日だよ?」
「来年ならヨユーでしょ!来年はロウソクがしっかり刺さるようにカッチカチのプリン作るからね~」
勝ち誇った表情で差し出されたシエナの小指に、京哉は満面の笑みを浮かべて自らの小指を絡める。
「約束だよ!絶対一緒だからね!」
勢い良く上下にブンブンと振りながら指切りをする。
しかし、その約束は果たされる事はなかった。5歳の誕生日から間もなくして、シエナは殺された。
あんなに顔全体をくしゃくしゃにして大袈裟に笑う人だったのに。無表情で倒れる母親の体から夥しい量の血が流れ出し、畳を染めていった。
誕生日の事を思い出す度、目の前で徐々に冷たくなっていったシエナの姿を鮮明に思い出してしまう。
…………………………………………………………………………………
窓に写る自分の顔、その頬に一筋の雫が流れている事に気が付き、慌てて袖で拭った。
ちょうどその時、来客を知らせるノックの音が聞こえて京哉は玄関の方へと駆けていく。
少し重たい扉のノブを両手で思い切り引くと、そこには白い箱を持ったミーアの姿があった。彼女がレッスンの時間以外に訪ねてくるのは初めてであった。
「少し良いかな?レイジも帰ってきてたら呼んでほしいんだが…」
ミーアを室内に招き入れ、京哉は麗慈の部屋のドアをドンドン叩く。数秒後に面倒臭そうな表情で出てきた彼も、彼女の姿を確認すると大層驚いた様子であった。
箱の中には、2切れの苺のショートケーキが入っていた。出所は言わなかったが、恐らく子供達の為に開かれたコンサートで振舞われたのであろう。
「あと…クリスマスプレゼントという訳ではないのだが…」
ミーアが取り出したのは楽器を拭く為のクロスであった。少し前に京哉と麗慈に渡すようにと彼女の元に社給品が届いていたという。
「恐らくこれから、数十枚という単位で必要になる。特に…キョウヤ。君の場合は」
ミーアの言葉から、麗慈はこの布が楽器に付着した血を拭う為の物だと理解した。
これから楽団は京哉に数え切れない程の命を奪わせるつもりなのだ。京哉はその事に気が付いているのかと、気になった麗慈はこっそりと横目で彼の方を見る。
そして、ポタポタと彼の手元に涙が零れ落ちている様子にギョッとした。ミーアも動揺している。
「ど…どうした?」
慌てて京哉の隣に跪き、顔を覗き込む。しかし、首を横に振るばかり。困った彼女が麗慈の方に視線を向けると、彼はクロスを指差した。
「……すまない……今すぐにという訳ではないんだ。失言だった…」
困惑するミーアの目の前で、京哉はじっと俯いたまま動かなくなってしまった。
京哉の事を心配しながら部屋を後にしたミーアに代わり、今度は麗慈が困ってしまった。
肩を揺すっても反応しないし、泣き止む訳でもない。
「ミーアさんも言ってただろ。すぐじゃねぇって。あんまり困らせんなよ」
ため息混じりで隣に座った麗慈は、京哉が鼻を啜りながら此方を睨んでいる様子に気がついた。
「な、何だよ……」
「何言ってるかわかんない…」
そこでようやく、ミーアの言葉がキッカケで泣いているのではないのだと判明する。じゃあ何だと問いただそうとした時、京哉のほうから口を開いた。
12月25日が誕生日であること。母親と最後に過ごした誕生日に貰ったのが、クロスであったこと。
麗慈には京哉の気持ちはあまりわからなかった。元々存在していた物を失う方が心が痛いのではないか、という程度の理解だった。彼は親という存在に触れたことがなかったからだ。そして、もう一つ理由がある。
「…俺、誕生日わかんねーから、あんまピンとこねぇ…。多分夏?らしいけど…」
「……なんかごめん…」
もしかしたら傷付けたかもしれないと謝った京哉の額を小突いて気にしていないと返す。
「別に僕も……誰かにお祝いして欲しいとかじゃなくて…むしろ、誕生日のこと触れられたくないというか…」
モジモジと返した京哉は、声のボリュームと共に身体も小さくして膝を抱えて蹲ってしまった。
「さっきのは…びっくりしちゃったんだ。色々タイミングが……嫌な事思い出しちゃって…」
京哉の話を聞いてやれ、という梓の指示通りに麗慈は彼の弱音をいつも受け止めていた。だから、『誕生日』というものが彼にとってある意味タブーのような存在になっているのだとすぐに気が付いた。
京哉にとってそれは自身のイベントではなく、母親という掛け替えのない存在との“最後”の思い出そのものなのだ。誰にも踏み入る事ができない聖域であり、その事は本人ですら自覚していない。
『誰か』と祝うのではダメなのだ。そこに母親の姿がなければ。
…………………………………………………………………………………
根城の廃ビル前まで戻って来た京哉のPHSは何者かの着信を受けて振動していた。マオには先に上にあがるように促し、物陰で端末を取り出す。
「はいはーい、何だよ急に?ちょうど六本木戻ってきた所でさぁ…」
『じゃあ間に合ったって事だな』
それは、麗慈からの着信であった。一体何が間に合ったのだと訝しげな表情を浮かべる京哉。
『お前ン所のお嬢さんが、お前の誕生日を祝うんだと』
「……はっ?何それ!?」
想定外のリークに京哉は素っ頓狂な声を出す。
「麗慈が教えた……?僕の誕生日……」
『まぁな』
あっけらかんとした回答に京哉の頭には複数のはてなマークが浮かんでいた。麗慈には過去に、誕生日についてはあまり人に知られたくないと話していた記憶がある。彼に限って何故バラしたりしたのか…。
『8月18日か19日』
うんうん唸っている間に追加で麗慈が告げたのはその日付。
『自分が死んだら渡せって言って養父に預けてた手紙に書いてあった』
「……梓さんのか」
先日の散骨前に立ち寄った梓の隠れ家で手に入れたのであろう。彼からはその時の話はあまり聞いていない。
『俺が拾われて病院に引き渡されたのが19日の朝9時ごろ……8月に産み捨てられた新生児が生き延びてるなら、18日の夜か19日の明け方ぐらいしか考えられない…ってのが病院の記録にあったらしい』
彼が養父から手渡された梓からの手紙には、生前彼女が調べ上げた麗慈に関する情報が記載されていた。便箋5枚にまとめられた様々な情報の最後に、彼女からのメッセージが綴られていたのだ。
『アンタは興味無いフリしてたけどさ、やっぱり誕生日って特別な1日だから。私は毎年こっそり祝ってたからね、アンタの産まれてきた日を』
どうしてこんなに面倒な事を?という感情を抱きながら読み始めた梓からの手紙であったが、そのメッセージに辿り着いてようやくその意図が理解できた。
『誰かに、アンタは生きていて良いんだよって言われてなきゃ、人間ってちゃんとまっすぐ生きられないんだよ。どっかで歪んじゃうんだから。でも生きてて良いよーなんて伝え方変じゃない?だから、おめでとうって言って祝うんだよ、誕生日を』
それはオーストリア時代に梓のレッスンで聞いた話であった。当時は全く心に響かなかったあの言葉も、大人になった今では理解できる。
あの当時、麗慈は京哉に適切な言葉をかけてやることができなかった。母親の死というトラウマを抱えてしまった彼に対し、それでも…と無理強いできるだけの説得力のある経験が自分にはなかったからだ。
しかし、養母である梓が遺した手紙が麗慈の意識を変えた。
彼女は自分が死んだ後も、彼が真っ直ぐ前を向いて生きられるように、誰かに生まれた事を祝ってもらえるように、という想いでメッセージを残したのだ。
彼女の言葉を借りるなら、要するに『カッコ付けてんじゃねェ』という事。
『…22歳おめでとう。そっから一気に老いるから今のうちに楽しんでおけよ。あと、俺の誕生日には何か良いモン期待しとくわ』
「お、老い…!?あー…わかったよ。一生使う事無さそうだけど勝負下着とかでも良い?」
『却下』
ブチっと通話が切られ、虚しい電子音を聞きながら京哉は廃ビルの壁にもたれ掛かって深い溜め息をついた。
知られてしまったのなら仕方ない。そう割り切ろうにも、京哉にとっては強烈なトラウマがある。「おめでとう」と言われて素直に喜べる気は全くしなかった。
終始暗い顔で対応して、祝ってくれた相手を嫌な気持ちにさせる自信すらある。
…………………………………………………………………………………
ぼんやりと思考に耽るうちに、もう入り口が目の前に迫っていた。重い足取りで中に入ると、シンと静まり返っている。
「…あ、アレ?誰もいない?」
キョロキョロと周囲を見渡しながら人の気配を探した。
パーティションの曲がり角に差し掛かった時、色白の腕が地面に投げ出されている様子が目に入り、京哉は慌てて駆け寄る。
「……ん?」
しかしそれは、どこから拾ってきたのであろうか…マネキンの肘から先の部分。しゃがみ込んで腕を拾い上げようとした瞬間に視界が真っ暗になった。
頭の上からスッポリと麻袋を被せられているのだ。ギャーギャーと暴れているうちにズルズルと強い力で引き摺られていき、一旦外に出たかと思えば椅子に座らされていた。
バッと麻袋を外され瞬間、京哉の目の前に広がっていたのは皆が自分に向けてクラッカーを構える姿。一斉に紐が引かれると、想像以上の爆音と共に凄まじい量の紙吹雪が彼の顔面目掛けて飛んで来た。そして濛々と立ち込める硝煙にむせ返る室内。
「ゲホッ……ちょっ…道夫さん、火薬の量間違えたんじゃない?」
「いやぁ、突貫工事でしたからな。ははは」
祐介と道夫のやり取りが聞こえる。そして、煙を掻き分けながら近付いてきた人影が手に持っていたサテン素材の襷を肩に掛けてきた。
ムスッと口をへの字に結んでいるシェリー。何故か少し不機嫌な様子である。
換気の為に全ての窓を開け放てば、煙が一気に晴れて室内に施されて特別な装飾の数々がお目見えする。
色の付いた紙で作られた輪飾が等間隔に撓みながら連なり、足りない所は新聞紙が代用されている。
コの字に並べられた雀卓の上には、先程の爆音クラッカーから飛び出した紙吹雪が大量に降り積もっていたが、恐らく祐介が用意したと思われる定番のハンバーグやサンドイッチが並んでいた。
そして、カウンターの奥に隠されていたアップライトピアノから聞こえてきた前奏は、京哉が17年ぶりに耳にするあの曲のものである。
鬼頭の伴奏で、正面に立っていたシェリーが『Viel Glück und viel Segen』を歌い始める。祐介と道夫、そしてマオはドイツ語がわからない為、手拍子を打っていた。
母親と過ごした日々の記憶が次々と蘇る。
いつも明るく前向きだったシエナ。彼女が親になったのは本意ではなかったのだと知った時、平静を装ってはいたものの、京哉は地の底に落とされたような心情であった。
本当は親になりたくなかったのかもしれない。それも、自分とは血の繋がりのない子供の母親になんて。
不自由な生活を強いられる中で、彼女はどんな想いで息子を育てていたのか。
その疑問の答えは、京哉自身の記憶の中に既に存在していた。
彼女はあんなにも全力で愛してくれていたのだ。疑問に思う必要など無い。
シエナが、託斗がこの世に存在しなければ京哉はこの世に産まれていなかった。二人は愛し合っていた。
間違いなく自分は二人の間に産まれた子供なのだ。
「誕生日おめでとう……」
歌い終えたシェリーが床を見つめながらボソリと呟いた。
「……シェリー…」
「キョウヤがいなかったら…今のアタシは存在してなかった、から……あ……あり…がと……」
茹蛸のように顔を真っ赤にしながら走り去っていった彼女の様子に、祐介と道夫はほっこりとした笑顔を見せている。
「京ちゃん、これからも世話焼かせてよ。あ、でも喧嘩は程々にね」
人として京哉と接してくれた協力者は祐介が初めてである。自身の正義を信じて行動できる男を京哉は羨ましく思っていた。
楽団の命令でどんな悪にも手を染めざるを得なかった京哉とは正反対を生きる彼の姿に、母親の面影を感じたのだ。
目の前には5人の人間。そして、先程の麗慈も含めると6人に誕生日を祝われた京哉。彼にとっては初めての体験であった。
「…なんか、想像してたのと違った」
祝福を受けて第一に口から出た感想がソレであった。どういう意味だと訝しげな表情を浮かべるシェリー達。
「誰かに祝われんの、苦手だと思ってたから……だから、なんか……こんな嬉しいモンなんだなって知って…」
モゴモゴと言葉を濁す京哉の照れ隠しに、彼らは顔を見合わせてニヤリと笑っていた。
「カッコ付けてんじゃねェ、キョウヤのくせに」
ヤジを飛ばしてきたシェリーも、その表情はにこやかな笑顔であった。
…………………………………………………………………………………
虎ノ門ヒルズの地下深く。赤く薄暗い灯りが等間隔に続く廊下を歩いていたのはミゲルである。もう義足にも慣れた様子で、松葉杖はお役御免となっていた。
最下層の巨大な水槽前。固く閉ざされているハッチの更に下に、零式自鳴琴と化したシエナが眠らされている。
操作盤には幾重にもロックが掛かっており、解錠方法を知る世界政府の人間しか彼女を呼び覚すことはできなかった。
「もうすぐ会えそうだね、シエナ・シルヴェスター。君の旦那も檻に戻ったようだし…そろそろ始まる頃合いだろう。あとは壱式を覚醒させて…」
ふとミゲルが視線を落とした操作盤の一部が、赤く明滅していた。
「……オリジナルは既に目覚めていたのか…?」
ピコピコと光るランプの上には、『First』の文字が刻まれており、それを食い入るように見つめていたミゲルの表情は恍惚としていた。
見せかけの平和を嫌うミゲルの考える世界再生にとって、零式自鳴琴は必要不可欠なものであった。短時間で世界を焼き尽くす圧倒的な火力を持つ終末兵器であるシエナを、彼は神と崇めている。
遅れてミゲルの元にやってきたユリエルは、初めて目にする巨大水槽に圧倒されていた。
「……此処に例の兵器が…」
「不粋な言い方だね、ユリエル。彼女は神だよ。我々の理想を叶えてくれる…そうだな……まぁ、破壊神ではあるけれどね」
笑いながら宣うミゲルは、彼に報告を促す。
「はい…ガブリエルからでした。六本木で強力なエネルギーを感知した…と。一瞬で収まりはしたものの、何かが目覚めたような脈動がある……相変わらず抽象的な内容でしたが」
ユリエルの言葉を聞いたミゲルは、「やはり…」と小声で呟きながら拳を強く握った。
そして、折角地下深くまで潜ったばかりだというのに踵を返してエレベーターの方へと向かい始める。大股で急ぐ彼の後方を小走りで追ったユリエルは、彼の一挙手一投足に振り回されながらも来たる“終焉の日”に向かって着実に計画を推し進める頼れる上司の背中から目を離せずにいた。
[62] Semplice 完
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鼻腔からどろりと生温かい液体が流れ出て、そのまま服を汚した。
今日何度目かわからない『躾』を受けて、彼は一人狭い物置の中に取り残される。
遠くから聞こえて来る子供達の楽しげな声。
世間一般に12月24日は家族や友達、恋人同士で特別な夜を過ごすのだと母親から聞いたことがある。
だから今日はこんなに大きなプリンを作ったのか?と問えば、彼女は首を横に振っていた。これは、貴方の誕生日を祝う為のものだと言って。
次に目覚めた時、京哉は自室の天井を見上げていた。隣の部屋からバタバタと忙しない物音がして麗慈が出掛けて行ったのがわかる。
オーストリアに亡命してもうすぐ1年が経とうとしていた。
寮室に軟禁状態で旋律師になる為の教育を受けていた為、この時は師匠のミーアの口から語られる事だけが京哉の世界の全てであった。
「…そういえば、今日はクリスマスイヴだったな」
レッスンの為に部屋にやってきたミーアが、廊下を移動する社員達が両腕に抱えていた色とりどりの小箱を見てポツリと呟く。
楽団に勤める社員達の子供を招いて、年に一度小さなコンサートを行うのが12月24日の定番であるという。そのための準備だろう、と続けたミーアの口振りからは、彼女にとってあまり興味のないものであることが伺えた。
ふと何かを思い出した京哉はミーアをその場に待たせて何処かに駆けて行ったかと思えば、書類が束になって納められた大きな缶の箱を持って帰ってきた。
「コレ……3日前に麗慈宛てに届いてたやつ。中のお手紙読んで要らないって言ってここにしまってたけど……」
赤と緑のストライプ。この色の組み合わせの便箋を使って便りを出す機会は限られてくる。先程ミーアが言っていたクリスマスコンサートのものではないかと京哉は考えたのだ。
「……クリスマスのコンサートにご招待します…。やっぱりそうだ。要らないって言ってたけど、捨てたら困るやつだ」
廃棄しかけていたその招待状をテーブルの上に置いた京哉の様子を見て、ミーアは目を細めていた。
京哉に宛てた招待状は来ていない。彼は部屋を出てはいけないからだ。
「レイジは要らないと言っていたのだろう?行くつもりはないんじゃないか?」
きっと麗慈は、京哉の事を思って内容を告げずに捨てようとしたのだろう。
その日のレッスンを終え、寮室を後にしたミーアは社員寮を包み込む明らかに平常とは違うどこか色めいた雰囲気に居心地の悪さを感じた。
社屋に移動してもそれは変わらず、夕方近くなってやってきた子供達の賑やかな笑い声でさえも苛立ちを感じずにはいられなかった。
彼の事を思えば彼女の心理状態は、至極当然のものであった。
きっと京哉は気が付いている。自分だけが不当な扱いを受けている事を。
託斗を楽団に縛り付けておくために、彼が愛した女に無理矢理産ませたクローン。
きっと旋律師になれば深淵の任務ばかり押し付けられるのだろう。わかりきっていた。
それでも彼が旋律師になる決断をしたキッカケを与えてしまったのは、師であるミーアであった。
母親を目の前で失い、親が音楽家である事を理由に理不尽な痛みを受け続けた京哉が欲したのは、平穏な暮らしでも、暖かく迎え入れてくれる里親でもなく、強さだったからだ。
しかし、京哉が一切の自由を許されない生活を強いられる様子を見る度に彼女は酷く後悔していた。
託斗を腹心として傍においているロジャーならば、話が通るのではないかと打診した事もある。
そして、ミーアは気が付いたのだ。京哉という存在をこの世に産み出す為に最初に非道を働いたロジャー程、京哉をモノのように扱っている人間はいないのだと。
…………………………………………………………………………………
フワフワと柔らかな雪が舞い落ちる様子を、靴を脱いで出窓の窓台に登って眺めていた京哉。玄関の鍵が解除される音に気が付き、振り返った拍子にバランスを崩して床に転がり落ちてしまった。
大きな物音に驚いて駆け寄ってきた麗慈の纏っているコートの肩には薄らと雪が付着している。
「…何してんだお前?」
コロンと床に転がったまま天井を見上げてパチクリと瞬きを繰り返す彼の顔を覗き込んだ麗慈が首を傾げた。
「机の上……拾っといた」
机の上?と聞き返した麗慈は、京哉が指差した先にある赤と緑のストラプ柄の封筒を見て目を見開いた。そして、気不味そうに視線を逸らす。
「クリスマスのコンサート…やってるんだって。ミーアさんが言ってた。そのシマシマのやつ、招待状だったよ。行かないの?」
「行かねぇよ。宿題とか色々あるし…そもそも興味ねーし」
脱いだコートをハンガーに掛けながら返した麗慈の背中をぼんやりと眺めていた京哉は、反動をつけて上体を起こす。そして招待状を手にとって麗慈の目の前に突き出した。
「……行ってきなよ。僕の事とか考えなくて良いから」
真っ直ぐ彼の方を見据える京哉。
「今までも、楽団の人に色々誘われたのに断ってきたの…知ってる」
そう言って招待状を押し付けた京哉は、窓際まで駆けて行って雪の降り頻る空を見上げていた。
オーストリアに来てから、この窓から見える景色と部屋の中の生活だけが京哉の世界の全てだった。
旋律師に育成する為の幽閉だと聞かされていたが、麗慈はそれが本当の意図ではないとわかっている。
上層部は京哉を恐れていたのだ。託斗の血を引く人間が謀反に走る事を。だから、幼く従順なうちに飼い慣らす。『組織の中でしか生きられない』のだと徹底的に植え付ける。
「……胸糞悪いから断った。それだけ」
そう告げて教科書の入ったカバンをひっ掴んだ麗慈は、最後に京哉の後ろ姿を一瞥して自室に籠った。
12月25日の記憶で1番古いのは5歳の時。
山深い場所にある二人の住まいでは、欲しい物はなかなか手に入らなかった。だから、ケーキではなくプリンだったのかもしれない。
「あ、あれ…ロウソク刺さらない…」
自信満々に座卓の上においた巨大なプリンに細い蝋燭を刺そうと奮闘するシエナであったが、やわらかな土台を擦り抜けてしまう。
「僕がもつ!」
見兼ねた京哉がシエナから5本の蝋燭を奪い、アルミホイルで巻かれた部分をギュッと握った。シエナがマッチで火をつけるとなかなかの勢いで燃え始め、慌てて吹き消す。
「……歌、うたう暇なかったねェ…」
「うん…」
顔を見合わせたシエナと京哉は暫く見つめ合った後、ケラケラと笑い始めた。それじゃあ、仕方ないから今から歌い始めようと言ったシエナに、京哉は大きく首を縦に振って応える。
Viel Glück und viel Segen はドイツでは誕生日などの祝いの席でよく歌われていたものだ。反音楽路線に突き進んで行ったドイツ国内では、次第に歌える人間も少なくなっていったという。
ブレゲンツに移住したシエナの家族は、祖母から教えてもらってこの歌をよく歌って誕生日を祝っていた。
「はーい、プレゼントですよ!もうバリバリいっちゃって!思いっきり!」
勢い良く包装紙を剥けとジェスチャーで訴えるシエナの要望に反して、京哉は綺麗に中身を取り出す。ぺらりとした50センチ四方の布が1枚……。
「ほらほら、貸してみて」
シエナの手には京哉が普段練習で使用しているフルートの頭部管が握られていた。小首を傾げながら布を手渡した京哉。シエナが管を丁寧に擦って彼の目の前に差し出すと、目を見開いて嬉しそうに笑い声を上げた。
綺麗に磨かれた表面に自分と母親の顔がみょーんと歪んで映っている。
「京ちゃんに渡してたやつ、中古で表面が曇ってたからさぁ……ちょっとお高いけどめちゃ綺麗になるヤツ、取り寄せちゃいましたー!もちろん闇ルートで…っ!」
ピカピカになった自分のフルートを見て、京哉は飛び跳ねながら喜んでいた。大層嬉しそうにしている彼の様子に、シエナも笑顔を見せる。
「おめでとう、京ちゃん。もう5歳かぁ~……まだ5歳!あと120年は人生楽しめるね~」
「そうなの?120年ってどれくらい?」
考え込んだシエナは、竹の花が咲くぐらい?と答え、京哉は余計に首を傾げてしまった。
「お母さんも竹の花一緒に見れる?」
「さすがに120年は無理かも~」
へへへ、と情けない表情で笑ったシエナは京哉を抱きしめてわしゃわしゃと頭を撫でた。
「でも…できるだけ長く、一緒にいられたら良いね。これからも毎年、京ちゃんのお誕生日お祝いしないといけないから!」
彼女の言葉を聞いてパァッと表情を明るくした京哉。しかし、ふと疑問に思った事を口に出した。
「京ちゃんが結婚しても、お母さんと一緒?ずっと?」
「あっ……しまった…!嫁姑問題かぁ~…京ちゃんをマザコン糞旦那にさせるわけにはいかないなぁ~」
シエナが額に手を置いて畳にへたり込む様子を見て、何それ!何それ!と言いながら嬉しそうに彼女の背中を叩く京哉。
「来年は?来年は一緒?僕の6歳の誕生日だよ?」
「来年ならヨユーでしょ!来年はロウソクがしっかり刺さるようにカッチカチのプリン作るからね~」
勝ち誇った表情で差し出されたシエナの小指に、京哉は満面の笑みを浮かべて自らの小指を絡める。
「約束だよ!絶対一緒だからね!」
勢い良く上下にブンブンと振りながら指切りをする。
しかし、その約束は果たされる事はなかった。5歳の誕生日から間もなくして、シエナは殺された。
あんなに顔全体をくしゃくしゃにして大袈裟に笑う人だったのに。無表情で倒れる母親の体から夥しい量の血が流れ出し、畳を染めていった。
誕生日の事を思い出す度、目の前で徐々に冷たくなっていったシエナの姿を鮮明に思い出してしまう。
…………………………………………………………………………………
窓に写る自分の顔、その頬に一筋の雫が流れている事に気が付き、慌てて袖で拭った。
ちょうどその時、来客を知らせるノックの音が聞こえて京哉は玄関の方へと駆けていく。
少し重たい扉のノブを両手で思い切り引くと、そこには白い箱を持ったミーアの姿があった。彼女がレッスンの時間以外に訪ねてくるのは初めてであった。
「少し良いかな?レイジも帰ってきてたら呼んでほしいんだが…」
ミーアを室内に招き入れ、京哉は麗慈の部屋のドアをドンドン叩く。数秒後に面倒臭そうな表情で出てきた彼も、彼女の姿を確認すると大層驚いた様子であった。
箱の中には、2切れの苺のショートケーキが入っていた。出所は言わなかったが、恐らく子供達の為に開かれたコンサートで振舞われたのであろう。
「あと…クリスマスプレゼントという訳ではないのだが…」
ミーアが取り出したのは楽器を拭く為のクロスであった。少し前に京哉と麗慈に渡すようにと彼女の元に社給品が届いていたという。
「恐らくこれから、数十枚という単位で必要になる。特に…キョウヤ。君の場合は」
ミーアの言葉から、麗慈はこの布が楽器に付着した血を拭う為の物だと理解した。
これから楽団は京哉に数え切れない程の命を奪わせるつもりなのだ。京哉はその事に気が付いているのかと、気になった麗慈はこっそりと横目で彼の方を見る。
そして、ポタポタと彼の手元に涙が零れ落ちている様子にギョッとした。ミーアも動揺している。
「ど…どうした?」
慌てて京哉の隣に跪き、顔を覗き込む。しかし、首を横に振るばかり。困った彼女が麗慈の方に視線を向けると、彼はクロスを指差した。
「……すまない……今すぐにという訳ではないんだ。失言だった…」
困惑するミーアの目の前で、京哉はじっと俯いたまま動かなくなってしまった。
京哉の事を心配しながら部屋を後にしたミーアに代わり、今度は麗慈が困ってしまった。
肩を揺すっても反応しないし、泣き止む訳でもない。
「ミーアさんも言ってただろ。すぐじゃねぇって。あんまり困らせんなよ」
ため息混じりで隣に座った麗慈は、京哉が鼻を啜りながら此方を睨んでいる様子に気がついた。
「な、何だよ……」
「何言ってるかわかんない…」
そこでようやく、ミーアの言葉がキッカケで泣いているのではないのだと判明する。じゃあ何だと問いただそうとした時、京哉のほうから口を開いた。
12月25日が誕生日であること。母親と最後に過ごした誕生日に貰ったのが、クロスであったこと。
麗慈には京哉の気持ちはあまりわからなかった。元々存在していた物を失う方が心が痛いのではないか、という程度の理解だった。彼は親という存在に触れたことがなかったからだ。そして、もう一つ理由がある。
「…俺、誕生日わかんねーから、あんまピンとこねぇ…。多分夏?らしいけど…」
「……なんかごめん…」
もしかしたら傷付けたかもしれないと謝った京哉の額を小突いて気にしていないと返す。
「別に僕も……誰かにお祝いして欲しいとかじゃなくて…むしろ、誕生日のこと触れられたくないというか…」
モジモジと返した京哉は、声のボリュームと共に身体も小さくして膝を抱えて蹲ってしまった。
「さっきのは…びっくりしちゃったんだ。色々タイミングが……嫌な事思い出しちゃって…」
京哉の話を聞いてやれ、という梓の指示通りに麗慈は彼の弱音をいつも受け止めていた。だから、『誕生日』というものが彼にとってある意味タブーのような存在になっているのだとすぐに気が付いた。
京哉にとってそれは自身のイベントではなく、母親という掛け替えのない存在との“最後”の思い出そのものなのだ。誰にも踏み入る事ができない聖域であり、その事は本人ですら自覚していない。
『誰か』と祝うのではダメなのだ。そこに母親の姿がなければ。
…………………………………………………………………………………
根城の廃ビル前まで戻って来た京哉のPHSは何者かの着信を受けて振動していた。マオには先に上にあがるように促し、物陰で端末を取り出す。
「はいはーい、何だよ急に?ちょうど六本木戻ってきた所でさぁ…」
『じゃあ間に合ったって事だな』
それは、麗慈からの着信であった。一体何が間に合ったのだと訝しげな表情を浮かべる京哉。
『お前ン所のお嬢さんが、お前の誕生日を祝うんだと』
「……はっ?何それ!?」
想定外のリークに京哉は素っ頓狂な声を出す。
「麗慈が教えた……?僕の誕生日……」
『まぁな』
あっけらかんとした回答に京哉の頭には複数のはてなマークが浮かんでいた。麗慈には過去に、誕生日についてはあまり人に知られたくないと話していた記憶がある。彼に限って何故バラしたりしたのか…。
『8月18日か19日』
うんうん唸っている間に追加で麗慈が告げたのはその日付。
『自分が死んだら渡せって言って養父に預けてた手紙に書いてあった』
「……梓さんのか」
先日の散骨前に立ち寄った梓の隠れ家で手に入れたのであろう。彼からはその時の話はあまり聞いていない。
『俺が拾われて病院に引き渡されたのが19日の朝9時ごろ……8月に産み捨てられた新生児が生き延びてるなら、18日の夜か19日の明け方ぐらいしか考えられない…ってのが病院の記録にあったらしい』
彼が養父から手渡された梓からの手紙には、生前彼女が調べ上げた麗慈に関する情報が記載されていた。便箋5枚にまとめられた様々な情報の最後に、彼女からのメッセージが綴られていたのだ。
『アンタは興味無いフリしてたけどさ、やっぱり誕生日って特別な1日だから。私は毎年こっそり祝ってたからね、アンタの産まれてきた日を』
どうしてこんなに面倒な事を?という感情を抱きながら読み始めた梓からの手紙であったが、そのメッセージに辿り着いてようやくその意図が理解できた。
『誰かに、アンタは生きていて良いんだよって言われてなきゃ、人間ってちゃんとまっすぐ生きられないんだよ。どっかで歪んじゃうんだから。でも生きてて良いよーなんて伝え方変じゃない?だから、おめでとうって言って祝うんだよ、誕生日を』
それはオーストリア時代に梓のレッスンで聞いた話であった。当時は全く心に響かなかったあの言葉も、大人になった今では理解できる。
あの当時、麗慈は京哉に適切な言葉をかけてやることができなかった。母親の死というトラウマを抱えてしまった彼に対し、それでも…と無理強いできるだけの説得力のある経験が自分にはなかったからだ。
しかし、養母である梓が遺した手紙が麗慈の意識を変えた。
彼女は自分が死んだ後も、彼が真っ直ぐ前を向いて生きられるように、誰かに生まれた事を祝ってもらえるように、という想いでメッセージを残したのだ。
彼女の言葉を借りるなら、要するに『カッコ付けてんじゃねェ』という事。
『…22歳おめでとう。そっから一気に老いるから今のうちに楽しんでおけよ。あと、俺の誕生日には何か良いモン期待しとくわ』
「お、老い…!?あー…わかったよ。一生使う事無さそうだけど勝負下着とかでも良い?」
『却下』
ブチっと通話が切られ、虚しい電子音を聞きながら京哉は廃ビルの壁にもたれ掛かって深い溜め息をついた。
知られてしまったのなら仕方ない。そう割り切ろうにも、京哉にとっては強烈なトラウマがある。「おめでとう」と言われて素直に喜べる気は全くしなかった。
終始暗い顔で対応して、祝ってくれた相手を嫌な気持ちにさせる自信すらある。
…………………………………………………………………………………
ぼんやりと思考に耽るうちに、もう入り口が目の前に迫っていた。重い足取りで中に入ると、シンと静まり返っている。
「…あ、アレ?誰もいない?」
キョロキョロと周囲を見渡しながら人の気配を探した。
パーティションの曲がり角に差し掛かった時、色白の腕が地面に投げ出されている様子が目に入り、京哉は慌てて駆け寄る。
「……ん?」
しかしそれは、どこから拾ってきたのであろうか…マネキンの肘から先の部分。しゃがみ込んで腕を拾い上げようとした瞬間に視界が真っ暗になった。
頭の上からスッポリと麻袋を被せられているのだ。ギャーギャーと暴れているうちにズルズルと強い力で引き摺られていき、一旦外に出たかと思えば椅子に座らされていた。
バッと麻袋を外され瞬間、京哉の目の前に広がっていたのは皆が自分に向けてクラッカーを構える姿。一斉に紐が引かれると、想像以上の爆音と共に凄まじい量の紙吹雪が彼の顔面目掛けて飛んで来た。そして濛々と立ち込める硝煙にむせ返る室内。
「ゲホッ……ちょっ…道夫さん、火薬の量間違えたんじゃない?」
「いやぁ、突貫工事でしたからな。ははは」
祐介と道夫のやり取りが聞こえる。そして、煙を掻き分けながら近付いてきた人影が手に持っていたサテン素材の襷を肩に掛けてきた。
ムスッと口をへの字に結んでいるシェリー。何故か少し不機嫌な様子である。
換気の為に全ての窓を開け放てば、煙が一気に晴れて室内に施されて特別な装飾の数々がお目見えする。
色の付いた紙で作られた輪飾が等間隔に撓みながら連なり、足りない所は新聞紙が代用されている。
コの字に並べられた雀卓の上には、先程の爆音クラッカーから飛び出した紙吹雪が大量に降り積もっていたが、恐らく祐介が用意したと思われる定番のハンバーグやサンドイッチが並んでいた。
そして、カウンターの奥に隠されていたアップライトピアノから聞こえてきた前奏は、京哉が17年ぶりに耳にするあの曲のものである。
鬼頭の伴奏で、正面に立っていたシェリーが『Viel Glück und viel Segen』を歌い始める。祐介と道夫、そしてマオはドイツ語がわからない為、手拍子を打っていた。
母親と過ごした日々の記憶が次々と蘇る。
いつも明るく前向きだったシエナ。彼女が親になったのは本意ではなかったのだと知った時、平静を装ってはいたものの、京哉は地の底に落とされたような心情であった。
本当は親になりたくなかったのかもしれない。それも、自分とは血の繋がりのない子供の母親になんて。
不自由な生活を強いられる中で、彼女はどんな想いで息子を育てていたのか。
その疑問の答えは、京哉自身の記憶の中に既に存在していた。
彼女はあんなにも全力で愛してくれていたのだ。疑問に思う必要など無い。
シエナが、託斗がこの世に存在しなければ京哉はこの世に産まれていなかった。二人は愛し合っていた。
間違いなく自分は二人の間に産まれた子供なのだ。
「誕生日おめでとう……」
歌い終えたシェリーが床を見つめながらボソリと呟いた。
「……シェリー…」
「キョウヤがいなかったら…今のアタシは存在してなかった、から……あ……あり…がと……」
茹蛸のように顔を真っ赤にしながら走り去っていった彼女の様子に、祐介と道夫はほっこりとした笑顔を見せている。
「京ちゃん、これからも世話焼かせてよ。あ、でも喧嘩は程々にね」
人として京哉と接してくれた協力者は祐介が初めてである。自身の正義を信じて行動できる男を京哉は羨ましく思っていた。
楽団の命令でどんな悪にも手を染めざるを得なかった京哉とは正反対を生きる彼の姿に、母親の面影を感じたのだ。
目の前には5人の人間。そして、先程の麗慈も含めると6人に誕生日を祝われた京哉。彼にとっては初めての体験であった。
「…なんか、想像してたのと違った」
祝福を受けて第一に口から出た感想がソレであった。どういう意味だと訝しげな表情を浮かべるシェリー達。
「誰かに祝われんの、苦手だと思ってたから……だから、なんか……こんな嬉しいモンなんだなって知って…」
モゴモゴと言葉を濁す京哉の照れ隠しに、彼らは顔を見合わせてニヤリと笑っていた。
「カッコ付けてんじゃねェ、キョウヤのくせに」
ヤジを飛ばしてきたシェリーも、その表情はにこやかな笑顔であった。
…………………………………………………………………………………
虎ノ門ヒルズの地下深く。赤く薄暗い灯りが等間隔に続く廊下を歩いていたのはミゲルである。もう義足にも慣れた様子で、松葉杖はお役御免となっていた。
最下層の巨大な水槽前。固く閉ざされているハッチの更に下に、零式自鳴琴と化したシエナが眠らされている。
操作盤には幾重にもロックが掛かっており、解錠方法を知る世界政府の人間しか彼女を呼び覚すことはできなかった。
「もうすぐ会えそうだね、シエナ・シルヴェスター。君の旦那も檻に戻ったようだし…そろそろ始まる頃合いだろう。あとは壱式を覚醒させて…」
ふとミゲルが視線を落とした操作盤の一部が、赤く明滅していた。
「……オリジナルは既に目覚めていたのか…?」
ピコピコと光るランプの上には、『First』の文字が刻まれており、それを食い入るように見つめていたミゲルの表情は恍惚としていた。
見せかけの平和を嫌うミゲルの考える世界再生にとって、零式自鳴琴は必要不可欠なものであった。短時間で世界を焼き尽くす圧倒的な火力を持つ終末兵器であるシエナを、彼は神と崇めている。
遅れてミゲルの元にやってきたユリエルは、初めて目にする巨大水槽に圧倒されていた。
「……此処に例の兵器が…」
「不粋な言い方だね、ユリエル。彼女は神だよ。我々の理想を叶えてくれる…そうだな……まぁ、破壊神ではあるけれどね」
笑いながら宣うミゲルは、彼に報告を促す。
「はい…ガブリエルからでした。六本木で強力なエネルギーを感知した…と。一瞬で収まりはしたものの、何かが目覚めたような脈動がある……相変わらず抽象的な内容でしたが」
ユリエルの言葉を聞いたミゲルは、「やはり…」と小声で呟きながら拳を強く握った。
そして、折角地下深くまで潜ったばかりだというのに踵を返してエレベーターの方へと向かい始める。大股で急ぐ彼の後方を小走りで追ったユリエルは、彼の一挙手一投足に振り回されながらも来たる“終焉の日”に向かって着実に計画を推し進める頼れる上司の背中から目を離せずにいた。
[62] Semplice 完
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