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#088 Scherzo
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ウィーン・22歳男性「新たな同居人のメスガキをどう黙らせようか悩んでます。絶壁だって言っただけで大暴れしやがります。何で!?ステータスかもしれないじゃん!……いや、そんな事は考えてないです。本当に…」
…………………………………………………………………………………
ビゼー作曲の『アルルの女』は初心者の練習曲としてはお誂え向きである。
カチカチと一定のテンポを刻むメトロノームに合わせようと必死に指を動かす小さい手。スゥーと息の抜ける音が聞こえたかと思えば、暴走したように意図しない高音が突然放たれる。
驚いた様子でリッププレートから唇を話した少女は、目をパチクリさせながら隣に座っていた京哉の方を向いた。
「むじゅかし…」
ムッと頬を膨らませた少女が呟くと、京哉は苦笑いを浮かべながらメトロノームの針を止めた。
「どうやったらキョウヤみたいに吹けるようになるの?」
「僕みたいに…か。頑張って練習し続けたらそのうち……」
依頼を受けてウィーン市長の邸宅を訪れていた京哉は、数週間前からこの家の孫娘にフルートのレッスンを施していた。
レッスンと言っても相手はまだ5歳の幼女。遊びの要素が強い。楽団はいつから家庭教師のような真似もするようになったのかと、一度父親に尋ねた事があった。やはりそこは計算ずくの様で、地元企業としてはウィーン市長との繋がりは大切にしたいという話である。
少女に別れを告げて部屋を出た京哉は、足早に玄関に向かっていた。
この日はシェリーの手術を終えてから5日目。意識を取り戻すだろうと言われていた3日を過ぎていた。麗慈からの連絡を待つのがこの所の日課となっており、依頼中は携帯電話の電源を切っている事もあって、1秒でも早く屋外に出たかったのだ。
「今日もありがとうね、キョウヤ君。孫娘はどんな感じだい?そうだ…ちょっと話していかないかい?」
運悪く依頼者であるウィーン市長と玄関で出くわしてしまう。苦笑いを浮かべながら会釈をした京哉は、適当にあしらう訳にもいかず彼に続いて居間へと戻されてしまう。
「キョウヤ君はオーケストラに所属していないんだってね。君程の腕前なら、プロの楽団に入って十分やっていけるんじゃないか?ああ、いや…音楽に関してはそこまで詳しくないんだがな、私は…」
ははは、と笑いながら使用人にお茶を淹れるように声をかけた市長は、フカフカと座り心地の良いソファに京哉を案内して自分も向かい側に腰掛ける。
「お、オーケストラですか…考えた事なかったです。協調性無いって散々仲間内でも言われてますし…」
「そうか…意外だなぁ……。あ、どうぞどうぞ。妻が庭で天塩にかけて育てたハーブで作ったお茶なんだよ。お口に合うと良いのだけどね」
腕時計をチラッと一瞥した京哉は目の前のローテーブルに置かれたティーカップから立ち昇る猛烈な湯気に絶望する。天塩にかけたものに口も付けずに去るなんて無礼は許されない。
すぐに帰れそうにない状況に陥り、内心勘弁して欲しいと泣きながら取るに足らない世間話を延々と聞かされ続ける事になってしまった。
……………
昼過ぎにレッスンが終わった筈なのに、気が付けばもう日が暮れてしまっていた。
電源を入れた携帯電話には麗慈からの着信履歴が5件入っており、何かあったのではないかと不安を煽られる。邸宅を出てすぐに折り返しの電話を掛けたが、繋がらない…。
「……もしかして……」
嫌な想像ばかりが頭を過ぎる。
退勤時間と重なり人で溢れる駅のホームで、苛立ちを抑えつつ電車を待っている時だった。6回目の麗慈からの着信があり、京哉は端末を落としそうになりながら慌てて通話ボタンをタップした。
「もっ…もしもし…!」
「……京哉、今外か?」
シェリーはどうなった?目が覚めたのか?聞きたいことは山程ある。しかし、京哉が声を発する前に麗慈が続けた。
「そうか…。実は今、ウィーンにいる。ドナウ・シティの本社だ」
京哉は目を見開いた。シェリーが目覚めたら連絡を入れてくれる約束だった筈だ。何故ウィーンにいるのか…。
「シェリーは……?目覚めたんだろ?何で連絡して…」
「とにかく、早く来てくれ。お前に話さないといけない事がある」
京哉の言葉を遮って一方的に告げられた内容は、更に彼の不安を煽った。
ドナウ・シティに向かうには、反対側のホームに向かう必要がある。押し寄せる人の波を掻き分けながら階段を駆け上がり、流れに逆らって連絡橋を進んでいく。
既にホームに到着している電車のドアは開いており、間も無く出発しそうである。
「すっ…みませんっ!!」
改札に向かおうとする人々の肩にぶつかりながらホームを駆け抜け、閉まりゆくドアの間をすり抜けて何とか電車に乗り込む事ができた。
まだ寒い季節だというのに大量の汗が滲んでいる。羽織っていたジャンパーを脱ぎながら車窓の外を眺めた京哉は、ゆっくりと進み出した車両から見えるドナウ・シティの高層ビル。本社に行けば知りたい事は全てがわかる。
…………………………………………………………………………………
ドナウ・シティの本社には最低限のデスクや椅子、応接セットが揃っており、事務所らしい様相に変化していた。相変わらず、みかんのダンボールはエリアの隅に大事そうに置かれている。
並べられたオフィスチェアに向かい合って座る麗慈、巳継、そして託斗。その表情は固く、どこか暗さを帯びている。
「…どうする?京哉が帰ったら…」
託斗が尋ねるが、麗慈と巳継は静かに首を横に振るだけであった。
ガチャッとドアノブを捻る音と共に慌ててフロアに駆け込んできた京哉が、息を切らしながら3人の元に走り寄る。
「ッ……シェリーは……!?目覚めたんだよな?何で連絡寄越さなかったんだよ!?」
ジッと俯いたまま顔を上げようとしない麗慈の肩を揺さ振りながら更に問う。
「なあ!何で黙ってんだよ!?……もしかして…」
掴まれた肩を振り払った麗慈は、ゆっくりと視線を持ち上げて京哉に向けた。
「…目覚めたことは目覚めた」
麗慈の返事で、シェリーが無事な事はわかった。しかし、この重苦しい空気は一体何だと言うのか…。
「……何で連絡してくれなかったんだよ?お前一人で帰ってきたのか?……記憶……無かったって事か…?」
やはり、夢の中で得た情報は所詮夢だった…という事だったのだろうか。白髪のシェリーとは全く別の個体。京哉が再開を願った彼女は、シェスカ夫妻の心の穴を埋める為に連れて来られた偽物であったというのか。
落胆する京哉。しかし、彼の中で踏ん切りが付いた。シェリアーナ・シェスカという人間は存在していた。そして、現代の医療技術では根治不可能と言われていた病を乗り越える事ができた。それだけで十分ではないか。
自分達の知るシェリーは、本当にこの世から消えてなくなってしまったのだ。
「でもさ…ちょっと子供っぽ過ぎるよね、この服…?」
「大丈夫だよ、とても似合ってるから」
賑やかな少女と女の声。どちらも京哉には聞き覚えのない声であった。パーティションの裏側から聞こえてくる。
小首を傾げる京哉の横を、徐に立ち上がった麗慈がスタスタと通り過ぎていく。そして、パーティションの向こう側に消えていった。
「早く来い!何着たって同じだろうが!」
「ち、違うよ!…だってこんな……ガキっぽい服しか着れるサイズ無いなんて…」
何やら麗慈と少女の声が言い合っている。
「お前のわがまま聞いてたら何年経っても会えねぇだろ!来い!馬鹿!」
「わっ!離せっ!持ち上げるな!小脇に抱えるなっ!」
次にパーティションの影から出てきたのは、麗慈と彼に抱え上げられた金髪の少女…。シャリテからの依頼時に見た、コールドスリープされていた彼女である。
ポイっと放り投げられた少女は軽々と宙を舞う。唖然とした表情で立ち惚けていた京哉は、ハッと我に返って彼女を抱き留めた。
「……シェリー…?」
恐る恐る尋ねる京哉。
ゆっくりと顔を上げた少女は、唇を尖らせながら顔を真っ赤にしていた。その仕草は、京哉の知る彼女のものである。
「記憶……僕の事…わかる……?」
「わ、わかるもなにも……キョウヤじゃん…」
白髪のシェリーとは全く別の人間だというのに、彼女達は記憶を同期していたのだ。
…………………………………………………………………………………
「ソイツ、ピッタリ手術の3日後に目覚めたのに京哉には連絡するなって散々ごねたんだからな。今日二人でウィーン戻ってからも『キョウヤに会ったら馬鹿にされる!』ってギャーギャー騒いで…」
呆れ顔の麗慈がオフィスチェアにドカッと腰掛けると、託斗と巳継もウンウンと首を縦に振った。
「京ちゃんは別に馬鹿にしたりしなかっただろ?何をそんなに心配してたのさ?」
託斗が尋ねるも、ぐぬぬぬ…と唇をへの字に結んだままのシェリーはその理由を答えようとしなかった。そして、自分が今京哉にしがみついている事に気が付き、その近さに慌てて距離を取ろうともがく。
不可解な行動を取る彼女の真意がわからず困り果てる男達を横目に、パーティションの向こう側から出てきた庶務の女は深い溜め息をついていた。
「わかってませんねー、皆さん。女心が」
「お…女心ォ?」
パッとシェリーの身体を手放した京哉が眉を顰めながら聞き返す。庶務の女はシェリーの両手をギュッと握り、目を潤ませながらウンウンと頷いている。
「わかるよ、シェリーちゃん……前までは17歳の身体だったんだもんね。好きな男の子と会うのに子供の身体じゃ何となく気になっちゃうよね、どう思われるかなぁ…とか」
京哉は目の前に立っているシェリーの姿をジッと観察した。
身長は130センチ程だろうか。腰までの長さまで伸びた細い金色の髪に綺麗な碧眼。瞳は白髪のシェリーと同様に大きく、人形のように愛らしい顔の造りをしていた。
そして、庶務の女が言う様にシェリーが気にしているとするなら、その子供らしい体型であろうか。確かに凹凸はほぼ存在していない。
そこでまた京哉は、デリカシーの無さを発揮する。
「ん?絶壁だったのは前も同じじゃ…」
「「最低!!!」」
女子二人に大声で怒られた京哉は、目をパチクリさせて驚いた様子こそ見せるものの、悪びれる素振りは見せていない。
「ちょっと良いだろうか」
スッと手を挙げた巳継。託斗が指名してやると、シェリーの方を向いて持論を述べ始めた。
「女子の胸の成長は10歳前後から始まって20代前半まで続くと言われている。…伸び代という意味では4年分の猶予が生まれたと考えてはどうだろうか?」
一瞬静寂に包まれるフロア内。京哉がこっそりと麗慈に近寄って耳打ちをした。
「あの人大丈夫?」
「多分、本人は真面目なんだろうな。逆に面白い事になってるが。シェリーは爆発寸前だし」
麗慈が指差した先で、シェリーが沸騰寸前のヤカンのような状態になっている。可哀想なシェリーをフォローしてやろうと口を開きかけた京哉を、託斗が腕で制した。
…………………………………………………………………………………
オフィスチェアから徐に立ち上がって京哉と麗慈に向かいウインクを投げた託斗に、二人は悪寒と苛立ちを感じる。
「シェリーちゃん、そんなに怒らないでよ。考えてもみなって。君が二十歳になった時、身体はまだ16歳のJKって事なんだよ。ピチピチ度合いが全然違うよ。男としては断然16歳の方狙いますよね?皆さん?」
託斗が問い掛けるも、残りのメンズ3人は無視を決め込む。
「おい、誰かそこの犯罪者をつまみ出せ。次は俺に任せろ」
京哉によって首根っこを掴まれた状態で引き摺られて行った託斗と入れ替わり、シェリーを宥めようと立ち上がった麗慈。
「シェリー、これはチャンスだと思わないか?」
「…チャ……チャンス…?」
いきなり何を言い出すのかと、周囲の大人たちも真剣な眼差しで彼の次の言葉を待つ。
「前の体は17歳であの絶壁だ…正直、あそこからの成長は見込めない。だが、今は13歳でソレだ。さっき閖塚が言った『猶予』ってのは、4年分やり直しがきくって事」
「やり…直し……?」
戸惑うシェリーの前でしゃがみ込んだ麗慈。
「1つ目に、食生活の改善。タンパク質、豆乳イソフラボンを積極的に摂取すること。2つ目、大胸筋を鍛えること。3つ目、リンパやバスト周りの血行を良くする為にマッサージをす…」
そこまで述べた所で、庶務の女が来客用スリッパを使って彼の頭をスパーンと引っ叩いた。
「ちょっと!セクハラじゃ済まされないですよ!社長も!男性陣全員!」
女児の胸について延々と語っている成人男性達の様子に怒りゲージが振り切れた様子の庶務に怒られて皆が反省する中、京哉だけが反論していた。
「僕は何も言ってないってば!シェリー、乳が小さくたって僕は気にしないっていつも言ってやってただろ?」
「いつも!?貴方が一番酷いです!」
こんな野郎達の近くには置いて置けないと、庶務の女がシェリーを連れ去ってパーティションの奥に引きこもってしまうと、取り残された4人は顔を見合わせながら小首を傾げていた。
…………………………………………………………………………………
2日前の明朝、点滴を交換しにきた看護師はシェリーが覚醒している事に気が付いた。
すぐに召集された医師達による診察が行われ、術後の状態は良好であるとわかる。
見ず知らずの場所で初対面の人間達に囲まれていたシェリーは恐怖のあまり震えていた。そして、遅れてICUに入った麗慈の顔を見て堰を切ったように泣き始めたのだ。
「此処どこ……?キョウヤは…?タクトは大丈夫なの?」
麗慈はこの時点で、目の前の肉体がシェリーの記憶を共有している事に気が付いていた。
本人が落ち着いた頃に改めて話を聞くと、彼女の記憶は虎ノ門ヒルズの屋上で歌を唄った所で途絶していた。零式自鳴琴によるEMP攻撃の直前である。
あの後通信網が遮断された為、マイクロチップにより衛星を介して前頭葉野を共有していたシェリー本体の脳の指令は白髪のシェリーに届かなくなっていたのだ。
麗慈は順を追って説明した。白髪のシェリーが歌った天照大御神が零式自鳴琴の自爆を食い止めて闘いを終わらせた事。その時に、白髪のシェリーは死んでしまった事。京哉も託斗も無事である事を。
鏡を手渡されたシェリーは、最初驚いていた。長い間、あの白髪のシェリーこそが自分の姿だったのである。ある日突然、自身が子供の体…しかも全く見た目の異なる人間の姿になっていたら誰だって同じような反応を見せる。
「……これが…本当のアタシ……」
「見た目は全く違ったからな。さっきお前が俺を認識する瞬間まで、正直半信半疑だった。……あ、そうだ。お前のフィアンセが連絡寄越せとうるさいんだよ。電話してくるからちょっと待ってろ」
丸椅子から立ち上がり病室から出ようとした麗慈を、シェリーは必死に引き止める。
「だ…ダメ!!キョウヤには言わないで!!」
「……は?何で……」
理由を尋ねるも、シェリーはモジモジと布団を弄るだけ。
「お前が目覚めんの、ずっと待ってんだぞアイツ。ウィーンからすぐ飛んでくるつもりで」
「と、とにかく…ダメ!」
ダメとしか言わないシェリーの真意がわからず、麗慈は途方に暮れる。コッソリ連絡しようとも思ったが、コールドスリープ明けで長丁場の手術を乗り切った体に、あまり刺激を与え過ぎるのも良くない。そんな医者目線で京哉への連絡を断念した麗慈。
とは言ったものの、このままシャリテに留まり続ける事もできない麗慈は翌日、本人にまた来ると告げてウィーンへ戻ろうとした。
「じゃ…じゃあ、アタシも戻る!レイジと一緒に!」
「…は?京哉に連絡すんのはダメで、いきなり会うのは良いのか?何なんだよお前…」
またもや変な発言で麗慈を困らせるシェリー。どうしても麗慈と一緒に帰りたいという彼女の我儘を叶える為に、教授達を緊急で召集して退院できるかどうかのカンファレンスと診察が始まった。
20時間にも及ぶ大手術からたった数日後の身体とは思えぬ程、シェリーは健康体に戻っていたのだ。誰一人文句を言う者はおらず、教授の太鼓判で退院を認められたシェリー。
…………………………………………………………………………………
希望通り麗慈と二人でオーストリアに向かう道中、高速鉄道の車内で彼女は胸の内を吐露していた。
「あの子……白い髪のアタシ、死んじゃったんだよね…」
「ああ。知ってる奴だったのか?」
白髪のシェリーこそ麗慈としては長く付き合いのある彼女の姿であったため、自分の発言が何だか滅茶苦茶な事を言っているようで後から混乱してきた。
「知らない子…だと思う。でも、あの子は利用されて体の中身をハンネス機関に置き換えられちゃったんだって…託斗が教えてくれた。だからね、悩んだんだよ…」
「……悩んだ?」
「うん……もし、あの子がまだ普通に動ける状態だったとしてさ…アタシがあの子の中から出て行ったとしたら、もしかしたらあの子は死んじゃうんじゃないかって」
臓器を抜き取られてハンネス機関に置き換えられた妙な生命体。彼女が他の人間と同じように動くことができた理由が、もし脳内のマイクロチップからの指令で動かされている状態だったからだとしたら…。シェリーはそんな事を考えていたのだ。
「もしかしたら、異端のペネムもアタシと同じように何処かに本体が存在していたのかもしれない。……操り人形みたいにされている体の方は、もうとっくに命を落としていたのにって」
「まぁ……考えられなくはないな。あの身体の構造で生命を維持出来る理屈が医者としても全くわからなかったからな……」
麗慈の返答に、シェリーは溜め息を漏らしながら座席シートの上で三角座りの状態になる。
「アタシだけが生き残っても良いのかな……」
ボソリと呟くように投げかけられた問いに対して、どんな回答が一番彼女にとって耳障りの良いものなのかと考えた麗慈。しかし、そんな事は望んでいないと顔をこちらに向けた彼女の目が物語っていた。
「……確かに、罪を償うべき人間はいる。でもそれは、お前じゃなくて白髪の少女を造り変えた奴だ。気に病んでクヨクヨ生きてく方が、彼女に失礼ってモンじゃないのか?お前が病気で動けない間、自由に外の世界を動き回る事ができたのは間違いなく白髪のシェリーのおかげな訳だ。感謝こそすれど、謝罪は必要ないんじゃねーかと俺個人は思うがな」
白髪のシェリーがいなければ、彼女は京哉や麗慈と出会うことはなかった。あの鉄の塊の中で120年間眠り続けた挙げ句、ひとりぼっちの未来を寂しく生きていく所だったのだ。
感謝をする。それこそが死んでしまった彼女の為に出来る、最大限の心遣いであった。
「……そうだね…」
コクリと首を縦に振ったシェリー。
車窓から流れていく風景を眺めながら、白髪のシェリーが齎してくれた全ての出会いに感謝していた。
京哉に出逢えたのも、あの身体が存在していたからなのである。
…………………………………………………………………………………
シェリーをどういう形で引き取るのか。
京哉がオフィスに到着する前に皆で話し合っていた議題はそれであった。
13歳の少女1人を男ばかりの部屋に放り込むのも問題があるように思える。部屋数だって今の時点で圧倒的に足りていないのだ。
「京哉、シェリーちゃん引き取って二人で暮らしたら?部屋なら別に用意するよ」
託斗の提案に、それもそうだな…と腕を組みながら返す京哉。すんなり纏まりそうだと思ったこの議題をややこしくしているのは、麗慈と巳継の仲の悪さ問題である。
「待て。それなら俺達も別々にしろよ。二人きりで同室はマジで勘弁だから」
「俺も同意見です、先生……」
面倒そうに二人を睨み付けた託斗は、グチグチと文句を言いながら机の上に広げていた書類の数々を漁り始める。
「もー…賃貸の契約って結構大変なんだよ?今はそういうのも僕がやってるから、面倒な事は極力したくないんだよねー……ん?」
広げられた書類の中に、何やら重要そうな1枚を発見した様子の託斗。ニヤニヤと不敵な笑みをみせながら、PCのキーボードをカタカタと入力し始めていた。
「新しい住処を…とお望みならば、叶えてしんぜよう!ただし、場所は全員東京だよ」
ターンと最後に力強くエンターキーを入力した託斗は、画面を彼らの方に向けながら続けた。
「アジアでの仕事を受注する為の支社として探していた新しいビルが見つかりましたー!さ、明日にでも発って日本支社のスターティングメンバーとしてジャンジャンバリバリ働きましょうー!」
思わぬ変化球を受けて3人は面食らってしまった。向け、れたメール画面の内容を見るに、どうやら今回は悪ふざけでも馬鹿馬鹿しい嘘でも無さそうである。
「……マジかよ…」
「マジマジ~!東京は今千代田区を中心にメチャクチャ綺麗に再開発されていってるからね。どの業種も建設計画ねじ込むなら今!と思って、こぞって土地を買い上げていってるらしい」
その流れに便乗して、楽団も思い切って出資したのだという。
「どう?行くよね?っていうか、社長命令なんだけどさコレ」
拒否しようのない異動なのだとわかると、3人はまた託斗の見切り発車に付き合わされる事になるのかと、その先の気苦労を想像して大きく肩を落としていた。
…………………………………………………………………………………
シェリーを含めた4人は、最寄駅で電車を降りた。結局明日オーストリアを出発する事となり、1日だけだからと彼らの借りている2DKのアパートに彼女を招く事となったのだ。
「……あ、あのさ…キョウヤ……」
シェリーが京哉に話し掛けたのを目の前で見て、麗慈は巳継の腕を小突く。その意図をすぐに理解した巳継は、麗慈と共にゆっくりと雑踏に姿を消していき、遂に京哉とシェリーの二人きりになった。
「ん?何だよ」
「……アタシ…こんなガキの体になっちゃったし、顔も前と全然違うのに……どうして皆、受け入れてくれたの?」
どうして…それは非常に難しい質問であった。
「皆が知ってるアタシは、白い髪のあの子なんでしょ?もしかしたら、アタシは悪い組織の人間であの子になりきるように言われてるかもしれないのに…」
どうやら彼女の卑屈な質問から察するに姿形が全く違う人間を、何故同一人物だと認識できるのか…という単純な話でもなさそうだ。
「…白髪のアイツは確かに僕達の大事な仲間だった。シェリーとは全く別の人間だったかもしれないけど」
「うん…」
皆に愛された『シェリアーナ・シェスカ』は自分ではない。彼女はあからさまに肩を落とす。
「本当のお前は実は違う肉体の中にいた…なんて言われても普通は信じられないよな。でも、もしお前の魂がぬいぐるみに埋め込まれたとしても、僕達ならわかると思う」
「………どうして?」
感覚的な部分を言語化するのは非常に難しい。どうして?……どうしてなのだろうか。数分考え込んでしまった京哉は、気が付けば隣で涙目になっている女児の手を掬い上げて大きな手で優しく握った。
「……僕の母親、あんな姿にされちゃったけど、ちゃんと母親だって認識できたよ。だから、姿形じゃなくて…その人の考えや行動が伝われば断定できるんだなって」
「キョウヤ……」
身長差がかなり広がった二人。肉体的な年齢差は9歳。きょうだいでもかなり歳の離れた方だ。違和感のある組み合わせではある。
「……キョウヤ…アタシ…こんな子供の体だけど………」
「好きだよ。当たり前じゃないか。君はシェリアーナなんだから。生きててくれて、また巡り会えて本当に嬉しい」
茶化す事なく真っ直ぐに届けられた言葉に、シェリーは涙を一筋流しながら嬉しそうに歯に噛んだ。
明日、渡航した先の日本でまた彼らとの新たな生活が始まるのだ。ずっと会いたかった人間とも再会できる。
彼らと出会った時最初はやはり驚かれるかもしれないが、シェリーにはもう不安など無かった。
姿形が変わっても、変わらず愛してくれる仲間達がいる。それだけで、彼女は生きていて良いのだと実感していたから。
白髪のあの子の事はこれから先もずっと忘れる事はないだろう。自分を皆に引き合わせてくれた大事な存在だ。
「ありがとう」
そう呟いて空を見上げたシェリーの視線の先に、一瞬映り込んだような気がしたのは、燃える羽根を羽ばたかせる一羽の蝶。
そうか、見守っていてくれたのか。
心の中でもう一度「ありがとう」と呟きながら、シェリーは京哉の手を強く握り返していた。
[88] Scherzo 完
…………………………………………………………………………………
「そうか…奴等は日本に……成程ね。それはそれは…しっかりとご挨拶してやらないと、無礼にあたるな」
MELODIST !! 完
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ビゼー作曲の『アルルの女』は初心者の練習曲としてはお誂え向きである。
カチカチと一定のテンポを刻むメトロノームに合わせようと必死に指を動かす小さい手。スゥーと息の抜ける音が聞こえたかと思えば、暴走したように意図しない高音が突然放たれる。
驚いた様子でリッププレートから唇を話した少女は、目をパチクリさせながら隣に座っていた京哉の方を向いた。
「むじゅかし…」
ムッと頬を膨らませた少女が呟くと、京哉は苦笑いを浮かべながらメトロノームの針を止めた。
「どうやったらキョウヤみたいに吹けるようになるの?」
「僕みたいに…か。頑張って練習し続けたらそのうち……」
依頼を受けてウィーン市長の邸宅を訪れていた京哉は、数週間前からこの家の孫娘にフルートのレッスンを施していた。
レッスンと言っても相手はまだ5歳の幼女。遊びの要素が強い。楽団はいつから家庭教師のような真似もするようになったのかと、一度父親に尋ねた事があった。やはりそこは計算ずくの様で、地元企業としてはウィーン市長との繋がりは大切にしたいという話である。
少女に別れを告げて部屋を出た京哉は、足早に玄関に向かっていた。
この日はシェリーの手術を終えてから5日目。意識を取り戻すだろうと言われていた3日を過ぎていた。麗慈からの連絡を待つのがこの所の日課となっており、依頼中は携帯電話の電源を切っている事もあって、1秒でも早く屋外に出たかったのだ。
「今日もありがとうね、キョウヤ君。孫娘はどんな感じだい?そうだ…ちょっと話していかないかい?」
運悪く依頼者であるウィーン市長と玄関で出くわしてしまう。苦笑いを浮かべながら会釈をした京哉は、適当にあしらう訳にもいかず彼に続いて居間へと戻されてしまう。
「キョウヤ君はオーケストラに所属していないんだってね。君程の腕前なら、プロの楽団に入って十分やっていけるんじゃないか?ああ、いや…音楽に関してはそこまで詳しくないんだがな、私は…」
ははは、と笑いながら使用人にお茶を淹れるように声をかけた市長は、フカフカと座り心地の良いソファに京哉を案内して自分も向かい側に腰掛ける。
「お、オーケストラですか…考えた事なかったです。協調性無いって散々仲間内でも言われてますし…」
「そうか…意外だなぁ……。あ、どうぞどうぞ。妻が庭で天塩にかけて育てたハーブで作ったお茶なんだよ。お口に合うと良いのだけどね」
腕時計をチラッと一瞥した京哉は目の前のローテーブルに置かれたティーカップから立ち昇る猛烈な湯気に絶望する。天塩にかけたものに口も付けずに去るなんて無礼は許されない。
すぐに帰れそうにない状況に陥り、内心勘弁して欲しいと泣きながら取るに足らない世間話を延々と聞かされ続ける事になってしまった。
……………
昼過ぎにレッスンが終わった筈なのに、気が付けばもう日が暮れてしまっていた。
電源を入れた携帯電話には麗慈からの着信履歴が5件入っており、何かあったのではないかと不安を煽られる。邸宅を出てすぐに折り返しの電話を掛けたが、繋がらない…。
「……もしかして……」
嫌な想像ばかりが頭を過ぎる。
退勤時間と重なり人で溢れる駅のホームで、苛立ちを抑えつつ電車を待っている時だった。6回目の麗慈からの着信があり、京哉は端末を落としそうになりながら慌てて通話ボタンをタップした。
「もっ…もしもし…!」
「……京哉、今外か?」
シェリーはどうなった?目が覚めたのか?聞きたいことは山程ある。しかし、京哉が声を発する前に麗慈が続けた。
「そうか…。実は今、ウィーンにいる。ドナウ・シティの本社だ」
京哉は目を見開いた。シェリーが目覚めたら連絡を入れてくれる約束だった筈だ。何故ウィーンにいるのか…。
「シェリーは……?目覚めたんだろ?何で連絡して…」
「とにかく、早く来てくれ。お前に話さないといけない事がある」
京哉の言葉を遮って一方的に告げられた内容は、更に彼の不安を煽った。
ドナウ・シティに向かうには、反対側のホームに向かう必要がある。押し寄せる人の波を掻き分けながら階段を駆け上がり、流れに逆らって連絡橋を進んでいく。
既にホームに到着している電車のドアは開いており、間も無く出発しそうである。
「すっ…みませんっ!!」
改札に向かおうとする人々の肩にぶつかりながらホームを駆け抜け、閉まりゆくドアの間をすり抜けて何とか電車に乗り込む事ができた。
まだ寒い季節だというのに大量の汗が滲んでいる。羽織っていたジャンパーを脱ぎながら車窓の外を眺めた京哉は、ゆっくりと進み出した車両から見えるドナウ・シティの高層ビル。本社に行けば知りたい事は全てがわかる。
…………………………………………………………………………………
ドナウ・シティの本社には最低限のデスクや椅子、応接セットが揃っており、事務所らしい様相に変化していた。相変わらず、みかんのダンボールはエリアの隅に大事そうに置かれている。
並べられたオフィスチェアに向かい合って座る麗慈、巳継、そして託斗。その表情は固く、どこか暗さを帯びている。
「…どうする?京哉が帰ったら…」
託斗が尋ねるが、麗慈と巳継は静かに首を横に振るだけであった。
ガチャッとドアノブを捻る音と共に慌ててフロアに駆け込んできた京哉が、息を切らしながら3人の元に走り寄る。
「ッ……シェリーは……!?目覚めたんだよな?何で連絡寄越さなかったんだよ!?」
ジッと俯いたまま顔を上げようとしない麗慈の肩を揺さ振りながら更に問う。
「なあ!何で黙ってんだよ!?……もしかして…」
掴まれた肩を振り払った麗慈は、ゆっくりと視線を持ち上げて京哉に向けた。
「…目覚めたことは目覚めた」
麗慈の返事で、シェリーが無事な事はわかった。しかし、この重苦しい空気は一体何だと言うのか…。
「……何で連絡してくれなかったんだよ?お前一人で帰ってきたのか?……記憶……無かったって事か…?」
やはり、夢の中で得た情報は所詮夢だった…という事だったのだろうか。白髪のシェリーとは全く別の個体。京哉が再開を願った彼女は、シェスカ夫妻の心の穴を埋める為に連れて来られた偽物であったというのか。
落胆する京哉。しかし、彼の中で踏ん切りが付いた。シェリアーナ・シェスカという人間は存在していた。そして、現代の医療技術では根治不可能と言われていた病を乗り越える事ができた。それだけで十分ではないか。
自分達の知るシェリーは、本当にこの世から消えてなくなってしまったのだ。
「でもさ…ちょっと子供っぽ過ぎるよね、この服…?」
「大丈夫だよ、とても似合ってるから」
賑やかな少女と女の声。どちらも京哉には聞き覚えのない声であった。パーティションの裏側から聞こえてくる。
小首を傾げる京哉の横を、徐に立ち上がった麗慈がスタスタと通り過ぎていく。そして、パーティションの向こう側に消えていった。
「早く来い!何着たって同じだろうが!」
「ち、違うよ!…だってこんな……ガキっぽい服しか着れるサイズ無いなんて…」
何やら麗慈と少女の声が言い合っている。
「お前のわがまま聞いてたら何年経っても会えねぇだろ!来い!馬鹿!」
「わっ!離せっ!持ち上げるな!小脇に抱えるなっ!」
次にパーティションの影から出てきたのは、麗慈と彼に抱え上げられた金髪の少女…。シャリテからの依頼時に見た、コールドスリープされていた彼女である。
ポイっと放り投げられた少女は軽々と宙を舞う。唖然とした表情で立ち惚けていた京哉は、ハッと我に返って彼女を抱き留めた。
「……シェリー…?」
恐る恐る尋ねる京哉。
ゆっくりと顔を上げた少女は、唇を尖らせながら顔を真っ赤にしていた。その仕草は、京哉の知る彼女のものである。
「記憶……僕の事…わかる……?」
「わ、わかるもなにも……キョウヤじゃん…」
白髪のシェリーとは全く別の人間だというのに、彼女達は記憶を同期していたのだ。
…………………………………………………………………………………
「ソイツ、ピッタリ手術の3日後に目覚めたのに京哉には連絡するなって散々ごねたんだからな。今日二人でウィーン戻ってからも『キョウヤに会ったら馬鹿にされる!』ってギャーギャー騒いで…」
呆れ顔の麗慈がオフィスチェアにドカッと腰掛けると、託斗と巳継もウンウンと首を縦に振った。
「京ちゃんは別に馬鹿にしたりしなかっただろ?何をそんなに心配してたのさ?」
託斗が尋ねるも、ぐぬぬぬ…と唇をへの字に結んだままのシェリーはその理由を答えようとしなかった。そして、自分が今京哉にしがみついている事に気が付き、その近さに慌てて距離を取ろうともがく。
不可解な行動を取る彼女の真意がわからず困り果てる男達を横目に、パーティションの向こう側から出てきた庶務の女は深い溜め息をついていた。
「わかってませんねー、皆さん。女心が」
「お…女心ォ?」
パッとシェリーの身体を手放した京哉が眉を顰めながら聞き返す。庶務の女はシェリーの両手をギュッと握り、目を潤ませながらウンウンと頷いている。
「わかるよ、シェリーちゃん……前までは17歳の身体だったんだもんね。好きな男の子と会うのに子供の身体じゃ何となく気になっちゃうよね、どう思われるかなぁ…とか」
京哉は目の前に立っているシェリーの姿をジッと観察した。
身長は130センチ程だろうか。腰までの長さまで伸びた細い金色の髪に綺麗な碧眼。瞳は白髪のシェリーと同様に大きく、人形のように愛らしい顔の造りをしていた。
そして、庶務の女が言う様にシェリーが気にしているとするなら、その子供らしい体型であろうか。確かに凹凸はほぼ存在していない。
そこでまた京哉は、デリカシーの無さを発揮する。
「ん?絶壁だったのは前も同じじゃ…」
「「最低!!!」」
女子二人に大声で怒られた京哉は、目をパチクリさせて驚いた様子こそ見せるものの、悪びれる素振りは見せていない。
「ちょっと良いだろうか」
スッと手を挙げた巳継。託斗が指名してやると、シェリーの方を向いて持論を述べ始めた。
「女子の胸の成長は10歳前後から始まって20代前半まで続くと言われている。…伸び代という意味では4年分の猶予が生まれたと考えてはどうだろうか?」
一瞬静寂に包まれるフロア内。京哉がこっそりと麗慈に近寄って耳打ちをした。
「あの人大丈夫?」
「多分、本人は真面目なんだろうな。逆に面白い事になってるが。シェリーは爆発寸前だし」
麗慈が指差した先で、シェリーが沸騰寸前のヤカンのような状態になっている。可哀想なシェリーをフォローしてやろうと口を開きかけた京哉を、託斗が腕で制した。
…………………………………………………………………………………
オフィスチェアから徐に立ち上がって京哉と麗慈に向かいウインクを投げた託斗に、二人は悪寒と苛立ちを感じる。
「シェリーちゃん、そんなに怒らないでよ。考えてもみなって。君が二十歳になった時、身体はまだ16歳のJKって事なんだよ。ピチピチ度合いが全然違うよ。男としては断然16歳の方狙いますよね?皆さん?」
託斗が問い掛けるも、残りのメンズ3人は無視を決め込む。
「おい、誰かそこの犯罪者をつまみ出せ。次は俺に任せろ」
京哉によって首根っこを掴まれた状態で引き摺られて行った託斗と入れ替わり、シェリーを宥めようと立ち上がった麗慈。
「シェリー、これはチャンスだと思わないか?」
「…チャ……チャンス…?」
いきなり何を言い出すのかと、周囲の大人たちも真剣な眼差しで彼の次の言葉を待つ。
「前の体は17歳であの絶壁だ…正直、あそこからの成長は見込めない。だが、今は13歳でソレだ。さっき閖塚が言った『猶予』ってのは、4年分やり直しがきくって事」
「やり…直し……?」
戸惑うシェリーの前でしゃがみ込んだ麗慈。
「1つ目に、食生活の改善。タンパク質、豆乳イソフラボンを積極的に摂取すること。2つ目、大胸筋を鍛えること。3つ目、リンパやバスト周りの血行を良くする為にマッサージをす…」
そこまで述べた所で、庶務の女が来客用スリッパを使って彼の頭をスパーンと引っ叩いた。
「ちょっと!セクハラじゃ済まされないですよ!社長も!男性陣全員!」
女児の胸について延々と語っている成人男性達の様子に怒りゲージが振り切れた様子の庶務に怒られて皆が反省する中、京哉だけが反論していた。
「僕は何も言ってないってば!シェリー、乳が小さくたって僕は気にしないっていつも言ってやってただろ?」
「いつも!?貴方が一番酷いです!」
こんな野郎達の近くには置いて置けないと、庶務の女がシェリーを連れ去ってパーティションの奥に引きこもってしまうと、取り残された4人は顔を見合わせながら小首を傾げていた。
…………………………………………………………………………………
2日前の明朝、点滴を交換しにきた看護師はシェリーが覚醒している事に気が付いた。
すぐに召集された医師達による診察が行われ、術後の状態は良好であるとわかる。
見ず知らずの場所で初対面の人間達に囲まれていたシェリーは恐怖のあまり震えていた。そして、遅れてICUに入った麗慈の顔を見て堰を切ったように泣き始めたのだ。
「此処どこ……?キョウヤは…?タクトは大丈夫なの?」
麗慈はこの時点で、目の前の肉体がシェリーの記憶を共有している事に気が付いていた。
本人が落ち着いた頃に改めて話を聞くと、彼女の記憶は虎ノ門ヒルズの屋上で歌を唄った所で途絶していた。零式自鳴琴によるEMP攻撃の直前である。
あの後通信網が遮断された為、マイクロチップにより衛星を介して前頭葉野を共有していたシェリー本体の脳の指令は白髪のシェリーに届かなくなっていたのだ。
麗慈は順を追って説明した。白髪のシェリーが歌った天照大御神が零式自鳴琴の自爆を食い止めて闘いを終わらせた事。その時に、白髪のシェリーは死んでしまった事。京哉も託斗も無事である事を。
鏡を手渡されたシェリーは、最初驚いていた。長い間、あの白髪のシェリーこそが自分の姿だったのである。ある日突然、自身が子供の体…しかも全く見た目の異なる人間の姿になっていたら誰だって同じような反応を見せる。
「……これが…本当のアタシ……」
「見た目は全く違ったからな。さっきお前が俺を認識する瞬間まで、正直半信半疑だった。……あ、そうだ。お前のフィアンセが連絡寄越せとうるさいんだよ。電話してくるからちょっと待ってろ」
丸椅子から立ち上がり病室から出ようとした麗慈を、シェリーは必死に引き止める。
「だ…ダメ!!キョウヤには言わないで!!」
「……は?何で……」
理由を尋ねるも、シェリーはモジモジと布団を弄るだけ。
「お前が目覚めんの、ずっと待ってんだぞアイツ。ウィーンからすぐ飛んでくるつもりで」
「と、とにかく…ダメ!」
ダメとしか言わないシェリーの真意がわからず、麗慈は途方に暮れる。コッソリ連絡しようとも思ったが、コールドスリープ明けで長丁場の手術を乗り切った体に、あまり刺激を与え過ぎるのも良くない。そんな医者目線で京哉への連絡を断念した麗慈。
とは言ったものの、このままシャリテに留まり続ける事もできない麗慈は翌日、本人にまた来ると告げてウィーンへ戻ろうとした。
「じゃ…じゃあ、アタシも戻る!レイジと一緒に!」
「…は?京哉に連絡すんのはダメで、いきなり会うのは良いのか?何なんだよお前…」
またもや変な発言で麗慈を困らせるシェリー。どうしても麗慈と一緒に帰りたいという彼女の我儘を叶える為に、教授達を緊急で召集して退院できるかどうかのカンファレンスと診察が始まった。
20時間にも及ぶ大手術からたった数日後の身体とは思えぬ程、シェリーは健康体に戻っていたのだ。誰一人文句を言う者はおらず、教授の太鼓判で退院を認められたシェリー。
…………………………………………………………………………………
希望通り麗慈と二人でオーストリアに向かう道中、高速鉄道の車内で彼女は胸の内を吐露していた。
「あの子……白い髪のアタシ、死んじゃったんだよね…」
「ああ。知ってる奴だったのか?」
白髪のシェリーこそ麗慈としては長く付き合いのある彼女の姿であったため、自分の発言が何だか滅茶苦茶な事を言っているようで後から混乱してきた。
「知らない子…だと思う。でも、あの子は利用されて体の中身をハンネス機関に置き換えられちゃったんだって…託斗が教えてくれた。だからね、悩んだんだよ…」
「……悩んだ?」
「うん……もし、あの子がまだ普通に動ける状態だったとしてさ…アタシがあの子の中から出て行ったとしたら、もしかしたらあの子は死んじゃうんじゃないかって」
臓器を抜き取られてハンネス機関に置き換えられた妙な生命体。彼女が他の人間と同じように動くことができた理由が、もし脳内のマイクロチップからの指令で動かされている状態だったからだとしたら…。シェリーはそんな事を考えていたのだ。
「もしかしたら、異端のペネムもアタシと同じように何処かに本体が存在していたのかもしれない。……操り人形みたいにされている体の方は、もうとっくに命を落としていたのにって」
「まぁ……考えられなくはないな。あの身体の構造で生命を維持出来る理屈が医者としても全くわからなかったからな……」
麗慈の返答に、シェリーは溜め息を漏らしながら座席シートの上で三角座りの状態になる。
「アタシだけが生き残っても良いのかな……」
ボソリと呟くように投げかけられた問いに対して、どんな回答が一番彼女にとって耳障りの良いものなのかと考えた麗慈。しかし、そんな事は望んでいないと顔をこちらに向けた彼女の目が物語っていた。
「……確かに、罪を償うべき人間はいる。でもそれは、お前じゃなくて白髪の少女を造り変えた奴だ。気に病んでクヨクヨ生きてく方が、彼女に失礼ってモンじゃないのか?お前が病気で動けない間、自由に外の世界を動き回る事ができたのは間違いなく白髪のシェリーのおかげな訳だ。感謝こそすれど、謝罪は必要ないんじゃねーかと俺個人は思うがな」
白髪のシェリーがいなければ、彼女は京哉や麗慈と出会うことはなかった。あの鉄の塊の中で120年間眠り続けた挙げ句、ひとりぼっちの未来を寂しく生きていく所だったのだ。
感謝をする。それこそが死んでしまった彼女の為に出来る、最大限の心遣いであった。
「……そうだね…」
コクリと首を縦に振ったシェリー。
車窓から流れていく風景を眺めながら、白髪のシェリーが齎してくれた全ての出会いに感謝していた。
京哉に出逢えたのも、あの身体が存在していたからなのである。
…………………………………………………………………………………
シェリーをどういう形で引き取るのか。
京哉がオフィスに到着する前に皆で話し合っていた議題はそれであった。
13歳の少女1人を男ばかりの部屋に放り込むのも問題があるように思える。部屋数だって今の時点で圧倒的に足りていないのだ。
「京哉、シェリーちゃん引き取って二人で暮らしたら?部屋なら別に用意するよ」
託斗の提案に、それもそうだな…と腕を組みながら返す京哉。すんなり纏まりそうだと思ったこの議題をややこしくしているのは、麗慈と巳継の仲の悪さ問題である。
「待て。それなら俺達も別々にしろよ。二人きりで同室はマジで勘弁だから」
「俺も同意見です、先生……」
面倒そうに二人を睨み付けた託斗は、グチグチと文句を言いながら机の上に広げていた書類の数々を漁り始める。
「もー…賃貸の契約って結構大変なんだよ?今はそういうのも僕がやってるから、面倒な事は極力したくないんだよねー……ん?」
広げられた書類の中に、何やら重要そうな1枚を発見した様子の託斗。ニヤニヤと不敵な笑みをみせながら、PCのキーボードをカタカタと入力し始めていた。
「新しい住処を…とお望みならば、叶えてしんぜよう!ただし、場所は全員東京だよ」
ターンと最後に力強くエンターキーを入力した託斗は、画面を彼らの方に向けながら続けた。
「アジアでの仕事を受注する為の支社として探していた新しいビルが見つかりましたー!さ、明日にでも発って日本支社のスターティングメンバーとしてジャンジャンバリバリ働きましょうー!」
思わぬ変化球を受けて3人は面食らってしまった。向け、れたメール画面の内容を見るに、どうやら今回は悪ふざけでも馬鹿馬鹿しい嘘でも無さそうである。
「……マジかよ…」
「マジマジ~!東京は今千代田区を中心にメチャクチャ綺麗に再開発されていってるからね。どの業種も建設計画ねじ込むなら今!と思って、こぞって土地を買い上げていってるらしい」
その流れに便乗して、楽団も思い切って出資したのだという。
「どう?行くよね?っていうか、社長命令なんだけどさコレ」
拒否しようのない異動なのだとわかると、3人はまた託斗の見切り発車に付き合わされる事になるのかと、その先の気苦労を想像して大きく肩を落としていた。
…………………………………………………………………………………
シェリーを含めた4人は、最寄駅で電車を降りた。結局明日オーストリアを出発する事となり、1日だけだからと彼らの借りている2DKのアパートに彼女を招く事となったのだ。
「……あ、あのさ…キョウヤ……」
シェリーが京哉に話し掛けたのを目の前で見て、麗慈は巳継の腕を小突く。その意図をすぐに理解した巳継は、麗慈と共にゆっくりと雑踏に姿を消していき、遂に京哉とシェリーの二人きりになった。
「ん?何だよ」
「……アタシ…こんなガキの体になっちゃったし、顔も前と全然違うのに……どうして皆、受け入れてくれたの?」
どうして…それは非常に難しい質問であった。
「皆が知ってるアタシは、白い髪のあの子なんでしょ?もしかしたら、アタシは悪い組織の人間であの子になりきるように言われてるかもしれないのに…」
どうやら彼女の卑屈な質問から察するに姿形が全く違う人間を、何故同一人物だと認識できるのか…という単純な話でもなさそうだ。
「…白髪のアイツは確かに僕達の大事な仲間だった。シェリーとは全く別の人間だったかもしれないけど」
「うん…」
皆に愛された『シェリアーナ・シェスカ』は自分ではない。彼女はあからさまに肩を落とす。
「本当のお前は実は違う肉体の中にいた…なんて言われても普通は信じられないよな。でも、もしお前の魂がぬいぐるみに埋め込まれたとしても、僕達ならわかると思う」
「………どうして?」
感覚的な部分を言語化するのは非常に難しい。どうして?……どうしてなのだろうか。数分考え込んでしまった京哉は、気が付けば隣で涙目になっている女児の手を掬い上げて大きな手で優しく握った。
「……僕の母親、あんな姿にされちゃったけど、ちゃんと母親だって認識できたよ。だから、姿形じゃなくて…その人の考えや行動が伝われば断定できるんだなって」
「キョウヤ……」
身長差がかなり広がった二人。肉体的な年齢差は9歳。きょうだいでもかなり歳の離れた方だ。違和感のある組み合わせではある。
「……キョウヤ…アタシ…こんな子供の体だけど………」
「好きだよ。当たり前じゃないか。君はシェリアーナなんだから。生きててくれて、また巡り会えて本当に嬉しい」
茶化す事なく真っ直ぐに届けられた言葉に、シェリーは涙を一筋流しながら嬉しそうに歯に噛んだ。
明日、渡航した先の日本でまた彼らとの新たな生活が始まるのだ。ずっと会いたかった人間とも再会できる。
彼らと出会った時最初はやはり驚かれるかもしれないが、シェリーにはもう不安など無かった。
姿形が変わっても、変わらず愛してくれる仲間達がいる。それだけで、彼女は生きていて良いのだと実感していたから。
白髪のあの子の事はこれから先もずっと忘れる事はないだろう。自分を皆に引き合わせてくれた大事な存在だ。
「ありがとう」
そう呟いて空を見上げたシェリーの視線の先に、一瞬映り込んだような気がしたのは、燃える羽根を羽ばたかせる一羽の蝶。
そうか、見守っていてくれたのか。
心の中でもう一度「ありがとう」と呟きながら、シェリーは京哉の手を強く握り返していた。
[88] Scherzo 完
…………………………………………………………………………………
「そうか…奴等は日本に……成程ね。それはそれは…しっかりとご挨拶してやらないと、無礼にあたるな」
MELODIST !! 完
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