MELODIST!!

すなねこ

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#087 Erhaben Ⅱ

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コロラド州・年齢不詳男性「また来ると言っていたが、それは勘弁願いたいな。あんな性根の悪い男に何度も訪ねてこられては、気分転換どころか余計に滅入るだろう。静かに余生を過ごさせて欲しいものだがな…」


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 翌朝、ゲストハウスを出発した京哉達は調査班からのメールに書かれていたとある住所に向かっていた。
 バスに乗って到着したのは旧西ベルリンのクロイツベルク区で、第6次オイルショック以前から治安のあまり良くない地域であった。
 東洋人顔の二人は観光客だと思われたのか、すれ違う地元住民達にジロジロと視線を送られながら静かな裏通りを進んでいく。

「随分あっさり見つかったんだなー。ダークなんちゃら?って聞いた時は長丁場になるのかなって思ってたけど」
「本来なら匿名性の高い空間だからな。奴のニッチな趣味が災いした訳だ」

携帯端末の画面と電柱に刻まれた文字とを見比べた麗慈は、「此処だな」と京哉に告げて目の前の古アパートに視線を移した。
 夏蔦を這わせた緑一色の壁面沿いに歩き、足音を殺して錆び付いた鉄製の階段を昇る。
 教えられた住所の部屋の前にはフードデリバリーサービスによって届けられたと思われる紙袋が置かれていた。相当外の動きを警戒しているのであろう。
 しかし、注文した宅配フードを玄関先に放置するとはやはり詰めが甘い。これでは、在宅である事を自ら外部の人間にアピールしているようなものである。

 二人は顔を見合わせ、互いに頷き合う。そして一人で部屋の前まで進んで行った京哉は紙袋を手に取って玄関ドアをノックした。すぐには出てくる様子は無い。
 彼は小さく咳払いをすると、鼻の詰まったような声色を作り玄関の向こう側に向かって大声を出す。
「おはよーございまーす!お届け物でーす!すみませーーん!!」
呼び掛けと執念いノックのコンボで痺れを切らしたのか、ドタドタと足音が近付いてきてドアの鍵が開く音が廊下に響いた。
「…そこに置いといてくれよ」
ほんの数センチ開けられたドア。チェーンロックはされたままである。
「あ!すみませーん!!ご注文いただいた商品の事で説明しないといけないことがあってですねーー!!少しだけお話よろしいですかーー!?」
「だから…今出られねーんだよ。そこに置いておけって」
あまりにも食い下がってくる配達員の態度にイラついた様子の男はドアを閉ざそうとした。その瞬間に空かさず差し込まれた革靴に、男は一気に青褪める。

 慌ててドアノブを引こうとするも、沸騰した水のようにブクブクと音を立てて溶けたチェーンロックに驚いて思わず手を引っ込める男。
 引っ張られる力が抜けた拍子に思い切りドアを開け放った京哉はフルートを脇に抱えたまま右手で持った紙袋を、玄関で尻餅をついた状態の男に投げ付けながらニコリと笑った。

「ご注文いただいた商品なんですがー…召し上がられる前にお仕置きの時間になりますのでご容赦願いまーす」

「ッ…ヒィっ!!」

怯えながら後退りした男は、四つん這いの姿で部屋の奥に逃げて行く。閉め切っていたカーテンを退けて窓から逃げようと鍵に手を伸ばすが、金属製の鍵の部分が猛烈な熱を帯びて溶け、開けることが出来なくなってしまった。

 踵を返して京哉と麗慈の方を向いた男は血相を変えて怒鳴り出す。

「何なんだよお前ら!不法侵入だぞ!」
もっともな男の主張を聞いて、京哉と麗慈は顔を見合わせた。
「いかがわしいサイトでロリの写真買いまくってる変態野郎に言われたかねーんだけど」
京哉の反論に、男は口をパクパクさせながら動揺し始める。
「ちっ…違う!俺はそんな事……」
「あー…こんなに沢山。今もお楽しみ中だった訳か。お邪魔して悪かったな、ドミニク・デッセルさん…いや、DDさん」

何故あの時のハンドルネームを知っているのか?そんな事よりも、突然部屋に侵入してきた男達にPC端末内の画像を漁られている事に恐怖と怒りを覚えたDDことドミニク。
 手近に落ちていたガラス製の灰皿を持ち上げて頭上の高さまで振り上げた。


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「パソコンから離れろ!警察じゃねーだろお前ら!放っておけよ!」
「人様の趣味に文句言うつもりはねーけど、今回はその出所が問題だった訳で」
麗慈はドミニクのノートパソコンを閉じて充電中のアダプタを引き抜き、京哉の方に放り投げた。
 決して安価ではない私物を粗末に扱われれば誰だって怒りの感情を持つ。しかし、ドミニクの表情には怒りと共に焦燥や不安が入り混じっていた。まるで、宝物を目の前でぞんざいに扱われているようである。

 そんな彼の正面に立つ京哉は、片手で端末を受け取り容赦無くコンクリート打ちっぱなしの壁に投げ付けた。ガシャンと嫌な音を立てて床に落下してきたPCの傍に駆け寄ってきたドミニクは、絶望した表情で散らばったプラスティック片をかき集める。
 データの無事を確認する為にカバーを開けようと置いた手…その人差し指と中指の間にストンと落ちてきた鈍色の長い物体が端末を床板に縫い付けた。陽光を浴びてぬらりと光る太刀の刀身に、サァー…とドミニクの血の気が引く。


「コレだけ?コピーとかとってない?」
「ッ……これから取ろうと思ってた所だったんだよ…」
ニッコリと満面の笑みで尋ねた京哉は、ドミニクの瞳が一瞬揺らいだのを見逃さなかった。麗慈に視線を送り、部屋の中の捜索を続行する。
 そして、ベッドと床の隙間に隠されていた薄型のアタッシュケースの中から、十数個のハードディスクを発見する。それを持ち上げてドミニクの前に投げ付けた麗慈は、彼に選択肢を与えた。

「選べ。全部ぶっ壊してもう二度と手を出さない…か、コイツら警察に持ってって社会的に死ぬ…か、この場で生物学的に死ぬか」
即座に最初の選択肢を選んだドミニクと共にバスルームにPCとハードディスクを運び込んだ二人は、水圧全開で水を溜め始めた洗面台の中に全ての機材を放り投げる。

 これまでに相当な財を投入してきたのであろうか、ドミニクは苦労して収集したデータが物理的に壊されていく様に膝から崩れ落ちていった。

「バイヤーの方はそれなりに抵抗したらしいよ。報告来てる…えぇと、オイミャコンまで運んで裸吊りにしといたぜ!だってさ。裸吊りはヤバいなー…もう2度と悪さしないと良いけど」
本社からの連絡を受けた京哉がそのメール画面を読んで呑気な感想を述べているうちに現場の写真を撮っていた麗慈は、その内容のえげつなさに顔を引き攣らせていた。
「いや…2度と悪さできねぇだろ…」
ロシアのシベリア地域にあるオイミャコンという村は、2月の最低気温がマイナス47℃であり、最高でもマイナス35℃という想像を絶する極寒の地なのだ。
 それを知っていたのか、ドミニクは俯いたまま体をガタガタと震わせていた。

「そんじゃ、僕達は帰らせてもらいますんでー。ごゆっくりお食事の時間お楽しみくださいませー」

ヒラヒラと手を振りながらバスルームを後にする京哉達。青白い光の収束と共にバタンと乱暴に玄関ドアが閉められ、一人取り残されたドミニクがへたり込んでいた場所には洗面台から溢れ出た冷たい水がビシャビシャと流れ込んで彼のズボンを濡らしていた。





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 シャリテに戻ってきた京哉と麗慈を仰々しく迎え入れた老爺の教授は、全てのデータ削除が完了したという報告に大層喜んでいた。
「ありがとう…ありがとう……本当に助かった…」
自身の凡ミスで教授生命を終わらせる所だった彼にとって、二人はさぞ救世主のように見えていたのだろう。
「何か礼をさせてくれないか?この私にできる事なら何でも…」
教授の思わぬ申し出に顔を見合わせる京哉達。
「あ、いえ…報酬は会社がいただいていますから、お気遣いなく……」
「いやいや、しかしそれでは私が収まらない!何でも良いんだ…」
依頼完遂後にここまで喜ばれるのは初めての事であり戸惑う京哉であったが、麗慈に突かれてふとある質問を投げ掛けた。
「それじゃあ……教えて欲しい事があるんですけど。ドイツ国内の病院で、コールドスリープの受け入れをしている施設がある所ってご存知ですか?」
コールドスリープという単語に、教授は目を見開かせる。
「ほう……」
顎髭を触って何やら考え事を始めた教授。なかなか答えを寄越さない彼に、麗慈が重ねて尋ねた。
「拡張型心筋症と狭窄症…その他諸々の心疾患を併発した13歳女性の症例。我々が探している人間かもしれないんです。医療機関としては個人情報までは口外できないと思いますが、何か心当たりがあれば是非聞かせていただきたいです」
真剣な表情の二人を順番に見やった教授は、なるほどなるほど…と何やら独りごちながらゆっくりと立ち上がった。
 そして、スリッパの底を引き摺りながら自身のデスクとの間を往復してきた教授は、応接机の上に一冊のファイルを置いた。

「…コレは……?」
見てもいいのか、と尋ねた京哉に手振りでどうぞと答える。彼が手に取った瞬間に、麗慈はピンときた様子で尋ねた。
「カルテ……良いんですか?」
情報漏洩の重大事件を起こしたばかりの張本人である。教授ならまたやらかしかねないと思った麗慈は表紙に手を掛けた京哉の前に腕を伸ばして一度制止させる。
 二人の動きを見て再度ソファに腰掛けた教授は、背もたれに体重を預けて天井を見上げながら呟く。
「…ドイツ国内でコールドスリープの受け入れをしている施設は、シャリテだけだ。奇遇にも、私の専門は循環器でね…先程の症例に酷似した患者を受け入れた事がある」
あまりにも運命的な巡り合わせに、京哉は雷に打たれたような衝撃を受けた。
「……ほん…と…に……?」
現実の事とは信じられない様子の京哉を横目に、麗慈が踏み込んだ質問をする。
「情報を求めていたのはこちらですが…すみません。もし仮に、このカルテの人物が我々の探している少女だったとしても、医者の立場で家族以外に開示されるのはどうかと…」
「ああ。タブーだろうね。……でも、我々もずっと困り果てていたんだ。彼女を我々に託した両親は共にこの世にはいない。血眼になって探したが、血縁者と呼べる人間は愚か、病院の外に出でみると彼女の名前を知る人間は一人もいなかったんだ」
教授の言葉で、京哉は夢の中で聞いたソフィアの言葉を思い出す。生まれてからずっと入院していたのだと…。
「君達の質問を聞いてね、彼女の事を知る人間が現れたのかもしれない…そう期待してしまったんだよ」
だから、確かめて欲しい。そう続けた教授は京哉が持ち上げていたファイルの表紙を自ら開いた。


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 シェリアーナ・シェスカ、間違いなく彼女の名前であった。
 バッと顔を上げた京哉と目が合う麗慈。シェリーだ。知らず知らずのうちに、彼女とこんな近くにまで迫っていのだ。

「……間違いありません…シェリーだ……!教授、彼女の病気って……」
「現段階で確立されてる術式では、彼女の身体がその負担に耐えられない可能性が高いんだ。全てのオペが同時進行でつつがなく終了したとしても、何らかの後遺症が残ってしまうことも考えられる」
京哉には医学の心得が無い為詳しい状況は理解できなかったが、相当深刻な病気を抱えている事だけはわかったようだ。折角シェリーを見つける事ができたというのに…。
 落胆する京哉の横で黙々とカルテの内容を読み込んでいた麗慈。もしや大己貴命オオナムチノミコトで治せる算段でもあるのかと期待した京哉がその肩をトントン叩いた。
「せ、せんせ……いかがでございますか?」
どんな返答がくるのかと、ゴクリと生唾を飲む京哉。
「…難しいと思う」
「そ、そんな……」
あからさまに気を落とす京哉を気の毒に思った麗慈は、一つの可能性について語り始めた。
「ただ…このシャリテが寛容な施設だっていうなら、治せなくはない話だ」
寛容?と聞き返した京哉から視線を外した麗慈は、教授の方に向き直る。

「俺は楽団ギルド専属の医者です。オーストリアの医師免許も持っています。……もし、貴方のチームへ一時的な加入を許してもらえるとしたら…そして、それに関する一切の情報を秘匿し、生涯何処にも口外しないと約束して貰えるなら……共に彼女の病気を根治できる自信があります」
「医者…君が……」
驚いた様子で提示された医師免許を受け取った教授は、「確かに…」と呟きながらそれを彼に返した。




 研究室から移動する事15分、病院の敷地から少しばかり離れた場所に建てられた別棟。この施設が丸ごとコールドスリープの為に管理されていると言う。
 数回の消毒を済ませ、滅菌ルームを通り、専用の衣服に着替えてたどり着いたのは、数えきれないほどの配管や機器類が複雑に組み合わさった巨大な装置の部屋。
 並べられた金属製の楕円形カプセルの中に彼らは眠っており、目覚めの時にはこのカプセルごと切り離して手術室に運ばれていくのだと説明した教授。彼は二人を手招いて小さなガラス窓を指差した。
 そこから見えるのは、昨日助教授の女の端末で確認した金髪の少女である。彼らの知っているシェリーとは当然の事ながら似ても似つかない。

「まぁ、こんな事を当事者が言ったらいけないんだろうけどね…吐き出させてくれ」

そう切り出した教授は、カプセルを愛おしそうに撫でながら続けた。

「100年後、200年後の医療で彼女らは健康な体を取り戻せるかもしれない。だが…彼女達を直接的に知る人間は恐らくただの一人も生き残っていないんだ」

コールドスリープに就く患者達の未来を憂いて悲痛の表情を浮かべる教授の横顔に、京哉も顔色を曇らせる。そして、ふと頭に浮かんだのはシェリーと出会ってすぐの事だ。
 アクリルケースの中、独りきりで蹲っていたあの時の様子。

「……こんな小さな女の子をひとりぼっちの未来に送り出す事なんて、私にはできないよ。ドクター・ワカノミヤ。是非チームに入ってくれ。勿論、君の要求は全て呑もう」

差し出されたシワシワの手に自身の右手を出して握手に応じた麗慈は、力強く頷いた。




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 巳継と共にドイツ鉄道の車両からベルリン駅に降り立った京哉は落ち着かない様子であった。
 依頼完了から1ヶ月間、麗慈はベルリンに通ってシェリーの治療に向けたカンファレンスを重ねてきたと言う。そして今日、彼女のオペが行われるという連絡を受けてやって来たという訳だ。

「京哉君、右手と右足が一緒に出ているな」
「ゆゆゆ閖塚さん……だって今日は……あのシェリーの手術の日なんですよ…!これが落ち着いていられますか?」
あわあわし始める京哉の肩をポンと叩いた巳継は、頼むから落ち着いてくれと言って改札口方面に彼を引きずっていく。

 白髪のシェリーが零式自鳴琴と共にこの世から消えてから約3ヶ月。たったの3ヶ月の間に世界は大きく変容し、京哉達を取り巻く状況も以前とは全く違う物になっていた。

 日本は一時的に国連の管理下に置かれ、徹底的な反音楽主義路線による極端な取り締まりを横行させた改正憲法の再改正が行われた。
 音楽家の人権、音楽を扱う事の自由を取り戻し、ハンネス機関の使用は全面的に解禁された。

 他国の介入によって国の体制、政治方針が謂わば強制的に変更させられていく日本を目の当たりにした他の音楽否定派国家においても、その規制緩和が驚くべきスピードで進んで行った。

 そうなると、当然儲かるのはハンネス機関の製造に関する一切の利権を握っている世界政府である。
 最初からこの結末すらも仕組まれていたのではないかと思える程滑らかな世界の変容振りに、当の音楽家達が一番戸惑っていた。



 京哉もその一人であり、シャリテに向かう道中ではシェリーの事を一旦忘れなければ心臓が保たないと無理矢理切り出した会話の内容がソレであった。

「オーケストラってめちゃくちゃ人気なんですね…あ、少し前に親父に頼まれて臨時で演奏会に出たんですけど…」
新体制後の楽団ギルドでは、以前の貿易会社としての顔は捨て、国内を巡業するオーケストラがメインとなっていた。
 音楽の都・ウィーンを代表するように、オーストリア国内では昔から音楽に関する産業が多く発展してきた。そして、零式自鳴琴の騒動後の世界の流れは国内に多くの観光客を呼び込み、より多くの潤いを齎すようになっている。
「今じゃ国内のそこかしこでイベントが行われているからね。音楽を目当てに多くの国の人が足を運んでいるそうだから」
「凄いですよ、かなり大きなホールだったのに立ち見までいましたから。それに、出待ち?みたいのまでいて…」
聞き慣れないワードに眉を顰める巳継。
「出待ち…待ち伏せされていたのか!?敵か!?大丈夫だったのか!?」
巳継も大概、面白い奴なのだ。いやいや、と呆れ顔で彼を落ち着かせる京哉。
「女の子に囲まれちゃったって話ですよ。やっと時代が僕に追いついたみたいですね」
「…フッ、ミーハーな奴等め。京哉君はこう見えて顔だけなんだ。本質を知らずに騒ぐとは、まったく女子という生き物は…」
巳継としては『まったく女子という生き物は…』という返しをしたかったと思うのだが、間接的…否、直接的にかなり酷い貶され方をされ、京哉は涙目になる。
「いや、しかし君にはシェリアーナ・シェスカがいるじゃないか。恋仲なんだろう?」
「だーっ、もう、やめてくださいよ!閖塚しゃんまで!確かにアイツは大事な奴ですけど決してあんな事やこんな事がしたい訳では…」
眉をハの字に下げてデレデレとした京哉の返しに、巳継はムムッと眉間に皺を寄せる。
「京哉君、不誠実なのは良くないぞ。一人の女性を愛すると言う事はつまり、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ピーーーーー⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ピーーーーーをするという事であって、つまり…」
「黙れ黙れ!⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ピーーーーーとか公衆の面前で言うな!!」
往来を日本語で騒ぐ二人を睨み付ける通行人達。その視線に気が付いた京哉は咳払いをして目前に迫っていたシャリテの建物を見上げる。


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 コールドスリープされている患者専用の医療施設は別棟であった。
 この施設内で前回目にした金属製のカプセルを切り離してオペ室に運び込み、専用の蘇生装置を介すことで手術に適した体温やバイタルを維持することができるのだという。

 先に進む為には関係者の許可が必要となる為、施設の入り口で迎えを待つ。

「ウガミさん、ご無沙汰しております。どうぞ此方へ」
施設の入り口で二人を出迎えたのは助教授の女であった。初対面の巳継にも深々と頭を下げた彼女は、笑顔で踵を返し施設の中へと入っていく。


「…正直、色々複雑な気持ちでした。ご家族の意思を確認せずにコールドスリープを打ち切って手術に踏み切るというのが…」
長い廊下を進みながら、複雑だという胸の内を明かし始めた助教授の女。
「でも、教授の想いを初めて聞いて…これで良かったんだなって思います。自分だけが皆に取り残されて生きながらえるなんて、私なら耐えられませんから。ウガミさん達に巡り会えたシェリアーナさんは本当に幸運なんだと思います」
最後にニコリと笑いかけて来た彼女を見て、京哉は今度は自分が複雑な気持ちになる。



 シェリーが無事に手術を終えて目覚めた時、京哉を京哉として認識する事ができるのだろうか?
 あくまで彼女は白髪のシェリーと同じ名前というだけであって、肉体はまるで違う人間なのだ。擬似脳が埋め込まれて…というのもアレは彼の夢の中の妄想の話であり麗慈も眉唾物だと言っていた。





 期待と不安が入り混じり妙な緊張感に苛まれる中到着したのは、座り心地の悪そうな硬いソファが並ぶ空間であった。その奥に見える両開きのドア。

「今、手術に向けたバイタル管理の真っ最中です。私もこれから中に入ります。先程お渡しした来客用パスがあれば出入りは自由ですので…」
そう言って踵を返した彼女を引き留めた京哉が尋ねた。
「あの…どれくらい時間が掛かりそうですか?」
「そうですね…順調にいけば17時間…といったところでしょうか。それ以上…という事も十分に考えられる難しい手術ですが手を尽くして参ります」
ペコリと頭を下げてきた助教授の女を見送り、二人は手術室から一番近い所に設置されていたソファに腰を下ろす。

 長い長い溜め息を吐きながら両手で顔を覆った京哉は、背中を丸めて膝の上に肘を乗せる。
「ようやくだな、京哉君」
「はい…あ、そうだ…」
ふと何かを思い出した様子の京哉は、顔を上げて巳継の方に向き直り深々と頭を下げた。
「すんませんでした……ガキみたいな真似して…」
申し訳なさそうな表情でずっと頭を下げた姿勢を保ったままの京哉の肩を叩いて面を上げさせた巳継。
「あんな事があった後だ。無理もない。…それに俺達は皆、京哉君一人を最後まで戦わせ続けてしまった事に負い目を感じているんだ。そんなに謝らないでくれ」
口をきいて貰えないのは少し困ったが、と付け足した彼に苦笑いを見せた京哉は最後にもう一度頭を下げて正面に体を向けた。
 ちょうど手術中を表す赤い表示灯が点灯し、これから始まる長丁場に臨む麗慈や医師達に心の中でエールを送る。



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 1ヶ月前、ウィーンに戻った翌日…二人はシェリー蘇生の為に時間が欲しいのだと託斗に直訴する為に仮の事務所に向かっていた。
 リング通りの消失した旧社屋があった場所は新体制での楽団ギルドには大き過ぎると言い、託斗はその土地を売却してしまっている。

 ビジネス街として有名なドナウ・シティの高層ビル街の一画に聳える4階建てビルの3階が新事務所であった。
 一応ノックをしてから金属製の扉を押し開くと、フロアの真ん中に設置されたダンボール箱だけが彼等を出迎える。『みかん』と書かれた典型的なデザインだが、日本製の物は今時珍しい。かなり古いものかもしれない…そんなどうでも良い考察を二人でしているうちに、パーティションの裏に隠れていた給湯室から託斗がケラケラと笑いながら出てきた。その背後には庶務の女が一人。

「あ!人でなし!悪魔!ヤブ医者!何しに来た!」
麗慈を指差して叫んだ託斗。
「年齢詐欺、子供大人、ファッションセンスドブの助。報告に決まってんだろうが」
あまりにも辛辣な返しに、託斗は息子の背後に隠れておいおいと泣き真似を始めた。空気を読んだ庶務の女はスタスタとパーティションの裏側へと戻っていく。

「報告なら電話で良かったのに。わざわざ悪口言いに来たのかい!?」
フンッと子供のように顔を背ける託斗に、京哉はそそくさと報告を始めた。
「依頼は無事完遂したよ。特に問題無し。でも、凄い発見があって……今回の依頼主の所に本物のシェリーがコールドスリープされてたんだ。こんな偶然あるんだな…かなり驚いた」
偶然、驚いた、と呟いている京哉の表情を肩越しに捉えた託斗は、「はて…」と首を傾げる。

「京哉の夢の中の事だって言うから正直半信半疑だったが、教授から見せて貰ったカルテで全部状況は飲み込んだ」
麗慈の言葉を聞いても、やはり何か重要な事を忘れているような表情で首を捻り続ける託斗。京哉と麗慈は、彼の不審な様子に顔を見合わせた。
 そして、額を指でトントン叩きながら忘れてしまった何かを思い出そうと奮闘する託斗。ここで諦めたら老化が進むと言って諦めない様子を見せる。必死にこめかみをぐりぐりと揉みながら考える事数分…。

「あ…んん??待て待て、偶然みたいな感じで言ってるけど……シェリーちゃん見つけてきたのは僕なんだけど?何だよ二人して、奇跡起きましたー!みたいな事言ってさぁ…」

託斗の発言に、時が止まったように事務所内が静まり返る。状況を飲み込めていない二人の表情を見て、託斗は何故なっているのかわからないといった様子で続けた。

「今回の依頼について伝えた時にちゃんと言ったじゃない!『ハッピーサプライズ!可愛い我が息子にとっておきのお仕事が来てるよ!』って…」

首を傾げる京哉の隣で、麗慈は「あ…」と手で口を押さえた。ピンと来た様子である。

「れ、麗慈…もしかして……」
「……あまりにもウザかったから、依頼の内容だけ伝えろって言って…あんま聞いてなかった…わりぃ」

父親のウザさは京哉も嫌な程よく知っている。気にするな、と肩を竦めて託斗の方へと向き直る。そして、二人で彼を取り囲んで方々から足蹴にした。

「いい歳こいてややこしい事すんな!重要な事はスッと話せ!」
「親父のそういう所、回り回って僕にとばっちり来ンだからいい加減にしろよ!」
「痛いっ!ごめんごめん!わかったから蹴らないで!」

託斗の悲鳴を聞き流しながら悠々と書類仕事を続ける庶務の姿を見るに、社長という立場になっても彼は相変わらずなのだとわかる。




 腰を摩りながらダンボール箱の傍に座った託斗は、京哉と麗慈を手招いた。何故そんな場所に呼び寄せるのかと小首を傾げながら近づいた二人もダンボールを挟んで託斗の正面の床に胡座を描いて座る。

「悪いね、まだ机とか椅子とか届いてなくてさ」
「いや、コレ机の代わりかよ」
麗慈のツッコミに後頭部を掻く託斗。
「で、シェリーを見つけたから…って話をしに来たんだろ?」
ようやく話の筋が本題に戻り、京哉は手を叩いた。
「そう!……教授と話したんだ。シェリーには身寄りがなくて、120年後に目覚めたとしても一人きりになるって…。だから、麗慈が教授達と協力して一緒に手術をしたら、今目覚めさせる事ができるらしくて…」
京哉の歯切れが悪い理由は託斗もよく理解できている様子であった。


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「…大己貴命オオナムチノミコトの秘密を組織外の人間が知る…っていうのが、どう言う事かわかるかい京哉?」
「……それは、まぁ…」

 耳が聞こえる間であれば、どんな致命傷もその場で完治させてしまう能力。麗慈の医者としての知識と音エネルギーを極大化させる特殊な奏法によるヴァイオリンの演奏とが組み合わさる事によって可能となる、神の御業。
 この力の存在が世間の知る所となれば、世界中のありとあらゆる難病を抱えた患者は彼を頼ろうとするだろう。患者家族が徒党を組んで麗慈を捜索し、押し掛ける危険性もある。
 また、どんな病も治せてしまう事は現代の医療における薬剤や術式の特許権を握る人間にとっては非常に都合が悪い。その利権を守る為に、麗慈の命を狙う可能性だってある。
 そした、組織の中で生きる事を強いられてきた京哉にとって、掟は絶対であった。超絶技巧の秘密を外部に漏らす事は絶対に許されないのだと、彼はよく理解している。

「…大己貴命オオナムチノミコトは超絶技巧の中では特殊だ。楽団ギルド内での使用を前提としている“人を助ける唯一の能力”たからね。そんな大事なものの秘密を無関係な人間に知られたら…消すしかなくなる」
記憶、ではない。その存在自体を、という話をしているのだ。京哉は眉を顰めた。彼女一人を助けるために多くの命が失われたと知れれば、彼女は自分自身を恨むのではないだろうか。そんな苦悩を彼女に強いる訳にはいかない…。

 やはりシェリーを救う方法は現代には存在しないのだろうか。目に見えて落胆する京哉を横目に、麗慈が口を挟んだ。
「区画を分けるとか、時間を分けるとか…俺と教授らが直接顔を合わせない方法でオペに関われねぇのか?」
「それでも、不思議な力でみるみるうちに患者の状態が良くなれば、それは部外者に能力を披露してるって事になるでしょ?ダメダメ!そんなのぜーったい!」
もっともな返しをされて、麗慈も黙ってしまった。
 意気消沈する二人。組織としては至極真っ当な判断をした託斗にこれ以上食い下がる事は難しいと諦めかけた時であった。一枚の紙がダンボールの上に乗せられる。

「……コレは?」
眉を顰めた麗慈が尋ねると、託斗はニッカリと笑顔を見せた。
「新しい弊社、かなり規模が縮小した影響で重要な部署まで人手が足りなくてさ…。特に、脱反対派したばかりの国には協力者も少ない」
脱反対派とは、音楽否定派を辞めて音楽肯定派としての政策路線に切り替えた国の事である。零式自鳴琴の一件以降、多くの否定派国が脱反対派となった。日本の二の舞になり、国際社会から制裁を受けるを恐れての方針転換のようだ。
 今回の依頼の為に向かったドイツも、音楽否定派の国であったが最近徐々に規制が緩和されつつある。
「協力者…まさか、シャリテの医者を…」
「うん。医療班は結構壊滅的な状況だし。……あそこが協力関係になれば、君が手術に協力しようと[[rb:楽団 > ギルド]]が咎める理由は無くなる訳だけど…どうだろ?」

託斗の提案を聞き、ダンボールに乗せられた紙に目を通す二人。つらつらと記載されている文章は、組織同士の協力関係を迫る内容のものであった。

「……親父…」
顔を上げて託斗と目を合わせた京哉の表情は明るかった。
「あーあー…京ちゃんの為って訳ではないんだよ、コレは本当に。楽団ギルドもこれからの社会で生き残っていくためには方針転換していかなきゃって思ってさ」
 シャリテからの依頼、かつての楽団ギルドであれば受諾するような内容ではない。
「僕達じゃないと片付けられない仕事が転がってるのは、なにも裏の社会だけじゃない。困った人達助けて報酬を貰うビジネスっていうスタンス…別に表の社会でやっちゃいけないっていう決まりは無いよね?」
ニコリと笑った託斗は、紙を手に取って京哉に押し付ける。
「これからはもっと忙しくなるよ。『僕達は正義のヒーローじゃない』なんて台詞で逃げるのは許されなくなる訳だからね」
その足掛かりとして、シャリテからの依頼受諾、そして協力要請。託斗は楽団ギルドを変えようとしていた。
「お相手と協力関係を結べれば、君達の要求は飲もう。ただし、京哉はこっちに残ってお仕事してもらうよ。麗慈の抜ける穴埋めはお前がするんだ」






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 夜明けを迎えるベルリンの街。
 ブラインドの隙間から漏れる陽光が京哉の横顔に差す。
 結局、一睡もしないまま手術が終わるのを待ち続けた京哉の隣に戻ってきた巳継。手に持っていた缶コーヒーを手渡しながら尋ねる。

「…20時間か。予定より長引いてるな。大丈夫か、京哉君?仮眠でも取ったらどうだ?」
「平気っす…。麗慈も中で一睡もせずに手術に張り付いてるし…」
眠そうな表情をしていたかもしれないと、両手で頬を叩いた京哉は顔を上げた。

 ちょうどその時、表示灯の赤いランプが消灯する。手術が終わったようだ。
 看護師達が押すストレッチャー。急いで立ち上がった京哉は巳継と共に扉の近くへと駆け寄っていった。逸る気持ちを抑えながらその時を待ち侘びる。
 ガチャガチャと物音がしてきたかと思えば、両開きのドアが向こう側から押し開かれた。キャスターが床を転がる音。声を掛ける間も無く、目を閉じて横たわった状態の少女が目の前を通り過ぎていく。

「シェリー…」
ボソリと呟いてストレッチャーを見送った京哉。続いて手術室から姿を現したのは、緑の手術着を纏った麗慈であった。頭の後ろで結んだ紐を外し、マスクを首から垂らした彼は疲弊した様子で二人の前に立った。

「麗慈…どう……だった?」
不安げな表情で尋ねる京哉は、遠ざかっていくストレッチャーの方にチラチラと視線を送って気にしている様子を見せる。
「特に大きな問題は無く。心臓は無事に動き出した。あとは…目覚めた時、どうなるか……だな」
「目覚めた時…」
彼女は白髪のシェリーではない。京哉の姿を見た時、どんな反応を示すのか。それは実際に確かめてみない事にはわからない。
「肉体は13歳の子供だ。回復まで少し時間がかかる場合があるが…教授によると3日以内には意識を取り戻すんじゃないかって話だな」

 シェリーは一命を取り留めた。しかし、これからまた3日間はソワソワしながら過ごさねばならないとわかった京哉。意識が戻るまではベルリンに残ると言った麗慈に同行しようとした彼を引き留めたのは巳継であった。
「必ずウィーンに連れ戻すよう、先生に頼まれてしまったからな」
そう苦笑いを浮かべた巳継に諭された京哉は、意識を取り戻したら連絡を入れると約束をした麗慈に別れを告げて、始発電車の待つベルリン駅に向けて歩き始めた。






[87] Erhaben Ⅱ 完
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