『あの日の処方箋』 ~婚約破棄から始まる、不器用な医師たちとの恋の治療法(リトライ)~

デルまりん

文字の大きさ
18 / 63
第二章 五月雨の迷路と、横浜の微熱

第17話 安全地帯の無知と、隠された既往歴

しおりを挟む
6月下旬の日曜日。

皐月は、自宅の近くを散歩していた。

今日は完全なフリーだ。
天気もいいし、家に篭もるのは勿体ない。

そう思って外に出てはみたものの、特に行きたいところがある訳ではない。

(スイーツでも買おうかな……)

皐月は、目に付いたコンビニに寄った。

「……お前、こんなとこで何してんだよ」

店内に見慣れた仏頂面があった。
五十嵐だ。

ラフなTシャツにハーフパンツ。
手には大量の駄菓子やアイスが入った買い物カゴを持っている。

「べ、別に。散歩よ、散歩」

気まずい沈黙が流れた、その時だった。

「にーちゃん!早く会計しようよ!アイス溶けちゃうじゃん!」

「お兄ちゃん、何してるの?」

五十嵐の後ろから元気な声がした。

小学校高学年くらいの男の子と女の子だ。
二人は五十嵐によく似た目で、皐月を興味津々に見つめてる。

「ねえ、この人誰?」

二人は顔を見合わせ、ニヤニヤしながら声を揃えた。

「お兄ちゃんのカノジョ!?」

「「ちっっっがう!!!!」」

皐月と五十嵐の声が、見事にハモった。

全力で手を振って否定する皐月をよそに、五十嵐は「うるせぇ、黙ってろ」と男の子の頭を小突く。

「えー、つまんないの」

女の子の方が唇を尖らせる。
すると、男の子の方が皐月の顔をジッと見て、何かを思いついたように叫んだ。

「ねえ、お姉さん!うち来てゲームしない!? 4人でレースゲームやりたいって未海みうと話してたんだよ!」

「えっ?いや、私は……」

「おい、てめぇら勝手なこと言ってんじゃねぇよ!こいつは忙しいんだよ、帰るぞ!」

五十嵐が慌てて止めようとするが、未海が彼の袖を引っ張る。

「えー!嘘つき!お姉さん絶対暇でしょ!忙しかったらこんなパジャマみたいなダサい格好で、手ぶらでコンビニなんて来ないって!」

未海の指差した先――つまり、自分の服装を見下ろして、皐月はウッと言葉に詰まった。

今日の格好は、誰もが知る国民ファストファッションブランドの接触冷感素材のTシャツと、膝丈のリラックスパンツだ。 
皐月自身は「涼しくて着心地最高!」と気に入って愛用しているのだが……。

「あはは……」

キラキラした小学生女子の目には、ただの「パジャマ」にしか映らないらしい。
皐月は力なく苦笑いするしかなかった。

「お願い、お姉さん!来てよ!4人対戦じゃないと盛り上がんないんだよ!」

男の子はキラキラした瞳で皐月を見つめる。

「おい、海斗かいも。いい加減にしろ」

「にーちゃんのケチ!にーちゃんもお母さんもいっつも家にいないし。本当は家族4人でやりたいのに」

「……っ」

海斗の言葉に、五十嵐はたじろいだ。

「……天野。お前、このあと予定あるか?」

「ううん、特にないけど……」

五十嵐は天を仰ぎ、深いため息をついた。

「……ハァ。……勝手にしろ」



古びたアパートや小さな一軒家が並ぶ住宅街を進む。

前を歩く五十嵐の背中は、いつもより小さく見えた。

彼は、皐月に家を知られることを極端に嫌がっているようだった。

その理由は、目的地に着いてすぐに分かった。

案内されたのは、壁の塗装が剥げかけている、古い小さな一軒家だった。

「ただいまー!」

未海と海斗が元気にドアを開ける。

「お邪魔します……」

玄関に入ると、そこには生活感が溢れていた。
靴箱に入りきらない靴、サッカーの道具。

奥のリビングには、仏壇があった。

遺影の男性は、五十嵐によく似ていた。

優しそうな笑顔だが、その写真立ての古さが、亡くなってからの年月の長さを物語っていた。

「……散らかっててわりぃな。適当に座ってくれ」

五十嵐が座布団を投げてくる。

「あの……お母さんは?」

「仕事行ってる。夕方まで帰んねぇよ」

五十嵐はぶっきらぼうに答えた。

「そっか……」

皐月は、仏壇に置いてあった遺影を思い出していた。

(あの遺影の人は……五十嵐のお父さん?)

皐月は漠然と、彼が頑なに隠そうとしていた「現実」を感じ取り始めていた。



「よっしゃー!俺カメ吉な!」

「私リンゴ姫!」

狭い居間で、テレビに向かって4人でコントローラーを握る。

ゲームが始まったが、結果は散々だった。

皐月の車は壁に激突し続け、コースアウトを繰り返す。
そこに、未海と海斗の容赦ない攻撃アイテムが降り注ぐ。

「きゃー!爆弾ぶつけないでよー!」

数レース後、未海と海斗はあからさまに飽きた顔をした。

「お姉さん弱すぎ。全然勝負になんないじゃん」

「つまんなーい。お姉さん、もういいよ。私たちだけでやるから、あっち行ってて」

「えっ……」

コントローラーを奪われ、皐月はショックで固まった。あまりにストレートな物言いに、ガラスのハートにヒビが入る。

「お前らなぁ、口を慎め。……わりぃな、こいつら悪気はないんだ」

五十嵐が申し訳なさそうに言った時だった。

ピピピピピ……!

彼のスマホが鳴った。
病院からのオンコールだ。

「! ……はい、五十嵐です。……はい。……わかりました、すぐ行きます」

五十嵐が弾かれたように立ち上がる。

「わりぃ、急患だ。ちょっと病院行ってくる。すぐ戻るから、お前ら大人しくしてろよ」

「えー、またー?」

五十嵐はジャケットを羽織りながら、皐月を見て少し気まずそうに言った。

「……お前、適当なところで帰っていいからな。母さんももうすぐ帰ってくるはずだから」

彼は慌ただしく家を飛び出していった。

取り残された皐月。

(気まずいけど、小学生の子供だけを置いて帰るのはな……)

どうしよう……と考えていると、玄関のドアが開く音がした。

「ただいまー。あら、拓海は?」

帰ってきたのは、小柄な女性だった。
スーパーの袋を両手に抱え、少し疲れた顔をしている。

「お母さん、おかえり!お兄ちゃんは病院行ったよ!」

「また?大変ねぇ……あら?」

お母さんは皐月に気づき、目を丸くした。

「はじめまして。病院で同僚の天野皐月と申します。突然お邪魔してすみません……」

「あらあら、まあ!拓海の同僚の方?女の人が来るなんて初めてよ!散らかっててごめんなさいねぇ」

お母さんはパッと表情を明るくし、手早く買ってきたものを片付けると、お茶を出してくれた。

未海と海斗がゲームに熱中する横で、お母さんと向かい合う。

「拓海、いつもご迷惑かけてないかしら? あの子、愛想がないから」

「いえ、そんなことないです。仕事熱心で、頼りになります」

皐月が言うと、お母さんは嬉しそうに、でもどこか寂しそうに微笑んだ。

ふと、仏壇の遺影に視線を向ける。

「……拓海くんのお父さんですか?」

「ええ。もう11年になるわね。あの子たちがまだ赤ちゃんの頃に、仕事中の事故で」

お母さんは遠い目をして語り始めた。

夫を亡くし、女手一つで乳幼児の双子と高校生の子供を育てる苦労。
パートを掛け持ちし、朝から晩まで働き詰めの毎日。

「拓海には、本当に苦労をかけたわ」

お母さんの声が震える。

「あの子、高校生の頃からずっと、私の代わりに家事をして、未海と海斗の保育園の送り迎えもしてくれて……。文句ひとつ言わずに」

胸が締め付けられるようだった。

皐月が図書室で「塾に行かないの?」と無邪気に聞いていたあの夏。
彼は、双子を迎えに保育園に行っていたのだ。

「夫はね、高卒で現場仕事をしてたんだけど、口癖のように拓海に言ってたの」

お母さんは遺影を見つめた。

『お前は頭がいいんだから、医者にでもなって金を稼げ。俺みたいになるな』

「……それが、拓海の呪いになっちゃったのね」

「呪い……?」

「ええ。あの子、医学部に入ってからも、奨学金とバイトで学費を稼いで、家にもお金を入れてくれて……。『俺が医者になって、絶対に家族を楽にさせてやる』って、そればっかり」

心臓が、早鐘を打った。

「拓海は『もう働かなくていい、俺が食わせる』なんて格好つけるんだけどねぇ。あの子だって奨学金の返済があるし、これから自分の人生があるでしょう?私一人で子供二人分くらい稼げるって言っても聞かなくて」

脳裏に、昨夜見た夢の光景がフラッシュバックする。

『俺には後がねぇんだよ!』

『いいよな、お前は金があって!』

9年前のあの日、彼が皐月にぶつけた怒り。

それは単なる嫉妬ではなかった。

亡き父の言葉。貧困からの脱出。家族を背負う重圧。

失敗が許されないプレッシャーの中で、彼はたった一人で戦っていたのだ。

(……そうだったの?)

皐月は、自分の浅はかさを思い知らされた。

(……私は彼に、なんて残酷なことを言っていたんだろう)

それは、安全地帯にいる人間が放つ、無自覚な暴力だったのだ。

彼の苦しみに気づかず、「何回受けたっていい」なんて無神経に笑っていた自分が、今更ながら恥ずかしく、そして申し訳なくてたまらなくなる。

「……もうこんな時間。よかったら夕飯食べていきますか?」

お母さんが立ち上がる。

皐月は慌てて首を振った。

「いえ、申し訳ないので……!今日は失礼します」

「そう?残念ね。またいつでも遊びに来てくださいね」

お母さんと双子に見送られ、皐月は逃げるように五十嵐家を後にした。



帰り道。 

西の空が鮮やかな朱色に染まり始めていた。

美しい夕焼けなのに、皐月の心は鉛のように重かった。

「……私、何も知らなかった……」

震える声が、夕暮れの風に溶ける。

ふと、9年前の教室での光景が、脳裏にフラッシュバックした。

『ねえ、五十嵐。ここも受けない?』

高3の冬。私は都内私立医大のパンフレットを、彼に差し出した。

『設備もすごいし、実習も充実してるんだって!滑り止めにちょうどいいよ!』

あの時、彼は視線を落とし、少しの間を置いてから言ったのだ。

『……俺はいい。興味ねぇし』

あの時の私は、「ふーん、そっか。もったいないなぁ」としか思わなかった。

なんて、愚かだったんだろう。

(興味がないんじゃなかった。……受けられなかったんだ)

私立医学部の受験料は、一校受けるだけで数万円かかる。学費に至っては6年で数千万円だ。

彼にとって、「滑り止め」なんて言葉は、別世界の贅沢品だったに違いない。

それを私は、「ちょうどいいよ」なんて笑顔で勧めたのだ。

彼の心の中で、どれだけの惨めさと、やるせなさが渦巻いていたか想像もせずに。

『いいよな、お前は金があって!』

あの日、公園で彼が吐き捨てた言葉の意味が、9年越しに痛いほど理解できた。

彼が私を拒絶したのは、私が嫌いだったからじゃない。

私の存在そのものが、私の無自覚な言葉の一つ一つが、彼の傷をえぐり続ける「残酷な光」だったからだ。

擦り切れた袖口。ボロボロの財布。そして孤独な決意。

それら全てを見落としていた自分への後悔が、涙となって溢れ出した。

「……ごめん、五十嵐……」

謝っても、もう遅い。

9年前の私は、彼の手を離してしまったのだから。

皐月は涙を拭いながら、夕焼けの中を一人、歩き続けた。

その背中は、知ってしまった真実の重さに、小さく震えていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ハイスペックでヤバい同期

衣更月
恋愛
イケメン御曹司が子会社に入社してきた。

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

楓乃めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい
恋愛
王都の春。 貴族令嬢リリアーナ・エインズワースは、第一王子ライオネル殿下との婚約を一方的に破棄された。 涙を見せないことが、彼女に残された唯一の誇りだった。だが運命は、彼女を思いがけない方向へ導く。 「氷の公爵」と呼ばれる孤高の男、ヴァレンティーヌ公爵。 二十四人の花嫁候補を断り続けた彼の元へ、「二十五番目の花嫁」として赴いたリリアーナ。 家の体裁のための結婚――そう割り切っていたはずなのに、氷のような瞳の奥に垣間見えた孤独が、彼女の心に小さな炎を灯してゆく。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

ひとつの秩序

水瀬 葵
恋愛
ずっと好きだった職場の先輩が、恋人と同棲を始めた。 その日から、南莉子の日常は少しずつ噛み合わなくなっていく。 昔からの男友達・加瀬透真は、気づけばやたら距離が近くて、優しいのか、図々しいのか、よく分からない。 好きな人が二人いるわけじゃない。 ただ、先輩には彼女がいて、友達は友達の顔をしなくなっていく。 戻れると思っていた関係が、いつの間にか戻れなくなっている。 これは、仕事も恋もちゃんとやりたいのに、だいたい空回りしている大人たちの、少し不器用なラブコメディ。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

処理中です...