『あの日の処方箋』 ~婚約破棄から始まる、不器用な医師たちとの恋の治療法(リトライ)~

デルまりん

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第三章 炎天下の暴露と、逃げ水のような距離

第25話 西日の宣告と、暴かれる嘘

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真夏の夕暮れ。 

廊下の窓から差し込む西日が、長く伸びた二つの影を赤く染めていた。

雷久保は、晴瑠の動揺を楽しむように、壁に寄りかかってニヤリと笑った。

「黄金コンビってね、ただ仲が良かっただけじゃないんだよ」

雷久保の声は、甘い毒のように耳にへばりつく。

「聞いた話じゃ、高校時代、放課後はいつも図書室で二人きりで勉強してたらしいよ。誰にも邪魔されない、二人だけの世界で」

「……」

「文化祭では、お化け屋敷でツーショット撮ってたとか。青春だよねぇ。……あ、そうそう」

彼は何かを思い出したように手を打った。

「サッカー部の試合の時もすごかったらしいよ。彼女、誰よりも熱心に応援して、手紙付きの特製ドリンクを差し入れてたんだってさ」

ドクリ、と晴瑠の心臓が嫌な音を立てた。

――特製ドリンク。

その単語が、彼女の脳裏にある記憶を強引に引きずり出した。

大学1年の夏。猛暑のグラウンド。

晴瑠が作った特製のハチミツレモンを受け取った時の、五十嵐の横顔。

『……懐かしいな』

あの時、彼は晴瑠を見ていなかった。
彼女の向こう側にいる、誰かを見ていた。

その「誰か」が、天野皐月だったというのか。

晴瑠がどれだけ努力しても、計算しても、1ミリも入り込めなかった先輩の心の一等地に、あの女はずっと居座っていたのだ。

スクラブの裾を握りしめる手が震える。

雷久保は、晴瑠の反応を見てさらに目を細めた。

「でも不思議だよねぇ。そんなに仲良かったのに、大学は別々。彼女は都内の私立に行ってたのに、今になって戻ってきた」

彼は探偵のように顎をさすった。

「一緒にこの大学を受験したみたいだけど……今の状況を見るに、皐月ちゃんは不合格で、別の大学に行って……で、何らかの理由で戻ってきたのかな?」

不合格。都落ち。

雷久保の推測は、残酷なほど的確に聞こえた。

その時、廊下の向こうから小走りで近づいてくる足音が聞こえた。

「雷久保先生!カンファ始まりますよー!」

形成外科をローテート中の霧生だった。
彼は手に資料を抱え、慌てた様子でやってくる。

「お、ちょうどいい証人が来た」

「え?何がっすか?」

立ち止まった霧生に、雷久保は親しげに肩を組んだ。

「いやね、五十嵐と皮膚科の天野先生って、高校の時、本当にそんなに仲良かったのかなーって。霧生くん、二人と同じ高校だったんだよね?」

「ああ、その話っすか!」

霧生は、雷久保の横にいる晴瑠の、青ざめた表情には気づかずに大きく頷いた。

「いやもう、マジで『黄金コンビ』っすよ!放課後の図書室でいっつも二人で勉強してて!」

「へぇ。やっぱり?」

「引退試合の時なんか、天野先輩が泣きそうな顔で五十嵐さんのこと応援してて……あれはもう、完全に愛でしたね!俺ら後輩の間でも『あの二人はガチだ』って伝説になってたんすよ!」

霧生は懐かしそうに熱弁を振るう。

「文化祭の時も、手を繋いでてーー」

だが、ふと視線を感じて横を見ると、そこには亡霊のように立ち尽くす晴瑠がいた。

「……あ、れ?立花?」

晴瑠は俯き、唇を噛み締めて震えている。
その様子を見て、霧生の脳内で遅すぎる警鐘が鳴り響いた。

(……やべ。そういえば立花って、大学の時に五十嵐先輩のこと……)

噂で聞いていた。
彼女が大学時代、五十嵐を追いかけていたことを。

そんな彼女の前で、五十嵐と皐月の「伝説の愛」を語ってしまった。

それは、彼女にとって「自分が入り込む隙間など最初からなかった」と突きつける死刑宣告に等しい。

「あ、いや!今のは昔の話だから!高校生とかガキの頃の……!」

霧生は慌てて取り繕おうとしたが、もう遅かった。

(……ご苦労さん。最高のトドメだ)

雷久保は、青ざめる霧生と、絶望する晴瑠を見比べて、満足げに口元を歪めた。

「……もういいです」

晴瑠はこれ以上聞いていられなかった。
嫉妬と、惨めさと、行き場のない感情で、胃液が逆流しそうだった。

「貴重なお話、ありがとうございます。……失礼します」

彼女はフラつく足取りで、その場を立ち去った。

「あ、立花!」

呼び止める霧生の声も、今の彼女には届かなかった。



その後に行われた、形成外科との合同カンファレンス。

晴瑠は、いつものように笑顔を作ることができなかった。

スクリーンの前で症例発表をする五十嵐。
その横顔を見つめる皐月。

二人の間に流れる空気が、以前とは違って見えた。

言葉なんてなくても通じ合っているような、長年連れ添った夫婦のような安らぎ。

(……なんで)

吐き気がした。視界がぐらりと揺れる。

「……ねえ、晴瑠ちゃん? 大丈夫?」

隣に座っていた美雲が、小声で話しかけてきた。

「顔色悪いよ?どうしたの?」

「あ、いえ……大丈夫です。ちょっと寝不足なだけで……」

気丈に振る舞おうとしたが、冷や汗が止まらない。

その時、晴瑠の腕を誰かが掴んだ。

「無理しないで。休んだ方がいいよ」

天野皐月だった。

彼女は心配そうな目で晴瑠を見つめ、教授に目配せをして許可を取ると、晴瑠を会議室の外へと連れ出した。



皮膚科の医局に戻った晴瑠は、皐月に椅子に座らされた。

彼女は冷たい水を持ってきて、晴瑠の背中を優しくさする。

「今日はもう帰ろうか。定時の時間も過ぎてるし、無理して残らなくていいよ」

優しい声。温かい手。

それが、今の晴瑠には耐え難いほど辛かった。

余裕があるから優しくできるんだ。

自分が「選ばれた側」だと知っているから、敗者に情けをかけられるんだ。

「……どうして、嘘をついたんですか?」

晴瑠の口から、冷たい声が漏れた。

背中をさすっていた先輩の手が止まる。

「え?」

「高校のとき、二人はすごく仲良かったって聞きました。今だって、あんなに親密だし」

晴瑠は顔を上げ、彼女を見上げた。

「それなのになんで、『腐れ縁』だなんて嘘ついたんですか?」

皐月の目が泳いだ。 図星だ。 

彼女は何かを隠している。
五十嵐との過去を、特別な関係を、晴瑠には教えたくなかったのだ。

それは、晴瑠をライバルと見なしての牽制か、それともーー

「……晴瑠ちゃんは、五十嵐のことが好きなの?」

皐月が、恐る恐る聞いてきた。

その質問自体が、晴瑠を逆撫でする。

「好きです。……先生なんかよりずっと、長い間想ってきました」

7年間の重み。

晴瑠は立ち上がり、彼女を真っ直ぐに見据えて言い放った。

「皐月先生が本気じゃないんだとしたら……いつまでも五十嵐先輩の中に居座らないでください。迷惑です」

「っ……」

皐月が息を呑む。

「……今日は体調が悪いので帰ります」

晴瑠はそれだけ言うと、逃げるように医局を飛び出していった。



夜。自室のベッドの上。 

晴瑠は天井を見上げながら、どうしようもない感情を抱えていた。

天野皐月。 

彼女は、都内の私立医大出身だと言っていた。

国立に落ちて、別の大学に行って、戻ってきた。

……なぜ戻ってきた?

「母の背中を追って」なんて綺麗な動機を、額面通りに受け取ることはできない。

都内の私立医大を出て、初期研修も向こうで終えたのに、このタイミングで北関東の大学病院の医局に入るなんて、絶対に何か理由があるはずだ。

例えば、都内で皮膚科医になれないトラブルがあったとか。 都内の私立、〇〇医科大学……。

(……あれ?)

記憶の糸が繋がる。

晴瑠の高校時代の部活の先輩に、確かその大学の医学部に進んだ人がいたはずだ。

1つ上の先輩なら、天野皐月と同期のはず。

晴瑠はスマホを手に取ると、連絡先リストをスクロールした。

『中田先輩』

見つけた。

晴瑠は迷わずメッセージアプリを開き、文字を打ち込んだ。

『先輩、お久しぶりです!晴瑠です。突然すみません。先輩にひとつ、お聞きしたいことがあるのですが』

送信ボタンを押す。

画面の中で、「送信済み」の文字が光った。

もし彼女が、何か後ろめたい事情を抱えて戻ってきたのだとしたら。

それを知ることで、何かが変わるかもしれない。

ーー五十嵐先輩の隣にいるべきなのは、彼女なのか、私なのか。

その答えを知りたくて、晴瑠は暗い部屋の中で、スマホの画面を強く握りしめた。
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