『あの日の処方箋』 ~婚約破棄から始まる、不器用な医師たちとの恋の治療法(リトライ)~

デルまりん

文字の大きさ
26 / 63
第三章 炎天下の暴露と、逃げ水のような距離

第24話 深まる疑惑と、悪魔のキャスティング

しおりを挟む
7月下旬。

午前中、皐月は晴瑠と一緒に入院患者の処置を行っていた。

「晴瑠ちゃん、軟膏塗って」

「はい」

「左腕の包帯巻き、お願いしていい?」

「わかりました」

夏場の全身処置は、医療者たちも汗だくだ。
患者さんの負担がないように、看護師たちと協力して手早く終わらせていく。

「ふぅー。今日も疲れたね。晴瑠ちゃん、手際がいいから助かるよ」

「いえ、皐月先生の指示が的確だからですよ!」

全ての処置が無事に終わり、二人は手洗いをする。

二人きりになったタイミングで、晴瑠は皐月に尋ねた。

「友達に聞いたんですけど……皐月先生って、五十嵐先輩と高校の同級生だったんですか?」

不意の質問に、皐月は少しだけ胸が高鳴った。

「え? ……うん。実はそうなんだ」

「そうなんですね!仲良かったんですか?」

晴瑠の声は無邪気だが、その瞳の奥には笑みだけではない何かが潜んでいるように皐月には見えた。

事情を細かく打ち明けるわけにはいかない。

付き合っていたわけでもなく、断絶していた時期もある。

「別に……。ただの元同級生だよ」

皐月は曖昧に笑ってみせた。

「……そうなんですね。なんだかこの間二人が話している時、とても親密そうに見えたので」

「そうかな?……まあ、腐れ縁みたいなものだよ」

晴瑠はそれ以上踏み込まなかった。
彼女はペーパータオルで手を拭き、それをゴミ箱に捨てた。

「……私、研修医室に寄ってから戻りますね!お疲れ様でした!」

「うん、お疲れ様」

晴瑠は笑顔で手を振り、去っていった。

皐月はその後ろ姿を見送り、ふうと息をつく。

その時、背後から明るい声が聞こえた。

「天野先輩!久しぶりっす!」

「霧生くん!」

霧生の元気さは相変わらずで、皐月も思わず微笑む。

「久しぶり。元気そうだね」

「元気だけが取り柄なんで!……今のって立花ですよね?」

霧生は声を潜め、晴瑠が去った方向をちらりと覗き込む。

「俺、同じ大学じゃないんでよく知らないんすけど……立花って大学のとき、五十嵐さんのこと狙ってたらしいっすよ」

「え……?」

皐月の胸がぎゅっと締め付けられる。

霧生の言葉で、先ほどの無邪気な質問が探りを含むものだったと納得がいった。

晴瑠の笑顔の下に計算高さがあるかもしれない、と背筋がひんやりした。

「……恋のライバル出現っすね!先輩も負けてらんないっすよ!」

「いや、そんなんじゃないから!」

霧生は茶化すが、皐月は慌てて否定の言葉を返す。

胸の奥には消えないモヤモヤが残っていた。

五十嵐と同じ大学で過ごした後輩。想像するだけで苦しくなる。

自分の知らない時間を知っている誰かに彼を奪われたくない、という気持ちに気づき、皐月は唇を噛んだ。



一方その頃。
晴瑠は、研修医室の休憩スペースで苛立ちを募らせていた。

先輩たちに探りを入れた結果、得られた情報。

「この大学に落ちて都内の私立〇〇医科大学に行った」

「お母さんの背中を追って地元に戻ってきた」

「五十嵐とは偶然再会しただけの元同級生」

どれも表層的なものばかりで、本当に知りたい「なぜ『初期研修を終えた今になって』戻ってきたのか」という核心には届かない。

医学部卒業と同時に地元に戻る「Uターン就職」なら、初期研修からここで行うのが一般的だ。

逆に、都内の有名私立病院で研修を修了したのなら、コネクションを使ってそのまま向こうの関連病院に進むのが王道のエリートコース。

天野皐月は、そのどちらでもない。

医師3年目という中途半端な時期に、キャリアをリセットしてまで地方に戻ってくるなんて、どう考えても不自然すぎる。

(……ただの帰郷じゃない。これは『都落ち』だ)

東京にいられなくなるような、よっぽどのトラブルーー例えば、男関係の揉め事や、職場での居場所を失うような「何か」があったに違いない。

でも、誰もそれを教えてくれない。

先日、手術の後、雨宮に可愛らしく尋ねてみたが、氷のような目で一瞥され、「他人のプライベートを嗅ぎ回る暇があるなら手を動かせ」と一蹴された。
あの人はガードが固すぎる。

雪村に至ってはもっと最悪だ。

『皐月先生のこと好きで、庇ってるんですか?』

先日、そうカマをかけた時、彼は顔を真っ赤にして激昂した。

『馬鹿かお前は!妄想も大概にしろ!』

普段は冷静なくせに、あの時だけは余裕がなかった。
あんなに過剰に反応して怒鳴るなんて、図星だと自白しているようなものだ。

「教える義理はない」と言い捨てた彼の態度は、裏を返せば「知っているけれど教えない」という意思表示に他ならない。

(……あの陰キャ眼鏡、絶対知ってるくせに)

皐月に五十嵐との関係を聞いた時、彼女は「ただの元同級生」「腐れ縁」と言っていたけど。

先日見た二人の姿は、そんな風には見えなかった。

ーーとにかく天野皐月のことを知りたい。何でもいいから、知りたい。

晴瑠の黒い気持ちはどんどん加速していった。



夕方、形成外科との合同カンファレンスの前。

皐月は廊下の自販機コーナーで五十嵐と並んでコーヒーを買っていた。

「……なぁ、お前最近、顔色悪いぞ」

五十嵐は心配そうに皐月の顔を覗き込む。

「え、そうかな?夏バテかも」

「ちゃんと食えよ。倒れられたら迷惑だ」

「……ありがとう」

晴瑠は、その様子を廊下の角からじっと見つめていた。

二人の間に流れる空気は言葉が少なくとも、お互いを信頼しているように見えた。

割り込める隙間などないように感じられ、晴瑠が奥歯を噛み締めていると、頭上から軽薄そうな声が降ってきた。

「おや。皮膚科の研修医の晴瑠ちゃんだよね」

驚いて振り向くと、白衣を着崩した派手な医師が晴瑠を見下ろしている。

形成外科の雷久保だった。

彼は五十嵐の直属の上司であり、雨宮とも親しいという噂がある。

「うちの五十嵐を熱心に見てるけど、何やってるの?」

晴瑠は一瞬言葉に詰まるが、すぐに表情を切り替えて媚びたような笑みで応じる。

上目遣いで話しかけるその様子は計算されたものだった。

「形成外科の雷久保先生ですよね!お疲れ様です!……あの、ちょっと気になっちゃって」

「ん?」

「あの二人って、いつもあんなに仲良いんですか?」

雷久保は去りゆく五十嵐と皐月の背中をちらりと見て、にやりと口角を上げた。

晴瑠の行動をひと目で理解し、興味をそそられたのだ。

(……この子、五十嵐狙いか)

その瞳の奥に渦巻く、ドロドロとした嫉妬と焦燥。

ーーあいつらの停滞した関係をぶち壊すには、こういう制御不能な『嵐』が必要だ。

(……せっかくだ。君もこの『舞台』に上げてあげよう)

雷久保は、わざとらしく含みを持たせて答える。

「仲良いなんてもんじゃないよ。高校時代からの『黄金コンビ』だったらしいからね」

「黄金……コンビ……?」

「そうそう。いつも一緒で、お互いしか見えてないようなバカップルだったって噂だよ。……周りが入る隙なんて、1ミリもなかったらしいぜ?」

雷久保の言葉は晴瑠の足元から血の気を引かせた。

バカップル。その一言の破壊力は大きい。

足がふらつくような感覚に襲われながらも、晴瑠は震える声で食い下がる。

「……それ、本当ですか?詳しく教えてください」

雷久保は満足げに目を細め、まるで焚き付けるかのように囁く。

「……知りたい?んー、どうしようかなぁ」 

雷久保は一度勿体ぶって、晴瑠の焦燥感を煽る。

「……お願いします」

彼女の瞳が懇願の色に染まるのを確認してから、彼はゆっくりと口を開いた。

 「いいよ。……じゃあ、特別に教えてあげようか」

彼の顔に悪魔のような薄笑いが浮かんだ。
真夏の湿った空気に、不穏な嵐の気配が混じり始めている。

明かりの下で、火種はゆっくりと大きくなっていった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

ハイスペックでヤバい同期

衣更月
恋愛
イケメン御曹司が子会社に入社してきた。

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

楓乃めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~

朝日みらい
恋愛
王都の春。 貴族令嬢リリアーナ・エインズワースは、第一王子ライオネル殿下との婚約を一方的に破棄された。 涙を見せないことが、彼女に残された唯一の誇りだった。だが運命は、彼女を思いがけない方向へ導く。 「氷の公爵」と呼ばれる孤高の男、ヴァレンティーヌ公爵。 二十四人の花嫁候補を断り続けた彼の元へ、「二十五番目の花嫁」として赴いたリリアーナ。 家の体裁のための結婚――そう割り切っていたはずなのに、氷のような瞳の奥に垣間見えた孤独が、彼女の心に小さな炎を灯してゆく。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

ひとつの秩序

水瀬 葵
恋愛
ずっと好きだった職場の先輩が、恋人と同棲を始めた。 その日から、南莉子の日常は少しずつ噛み合わなくなっていく。 昔からの男友達・加瀬透真は、気づけばやたら距離が近くて、優しいのか、図々しいのか、よく分からない。 好きな人が二人いるわけじゃない。 ただ、先輩には彼女がいて、友達は友達の顔をしなくなっていく。 戻れると思っていた関係が、いつの間にか戻れなくなっている。 これは、仕事も恋もちゃんとやりたいのに、だいたい空回りしている大人たちの、少し不器用なラブコメディ。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される

絵麻
恋愛
 桐島花は父が病没後、継母義妹に虐げられて、使用人同然の生活を送っていた。  父の財産も尽きかけた頃、義妹に縁談が舞い込むが継母は花を嫁がせた。  理由は多額の結納金を手に入れるため。  相手は二十五歳も歳上の、海軍の大佐だという。  放り出すように、嫁がされた花を待っていたものは。  地味で冴えないと卑下された日々、花の真の力が時東邸で活かされる。  

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

処理中です...