『あの日の処方箋』 ~婚約破棄から始まる、不器用な医師たちとの恋の治療法(リトライ)~

デルまりん

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第三章 炎天下の暴露と、逃げ水のような距離

第27話 熱帯夜の告発と、孤独な共犯者

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8月上旬。

ホテルの屋上のビアガーデンで、毎年恒例の病棟納涼会が開催された。

形成外科と皮膚科がある病棟での開催ということもあり、沢山の医師やスタッフたちが集まっていた。

「天野先輩!こっちこっち!席空いてますよ!」

会場の奥から、元気な声が飛んできた。 
形成外科をローテ中の霧生だ。

「あ、ありがとう霧生くん」

皐月が近づくと、彼はニカっと笑って、彼女の背中をポンと押した。

「ほら、ここ座ってください!五十嵐さんの隣!」

「えっ?」

見ると、テーブルの奥には、すでに五十嵐が座っていた。

彼は少しバツが悪そうに視線を逸らしたが、拒絶はしなかった。

「いやー、やっぱこの二人が並ぶと絵になるっすね! 『黄金コンビ』復活って感じで!」

霧生は善意でそう言うと、皐月の反対側に座った。

そして、その向かい側にはーー

「やあやあ。楽しそうだねぇ」

形成外科の雷久保が、ニヤニヤしながら鎮座していた。

「五十嵐と皐月ちゃんか。いいねぇ、青春だねぇ」

カオスなメンバーだ。

でも、不思議と居心地は悪くなかった。

隣に座る五十嵐から、ふわりと洗剤の匂いがする。9年前と変わらない、懐かしい匂い。

「……お前、顔赤いけど大丈夫か?」

五十嵐が、小声でボソッと言った。

「あ、うん。ウーロン茶にしてる。……五十嵐こそ、ペース早くない?」

「俺は平気だ」

たわいもない会話。
でも、そこには確かな「温度」があった。

外勤先での連携を経て、二人の距離は少しずつ、確実に縮まっていた。

雷久保が面白そうに観察し、霧生が肉を焼く。

このまま、穏やかに時間が過ぎると思っていた。



宴もたけなわになった頃。

「俺ビールおかわりしてきます!他にいる人いますか?」

「俺はいい」

「私も大丈夫。ありがとう」

「了解っす!すぐ戻ります!」

霧生はジョッキを持って、人混みの中へ走っていった。

テーブルにふと静寂が落ちる。

その隙間を埋めるように、一人の影が近づいてきた。



その少し前。

喧騒から少し離れた、ドリンクカウンターの近く。

晴瑠は、グラスを片手に、ある一点を凝視していた。

視線の先にあるのは、五十嵐と皐月が隣り合って座っているテーブルだ。

五十嵐が気遣うように話しかけ、皐月が頷く。

その距離感は、どう見てもただの同期以上でーー「黄金コンビ」の復活を予感させるものだった。

「……なんで」

晴瑠が、ギリッとグラスを握りしめる。

ーー私が7年間、どれだけ笑顔を作っても、どれだけ完璧な後輩を演じても、先輩はあんな顔をしてくれなかった。

それなのに、あの女は。

傷ついたフリをして戻ってきただけの「嘘つき」のくせに。

「……見すぎだろ」

不意に、横から冷ややかな声がした。 

ビクリとして見上げると、雪村が立っていた。

手にはウーロン茶を持っている。

彼は晴瑠の視線の先を一瞥し、鼻で笑った。

「穴が開くぞ。そんなに気になるなら、混ざってくればいいだろ」

「……行けるわけないじゃないですか」

晴瑠は、不貞腐れたように吐き捨てた。

「あんな……嘘つき女の隣なんて」

「嘘つき?」 

「そうですよ。自分の過去も隠して、先輩とのことも誤魔化して……。いい人ぶってるけど、全部フェイクじゃないですか」

晴瑠は憎々しげに言った。

許せない。
嘘で塗り固めた笑顔で、先輩の隣に居座るなんて。

すると、雪村は無表情のまま、ストローでウーロン茶を吸い上げ、淡々と言い放った。

「……本性を隠して『いい子』を演じてるお前も、似たようなものだろ」

ドクン、と晴瑠の心臓が跳ねた。

「……は?」

「同族嫌悪か?見てて滑稽だぞ」

雪村の言葉は、鋭利なナイフのように晴瑠を突き刺した。

似ている?
私が、あの女と?

私は努力してる。
計算も演技も、全部先輩のためなのに。

あんな、ただ流されて戻ってきただけの女と一緒にされたくない。

カッ、と頭に血が上る。

ブーメランのように返ってきた正論が、晴瑠の理性を焼き切った。

「一緒にしないでくださいよ!」

晴瑠は低い声で唸ると、持っていたカシスオレンジを一気に飲み干した。

アルコールが、苛立ちに火をつける。

「私は違う。……今から証明してきます」

「おい、待て」

雪村の制止も聞かず、晴瑠は踵を返した。
目指すは、五十嵐と皐月のいるテーブル。

雪村に言われた「似たようなもの」という言葉を否定するために。

そして、自分の場所を取り戻すために。



「……ここ、いいですか?」

皐月が顔を上げると、晴瑠が立っていた。

彼女は空になったグラスを片手に、少し潤んだ瞳で皐月と五十嵐を睨んでいる。

「立花」

五十嵐が声をかけるが、晴瑠は返事もせず、霧生が座っていた席ーー皐月の正面にドカっと座り込んだ。

「先輩たち、仲良いですねぇ……」

晴瑠は上目遣いで五十嵐を見る。

「五十嵐先輩、私にはそんな顔見せてくれないのに」

「……いつも通りだろ」

五十嵐は困ったように視線を逸らした。

その態度が、逆に彼女の導火線に火をつけてしまった。

晴瑠は、ことんとグラスを置いた。

そして、据わった目で皐月を見た。

「……皐月先生って、すごいですね」

「え?」

「だって、東京で婚約破棄されて、逃げるようにこっちに戻ってきたんでしょ?なのに、すぐに昔の男に乗り換えるなんて……切り替え早くて羨ましいです」

シン、と。

テーブルの空気が凍りついた。

皐月の心臓が止まる。

なぜ、それを。

「……おい、立花」

五十嵐の声が低くなる。

だが、晴瑠は止まらない。

彼女は皐月ではなく、五十嵐に向かって、縋るように訴えかけた。

「先輩のことなんか忘れて向こうで男を作って、その男に捨てられたから東京から逃げ出してきたんですよ? ……この人は」

「っ……」

「私の方が……先輩のこと、ずっと見てきたのに……。なんでそんな……別の男と婚約してた女に負けなきゃいけないんですか……っ!」

彼女の目から、ポロポロと涙がこぼれる。

それは悲痛な叫びだった。

大好きな人が、目の前で「過去の女」に奪われていく。

その焦りと、雪村に痛いところを突かれた反動が、彼女を暴走させてしまったのだ。

けれど。

その代償は、あまりに残酷すぎた。

「……おい」

低く、地を這うような声がした。

「……てめぇ」

五十嵐は、晴瑠を睨みつけた。

その目は、彼女が期待したものではなく、底冷えするような「失望」に満ちていた。

「人の傷を、酒の肴にしてんじゃねぇよ」

「……え?」

「天野がどういう事情で戻ってきたかなんて、俺には関係ねぇ。……だけどな、必死に生きてる奴の過去を暴いて、それを暴露するような奴は……俺は大っ嫌いだ」

決定的な、拒絶。

晴瑠の顔から、血の気が引いていく。

「い、五十嵐先輩……ちが、私は……」

「もういい。顔も見たくねぇ」

五十嵐は席を立つと、皐月を振り返った。

その目は、痛々しいほど優しく、そして申し訳なさそうに揺れていた。

「……ごめん、天野。俺、帰るわ」

「あ……」

彼はそのまま、会場の出口へと歩き去っていった。

皐月を庇ってくれた。
でも、過去を知ってしまった。 

その事実に、皐月は動けなかった。

「……うぅ……なんで……こんなはずじゃ……」

残された晴瑠も、いたたまれなくなったように顔を覆い、逃げるように走り去った。



ドリンクコーナーから、両手にジョッキを持った霧生が戻ってきた。

「お待たせしましたー! ……あれ?」

霧生はキョトンとして周囲を見渡した。

空気が重い。
五十嵐の姿がない。

「え、何があったんすか?五十嵐さんは?」

霧生が尋ねると、雷久保がニヤリと笑った。

「いやー、五十嵐のやつ、急患で呼ばれちゃってさ。可哀想に」

「えっ、マジっすか!?」

霧生は目を丸くした。

「でも、五十嵐さんアルコール飲んでませんでした?呼び出されて平気なんすか?」

「あー、あれな。実はノンアルだったんだよ。あいつ、真面目だから」

雷久保はスラスラと嘘をついた。

「なーんだ、そうだったんすか!さすが五十嵐さん、きちんとしてますね!」

霧生は頷き、自分の席に座った。

雷久保は、凍りついている皐月の顔を覗き込み、楽しそうに目を細めた。

(婚約破棄ね……。意外とハードな人生送ってるじゃん、皐月ちゃん)

そして何より面白かったのが、立花晴瑠の暴走。

(……まさか自爆特攻するとはね)

「恋は盲目」とは言うけれど、ここまで感情剥き出しで舞台をかき回してくれるなんて、最高の逸材だ。

(……いいねぇ。この『駒』はまだ使える)



ビアガーデンの出口付近。

晴瑠はコンクリートの壁に背を預け、うずくまっていた。

「……うぅ……っ……」

最悪だ。全部、最悪だ。

大好きな先輩に「顔も見たくない」と言われた。
軽蔑された。

7年間の恋が、自分の醜い暴走によって、無惨な形で終わってしまった。  
どうやって帰ればいいのかも分からない。
このまま消えてしまいたい。

「……おい」

頭上から、硬い声が降ってきた。

晴瑠が顔を上げると、そこに雪村が立っていた。
彼は眉間に深い皺を寄せ、極めて不機嫌そうな顔で見下ろしている。

「ゆ、雪村、先生……」

「……見苦しいぞ。道端で座り込むな」

雪村はそう吐き捨てると、晴瑠の前に一枚のハンカチを差し出した。

晴瑠はそれを呆然と見つめる。

「……笑いに来たんですか」

「は?」

「先生の言った通りじゃないですか……。『お前も似たようなものだ』って……。先輩に嫌われて……私……」

晴瑠はまた顔を覆った。

雪村の言葉が引き金だった。
あの言葉にカッとなって、証明しようとして、自爆した。

全部、この男のせいだと言いたかった。
でも、結局動いたのは自分だ。

雪村は、深いため息をついた。

彼の中にも、苦い味が広がっていた。

あそこまで追い詰めるつもりはなかった。
ただ事実を指摘しただけだ。

だが、結果として自分の言葉が彼女の導火線に火をつけ、彼女を破滅させた。

(……後味が悪い)

雪村は、しゃがみ込み、晴瑠と目線を合わせた。

「……確かに、煽ったのは俺だ。その点については悪かったと思っている」

素直な謝罪に、晴瑠が驚いて顔を上げる。

「だから、責任は取る」

「え……?」

「立て。送っていく」

雪村は晴瑠の腕を掴み、強引に立たせた。 

晴瑠はよろめきながら、彼の顔を見る。 

そこに同情の色はない。
ただ、「自分の蒔いた種は自分で刈り取る」という、彼なりの不器用な義務感だけがあった。

「……雪村先生って、変な人」

「うるさい。……タクシー拾うぞ」

晴瑠は、鼻をすすりながら、雪村の背中を追った。 

恋は終わった。何もかも失った。

けれど、最悪の夜の底で、隣にいてくれる人が一人だけいた。

その事実だけが、今の彼女の冷え切った心を、わずかに繋ぎ止めていた。
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