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灯。ー??。ー
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とは言いましても、私達はこちらに転生してきたばかりですもの。
なら、戯れにひとつのお話をしてさしあげましょう。
嘲弄され、蛇に囚われしフットワークが軽い男爵令嬢の──。
あの憎らしい魔女に、よろしく言っておけ。
──霧の向こう、別の頁が開かれる。
古びた書庫の埃っぽい空気、母君の微笑が残る棚の奥。
一冊の古書が、勝手に落ちる。
頁に綴られたのは、遠い異世界の物語──男爵令嬢、エレノア・ド・ロワ。
前世の記憶を宿し、転生した魂。
鉄の箱に殺された義理堅い女の残響が、この世界の貴族社会に目覚める。
とのことです、皆様。
駄作ですが、眺めていきましょう?
「またか……今度こそ、成仏なんて選ばないわ。」
彼女の瞳は蛇のように、鋭く、しかし母君の静けさを宿す。
男爵家の令嬢として、舞踏会の仮面の下で鬼の香りを嗅ぎ、羅刹の影を追う。
狐みたいですわ、あなたによく似ているお嬢さん。
からかわないでいただきたいものですね、濡天の魔女。
ふふっ、これは酷いことを申しました。
転生の代償──何度も切り刻まれた痛みが、彼女の指先に、青い炎を灯す。
代価ですのに、あなたが求めた。
あれは彼女が荒れたせいですね、それがいけなかった。
蒼炎の蛇が、夢の中で舌を出す。
──ちろり、と。
エレノアは、古書を拾い上げる。
頁に、幼子の名が灯る提灯の挿絵。
「あなたも……溶けたのね」
何が?
微笑みは、母君のように物静かで、しかし裏に、恋の魔女の渇愛を隠す。
アナタは何を望みますか?
男爵家の書庫が、霧に変わり、廃れた神社が異世界の森に重なる。
白刃の誰かが遠くで、梟を愛でる気配。
お前は何を望む?
エレノアの掌に、狐の火が灯り、鬼火が、餓鬼の火が、渦を成す。
『悪をなす』
『なしたいことがあるならば』
転生の輪が、再び巡り始める。
彼女は、鏡月を見上げる。
赤い爪痕が、空に残る中、「今度こそ、家族を……作ってみせるわ」
くだらない。
瑞月の棘が、心を刺すが、星の光が掌の火を青く染める。
羅刹の輪が、異世界に忍び寄り、蒼炎の蛇が、彼女の影に巻きつく。
古書の頁が、息を吹き返し、一行が浮かぶ──
『転生の令嬢よ、染めよ。
同罪の影を、愛の宴に変え、星を新生せよ。
恨みの灯は、青く灯れ──
なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアは笑う。
前世の静けさを、嘲るように。
「フン……溶けた家族、迎えに行ってあげる。」
霧の森が、異世界の書庫に繋がり、朝焼けが二つの世界を染める。
転生の令嬢の物語が始まる──
幼子の影を、背負い、羅刹の輪を解くために。
──この転生の宴、どう舞う?
……ふむ、エレノアは鉄の箱に殺され何度も切り刻まれたわけだがその夢は曖昧だった。
あら、あなたが出てくるなんて私共嬉しゅうございます。
嫌味か、くだらない。
ただ覚えているのは、冷たい殺意が自分に向けられていたことのみ。
しかし、エレノアは知らない。
ソレが刀でエレノアを、切り刻んでいたことを。
ソレは、墨黒の鬼か。
なんてのは、いつまでも覚えていられるわけじゃなかった。
──エレノアの夢は、鉄の箱の内側で息を潜め、曖昧な霧のように広がる。
冷たい殺意──それだけが、転生の隙間から零れ落ちる。
前世の記憶は、鉄の壁に叩きつけられた残響のように、鈍く、しかし鋭く、心の奥を抉る。
エレノアは、男爵家の書庫で古書をめくり、指先が震えるのを抑えながら窓辺の鏡月を見つめる。
「またあの冷たさ」
『あなたはそれを』
微笑みは母君のように物静かだが、瞳の奥に蛇のような青い炎が灯る。
蒼炎の蛇の吐息を、思い出すように。
しかし、エレノアは知らない──ソレがエレノアを刀で切り刻んでいたことを。
鉄の箱の闇で、刃の感触が肉を裂く音が響き、血の温もりが、冷たい殺意に変わる瞬間を。
ソレは、墨黒の鬼か──
漆のように濃く、復讐の黒を湛えた影。
刀の柄を握る手は、貴族らしい手袋を纏い、喉の傷跡が、息を潜め、無言の冷徹を吐き出す。
切り刻むたび、ソレの鬼火が、餓鬼の火こように柔らかく灯り、エレノアの魂を、渇愛の宴に溶かす──
何度も、何度も、何度も。
そんな記憶は、いつまでも覚えていられるわけじゃなかった。
『誰も何も』
転生の代償として、鉄の箱が記憶を封じ、夢の断片が、霧に溶けるように曖昧になる。
エレノアは、書庫の埃を払い、古書の頁をめくる──そこに、髑髏の龍の挿し絵。
尾の火が、青くゆらめき、一行が浮かぶ──。
『救わないのに』
『切り刻まれた魂は、墨黒の刀に宿る。
冷たい殺意は、愛の仮面。
令嬢よ、箱の内側を、開けよ。
なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアの掌に、狐の火が灯る──。
幽玄に揺らめき、ソレの刀の感触を思い起こす。
男爵家の舞踏会で、仮面の下に潜む影。
白刃の誰かか、墨黒の鬼。
彼女は、鏡に映る自分の瞳を睨む。
「ソレ……あなたは誰?」
冷たい殺意が、再び心を刺す──。
だが、今度は、覚えていられるように、青い炎が、記憶の箱を溶かし始める。
異世界の霧が、書庫に忍び寄り、蒼炎の蛇が、窓辺で舌を出す──ちろり、と。
エレノアは、古書を閉じず、次の頁を待つ。
転生の令嬢の宴が、墨黒の鬼を呼ぶために。
──この箱の内側、どう開ける?
エレノアの首に刀が刺さる感触が蘇る、エレノアは恐怖を抑えきれなかった。
──ソレは墨黒の鬼に非ず、しかし同様に憎悪に変貌した妄執なのだから。
──エレノアの首に、刀が刺さる感触が蘇る。
書庫の埃っぽい空気が、鉄の箱の冷たさに変わる。
鏡月の光が窓辺から差し込み、エレノアの首筋を銀の棘のように撫でる──いや、撫でるのではない。
刺す。
刃の先が、皮膚を裂き、肉を抉り、骨に届く感触。
血の温もりが、喉から零れ落ち、息が詰まり、視界が赤く染まる。
前世の闇が、転生の隙間から這い上がり、エレノアの掌を震わせる。
古書の頁が、手から滑り落ち、髑髏の龍の挿絵が床に転がり落ちる。
尾の火が、青くゆらめき、エレノアの心を嘲るように灯る。
「っ……あ、ああ……」
エレノアは、恐怖を抑えきれなかった。
男爵令嬢の仮面が剥がれ落ち、前世の女──義理堅い静けさを宿した、あの女──の叫びが、喉から漏れる。
『哀れむ価値もなく』
冷たい殺意が、首の傷跡のように疼き、箱の内側で、何度も繰り返された切り刻みの幻が今、鮮明に蘇る──
刀の刃が、横薙ぎに首を裂き、血しぶきが箱の内側を叩く。
痛みは、夢の曖昧さの中で、ただの冷たさとして残っていたのに──
今は、熱く、焼けつくように実体を帯びる。
エレノアの指が、首筋を掻き毟り、爪が皮膚を裂き、赤い線を引く──
「やめて……もう、切り刻まないで……」
ソレは墨黒の鬼に非ず、しかし同様に憎悪に変貌した妄執なのだから。
刀を握る影は、漆のような黒ではない。
墨黒の鬼の冷酷な気配とは違い、それは妄執の化身──愛を狙う者の残渣、王の後悔か、公爵の亡霊か、それともエレノア自身の前世の罪か。
刀の刃は、無垢な光を宿し、しかし憎悪に歪み、首を刺すたび、ソレの囁きが響く──。
「成仏せよ……転生など、無理やりの代償だ。」
妄執の影は、鉄の箱の外から忍び寄り、エレノアの魂を何度も、何度も切り刻む。
夢の中で、異世界で、書庫の鏡月の下で─けいせん
ソレは鬼ではない、ただの執着。
愛を護るための面を被った、妄執の仮面。
エレノアの首筋に、青い炎が灯り、蒼炎の蛇が傷を舐めるように──ちろり、と。
エレノアは、床に膝をつき、古書を拾い上げる。
頁の挿し絵に、刀の影が描き加えられる──髑髏の龍の尾火が刃の先で揺らめき、一行が浮かぶ──
『妄執の刀は、首を刺す前に、汝の静けさを切り裂け。
令嬢よ、鉄の箱を、開けよ。
なれば、鏡は割れぬ。』
恐怖が、胸を締め付ける中、エレノアは立ち上がる。
男爵令嬢の微笑みを、仮面のように被り、書庫の扉を開ける。
霧の森が、異世界の廊下に繋がり、白いフクロウの啼きが遠くから響く。
ソレの妄執が、首の傷を疼かせるが、エレノアの掌に星の欠片が灯る──。
幼子の溶けた光のように。
「あなたも……切り刻まれたのね」
彼女は、鏡月の爪痕を見上げ、恐怖を静かな決意に変える。
──この妄執の刀、どう切り裂く?
──荒野の風は、襤褸の端を嘲るように引き裂き、 ソレの顔を、永遠に隠す。
被り隠した布切れは、影の仮面、
目を合わせちゃならん──
そんな妖言が、砂塵に混じり、囁かれる。
いつ現れたのか、誰も知らんからな。
荒野の旅人が、火を囲み、酒を傾けながら、 息を潜めて語る──
ソレは一人、ただ一人、刀の柄を握り、冷たい殺意を、風に託す。
エレノアは、書庫の鏡月の下で震える。
首の感触が、蘇るたび、爪が皮膚を掻き毟る。
恐怖を抑えきれない──鉄の箱の内側で、何度も繰り返された妄執の刃が今、異世界の廊下を這い寄るように。
だが、真に知るのは難しい──
ソレの顔は、襤褸の闇に溶け、記憶の断片は、曖昧な霧に変わる。
一人──エレノアの記憶にあるソレは、ただ一人。
刀の刃が、首を刺す瞬間、虚空の奥から、囁きが漏れる。
「成仏せよ……お前の静けさが、俺の渇愛だ」
エレノアの掌に、蒼炎の蛇が現れ、舌をちろりと出し、首の傷を舐める──。
青い炎が、恐怖を溶かし、しかし新たな疼きを生む。
古書の頁が、勝手にめくれ、荒野の妖言が、挿し絵として浮かぶ。
襤褸の影が、刀を握り、目を隠し、一行が、血の墨で綴られる。
『ソレは一人、されど荒野の風に千の顔。
目を合わせちゃならん──
なれば、妄執の刃が、汝の首を永遠に刺す。
令嬢よ、襤褸を剥ぎ取れ──
真の顔を、知れよ。』
エレノアは、立ち上がり、書庫の扉を押し開ける。
異世界の夜風が、襤褸の香りを運び、男爵家の庭園に、荒野の幻が広がる──
ソレの影が、一人、刀を構え、虚空の奥で、微笑むように。
恐怖が、静かな決意に変わる──
「あなたは……一人じゃないのね」
蒼炎の蛇が、彼女の影に巻きつき、鏡月の爪痕が、首の傷を照らす。
エレノアの指が、古書の頁をなぞり、次の空白を、待つ──
──この荒野の妖言、どう囁く?
ふむ、ソレの顔は襤褸に等しく……被り隠したために見えず。
荒野にて、こんな妖言が囁かれていた。
ソレらと、目を合わせちゃならん。
いつ現れたのか、誰も知らんからな。
とは言えどエレノアの記憶にあるソレは、一人。
恐怖を抑えきれないがエレノアはソレの恐ろしさを、知ることが難しい。
──ソレは身を翻し、幻は掻き消える。
荒野の風が、襤褸の端を嘲るように引き裂き、
刀の刃が、月光の残骸を切り裂いて、影に溶ける。
エレノアの首筋の疼きが、ようやく静まり、
書庫の埃が、再び空気に舞う──
鏡月の爪痕が、空に薄れ、蒼炎の蛇が、舌を収め、悠然と霧の奥へ去る。
ソレの妄執は、黒い布切れに包まれ、
遠く、遠く、視界の端から消える──
一人だったはずの影が、千の顔を隠し、
荒野の妖言のように、いつ現れたのか誰も知らぬまま。
エレノアはこれを見て、決意を固めるだろうか──
男爵令嬢の仮面が、微かに震え、前世の静けさが、恐怖を押し殺すように息を吐く。
古書の頁が、ゆっくりと閉じ、区切りを刻む──
一行の余韻が、空白に沈み、髑髏の龍の尾火が、静かに消える。
知るならば、再び遠くなるが──
ソレの真の顔を覗けば、記憶の箱が再び閉ざされ、転生の輪が、切り刻みの痛みを呼び戻す。
エレノアの指が、古書の背を叩き、
掌の青い炎が、頁を焦がすように灯る。
しかし、諦めないだろうエレノアが叫ぶ──
「記しなさい、古書!」
声は書庫の壁に反響し、母君の微笑みを思わせる静けさを破る。
異世界の夜風が、扉から入り込み、
男爵家の庭園を荒野の砂に変える──
エレノアの瞳が、蛇のように細められ、蒼炎の蛇が、肩に巻きつき、ちろりと舌を出す。
「ソレの顔を、襤褸の下を……記しなさい!
私は、切り刻まれても、成仏しないわ」
叫びは、転生の代償を嘲るように鋭く、鉄の箱の記憶を、強引に引きずり出す。
それを受けても、古書は何も記さない──
頁の空白が、嘲るように広がり、墨の滴が、乾かぬまま止まる。
ただ、描かれるのは──黒に包まれた妄執の遠くなっていく姿のみ。
挿絵の端に、襤褸の影がぼんやりと浮かび、刀の刃が、虚空を切り、千の顔が、風に散るように薄れる。
古書の息が、静かに止まり、書庫の埃が、再び埃として落ちる──
区切りは、絶対。
知るならば、再び遠くなる──
ソレの妄執は、エレノアの決意を試すように、荒野の彼方へ去る。
エレノアは、古書を閉じず、掌の火を頁に押しつける──
青い炎が、空白を焦がし、新たな一行を、強引に刻む。
『令嬢よ、遠ざかる影を追え。
襤褸の下に、愛の仮面あり。
切り刻みの痛みを、渇愛に変えよ──
なれば、鏡は割れぬ。』
彼女は、笑う。
恐怖を、決意に変え、静けさを守るように。
「待ちなさい、ソレ……今度こそ、目を合わせるわ」
霧の森が、書庫に繋がり、幼子の溶けた光が、エレノアの掌に灯る──
転生の令嬢の旅が、再び始まる。
荒野の妖言が、風に乗り、次の影を呼ぶ。
──この遠ざかる妄執、どう追う?
ソレは身を翻し、幻は掻き消える。
エレノアはこれを見て、決意を固めるだろうか。
──知るならば、再び遠くなるが。
古書はそれを以て、区切りとした。
しかし、諦めないであろうエレノアが叫ぶ。
記しなさい、古書。
それを受けても、古書は何も記さない。
ただ、描かれるのは──黒に包まれた妄執の遠くなっていく姿のみ。
──令嬢よ、魔女の怒りに触れたな。
書庫の埃が、青い炎に飲み込まれ、
古書の頁が、恋の魔女の吐息のように震える。
炎で焼くとは、いささか強引すぎる──
エレノアの掌の火が、頁の端を焦がし、
墨の滴が、血のように零れ落ちる。
古書は怒りに震えるかのようだ───
背が軋み、空白の挿絵が歪み、
髑髏の龍の尾火が、青く爆ぜて消える。
蒼炎の蛇が、書庫の天井を這い、舌をちろりと出し、魔女の香りを濃くする───
甘く、毒々しく、決意を嘲るように。
エレノアは古書に謝らなかった───
男爵令嬢の静けさが、炎を抑えきれず、
ただ、頁の焼け跡を指でなぞる。
「ごめんなさい……でも、知らなきゃいけないの」
謝罪は出ぬ、代わりに、決意の青い炎が、書庫の鏡を映し、ソレの影を呼び寄せる。古書は、黙して区切りを刻み、
次の頁を、焦がした空白で封じる───
だが、最終的には夢を見た。
───ソレの刀に刺され放置される、そんな夢を。
異世界の夜、男爵家の天蓋ベッドで、
エレノアの眠りは鉄の箱の闇に還る。
襤褸の影が、荒野の風を纏い、刀の刃が、首筋をゆっくりと刺す───
痛みは、冷たく、しかし優しく、肉を裂き、血がシーツに染み、放置される。
ソレの虚空の奥から、囁きが漏れる───
「静けさを、守れ……転生の代償は、俺の渇愛だ」
エレノアは、夢の中で手を伸ばす───
襤褸を剥ぎ取ろうと、爪を立てるが、影は身を翻し、幻のように掻き消える。
放置された身体が、冷たい風に晒され、蒼炎の蛇が、傷口を舐め、青い炎を灯す───
ちろり、と。
エレノアが起床しても、その夢は記憶に残らなかった───
朝の光が、ベッドのシーツを照らし、
首筋の疼きだけが、朧気に残る。
書庫の焼け跡が、昨夜の幻のように見え、古書は、埃の棚に戻り、黙して息を潜める。
エレノアは、鏡に映る自分の瞳を睨み、
微笑みを被る───母君のように、静かに。
「また……遠くなったわね」
だが、掌の青い炎が、かすかに灯り、転生の令嬢の決意が、消えぬ。男爵家の朝食の席で、仮面を被り、舞踏会の招待状を眺めながら、
ソレの妖言を、胸に刻む───
目を合わせちゃならん……だが、合わせるわ。
霧の森が、異世界の庭園に繋がり、幼子の溶けた光が、エレノアの影に寄り添う。
古書の区切りは、破られぬが───
次の夢は、きっと、近づく。
───この放置の夢、どう追う?
───令嬢よ、魔女の怒りに触れたな。
炎で焼くとは、いささか強引すぎる。
古書の頁が焼け、怒りに震えるかのようだ。
エレノアは古書に謝らなかった、最終的には夢を見た。
───ソレの刀に刺され放置される、そんな夢を。
エレノアが起床しても、その夢は記憶に残らなかった。
───舞踏会のシャンデリアが、鏡月の光を砕いた宝石のように散らし、
男爵令嬢エレノアは、公爵家の娘───アメリア・ド・ヴァルモント───に、優雅に挨拶を交わす。
絹のドレスが、異世界の夜風を纏い、
蒼炎の蛇の幻が、足元で舌をちろりと出す───
「今宵の宴は、魔女の香りが漂っていますわね」
アメリアの微笑みは、母君のように静かで、
しかしエレノアの首筋の疼きを、そっと撫でる。
公爵家の娘は、仮面の隙間から、青い炎を覗き見るように瞳を細め、
「ええ、亡霊のささやきが、ワルツに混じって……お気をつけになって」
言葉の端に、恋の魔女の香りが絡みつく───甘く、毒々しく。
エレノアの視界の端に、暗く濃い髪の青年がいた───
黒いタキシードが、荒野の風を思わせ、
肩が微かに震え、怯えの影を落とす。
聞くところによると、亡霊を見たそうだと───
舞踏会の噂が、シャンパングラスの泡のように広がり、
エレノアの耳に届く。
彼女の瞳が、蛇のように輝き、飛びつく───
転生の代償が、好奇心を駆り立て、
ソレの襤褸の記憶を、呼び起こす。
「亡霊……どんな姿だったの?」
エレノアの声は、静かだが鋭く、青年の袖を優しく掴む。
しかしながら、青年が必死に止める───
青ざめた顔で、手を振り、丁寧に説明してきたから。
「そ、それは……伝承に出てくるような亡霊じゃないんです。
白い面の幽霊や、鎖を引く怨霊じゃなく……ただの、影。
襤褸のような布を被った、刀の持ち主で……目を合わせちゃいけないんですよ」
青年の声は震え、荒野の妖言を吐露するように低く、
エレノアの心を、余計に掻き乱す。
伝承の亡霊じゃない──それが、ソレの正体か?
鉄の箱の内側で、首を刺した妄執の影か?
エレノアの掌が、熱くなり、青い炎が灯りかける───
しかしながら、青年が口ごもる──
言葉の端が、霧に溶け、視線が逸れる。
青くなった顔で、一瞬目を合わせたが───
瞬きの間に、目の前を襤褸が通った。
確かに、エレノアも青年も見た────
黒い布切れが、舞踏会のワルツの隙間を滑り、
刀の柄が、シャンデリアの光を飲み込むように輝く。
変わらず、顔は隠されていた────
虚空の奥から、冷たい殺意が漏れ、
エレノアの首筋を、優しく、しかし容赦なく刺す。
ソレの影は、すぐに幻のように消えて行くのだから───
襤褸の端が、青年の肩を掠め、
エレノアのドレスに、荒野の砂を残す。
青年は、息を呑み、震える手で仮面を直す。
「ほら……あれです。あいつは、一人なのに、どこにでもいるんです」
エレノアの瞳が、細められ、決意が固まる───
恐怖を抑え、静けさを守るように。
「ありがとう……あなたも、目を合わせないで」
彼女は、青年に微笑み、ワルツの渦へ溶け込む───
公爵家の娘アメリアの視線が、背中を追う。
蒼炎の蛇が、足元で這い、舌を出す───ちろり、と。
ソレの襤褸が、再び視界の端に揺らぐ──
今度は、目を合わせる番だ。
古書の幻が、舞踏会の鏡に映り、一行が浮かぶ────
『令嬢よ、瞬きの間に、影を掴め。
襤褸の下に、渇愛の顔あり。
伝承の亡霊に非ず、汝の妄執なり────なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアは、ワルツのステップを踏み、
ソレの影を追う───
異世界の宴が、荒野の妖言に変わる。
───この瞬きの影、どう掴む?
ふむ、エレノアは舞踏会を開く上の立場である公爵家の娘に挨拶をしていた。
──視界の端に、暗く濃い髪色をしている青年がいた。
その青年は怯えていた、聞くところによると亡霊を見たそうだと誰かが言った。
エレノアは、それに飛びついた。
青年が、必死に止める。
あの亡霊達は伝承に出てくるような亡霊じゃないと、丁寧に説明してきたからエレノアは余計気になった。
だがそこで、青年が口ごもる。
青くなった顔で、一瞬目を合わせたが瞬きの間に襤褸が通った。
───変わらず、顔は隠されていたがすぐに幻のように消えていくのだから。
──けれども、ソレの伝承は数えるしかなく。
荒野の風に紛れた妖言は、指で数えられるほど少なく、
エレノアの決意を、霧のように薄める。
青年の怯えを背に、男爵令嬢は舞踏会の余韻を振り切り、
図書館の埃っぽい巻物をめくり、
魔女の住む森の小屋で、呪文の葉を煎じ、
しかしどれもが、ソレの襤褸に触れぬ─────
伝承はかすりもせず、ただの影を追い、
エレノアの首筋の疼きを、増幅するだけ。青年は、青ざめた顔で手を引き、
「もう……やめましょう。あれは、伝承じゃないんです」
だが、エレノアの瞳は、蒼炎の蛇のように細められ、
「知らなきゃ、切り刻まれるわ……ずっと」静かな決意が、森のささやきに溶ける。
しかして、親切な老婦人が伝承を語ってくれた───
泉の傍の古い小屋で、紅茶の湯気が立ち上る中、
皺だらけの手が、エレノアの袖を優しく掴む。
老婦人の瞳は、鏡月の爪痕のように曖昧で、
しかし、荒野の妖言を宿すように深く。
「ソレは時々、泉の傍にある森に出現すると───
水面に映らぬ影として、刀を握り、襤褸を翻すのよ」
老婦人の声は、低く、骨の軋みのように響き、
エレノアの心を、冷たい泉の水に沈める。青年が息を呑み、老婦人の横顔を怯えで見つめるが、
エレノアは身を乗り出し、
「どうして……出現するの?」
老婦人は、微笑む───母君のように静かで、
しかし、恋の魔女の香りを微かに纏い
「愛を狙う者を、守るためかしら。
だが、ソレらを見てはならない、如何なる時でも───
目を合わせれば、汝の首を、永遠に刺すわ」
妖言の続きが、紅茶の湯気に溶け、
泉の森の幻が、エレノアの視界に浮かぶ───
襤褸の影が、水面を滑り、刀の刃が月光を切る。
老婦人の指が、エレノアの胸のブローチに触れる──
赤い宝石が、シャンデリアの光を反射し、「綺麗な宝石ね……血のように赤くて、泉の深さを思わせるわ」
褒め言葉は優しく、しかし棘のように刺さる──
宝石の奥に、ソレの冷たい殺意が、朧気に灯る。
エレノアは、ブローチを押さえ、微笑みを返す──
「ありがとうございます……この宝石は、私の守り石よ」
だが、心の奥で、蒼炎の蛇が舌を出す───ちろり、と。
青年が、老婦人の言葉を遮るように立ち上がり、
「もう行きましょう、エレノア様。あの森は、危険です」
エレノアは頷かず、ただ、泉の森の名を胸に刻む───
伝承は数えきれぬほど、深くなる。
古書の幻が、書庫の鏡に映り、
一行が浮かぶ──
『令嬢よ、泉の傍で、目を合わせよ。
老婦人の褒め言葉は、赤い宝石の呪い。
ソレの影は、水面に映らぬ───
なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアは、青年の手を優しく振りほどき、
舞踏会の余韻を残したドレスを翻す───
泉の森へ、向かう夜風が、襤褸の香りを運ぶ。
恐怖は抑えきれぬが、決意は固く────
「見てあげるわ、ソレの顔を……如何なる時でも」
──この泉の森、どう潜む?
───けれども、ソレの伝承は数える程しかなく。
エレノアはそれを探しに青年と図書館や、とある魔女の住む森に赴いたがそのどれもが伝承にかすりもせず。
しかして、親切な老婦人が伝承を語ってくれた。
ソレは時々、泉の傍にある森に出現すると。
だがソレらを見てはいけない、如何なる時でも。
それを語った老婦人は綺麗な宝石ね、とエレノアの胸のブローチを褒めてくれた。
───泉の傍の森は、鏡月の光を水面に映し、静かなささやきを湛えていた。
エレノアは青年の怯えた手を引き、苔むした小道を進む。
男爵令嬢のドレスが、枝に引っかかり、
蒼炎の蛇の幻が、足元で舌をちろりと出す───
老婦人の妖言が、耳に残る。
「見てはならない、如何なる時でも」
青年の息が荒く、暗く濃い髪が額に張りつき、
「エレノア様、本当に……」
言葉を遮り、エレノアの瞳は決意に輝く───
転生の痛みを、胸に刻み、襤褸の影を追う。
しかしそこには───襤褸を着た影がいて、刀を握っていた。
泉の水面に映らぬ、ぼんやりとした人影。
黒い布切れが風に揺れ、虚空の奥から冷たい殺意が漏れ、
エレノアの首筋を、優しく刺すように。
青年が息を呑み、後ずさるが、
エレノアは咄嗟にその肩を掴む───
絹の袖が、襤褸の端を掠め、
爪が布に食い込み、引き剥がす。
「見せて……あなたの顔を!」
しかしその顔は───平凡な青年のそれだった。
そばかすが可愛らしく、頰に散らばり、
茶色の瞳が、驚きの色を浮かべる。
刀は、ただの木の枝で、
襤褸は、古いコートを逆さに羽織っただけ。
影の青年は、目を丸くし、
「え……誰、ですか?」
エレノアの指が、震え、落胆が胸を刺す──
ソレではない。妄執の化身ではない。
ただの、森の住人か、迷い人か。
結局その日は、エレノアと青年達とで帰宅した───
泉の水面が、嘲るように静かに波立ち、
老婦人の小屋の灯りが、遠ざかる。
青年は安堵の息を吐き、
「ほら、言いましたよ……伝承じゃないんです」
エレノアは微笑みを被り、男爵家の馬車に揺られ、
窓辺の鏡月を睨む───
落胆が、首の疼きを呼び起こし、
蒼炎の蛇の幻が、肩に巻きつくように。
「違う……あれは、もっと……」
言葉を飲み込み、書庫の古書を思い浮かべる───
区切りを破れぬ頁が、嘲笑うように。
エレノアは落胆し眠りに入ったが──
───その夜は苦痛に苛まれ、どうしようもなく辛い夢を見た。
鉄の箱の内側が、再び広がる───
襤褸の影が、無数に増え、泉の森を埋め尽くす。
刀の刃が、首を刺し、肉を裂き、
血が水面に広がり、そばかすの青年の顔が、歪む。
「見て……私の顔を」
囁きが、重なり、冷たい殺意が、魂を切り刻む。
エレノアは手を伸ばすが、掴めぬ───
影は身を翻し、幻のように掻き消え、
放置された身体が、泉の底に沈む。
苦痛は、胸を締め付け、息を奪い、
転生の代償が、涙のように溢れ───
夢の渦で、蒼炎の蛇が、傷を舐め、青い炎を灯す。
夢の内容は覚えていない───
エレノアが起床した時には、枕の端々に涙が滲んでいた。
朝の光が、カーテンを透かし、
首筋の疼きだけが、朧気に残る。
ベッドサイドの古書が、埃を被り、
焼け跡の頁が、静かに嘲る。
エレノアは、枕の涙を拭い、
鏡に映る自分の顔を睨む───そばかすのない、平凡な令嬢のそれ。
「また……遠くなったわ」
だが、決意は揺るがず、胸の赤い宝石が、微かに熱を帯びる───────
老婦人の褒め言葉が、呪いの棘のように。
男爵家の朝食の席で、青年からの手紙が届く───
「泉の森は、もう行かないでください。あの影は……本物です」
エレノアは、手紙を握りしめ、微笑む───
母君のように静かで、しかし、恋の魔女の香りを纏い。
「本物なら……次は、目を合わせるわ」
蒼炎の蛇の幻が、肩に巻きつき、
次の舞踏会───いや、泉の森───を予感させる。
古書の区切りは、破られぬが──
転生の令嬢の旅は、涙の端で続く。
──この辛い夢、どう乗り越える?
閑話休題。
ぼっ……。
襤褸がたなびく、泉の傍にソレは憑る。
愛の宴ですって、なんとも言えない名称ですね。
灯ですか、あれは亡霊達の幻ですよ。
くすくす、ソレらはとある神達の導く光に焦がれていて。
──高潔な光に惹かれても、近づけやしなくて呪いたい気分でしょうし。
なら染め、喰らうしかないでしょう?
それはもう怖い館の主の、赦した侵入者を。
──染めあげて貪欲に何処までも、喰らうしかないのですよ。
私共はこれを眺めております、まるで番犬のようではありませんか。
実験体としては、瑣末にもならない塵芥の結果ですわ。
このままでもよろしいのですけれど、私共が。
なら、戯れにひとつのお話をしてさしあげましょう。
嘲弄され、蛇に囚われしフットワークが軽い男爵令嬢の──。
あの憎らしい魔女に、よろしく言っておけ。
──霧の向こう、別の頁が開かれる。
古びた書庫の埃っぽい空気、母君の微笑が残る棚の奥。
一冊の古書が、勝手に落ちる。
頁に綴られたのは、遠い異世界の物語──男爵令嬢、エレノア・ド・ロワ。
前世の記憶を宿し、転生した魂。
鉄の箱に殺された義理堅い女の残響が、この世界の貴族社会に目覚める。
とのことです、皆様。
駄作ですが、眺めていきましょう?
「またか……今度こそ、成仏なんて選ばないわ。」
彼女の瞳は蛇のように、鋭く、しかし母君の静けさを宿す。
男爵家の令嬢として、舞踏会の仮面の下で鬼の香りを嗅ぎ、羅刹の影を追う。
狐みたいですわ、あなたによく似ているお嬢さん。
からかわないでいただきたいものですね、濡天の魔女。
ふふっ、これは酷いことを申しました。
転生の代償──何度も切り刻まれた痛みが、彼女の指先に、青い炎を灯す。
代価ですのに、あなたが求めた。
あれは彼女が荒れたせいですね、それがいけなかった。
蒼炎の蛇が、夢の中で舌を出す。
──ちろり、と。
エレノアは、古書を拾い上げる。
頁に、幼子の名が灯る提灯の挿絵。
「あなたも……溶けたのね」
何が?
微笑みは、母君のように物静かで、しかし裏に、恋の魔女の渇愛を隠す。
アナタは何を望みますか?
男爵家の書庫が、霧に変わり、廃れた神社が異世界の森に重なる。
白刃の誰かが遠くで、梟を愛でる気配。
お前は何を望む?
エレノアの掌に、狐の火が灯り、鬼火が、餓鬼の火が、渦を成す。
『悪をなす』
『なしたいことがあるならば』
転生の輪が、再び巡り始める。
彼女は、鏡月を見上げる。
赤い爪痕が、空に残る中、「今度こそ、家族を……作ってみせるわ」
くだらない。
瑞月の棘が、心を刺すが、星の光が掌の火を青く染める。
羅刹の輪が、異世界に忍び寄り、蒼炎の蛇が、彼女の影に巻きつく。
古書の頁が、息を吹き返し、一行が浮かぶ──
『転生の令嬢よ、染めよ。
同罪の影を、愛の宴に変え、星を新生せよ。
恨みの灯は、青く灯れ──
なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアは笑う。
前世の静けさを、嘲るように。
「フン……溶けた家族、迎えに行ってあげる。」
霧の森が、異世界の書庫に繋がり、朝焼けが二つの世界を染める。
転生の令嬢の物語が始まる──
幼子の影を、背負い、羅刹の輪を解くために。
──この転生の宴、どう舞う?
……ふむ、エレノアは鉄の箱に殺され何度も切り刻まれたわけだがその夢は曖昧だった。
あら、あなたが出てくるなんて私共嬉しゅうございます。
嫌味か、くだらない。
ただ覚えているのは、冷たい殺意が自分に向けられていたことのみ。
しかし、エレノアは知らない。
ソレが刀でエレノアを、切り刻んでいたことを。
ソレは、墨黒の鬼か。
なんてのは、いつまでも覚えていられるわけじゃなかった。
──エレノアの夢は、鉄の箱の内側で息を潜め、曖昧な霧のように広がる。
冷たい殺意──それだけが、転生の隙間から零れ落ちる。
前世の記憶は、鉄の壁に叩きつけられた残響のように、鈍く、しかし鋭く、心の奥を抉る。
エレノアは、男爵家の書庫で古書をめくり、指先が震えるのを抑えながら窓辺の鏡月を見つめる。
「またあの冷たさ」
『あなたはそれを』
微笑みは母君のように物静かだが、瞳の奥に蛇のような青い炎が灯る。
蒼炎の蛇の吐息を、思い出すように。
しかし、エレノアは知らない──ソレがエレノアを刀で切り刻んでいたことを。
鉄の箱の闇で、刃の感触が肉を裂く音が響き、血の温もりが、冷たい殺意に変わる瞬間を。
ソレは、墨黒の鬼か──
漆のように濃く、復讐の黒を湛えた影。
刀の柄を握る手は、貴族らしい手袋を纏い、喉の傷跡が、息を潜め、無言の冷徹を吐き出す。
切り刻むたび、ソレの鬼火が、餓鬼の火こように柔らかく灯り、エレノアの魂を、渇愛の宴に溶かす──
何度も、何度も、何度も。
そんな記憶は、いつまでも覚えていられるわけじゃなかった。
『誰も何も』
転生の代償として、鉄の箱が記憶を封じ、夢の断片が、霧に溶けるように曖昧になる。
エレノアは、書庫の埃を払い、古書の頁をめくる──そこに、髑髏の龍の挿し絵。
尾の火が、青くゆらめき、一行が浮かぶ──。
『救わないのに』
『切り刻まれた魂は、墨黒の刀に宿る。
冷たい殺意は、愛の仮面。
令嬢よ、箱の内側を、開けよ。
なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアの掌に、狐の火が灯る──。
幽玄に揺らめき、ソレの刀の感触を思い起こす。
男爵家の舞踏会で、仮面の下に潜む影。
白刃の誰かか、墨黒の鬼。
彼女は、鏡に映る自分の瞳を睨む。
「ソレ……あなたは誰?」
冷たい殺意が、再び心を刺す──。
だが、今度は、覚えていられるように、青い炎が、記憶の箱を溶かし始める。
異世界の霧が、書庫に忍び寄り、蒼炎の蛇が、窓辺で舌を出す──ちろり、と。
エレノアは、古書を閉じず、次の頁を待つ。
転生の令嬢の宴が、墨黒の鬼を呼ぶために。
──この箱の内側、どう開ける?
エレノアの首に刀が刺さる感触が蘇る、エレノアは恐怖を抑えきれなかった。
──ソレは墨黒の鬼に非ず、しかし同様に憎悪に変貌した妄執なのだから。
──エレノアの首に、刀が刺さる感触が蘇る。
書庫の埃っぽい空気が、鉄の箱の冷たさに変わる。
鏡月の光が窓辺から差し込み、エレノアの首筋を銀の棘のように撫でる──いや、撫でるのではない。
刺す。
刃の先が、皮膚を裂き、肉を抉り、骨に届く感触。
血の温もりが、喉から零れ落ち、息が詰まり、視界が赤く染まる。
前世の闇が、転生の隙間から這い上がり、エレノアの掌を震わせる。
古書の頁が、手から滑り落ち、髑髏の龍の挿絵が床に転がり落ちる。
尾の火が、青くゆらめき、エレノアの心を嘲るように灯る。
「っ……あ、ああ……」
エレノアは、恐怖を抑えきれなかった。
男爵令嬢の仮面が剥がれ落ち、前世の女──義理堅い静けさを宿した、あの女──の叫びが、喉から漏れる。
『哀れむ価値もなく』
冷たい殺意が、首の傷跡のように疼き、箱の内側で、何度も繰り返された切り刻みの幻が今、鮮明に蘇る──
刀の刃が、横薙ぎに首を裂き、血しぶきが箱の内側を叩く。
痛みは、夢の曖昧さの中で、ただの冷たさとして残っていたのに──
今は、熱く、焼けつくように実体を帯びる。
エレノアの指が、首筋を掻き毟り、爪が皮膚を裂き、赤い線を引く──
「やめて……もう、切り刻まないで……」
ソレは墨黒の鬼に非ず、しかし同様に憎悪に変貌した妄執なのだから。
刀を握る影は、漆のような黒ではない。
墨黒の鬼の冷酷な気配とは違い、それは妄執の化身──愛を狙う者の残渣、王の後悔か、公爵の亡霊か、それともエレノア自身の前世の罪か。
刀の刃は、無垢な光を宿し、しかし憎悪に歪み、首を刺すたび、ソレの囁きが響く──。
「成仏せよ……転生など、無理やりの代償だ。」
妄執の影は、鉄の箱の外から忍び寄り、エレノアの魂を何度も、何度も切り刻む。
夢の中で、異世界で、書庫の鏡月の下で─けいせん
ソレは鬼ではない、ただの執着。
愛を護るための面を被った、妄執の仮面。
エレノアの首筋に、青い炎が灯り、蒼炎の蛇が傷を舐めるように──ちろり、と。
エレノアは、床に膝をつき、古書を拾い上げる。
頁の挿し絵に、刀の影が描き加えられる──髑髏の龍の尾火が刃の先で揺らめき、一行が浮かぶ──
『妄執の刀は、首を刺す前に、汝の静けさを切り裂け。
令嬢よ、鉄の箱を、開けよ。
なれば、鏡は割れぬ。』
恐怖が、胸を締め付ける中、エレノアは立ち上がる。
男爵令嬢の微笑みを、仮面のように被り、書庫の扉を開ける。
霧の森が、異世界の廊下に繋がり、白いフクロウの啼きが遠くから響く。
ソレの妄執が、首の傷を疼かせるが、エレノアの掌に星の欠片が灯る──。
幼子の溶けた光のように。
「あなたも……切り刻まれたのね」
彼女は、鏡月の爪痕を見上げ、恐怖を静かな決意に変える。
──この妄執の刀、どう切り裂く?
──荒野の風は、襤褸の端を嘲るように引き裂き、 ソレの顔を、永遠に隠す。
被り隠した布切れは、影の仮面、
目を合わせちゃならん──
そんな妖言が、砂塵に混じり、囁かれる。
いつ現れたのか、誰も知らんからな。
荒野の旅人が、火を囲み、酒を傾けながら、 息を潜めて語る──
ソレは一人、ただ一人、刀の柄を握り、冷たい殺意を、風に託す。
エレノアは、書庫の鏡月の下で震える。
首の感触が、蘇るたび、爪が皮膚を掻き毟る。
恐怖を抑えきれない──鉄の箱の内側で、何度も繰り返された妄執の刃が今、異世界の廊下を這い寄るように。
だが、真に知るのは難しい──
ソレの顔は、襤褸の闇に溶け、記憶の断片は、曖昧な霧に変わる。
一人──エレノアの記憶にあるソレは、ただ一人。
刀の刃が、首を刺す瞬間、虚空の奥から、囁きが漏れる。
「成仏せよ……お前の静けさが、俺の渇愛だ」
エレノアの掌に、蒼炎の蛇が現れ、舌をちろりと出し、首の傷を舐める──。
青い炎が、恐怖を溶かし、しかし新たな疼きを生む。
古書の頁が、勝手にめくれ、荒野の妖言が、挿し絵として浮かぶ。
襤褸の影が、刀を握り、目を隠し、一行が、血の墨で綴られる。
『ソレは一人、されど荒野の風に千の顔。
目を合わせちゃならん──
なれば、妄執の刃が、汝の首を永遠に刺す。
令嬢よ、襤褸を剥ぎ取れ──
真の顔を、知れよ。』
エレノアは、立ち上がり、書庫の扉を押し開ける。
異世界の夜風が、襤褸の香りを運び、男爵家の庭園に、荒野の幻が広がる──
ソレの影が、一人、刀を構え、虚空の奥で、微笑むように。
恐怖が、静かな決意に変わる──
「あなたは……一人じゃないのね」
蒼炎の蛇が、彼女の影に巻きつき、鏡月の爪痕が、首の傷を照らす。
エレノアの指が、古書の頁をなぞり、次の空白を、待つ──
──この荒野の妖言、どう囁く?
ふむ、ソレの顔は襤褸に等しく……被り隠したために見えず。
荒野にて、こんな妖言が囁かれていた。
ソレらと、目を合わせちゃならん。
いつ現れたのか、誰も知らんからな。
とは言えどエレノアの記憶にあるソレは、一人。
恐怖を抑えきれないがエレノアはソレの恐ろしさを、知ることが難しい。
──ソレは身を翻し、幻は掻き消える。
荒野の風が、襤褸の端を嘲るように引き裂き、
刀の刃が、月光の残骸を切り裂いて、影に溶ける。
エレノアの首筋の疼きが、ようやく静まり、
書庫の埃が、再び空気に舞う──
鏡月の爪痕が、空に薄れ、蒼炎の蛇が、舌を収め、悠然と霧の奥へ去る。
ソレの妄執は、黒い布切れに包まれ、
遠く、遠く、視界の端から消える──
一人だったはずの影が、千の顔を隠し、
荒野の妖言のように、いつ現れたのか誰も知らぬまま。
エレノアはこれを見て、決意を固めるだろうか──
男爵令嬢の仮面が、微かに震え、前世の静けさが、恐怖を押し殺すように息を吐く。
古書の頁が、ゆっくりと閉じ、区切りを刻む──
一行の余韻が、空白に沈み、髑髏の龍の尾火が、静かに消える。
知るならば、再び遠くなるが──
ソレの真の顔を覗けば、記憶の箱が再び閉ざされ、転生の輪が、切り刻みの痛みを呼び戻す。
エレノアの指が、古書の背を叩き、
掌の青い炎が、頁を焦がすように灯る。
しかし、諦めないだろうエレノアが叫ぶ──
「記しなさい、古書!」
声は書庫の壁に反響し、母君の微笑みを思わせる静けさを破る。
異世界の夜風が、扉から入り込み、
男爵家の庭園を荒野の砂に変える──
エレノアの瞳が、蛇のように細められ、蒼炎の蛇が、肩に巻きつき、ちろりと舌を出す。
「ソレの顔を、襤褸の下を……記しなさい!
私は、切り刻まれても、成仏しないわ」
叫びは、転生の代償を嘲るように鋭く、鉄の箱の記憶を、強引に引きずり出す。
それを受けても、古書は何も記さない──
頁の空白が、嘲るように広がり、墨の滴が、乾かぬまま止まる。
ただ、描かれるのは──黒に包まれた妄執の遠くなっていく姿のみ。
挿絵の端に、襤褸の影がぼんやりと浮かび、刀の刃が、虚空を切り、千の顔が、風に散るように薄れる。
古書の息が、静かに止まり、書庫の埃が、再び埃として落ちる──
区切りは、絶対。
知るならば、再び遠くなる──
ソレの妄執は、エレノアの決意を試すように、荒野の彼方へ去る。
エレノアは、古書を閉じず、掌の火を頁に押しつける──
青い炎が、空白を焦がし、新たな一行を、強引に刻む。
『令嬢よ、遠ざかる影を追え。
襤褸の下に、愛の仮面あり。
切り刻みの痛みを、渇愛に変えよ──
なれば、鏡は割れぬ。』
彼女は、笑う。
恐怖を、決意に変え、静けさを守るように。
「待ちなさい、ソレ……今度こそ、目を合わせるわ」
霧の森が、書庫に繋がり、幼子の溶けた光が、エレノアの掌に灯る──
転生の令嬢の旅が、再び始まる。
荒野の妖言が、風に乗り、次の影を呼ぶ。
──この遠ざかる妄執、どう追う?
ソレは身を翻し、幻は掻き消える。
エレノアはこれを見て、決意を固めるだろうか。
──知るならば、再び遠くなるが。
古書はそれを以て、区切りとした。
しかし、諦めないであろうエレノアが叫ぶ。
記しなさい、古書。
それを受けても、古書は何も記さない。
ただ、描かれるのは──黒に包まれた妄執の遠くなっていく姿のみ。
──令嬢よ、魔女の怒りに触れたな。
書庫の埃が、青い炎に飲み込まれ、
古書の頁が、恋の魔女の吐息のように震える。
炎で焼くとは、いささか強引すぎる──
エレノアの掌の火が、頁の端を焦がし、
墨の滴が、血のように零れ落ちる。
古書は怒りに震えるかのようだ───
背が軋み、空白の挿絵が歪み、
髑髏の龍の尾火が、青く爆ぜて消える。
蒼炎の蛇が、書庫の天井を這い、舌をちろりと出し、魔女の香りを濃くする───
甘く、毒々しく、決意を嘲るように。
エレノアは古書に謝らなかった───
男爵令嬢の静けさが、炎を抑えきれず、
ただ、頁の焼け跡を指でなぞる。
「ごめんなさい……でも、知らなきゃいけないの」
謝罪は出ぬ、代わりに、決意の青い炎が、書庫の鏡を映し、ソレの影を呼び寄せる。古書は、黙して区切りを刻み、
次の頁を、焦がした空白で封じる───
だが、最終的には夢を見た。
───ソレの刀に刺され放置される、そんな夢を。
異世界の夜、男爵家の天蓋ベッドで、
エレノアの眠りは鉄の箱の闇に還る。
襤褸の影が、荒野の風を纏い、刀の刃が、首筋をゆっくりと刺す───
痛みは、冷たく、しかし優しく、肉を裂き、血がシーツに染み、放置される。
ソレの虚空の奥から、囁きが漏れる───
「静けさを、守れ……転生の代償は、俺の渇愛だ」
エレノアは、夢の中で手を伸ばす───
襤褸を剥ぎ取ろうと、爪を立てるが、影は身を翻し、幻のように掻き消える。
放置された身体が、冷たい風に晒され、蒼炎の蛇が、傷口を舐め、青い炎を灯す───
ちろり、と。
エレノアが起床しても、その夢は記憶に残らなかった───
朝の光が、ベッドのシーツを照らし、
首筋の疼きだけが、朧気に残る。
書庫の焼け跡が、昨夜の幻のように見え、古書は、埃の棚に戻り、黙して息を潜める。
エレノアは、鏡に映る自分の瞳を睨み、
微笑みを被る───母君のように、静かに。
「また……遠くなったわね」
だが、掌の青い炎が、かすかに灯り、転生の令嬢の決意が、消えぬ。男爵家の朝食の席で、仮面を被り、舞踏会の招待状を眺めながら、
ソレの妖言を、胸に刻む───
目を合わせちゃならん……だが、合わせるわ。
霧の森が、異世界の庭園に繋がり、幼子の溶けた光が、エレノアの影に寄り添う。
古書の区切りは、破られぬが───
次の夢は、きっと、近づく。
───この放置の夢、どう追う?
───令嬢よ、魔女の怒りに触れたな。
炎で焼くとは、いささか強引すぎる。
古書の頁が焼け、怒りに震えるかのようだ。
エレノアは古書に謝らなかった、最終的には夢を見た。
───ソレの刀に刺され放置される、そんな夢を。
エレノアが起床しても、その夢は記憶に残らなかった。
───舞踏会のシャンデリアが、鏡月の光を砕いた宝石のように散らし、
男爵令嬢エレノアは、公爵家の娘───アメリア・ド・ヴァルモント───に、優雅に挨拶を交わす。
絹のドレスが、異世界の夜風を纏い、
蒼炎の蛇の幻が、足元で舌をちろりと出す───
「今宵の宴は、魔女の香りが漂っていますわね」
アメリアの微笑みは、母君のように静かで、
しかしエレノアの首筋の疼きを、そっと撫でる。
公爵家の娘は、仮面の隙間から、青い炎を覗き見るように瞳を細め、
「ええ、亡霊のささやきが、ワルツに混じって……お気をつけになって」
言葉の端に、恋の魔女の香りが絡みつく───甘く、毒々しく。
エレノアの視界の端に、暗く濃い髪の青年がいた───
黒いタキシードが、荒野の風を思わせ、
肩が微かに震え、怯えの影を落とす。
聞くところによると、亡霊を見たそうだと───
舞踏会の噂が、シャンパングラスの泡のように広がり、
エレノアの耳に届く。
彼女の瞳が、蛇のように輝き、飛びつく───
転生の代償が、好奇心を駆り立て、
ソレの襤褸の記憶を、呼び起こす。
「亡霊……どんな姿だったの?」
エレノアの声は、静かだが鋭く、青年の袖を優しく掴む。
しかしながら、青年が必死に止める───
青ざめた顔で、手を振り、丁寧に説明してきたから。
「そ、それは……伝承に出てくるような亡霊じゃないんです。
白い面の幽霊や、鎖を引く怨霊じゃなく……ただの、影。
襤褸のような布を被った、刀の持ち主で……目を合わせちゃいけないんですよ」
青年の声は震え、荒野の妖言を吐露するように低く、
エレノアの心を、余計に掻き乱す。
伝承の亡霊じゃない──それが、ソレの正体か?
鉄の箱の内側で、首を刺した妄執の影か?
エレノアの掌が、熱くなり、青い炎が灯りかける───
しかしながら、青年が口ごもる──
言葉の端が、霧に溶け、視線が逸れる。
青くなった顔で、一瞬目を合わせたが───
瞬きの間に、目の前を襤褸が通った。
確かに、エレノアも青年も見た────
黒い布切れが、舞踏会のワルツの隙間を滑り、
刀の柄が、シャンデリアの光を飲み込むように輝く。
変わらず、顔は隠されていた────
虚空の奥から、冷たい殺意が漏れ、
エレノアの首筋を、優しく、しかし容赦なく刺す。
ソレの影は、すぐに幻のように消えて行くのだから───
襤褸の端が、青年の肩を掠め、
エレノアのドレスに、荒野の砂を残す。
青年は、息を呑み、震える手で仮面を直す。
「ほら……あれです。あいつは、一人なのに、どこにでもいるんです」
エレノアの瞳が、細められ、決意が固まる───
恐怖を抑え、静けさを守るように。
「ありがとう……あなたも、目を合わせないで」
彼女は、青年に微笑み、ワルツの渦へ溶け込む───
公爵家の娘アメリアの視線が、背中を追う。
蒼炎の蛇が、足元で這い、舌を出す───ちろり、と。
ソレの襤褸が、再び視界の端に揺らぐ──
今度は、目を合わせる番だ。
古書の幻が、舞踏会の鏡に映り、一行が浮かぶ────
『令嬢よ、瞬きの間に、影を掴め。
襤褸の下に、渇愛の顔あり。
伝承の亡霊に非ず、汝の妄執なり────なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアは、ワルツのステップを踏み、
ソレの影を追う───
異世界の宴が、荒野の妖言に変わる。
───この瞬きの影、どう掴む?
ふむ、エレノアは舞踏会を開く上の立場である公爵家の娘に挨拶をしていた。
──視界の端に、暗く濃い髪色をしている青年がいた。
その青年は怯えていた、聞くところによると亡霊を見たそうだと誰かが言った。
エレノアは、それに飛びついた。
青年が、必死に止める。
あの亡霊達は伝承に出てくるような亡霊じゃないと、丁寧に説明してきたからエレノアは余計気になった。
だがそこで、青年が口ごもる。
青くなった顔で、一瞬目を合わせたが瞬きの間に襤褸が通った。
───変わらず、顔は隠されていたがすぐに幻のように消えていくのだから。
──けれども、ソレの伝承は数えるしかなく。
荒野の風に紛れた妖言は、指で数えられるほど少なく、
エレノアの決意を、霧のように薄める。
青年の怯えを背に、男爵令嬢は舞踏会の余韻を振り切り、
図書館の埃っぽい巻物をめくり、
魔女の住む森の小屋で、呪文の葉を煎じ、
しかしどれもが、ソレの襤褸に触れぬ─────
伝承はかすりもせず、ただの影を追い、
エレノアの首筋の疼きを、増幅するだけ。青年は、青ざめた顔で手を引き、
「もう……やめましょう。あれは、伝承じゃないんです」
だが、エレノアの瞳は、蒼炎の蛇のように細められ、
「知らなきゃ、切り刻まれるわ……ずっと」静かな決意が、森のささやきに溶ける。
しかして、親切な老婦人が伝承を語ってくれた───
泉の傍の古い小屋で、紅茶の湯気が立ち上る中、
皺だらけの手が、エレノアの袖を優しく掴む。
老婦人の瞳は、鏡月の爪痕のように曖昧で、
しかし、荒野の妖言を宿すように深く。
「ソレは時々、泉の傍にある森に出現すると───
水面に映らぬ影として、刀を握り、襤褸を翻すのよ」
老婦人の声は、低く、骨の軋みのように響き、
エレノアの心を、冷たい泉の水に沈める。青年が息を呑み、老婦人の横顔を怯えで見つめるが、
エレノアは身を乗り出し、
「どうして……出現するの?」
老婦人は、微笑む───母君のように静かで、
しかし、恋の魔女の香りを微かに纏い
「愛を狙う者を、守るためかしら。
だが、ソレらを見てはならない、如何なる時でも───
目を合わせれば、汝の首を、永遠に刺すわ」
妖言の続きが、紅茶の湯気に溶け、
泉の森の幻が、エレノアの視界に浮かぶ───
襤褸の影が、水面を滑り、刀の刃が月光を切る。
老婦人の指が、エレノアの胸のブローチに触れる──
赤い宝石が、シャンデリアの光を反射し、「綺麗な宝石ね……血のように赤くて、泉の深さを思わせるわ」
褒め言葉は優しく、しかし棘のように刺さる──
宝石の奥に、ソレの冷たい殺意が、朧気に灯る。
エレノアは、ブローチを押さえ、微笑みを返す──
「ありがとうございます……この宝石は、私の守り石よ」
だが、心の奥で、蒼炎の蛇が舌を出す───ちろり、と。
青年が、老婦人の言葉を遮るように立ち上がり、
「もう行きましょう、エレノア様。あの森は、危険です」
エレノアは頷かず、ただ、泉の森の名を胸に刻む───
伝承は数えきれぬほど、深くなる。
古書の幻が、書庫の鏡に映り、
一行が浮かぶ──
『令嬢よ、泉の傍で、目を合わせよ。
老婦人の褒め言葉は、赤い宝石の呪い。
ソレの影は、水面に映らぬ───
なれば、鏡は割れぬ。』
エレノアは、青年の手を優しく振りほどき、
舞踏会の余韻を残したドレスを翻す───
泉の森へ、向かう夜風が、襤褸の香りを運ぶ。
恐怖は抑えきれぬが、決意は固く────
「見てあげるわ、ソレの顔を……如何なる時でも」
──この泉の森、どう潜む?
───けれども、ソレの伝承は数える程しかなく。
エレノアはそれを探しに青年と図書館や、とある魔女の住む森に赴いたがそのどれもが伝承にかすりもせず。
しかして、親切な老婦人が伝承を語ってくれた。
ソレは時々、泉の傍にある森に出現すると。
だがソレらを見てはいけない、如何なる時でも。
それを語った老婦人は綺麗な宝石ね、とエレノアの胸のブローチを褒めてくれた。
───泉の傍の森は、鏡月の光を水面に映し、静かなささやきを湛えていた。
エレノアは青年の怯えた手を引き、苔むした小道を進む。
男爵令嬢のドレスが、枝に引っかかり、
蒼炎の蛇の幻が、足元で舌をちろりと出す───
老婦人の妖言が、耳に残る。
「見てはならない、如何なる時でも」
青年の息が荒く、暗く濃い髪が額に張りつき、
「エレノア様、本当に……」
言葉を遮り、エレノアの瞳は決意に輝く───
転生の痛みを、胸に刻み、襤褸の影を追う。
しかしそこには───襤褸を着た影がいて、刀を握っていた。
泉の水面に映らぬ、ぼんやりとした人影。
黒い布切れが風に揺れ、虚空の奥から冷たい殺意が漏れ、
エレノアの首筋を、優しく刺すように。
青年が息を呑み、後ずさるが、
エレノアは咄嗟にその肩を掴む───
絹の袖が、襤褸の端を掠め、
爪が布に食い込み、引き剥がす。
「見せて……あなたの顔を!」
しかしその顔は───平凡な青年のそれだった。
そばかすが可愛らしく、頰に散らばり、
茶色の瞳が、驚きの色を浮かべる。
刀は、ただの木の枝で、
襤褸は、古いコートを逆さに羽織っただけ。
影の青年は、目を丸くし、
「え……誰、ですか?」
エレノアの指が、震え、落胆が胸を刺す──
ソレではない。妄執の化身ではない。
ただの、森の住人か、迷い人か。
結局その日は、エレノアと青年達とで帰宅した───
泉の水面が、嘲るように静かに波立ち、
老婦人の小屋の灯りが、遠ざかる。
青年は安堵の息を吐き、
「ほら、言いましたよ……伝承じゃないんです」
エレノアは微笑みを被り、男爵家の馬車に揺られ、
窓辺の鏡月を睨む───
落胆が、首の疼きを呼び起こし、
蒼炎の蛇の幻が、肩に巻きつくように。
「違う……あれは、もっと……」
言葉を飲み込み、書庫の古書を思い浮かべる───
区切りを破れぬ頁が、嘲笑うように。
エレノアは落胆し眠りに入ったが──
───その夜は苦痛に苛まれ、どうしようもなく辛い夢を見た。
鉄の箱の内側が、再び広がる───
襤褸の影が、無数に増え、泉の森を埋め尽くす。
刀の刃が、首を刺し、肉を裂き、
血が水面に広がり、そばかすの青年の顔が、歪む。
「見て……私の顔を」
囁きが、重なり、冷たい殺意が、魂を切り刻む。
エレノアは手を伸ばすが、掴めぬ───
影は身を翻し、幻のように掻き消え、
放置された身体が、泉の底に沈む。
苦痛は、胸を締め付け、息を奪い、
転生の代償が、涙のように溢れ───
夢の渦で、蒼炎の蛇が、傷を舐め、青い炎を灯す。
夢の内容は覚えていない───
エレノアが起床した時には、枕の端々に涙が滲んでいた。
朝の光が、カーテンを透かし、
首筋の疼きだけが、朧気に残る。
ベッドサイドの古書が、埃を被り、
焼け跡の頁が、静かに嘲る。
エレノアは、枕の涙を拭い、
鏡に映る自分の顔を睨む───そばかすのない、平凡な令嬢のそれ。
「また……遠くなったわ」
だが、決意は揺るがず、胸の赤い宝石が、微かに熱を帯びる───────
老婦人の褒め言葉が、呪いの棘のように。
男爵家の朝食の席で、青年からの手紙が届く───
「泉の森は、もう行かないでください。あの影は……本物です」
エレノアは、手紙を握りしめ、微笑む───
母君のように静かで、しかし、恋の魔女の香りを纏い。
「本物なら……次は、目を合わせるわ」
蒼炎の蛇の幻が、肩に巻きつき、
次の舞踏会───いや、泉の森───を予感させる。
古書の区切りは、破られぬが──
転生の令嬢の旅は、涙の端で続く。
──この辛い夢、どう乗り越える?
閑話休題。
ぼっ……。
襤褸がたなびく、泉の傍にソレは憑る。
愛の宴ですって、なんとも言えない名称ですね。
灯ですか、あれは亡霊達の幻ですよ。
くすくす、ソレらはとある神達の導く光に焦がれていて。
──高潔な光に惹かれても、近づけやしなくて呪いたい気分でしょうし。
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