男爵令嬢は、フットワークが軽い。ー。ー

蘇りは望まれていないーネフ。ー

───────エレノアの指は、泉の泡立つ縁で震え、
襤褸の端を掴む───────決意の爪が、布切れを剥ぎ取り、
黒い影が、ゆっくりと剥がれ落ちる。
風がざぁっと吹き抜け、森のささやきを掻き乱し、
ソレの虚空が、露わになる───────  
しかし、そこに顔はなかった。
ただの闇、荒野の砂のように、散らばる。  
エレノアの瞳が、失望に曇るが、
蒼炎の蛇が、肩に巻きつき、舌をちろりと出す───────
「まだ……遠いわね」  

森の奥から、足音が響く───────
暗く濃い髪の、タキシードを着用した青年が、
エレノアのそばに現れる。
今までの雰囲気とは違う───────怯えの影は消え、
暗く、どこかかっこいい気配を纏い、
月光が髪を銀に染め、瞳の奥に、墨黒の深淵を宿す。
青年の肩に、白いフクロウの幻が一瞬止まり、
啼きが、泉の泡に溶けるように。
「エレノア様……また、影を追ったんですね」
声は低く、荒野の風のように滑らかで、 
手が、そっとエレノアの袖を支え───────  
優しく、しかし、復讐鬼の冷徹を隠したように。

エレノアは、青年の顔を見上げ、
そばかすのない、平凡さのないその横顔に、
一瞬、息を呑む───────
森の住人の青年とは、違う。
全くもって別人───────この青年は、舞踏会の仮面の下で、
常にそばにいた影。
暗い髪が風に揺れ、タキシードの襟が、
恋の魔女の香りを微かに纏う。
「あなた……いつから、ここに？」
エレノアの声は震え、首の疼きが、再び蘇る───────
青年は微笑み、目を合わせぬまま、
「影は、いつもそばにいますよ。目を合わせちゃいけないんです」
言葉の端に、老婦人の妖言が混じり、
エレノアの胸の赤い宝石が、熱く灯る。

泉の泡が、静かに弾け、
女性の笑い声が、遠くで響く───────  
流行り神の吐息か、魔女の嘲笑か。
青年の指が、エレノアのブローチに触れ、「綺麗な宝石……血のように赤くて、ソレの渇愛を映すわね」
老婦人の言葉を、繰り返すように。
エレノアは、青年の手を払い、
決意を固める───────
「あなたも……ソレの影？」
青年は、答えず、ただ暗くかっこいい視線を、泉の水面に落とす───────
水に映らぬ、襤褸の残影が、揺らぐ。

森のさわめきが、再び強まり、
二人は、泉の縁を離れる───────
エレノアの足跡が、血の染みを残さず、消えゆく。
青年のタキシードの裾が、風に翻り、蒼炎の蛇が、二人の影に絡みつく───────
次の舞踏会か、荒野の泉か。
転生の令嬢の旅は、暗い青年の気配を、背負い、続く。

───────この暗い影、どう追う？

何処にも行けず、夢幻を見るとは

隠君子も、いささか強引だな

襤褸の下は、声もなく。

まるで、森自体が代弁しているようで、可愛らしいですね。

黒炎の消える直前で、あの令嬢の無表情に思えるほどの。

ぼんやりとした表情が、見えたようです。

握りつぶすかのように、襤褸の下にある手が動きますね。

古書は自分で、燃やし始めました。

『偽りの頁など』

『鏡は割れずとも、鏡月は割れ
蛇の瞳、鬼に溶け込む
覚悟をたたえずともよく、懐けずして
同罪の影が、汝を喰らう
汝は星を喰らった、なれば』

『鏡月は割れずとも、鏡は割れ
蛇の瞳、鬼に溶け込まず
覚悟を決めず、懐けずして
同罪の影が、汝を染める
汝は星を喰らった、なれば』

途切れ、焦らすように頁は捲られず。

もう一つの古書が引き継ぐように、捲られる。

『死を、その現身へと
紫月よ、ある獣を』

幼子の死を、令嬢の死をまるで。

痛むように、赤い爪痕が浮かび上がる。

白いフクロウは「フクロウ」であって、「フクロウ」ではない模様です。

『かの恋語りをしたがる割に』