常世の彼方

ひろせこ

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金の章

16.約束の場所

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 微笑んでいたリョウの表情が、目の前の光景を目にした途端、痛みをこらえるような顔に変わった。
「…見たくねえなあ。」
空を仰ぎ、悲しみの混じる声で呟いたリョウだったが、諦めたようにため息を吐くと、満点の星空の下、紫の小花が咲き誇る草原を歩き始めた。
延々と続く紫の草原を、奥歯を噛みしめて少し俯きがちに歩いていた時、強い風が後ろから吹いた。
ざあっと吹き上がる風と共に、紫の花片が舞い上がる。
それにつられたように顔を上げたリョウが、悲しげな笑みを浮かべて小さく呟いた。
「ちゃんと幸せな夢も見てたんだな。」
紫の花片が舞い散る先に、幸せそうな男女が2人、手を繋ぎ寄り添って星空を見上げていた。
それをしばらく見つめていたリョウが顔を歪める。
「駄目だ。」
リョウが両手で顔を覆う。
「俺はやっぱり。」
両手の隙間から、泣き出しそうな切実な声が漏れた。
「…お前と同じ色になりたい。」

**********

女は隣に寄り添う、愛しい男を見上げた。
紺碧の鎧を身に纏い、同じ色の鞘の剣を腰に下げた男は、漆黒の髪を風になびかせながら静かに満点の星空を見上げていたが、女が自分を見ていることに気付き、男もまた女を見た。
長い睫毛に縁取られた、アメジストのような紫の瞳を愛おしげに細め、口角が少し上がった形のいい口元を綻ばせた男が、愛を囁く。
女は、腰まで伸ばした真っ直ぐで、男と同じ漆黒の髪を風に揺らしながら、これもまた男と同じ紫の瞳を嬉しそうに細めて、微笑んだ。
男の顔が近づき、唇が触れる。
唇を離すと、男は女の顔を見つめたまま少し緊張した声で言った。
「結婚しよう。」
女は喜色を浮かべ、口を開こうとした。
しかし、女の心に何かが引っ掛かる。
心から愛しい男から求婚されたはずなのに、えも言われぬ気持に襲われた女は、そのまま黙って男を見上げ続けた。
何も答えず見上げてくるだけの女に、男が少し不安そうな顔をして小首を傾げる。
何か言わなければならないと分かっているのに、何を言えばいいのかが分からず、男を見上げ続けていた時、何者かの視線を感じた女は後ろを振り返った。
2人から少し離れた場所で、知らない青年が1人こちらを見て佇んでいた。
風に吹かれて揺れる、少し薄い金髪。
どことなく寂しそうな雰囲気の青年を見つめたまま、女は傍らの男に問うた。
「ねえ、あの青年は誰かしら?」
しかし男は、どこにも青年などいないと言う。
「そんなことないわ。綺麗な金色の髪の人があそこにいるでしょう?」
女は必死に青年を指さして男に言うが、男からの返答は変わらなかった。
そうこうしているうちに、こちらを見ていた青年が女に向かって小さく手を振ると、背中を向けて歩き出した。

それを見た女の心が激しい焦燥に包まれた。
「待って…!」
男が女の腕を掴んだが、女はそれを振りほどくと走り出した。
去っていく青年の背中を追おうと女は走ったが、何故か思うように足が動かない。
まるで水の中を走っているかのように、のろのろとしか動かない体に苛立ちが募る。
待ってと叫びたいのに、声も思うように出ない。
どんどんと遠ざかり、小さくなる青年の背中を見ているうちに、悲しみよりも何故か怒りがふつふつと湧いてきた。
何故自分から離れて行こうとするのか、自分を置いてどこへ行こうとするのか。
2度と自分から離れないと、ずっと側にいると誓ってくれたではないか。
少し泣きそうな顔で走っていた女の顔に、苛立ちが浮かぶ。
「…待て。」
怒りに満ちた声で女が呟くと、思うように動かなかった体が動くようになった。
女が一気に地を蹴り走り出す。
ぐんぐんと男の背中に近づく。
もうすぐ背中に手が届くというところで突然男が振り返り、女が叫んだ。

**********

リョウは、女―トウコと男が仲睦まじく寄り添っているのを、ただ佇んで見ていた。
自分が欲してやまない髪の色を風になびかせ、愛しい女と同じ色の瞳を愛おしげに細める男を、トウコが幸せそうな笑みを浮かべて見つめる。
男がトウコに口付け、何かを囁く。
トウコの顔にさっと喜色が浮かぶ。
怒りも、嫉妬も何も心に湧きあがらず、ただ寂寥感だけがリョウを包んだ。
ふとトウコがこちらを振り返る。
突然のことにリョウは少したじろいだが、こちらを指さしながら傍らの男に何かを訴えているトウコを見て、自分の姿を見てもトウコはやはり分からないんだな、と諦念した。
「じゃあな。」
トウコに小さく手を振ると、リョウは踵を返して歩き出した。

歩きながら、このまま諦めてしまうとトウコはどうなるのだろうと一瞬よぎったが、すぐにカインが助け出すだろうと思い至った。
きっと自分はトウコの夢の中を彷徨い続け、そのうち死ぬことになるだろうが、トウコのことはカインが幸せにするだろうから、それはそれでいいと思った。
そんなことを取りとめもなく思いながら歩いていたが、急に苛立ってきた。
どうして自分がトウコの前から去らなければならないのか。
そもそも、どこにも行かない、ずっと側にいると自分に誓わせたくせに、トウコ自身は誓っていない。
それどころか、別の男のところへ行こうとしている。
理不尽にもほどがある、そう思ったリョウは「…やっぱやめだ。なんで俺が諦める必要があるんだよ。」と低い声で言うと、足を止めて振り返った。

目の前に、怒りの形相を浮かべたトウコがいた。

*********

「どこにも行かないって言ったじゃないか!私の側にずっといるって誓ったくせにどこに行くんだこのバカ!」

叫んだトウコが怒りに任せて、驚きに青の瞳を見開いたリョウの胸に飛び込んだ。
慌てて抱きとめようとしたリョウだったが、バランスを崩してそのまま後ろに倒れこんでしまう。
リョウに馬乗りになったトウコが、紫の瞳を細めて見下ろす。
「リョウ、ふざけるなよ。お前、私を置いてどこに行こうとしてたんだ。」
リョウがぽかんとした顔をしてトウコを見上げたが、すぐに怒鳴り返した。
「おい、トウコ。お前こそふざけるなよ。散々俺を置いて行ったのはお前だろ!このド阿呆!」
「何言ってるんだ、お前。」
「おい!待て!その拳を降ろせ!いいから周りを見渡せこのクソ女!」
リョウの言葉に、トウコが眉を顰めて辺りを見た。
「…は?なんだ、ここ。あの場所か?」
「そうだよ。」
リョウが少し憮然とした声で答えると、トウコが不思議そうな顔でリョウを見下ろした。
リョウがトウコの腕を強く引き、その体を抱き締める。
「本当に本当にトウコなんだな。ちゃんと生きてるよな。」
「何言ってるんだお前。勝手に殺すな。」
「…そうか。それならいい。」
「どういうことだ?なんでここにいる?神殿から帰還して、ねちっこくお前に攻められて…それで…。」
リョウが抱きしめたままトウコの頭を撫でる。
「お前が変な夢見ないでいいように頑張ってやったのに。なんでお前俺に迷惑ばっかかけんだよ。ふざけるのもいい加減にしろ」
「…夢?そうか。これ夢か。」
トウコが呆然としたように呟いた時、パリンと音が響き、世界が割れた。

トウコとリョウが慌てて体を起こして辺りを見渡す。
ぱらぱらとガラスが割れて砕けるように、世界の欠片が剥がれ落ちていく。
満天の星空の下から、赤紫と青が入り混じる毒々しい空が現れ、紫の小花がけばけばしい金の花へと変わっていく。
「なんだこれ…。」
トウコが呆然と呟くと、リョウが頭を掻きながら言った。
「これが悪意の種から咲いた花ってとこか。」
「悪意の種?」
「俺もよく知らねえ。カインがそう言ってた。」
「カイン?お前カインに会ったのか?」
リョウが少し冷たい目でトウコを見る。
「やっぱりあいつカインって言うんだな。お前、起きたら覚えとけよ。…あんま時間ねえみたいだな。花が枯れ始めた。」
リョウの言う通り、金色の花が茶色く変わり始めていた。
「燃やせばいいか。」
言いながらリョウが魔力石を取り出し、それを見たトウコが口を挟んだ。
「燃やすって…私たちも燃えるんじゃないのか?」
「夢だし大丈夫だろ。それに…。」
リョウがトウコの腰を抱いて引き寄せる。
「ここで死んだら死んだ時だ。2人で死ねるならそれもいいだろ。」
「…そっか。そうだな。うん。」
トウコが微笑みながら頷き、リョウの首に腕を回す。
リョウが魔力石を放り投げる。
一気に炎が広がり、金色の花を焼き尽くしていく。

炎に包まれながら、2人はそっと口付けを交わした。
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