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金の章
15.獣になった日
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マリーは、糸が切れたようにトウコの上に覆いかぶさって眠りについたリョウの体を、トウコの隣へと横たえた。
カインはリョウが座っていた椅子に座って腕を組み、そのまま目を瞑ると動かなくなってしまった。
カインがおかしな動きをしたときにすぐ対応できるよう、マリーもまたカインの隣に座ってトウコとリョウが目覚めるのを待った。
すっかり日も暮れ辺りが暗くなった頃、微動だにしなかったカインが突然口を開いた。
「彼はだめかもしれない。」
ただそこにある事実を述べただけのような、無機質な声で言ったカインにマリーが視線を送る。カインは未だ目を閉じたままで、その整った横顔には何の感情も浮かんでいなかった。
「…だめってどういうことかしら。」
「そのままの意味さ。トウコの夢に彼は引き摺られ始めている。…死を見過ぎたね。」
「死…?」
カインが目を開け、トウコと同じ紫色の瞳で静かにトウコの顔を見下ろす。
「トウコの夢は死に彩られている。きっと彼には耐えられない。だから僕が行くといったのだけれどね。」
「あなた分かっててリョウを行かせたの!?さっきはそんなこと一言も言わなかったじゃない!」
思わず立ち上がって言ったマリーを、カインがマリーの顔を静かに見た。
「あの時、仮に話していたとしても彼は行っていた。違うかい?」
マリーはカインの言葉に口を閉じ、目を伏せると頷いた。
「…そうね。」
しばらく黙ってトウコとリョウを見下ろしていたマリーだったが、静かに、しかし強い口調で言った。
「信じるわ。私は、トウコとリョウを信じる。」
カインはまた目を閉じた。
**********
新たなトウコの亡骸を抱えて立ちすくんでいたリョウの足元が歪む。
「じゃあ、またな。」
トウコの頭を撫でながら静かに呟いた時、腕の中からトウコの重みが消えた。
リョウが両手で顔を覆い項垂れる。
しばらくそのまま項垂れていたリョウの耳に、遠く獣のうめき声が聞こえた。
小さく息を吐き、手を降ろして顔を上げたリョウが目を見開く。
「ウソだろ…。」
呆然と呟いたリョウが、はっとしたように我に返ると駆け出した。
「間に合え!間に合え!間に合え!」
小さく叫ぶように言いながら、リョウが必死に駆ける。
「絶対!間に合わせるからな!」
**********
狼のような獣型の魔物の群れが、まだ幼い黒髪の少女を追っていた。
少女はその年ごろの子供より―むしろ大人よりも速い速度で走っていたが、すでに息が切れており、追いつかれるのは時間の問題だと思われた。
前を睨みつけるようにして必死に走っていた少女の顔に、子供らしからぬどこか自嘲じみた笑みが浮かんだかと思うと、少女は走る速度を緩めた。
完全に足を止めた少女が、後ろを振り返ると追ってくる魔物を見据える。
魔物が一斉に飛びかかり、少女がその紫の瞳を閉じた。
「なに諦めてんだ、このド阿呆。」
少女が予期していた、魔物の牙が食い込む痛みは訪れず、代わりに暖かい何かに体が包まれたかと思うと言葉とは裏腹に優しい声が降って来た。
驚いた少女が目を開くと、白みがかった金髪と褐色の肌をした青年の横顔が目の前にあった。
どこか酷薄な切れ長の青の瞳を細めた青年は、前を見据えたまま言った。
「そのまま大人しくしとけよ。」
そう言った青年は、片腕に少女を乗せるように抱えたまま、舞うように動き出した。
少女を抱えている腕とは逆の手で握った、紫の石が嵌った短剣が振るわれる度に、魔物が切り裂かれ、少女を追っていた魔物があっさりと全て屠られた。
少女は魅入られたように、青年の横顔を見つめ続けた。
**********
「大丈夫か?」
リョウが抱きかえたままの少女の顔を覗き込んで問うと、少女はこくんと小さく頷いた。
「本当か?血ついてるぞ。どこか怪我してんじゃないのか?」
少女の顔や、腕、そして服に着いた血を見ながらリョウが少し眉を顰めて聞くと、少女は口を開きかけたが、はっと体を強張らせた。
「どうした?やっぱどっか痛いのか?」
少女の額にかかった黒髪を指で掬いながら、リョウが少女の顔を再び覗き込んだ時、少女が突然カタカタと震えだし、顔を真っ青にして両手で口を抑えた。
口を抑えたまま堪えようとしていた少女だったが、すぐにリョウのタクティカルベストに嘔吐した。
しかし、吐くものが何もないのか、苦しそうに嘔吐きながら胃液だけを吐き出している。
突然のことに目を丸くしたリョウだったが、すぐに何かに思い当たった顔をした。
「ああ…。そうだったな。」
嘔吐く少女の背中を撫でてやりながら、額を自分の胸にそっと押し付けるようにしたリョウが、言葉を続ける。
「気にせずそのままそこで吐いていいぞ。」
リョウが辺りを見渡す。
「どっかに水場ねえかなあ。。」
震えながら吐く少女を抱えたまま、リョウはのんびりと歩き出した。
水場を探してリョウがしばらく歩いていると、落ち着いたらしい少女が顔は伏せたまま、小さな声で呟いた。
「…あっちに井戸があるのを見た。たぶん、ごえい隊とかが使うやつ。」
子供らしい少し舌足らずで高い声に、口元をニヤつかせたリョウが少女が指さした方を見ると、遠くに街道が通っているのが見えた。
「ああ、向こうに都市を繋ぐ道があるのか。お前、あっちの方から来たのか?」
少女が小さく頷く。
「街は近いのか?第何都市だ?」
「…なんで知らないの?」
「細かいことは気にするな。で?」
「…15とし。近いかはわからない。たくさん走ったから。」
少女の言葉にリョウが少し目をみはった。
「第15都市?東の外れじゃねーか。お前、東の辺境から西の辺境に流れてきたのか…。」
少女が俯いたまま、目だけでリョウを不思議そうに見上げた。
「気にするなって。落ち着いたのか?」
リョウが背中をぽんぽんと叩きながら言うと、少女はまた目を伏せて小さく頷いた。
少女の言う通り進むと、道沿いに屋根だけの小さな小屋の中に井戸があるのを見つけた。
リョウはそこで少女を降ろすと、汚れたタクティカルベストを脱ぎ、それを手に数舜考え込んだが、「…捨ててもどうせ元に戻るか。」と呟くと、地面に放り投げた。
それを見た少女が俯いたまま小さな声で言った。
「汚してごめんなさい…。」
その言葉にリョウが少女の顔を凝視する。
「マジか…こんなに素直で可愛い時代があったのかよ…。」
思わずそう口にしたリョウだったが、すぐに苦笑を浮かべると、「…当たり前か。」と悲しみの宿る消えいりそうな声で呟いた。
Tシャツを脱いで上半身裸になったリョウは、少女の顔を洗ってやった後、本当なら綺麗に結い上げられていたのであろう、乱れてほつれている黒髪に刺さっている複数のかんざしを抜いて無造作に地面に放り投げた。
最後に、すっかり土や埃に血で汚れてしまっている、淡い水色の薄布で作られた、肌がうっすらと透けているひざ丈のキャミソールワンピースを脱がそうと手をかけた。
少女の肩がびくりと震える。
リョウが少し傷ついた顔をして手を離すと、顔の横に両手を上げながら言った。
「…おい、勘違いするなよ。俺はお前みたいなガキに興味はないからな。」
少女が紫の瞳に不安そうな色を湛えてリョウを見上げる。
「…ちいさな女の子がすきなんじゃないの?」
「俺が好きなのは胸も尻も出てる大人の女だ。」
「わたしをここでだかないの?」
「お前みたいなガキ相手に誰が勃つか、ボケ。いいから、それ脱いでこれ着ろ。」
着ていたTシャツを少女に手渡すと、少女は戸惑ったようにそれを受け取ったが、なかなか着替えようとしなかった。
「本当に何にもしねーから着替えろ。俺が着てたのが嫌でもそれは我慢しろ。」
「…あっち向いてて。」
思いもよらなかったことを少女から言われたリョウは、一瞬虚を突かれた顔をし、苦笑を浮かべると後ろを向いた。
来る途中に適当に拾い集めていた枯れ枝で火を起こし、その側に座ったリョウがそっと後ろを振り返る。
少女は背中を向けて、脱いだ服を地面に置いて渡されたTシャツを着ようとしているところだった。
痩せこけた腕に、足。骨の浮いた背中に走る、まだ少し生々しい大きな醜い傷。
リョウは静かに焚火に目を戻した。
着替え終わった少女がおずおずと近づいてくると、リョウは少女を抱え上げて自分の方を向かせて膝の上に座らせた。
痩せた体に少し吊り上がったアーモンド形の大きな紫の瞳が、どこかアンバランスな少女の顔をリョウが黙って見つめていると、少女が眉を少し顰めた。
「…やっぱりあなたはちいさな女の子がすきなんじゃないの?」
「しつこいぞお前。」
「だって、わたしは色無しなのにやさしいから。」
「言っとくけどな、俺にはちゃーんと恋人がいるからな。いい女だぞ。」
リョウの言葉に少女がほんのわずかに寂しそうな顔をする。
「お?なんだ。お前、俺に一目惚れか?」
少女の頬を指でつつきながらリョウが言うと、少女は少し顔を顰めながらその手を払う。
「そんなわけない。」
少女の言葉にリョウがげらげら笑っていると、少女が「こいびとの女の人はどんな人?」と聞いてきた。
愉快そうな顔をしたリョウが「そうだなあ。」と言いながら少女を抱え直すと、話し始めた。
「お前と同じ色無しだぞ。」
「…え。」
「なんだよその顔。」
「だって…色無しなのに。」
「別に色無しだっていいじゃねーか。俺の女は色無しだってことを気にしちゃいねーぞ。いつも前を向いてる強い女だ。あととびっきりの美人で俺好みのいい身体してる。おまけに口がすげー悪くて気が滅茶苦茶強い。ついでに、むかつくくらい素直じゃない。俺の求婚をずっと断り続けてる。」
「ほんとうにこいびと?」
「…お前嫌なこと言うなよ。」
「色無しならびじんであたりまえでしょ?…わたしはちがうけど。」
リョウが愉快そうに眉を上げると、少女は「わたしは色無しだけどびじんじゃないから。」と首を小さく振りながら言った。
リョウが声を上げて笑い、少女が口をとがらせる。
「俺の女も同じこと言うな。確かにあいつは色無しの中では美人じゃないだろうな。色のある奴らの中だと美人って位だな。」
「…さっきはとびっきりのびじんって言ったじゃない。」
「おう、そうだぞ?俺にとってはとびっきりの美人なんだよ。」
「その人はしょうふ?」
「違うな。男は俺しか知らねーぞ。おかげですっかり俺仕様の体だ。いいだろ。」
幼い子供に言うことではないことを、笑いながら話すリョウをしばらく少女は見つめていたが、やがて俯くと小さな声で言った。
「わたしはしょうふなの。でも、逃げたの。」
「客を殺して逃げたんだろ?」
何でもないことのように言ったリョウに、少女が驚いたように顔を上げる。
「きづいてたの?」
「あの格好だったしなあ。おまけにさっきは震えていきなり吐いたからな。」
「…あなたも人をころしたことがあるの?」
「おう。あるぞ。」
「あなたもはじめてころした時は、ああなった?」
「どうだったかな、忘れちまった。でも俺の女はお前と同じようになったんだろうな。」
「…あなたのこいびとも人をころしたことがあるの?」
「お前と同じくらいの歳にな。」
「そうなんだ…。」
少し寂しそうな笑みを浮かべたリョウが、少女の頭を撫でる。
「約束してやる。お前はこれから辛い目にも合うだろうが、最後は自由に好きなように生きられる。」
「どうしてわかるの?」
「俺には全てお見通しだ。最高にいい男とも出会うぞ。」
「ほんとう?」
「おう。」
「あなたみたいなつよい人とあえる?」
リョウが笑い声を上げる。
「やっぱりお前、俺に惚れてんじゃないのか?」
「ほれてない。」
少女の少しむくれた顔が愛しい女の顔と重なり、リョウが目を細める。
「でも、あなたのかみと目の色はとてもきれいだと思う。」
「…そうか。」
少女がリョウの頬に手を伸ばした時、地面がぐにゃりと歪んだ。
リョウがくしゃりと顔を歪め、少女から顔を隠すように俯いた。
「時間切れみたいだ。もうバイバイしなきゃいけない。」
「また会える?」
頬に添えられた少女の小さな痩せた手を、リョウが握る。
「そうだな。10年後、お前がとびっきりの美人になった時にまた会える。」
リョウがそっと少女の額に口付けた。
「またな、トウコ。」
「どうしてわたしのなまえ…。」
リョウは微笑みながら奈落に落ちた。
カインはリョウが座っていた椅子に座って腕を組み、そのまま目を瞑ると動かなくなってしまった。
カインがおかしな動きをしたときにすぐ対応できるよう、マリーもまたカインの隣に座ってトウコとリョウが目覚めるのを待った。
すっかり日も暮れ辺りが暗くなった頃、微動だにしなかったカインが突然口を開いた。
「彼はだめかもしれない。」
ただそこにある事実を述べただけのような、無機質な声で言ったカインにマリーが視線を送る。カインは未だ目を閉じたままで、その整った横顔には何の感情も浮かんでいなかった。
「…だめってどういうことかしら。」
「そのままの意味さ。トウコの夢に彼は引き摺られ始めている。…死を見過ぎたね。」
「死…?」
カインが目を開け、トウコと同じ紫色の瞳で静かにトウコの顔を見下ろす。
「トウコの夢は死に彩られている。きっと彼には耐えられない。だから僕が行くといったのだけれどね。」
「あなた分かっててリョウを行かせたの!?さっきはそんなこと一言も言わなかったじゃない!」
思わず立ち上がって言ったマリーを、カインがマリーの顔を静かに見た。
「あの時、仮に話していたとしても彼は行っていた。違うかい?」
マリーはカインの言葉に口を閉じ、目を伏せると頷いた。
「…そうね。」
しばらく黙ってトウコとリョウを見下ろしていたマリーだったが、静かに、しかし強い口調で言った。
「信じるわ。私は、トウコとリョウを信じる。」
カインはまた目を閉じた。
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新たなトウコの亡骸を抱えて立ちすくんでいたリョウの足元が歪む。
「じゃあ、またな。」
トウコの頭を撫でながら静かに呟いた時、腕の中からトウコの重みが消えた。
リョウが両手で顔を覆い項垂れる。
しばらくそのまま項垂れていたリョウの耳に、遠く獣のうめき声が聞こえた。
小さく息を吐き、手を降ろして顔を上げたリョウが目を見開く。
「ウソだろ…。」
呆然と呟いたリョウが、はっとしたように我に返ると駆け出した。
「間に合え!間に合え!間に合え!」
小さく叫ぶように言いながら、リョウが必死に駆ける。
「絶対!間に合わせるからな!」
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狼のような獣型の魔物の群れが、まだ幼い黒髪の少女を追っていた。
少女はその年ごろの子供より―むしろ大人よりも速い速度で走っていたが、すでに息が切れており、追いつかれるのは時間の問題だと思われた。
前を睨みつけるようにして必死に走っていた少女の顔に、子供らしからぬどこか自嘲じみた笑みが浮かんだかと思うと、少女は走る速度を緩めた。
完全に足を止めた少女が、後ろを振り返ると追ってくる魔物を見据える。
魔物が一斉に飛びかかり、少女がその紫の瞳を閉じた。
「なに諦めてんだ、このド阿呆。」
少女が予期していた、魔物の牙が食い込む痛みは訪れず、代わりに暖かい何かに体が包まれたかと思うと言葉とは裏腹に優しい声が降って来た。
驚いた少女が目を開くと、白みがかった金髪と褐色の肌をした青年の横顔が目の前にあった。
どこか酷薄な切れ長の青の瞳を細めた青年は、前を見据えたまま言った。
「そのまま大人しくしとけよ。」
そう言った青年は、片腕に少女を乗せるように抱えたまま、舞うように動き出した。
少女を抱えている腕とは逆の手で握った、紫の石が嵌った短剣が振るわれる度に、魔物が切り裂かれ、少女を追っていた魔物があっさりと全て屠られた。
少女は魅入られたように、青年の横顔を見つめ続けた。
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「大丈夫か?」
リョウが抱きかえたままの少女の顔を覗き込んで問うと、少女はこくんと小さく頷いた。
「本当か?血ついてるぞ。どこか怪我してんじゃないのか?」
少女の顔や、腕、そして服に着いた血を見ながらリョウが少し眉を顰めて聞くと、少女は口を開きかけたが、はっと体を強張らせた。
「どうした?やっぱどっか痛いのか?」
少女の額にかかった黒髪を指で掬いながら、リョウが少女の顔を再び覗き込んだ時、少女が突然カタカタと震えだし、顔を真っ青にして両手で口を抑えた。
口を抑えたまま堪えようとしていた少女だったが、すぐにリョウのタクティカルベストに嘔吐した。
しかし、吐くものが何もないのか、苦しそうに嘔吐きながら胃液だけを吐き出している。
突然のことに目を丸くしたリョウだったが、すぐに何かに思い当たった顔をした。
「ああ…。そうだったな。」
嘔吐く少女の背中を撫でてやりながら、額を自分の胸にそっと押し付けるようにしたリョウが、言葉を続ける。
「気にせずそのままそこで吐いていいぞ。」
リョウが辺りを見渡す。
「どっかに水場ねえかなあ。。」
震えながら吐く少女を抱えたまま、リョウはのんびりと歩き出した。
水場を探してリョウがしばらく歩いていると、落ち着いたらしい少女が顔は伏せたまま、小さな声で呟いた。
「…あっちに井戸があるのを見た。たぶん、ごえい隊とかが使うやつ。」
子供らしい少し舌足らずで高い声に、口元をニヤつかせたリョウが少女が指さした方を見ると、遠くに街道が通っているのが見えた。
「ああ、向こうに都市を繋ぐ道があるのか。お前、あっちの方から来たのか?」
少女が小さく頷く。
「街は近いのか?第何都市だ?」
「…なんで知らないの?」
「細かいことは気にするな。で?」
「…15とし。近いかはわからない。たくさん走ったから。」
少女の言葉にリョウが少し目をみはった。
「第15都市?東の外れじゃねーか。お前、東の辺境から西の辺境に流れてきたのか…。」
少女が俯いたまま、目だけでリョウを不思議そうに見上げた。
「気にするなって。落ち着いたのか?」
リョウが背中をぽんぽんと叩きながら言うと、少女はまた目を伏せて小さく頷いた。
少女の言う通り進むと、道沿いに屋根だけの小さな小屋の中に井戸があるのを見つけた。
リョウはそこで少女を降ろすと、汚れたタクティカルベストを脱ぎ、それを手に数舜考え込んだが、「…捨ててもどうせ元に戻るか。」と呟くと、地面に放り投げた。
それを見た少女が俯いたまま小さな声で言った。
「汚してごめんなさい…。」
その言葉にリョウが少女の顔を凝視する。
「マジか…こんなに素直で可愛い時代があったのかよ…。」
思わずそう口にしたリョウだったが、すぐに苦笑を浮かべると、「…当たり前か。」と悲しみの宿る消えいりそうな声で呟いた。
Tシャツを脱いで上半身裸になったリョウは、少女の顔を洗ってやった後、本当なら綺麗に結い上げられていたのであろう、乱れてほつれている黒髪に刺さっている複数のかんざしを抜いて無造作に地面に放り投げた。
最後に、すっかり土や埃に血で汚れてしまっている、淡い水色の薄布で作られた、肌がうっすらと透けているひざ丈のキャミソールワンピースを脱がそうと手をかけた。
少女の肩がびくりと震える。
リョウが少し傷ついた顔をして手を離すと、顔の横に両手を上げながら言った。
「…おい、勘違いするなよ。俺はお前みたいなガキに興味はないからな。」
少女が紫の瞳に不安そうな色を湛えてリョウを見上げる。
「…ちいさな女の子がすきなんじゃないの?」
「俺が好きなのは胸も尻も出てる大人の女だ。」
「わたしをここでだかないの?」
「お前みたいなガキ相手に誰が勃つか、ボケ。いいから、それ脱いでこれ着ろ。」
着ていたTシャツを少女に手渡すと、少女は戸惑ったようにそれを受け取ったが、なかなか着替えようとしなかった。
「本当に何にもしねーから着替えろ。俺が着てたのが嫌でもそれは我慢しろ。」
「…あっち向いてて。」
思いもよらなかったことを少女から言われたリョウは、一瞬虚を突かれた顔をし、苦笑を浮かべると後ろを向いた。
来る途中に適当に拾い集めていた枯れ枝で火を起こし、その側に座ったリョウがそっと後ろを振り返る。
少女は背中を向けて、脱いだ服を地面に置いて渡されたTシャツを着ようとしているところだった。
痩せこけた腕に、足。骨の浮いた背中に走る、まだ少し生々しい大きな醜い傷。
リョウは静かに焚火に目を戻した。
着替え終わった少女がおずおずと近づいてくると、リョウは少女を抱え上げて自分の方を向かせて膝の上に座らせた。
痩せた体に少し吊り上がったアーモンド形の大きな紫の瞳が、どこかアンバランスな少女の顔をリョウが黙って見つめていると、少女が眉を少し顰めた。
「…やっぱりあなたはちいさな女の子がすきなんじゃないの?」
「しつこいぞお前。」
「だって、わたしは色無しなのにやさしいから。」
「言っとくけどな、俺にはちゃーんと恋人がいるからな。いい女だぞ。」
リョウの言葉に少女がほんのわずかに寂しそうな顔をする。
「お?なんだ。お前、俺に一目惚れか?」
少女の頬を指でつつきながらリョウが言うと、少女は少し顔を顰めながらその手を払う。
「そんなわけない。」
少女の言葉にリョウがげらげら笑っていると、少女が「こいびとの女の人はどんな人?」と聞いてきた。
愉快そうな顔をしたリョウが「そうだなあ。」と言いながら少女を抱え直すと、話し始めた。
「お前と同じ色無しだぞ。」
「…え。」
「なんだよその顔。」
「だって…色無しなのに。」
「別に色無しだっていいじゃねーか。俺の女は色無しだってことを気にしちゃいねーぞ。いつも前を向いてる強い女だ。あととびっきりの美人で俺好みのいい身体してる。おまけに口がすげー悪くて気が滅茶苦茶強い。ついでに、むかつくくらい素直じゃない。俺の求婚をずっと断り続けてる。」
「ほんとうにこいびと?」
「…お前嫌なこと言うなよ。」
「色無しならびじんであたりまえでしょ?…わたしはちがうけど。」
リョウが愉快そうに眉を上げると、少女は「わたしは色無しだけどびじんじゃないから。」と首を小さく振りながら言った。
リョウが声を上げて笑い、少女が口をとがらせる。
「俺の女も同じこと言うな。確かにあいつは色無しの中では美人じゃないだろうな。色のある奴らの中だと美人って位だな。」
「…さっきはとびっきりのびじんって言ったじゃない。」
「おう、そうだぞ?俺にとってはとびっきりの美人なんだよ。」
「その人はしょうふ?」
「違うな。男は俺しか知らねーぞ。おかげですっかり俺仕様の体だ。いいだろ。」
幼い子供に言うことではないことを、笑いながら話すリョウをしばらく少女は見つめていたが、やがて俯くと小さな声で言った。
「わたしはしょうふなの。でも、逃げたの。」
「客を殺して逃げたんだろ?」
何でもないことのように言ったリョウに、少女が驚いたように顔を上げる。
「きづいてたの?」
「あの格好だったしなあ。おまけにさっきは震えていきなり吐いたからな。」
「…あなたも人をころしたことがあるの?」
「おう。あるぞ。」
「あなたもはじめてころした時は、ああなった?」
「どうだったかな、忘れちまった。でも俺の女はお前と同じようになったんだろうな。」
「…あなたのこいびとも人をころしたことがあるの?」
「お前と同じくらいの歳にな。」
「そうなんだ…。」
少し寂しそうな笑みを浮かべたリョウが、少女の頭を撫でる。
「約束してやる。お前はこれから辛い目にも合うだろうが、最後は自由に好きなように生きられる。」
「どうしてわかるの?」
「俺には全てお見通しだ。最高にいい男とも出会うぞ。」
「ほんとう?」
「おう。」
「あなたみたいなつよい人とあえる?」
リョウが笑い声を上げる。
「やっぱりお前、俺に惚れてんじゃないのか?」
「ほれてない。」
少女の少しむくれた顔が愛しい女の顔と重なり、リョウが目を細める。
「でも、あなたのかみと目の色はとてもきれいだと思う。」
「…そうか。」
少女がリョウの頬に手を伸ばした時、地面がぐにゃりと歪んだ。
リョウがくしゃりと顔を歪め、少女から顔を隠すように俯いた。
「時間切れみたいだ。もうバイバイしなきゃいけない。」
「また会える?」
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「そうだな。10年後、お前がとびっきりの美人になった時にまた会える。」
リョウがそっと少女の額に口付けた。
「またな、トウコ。」
「どうしてわたしのなまえ…。」
リョウは微笑みながら奈落に落ちた。
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夢窓(ゆめまど)
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