常世の彼方

ひろせこ

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金の章

29.幸せの権利

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 誰かに呼ばれた気がしたトウコは目を覚ました。
カンテラの明かりにぼんやりと浮かび上がる白い柱が目に入り、一瞬自分がどこにいるのか分からなかったが、神殿で夜を明かすことにしたのだったとすぐに思い至った。
見張りをしていたはずだったのにいつの間に眠ってしまったのだろうと思いながら体を起こし、マリーとリョウを見ると2人はぐっすりと眠っているようだった。
呼ばれたのは気のせいだったのかと内心首を捻りながら、傍らで眠るリョウの顔に手を伸ばした。
起こさないようにそっと薄い金の前髪を梳く。
大分顔色が良くなっていることに、静かに安堵の息を吐いた。
出会ってからこの方、リョウの魔力が枯渇したことはなく、今回は随分無茶をさせてしまったなと思った時、ふとトウコの頬を柔らかな風が撫でた。
頬を撫でた風に導かれるようにトウコが後ろを振り返る。
祭壇の、あの離宮があった場所へと続く穴から乳白色の柔らかな光が漏れていた。
しばし逡巡していたトウコだったが、やがて立ち上がると静かに光の方へと歩き出した。

1人で向かうべきではないと分かっていたが、それでも歩みを止めることができず、トウコは穴の中に入った。
柔らかな光は洞窟の奥まで続いており、光に導かれるようにトウコはそのまま進んだ。
もう少しで洞窟を出るというところで右腕を掴まれ、突然ことによろけたトウコの体が乱暴に引き寄せられる。
すっかり馴染んだ体温と匂いに包まれた時、声を殺してはいるものの、明らかに怒りを含んだ声が頭の上から振って来た。
「このド阿呆!お前なにやってんだ!」
見上げると、トウコが好きな夏の空のような明るい青色の瞳を釣り上げているリョウの顔があった。
「何考えてんだ!1人でふらふら動きやがって!」
どうしてここにリョウがいるのだろうと、ぼんやり見上げていたトウコだったが、はっとした顔をするとゆるゆると頭を振り「悪い。どうかしてた。」と呟いた。
「起きたらお前がいないから肝が冷えた。」
そう言ったリョウがトウコを抱き締める。
ごめんというトウコの言葉にリョウが小さく息を吐き、戻るぞと言いかけたところで体を強張らせて動きを止めた。
不審に思ったトウコが体を離してリョウを見上げると、リョウは唖然とした顔で洞窟の奥を見ていた。
リョウの視線を追って振り返ったトウコもまた目を見開いて動きを止めた。
やがてどちらからともなく静かに歩き出した2人が、洞窟の外に出る。

満点の星空の下、紫の小花が一面に咲き誇っていた。

「綺麗だな。」
「うん。」
トウコとリョウは紫の小花の草原に並んで腰を下ろし、星空を見上げていた。
「…今って夢と現実どっちかな。」
「わかんねえ。…夢でもお前ちゃんと覚えとけよ。」
リョウの言葉にトウコがくすくす笑う。
「カインと黒の巫女の仕業かな?」
「あいつらの仕業だと思ったら、なんか喜べねえな。」
何とも言えない表情を浮かべて言ったリョウに、トウコがまた小さく笑い声を上げる。

「なあ、トウコ。」
「うん。」
「お前、幸せか?」
質問の意図を掴み損ね、どう答えたものかと考えあぐねていると、星空を眺めたままリョウがトウコの手を握った。
少しかさついた、ごつごつとした節くれだった手。
この好ましい手の持ち主が自分の側にいてくれることは、幸せに違いないのだろうと思う。
しかし。
「…どうかな。リョウとマリーと過ごすのは楽しいし、好き勝手できる自分は幸せなんだと思う。でも、正直よくわからない。」
「そうか。」
「うん。…リョウは?」
「マリーと3人でバカやって過ごす毎日は楽しい。お前を抱いてる時は幸せだ。」
トウコが小さく笑みを浮かべ、「じゃあ、リョウは幸せなんだな。」と言ったが、リョウは星空を見上げたまま何も答えなかった。
隣に座る、黙り込んだ男の横顔に浮かんだ感情をはかり損ね、トウコがその横顔から視線を外そうとしたとき、リョウがトウコを見た。
その明るい青の瞳の奥に、いつにない感情が浮かんでいるのを見てとったトウコの紫の瞳が不安げに揺れる。


「トウコ、愛してる。結婚しよう。」


自分を凝視したまま動きを止めたトウコを見て、リョウがにやりと笑う。
「お。速攻で断ってこなかったな。一歩前進だ。」
「…本気か?」
「嫌なこと言うなよ。俺はずっと本気だぞ。」
「嘘つき。」
即座に返された言葉にけらけら笑ったリョウが、「おう、嘘だな。」とあっさり言った後、トウコの頬に手を添えると、親指で頬を撫でながら続けた。

ずっと求婚し続けていたのは、トウコがいつか自分の側から離れていく気がしており、それが怖くて少しでも引き留めたいという自分本位な思いと、それとは別に、この世界に居場所がないと感じているトウコに、居場所はあると思ってほしかったから。
だから、求婚し続けること自体に意味があるだけで、別段トウコとの結婚自体は重要ではなかった。
恐らくそれを分かっているから断り続けていたのだろうし、それでいいと思っていたとリョウは語り、最後に「ごめんな。」と静かに言った。

「…謝らなくていい。リョウの優しさは理解してたから。でも、だからこそ。」
もう自分は孤独じゃないと分かった。リョウの側から離れないとも言ったし、言葉だけじゃなくずっと側にいるから、もう求婚する必要はないではないかとトウコが言うと、リョウはあっさりと「気が変わった。」と言った。
「は?気が変わった?」
「おう。俺はお前と幸せになりたい。俺だけじゃだめなんだ。お前が幸せじゃないと俺も幸せじゃない。」

だから。

「俺を幸せにしてくれ。お前が幸せかどうか分からないというのなら、俺がお前を幸せにしてやる。」
リョウがトウコの頬を両手で優しく包んだ。
「諦めるな。幸せになっていいんだ、トウコ。俺も、お前も。幸せになる権利はちゃんとある。」

ざあっと風が吹き抜け、紫の花弁が舞い散る。


「トウコ、結婚しよう。」
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