Boy meets girl

ひろせこ

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 中庭の片隅の木の下にもたれ掛かったミツルは、いつものように鍛錬を眺めていた。
視線の先には、軽やかに駆け、伸びやかに飛び跳ね、長い手足をしなやかに動かしている黒髪で紫の瞳の少女。

ミツルがトウコと出会って2年が経った。
ミツルは13歳、トウコは11歳になっていた。
痩せて小さかったトウコは、あれからぐんぐんと背が伸び、肉が付き、今では同じ年ごろの子供より大きくなった。
また、以前は小さな顔と体の中で瞳だけが大きく、それがトウコの顔つきを不格好に見せていたが、大きくなるにつれてそのバランスの悪さが取れた結果、トウコは美しい少女へと変貌を遂げていた。
ただ、体つきは子供のそれで、肩程まで伸ばした髪を耳の後ろで結んで動くトウコは、少年のようにも見えた。その中性的な雰囲気と、色無しでありながら瞳が紫ということも相まって、どこか妖しい美しさを醸し出していた。

ミツルの視線の先で、鍛錬用の刃が潰された長剣を1人の団員がトウコに振るう。
それを、トウコが体をずらして避けたところに、クリフが蹴りを放った。
両腕を交差させてクリフの足を受け止めたトウコの体が後ろに吹き飛ばされ、背中から地面に落ちた。
思わずミツルは腰を浮かせた。
「…あいつまた」
少し咳き込みながら慌てて起き上がろうとしたトウコの首元に、団員の男が鍛錬用の長剣を突き付ける。
苦笑したトウコが「まいった」と、両手を顔の横に上げて言った。
小さく息を吐き、ミツルが再び腰を下ろした時、クリフの怒鳴り声が響いた。

「この馬鹿!トウコ!いつも言ってるだろ!ちゃんと障壁張れって!」
「つい強化の方に気を取られちゃって」
「ついじゃねーんだよ!…ほら、腕見せてみろ」
怒鳴りながらトウコの元へ歩み寄ったクリフが、トウコの腕を取る。
「大丈夫。ちょっと痛かったけど、強化したから骨はなんともなってないよ」
「相変わらずトウコの強化は無茶苦茶だな。クリフの蹴りをまともに食らってちょっと痛かったくらいかよ」
長剣を持った団員が呆れたようにそう言うと、クリフがまた怒鳴った。
「だから駄目なんだよ!強化ばっかり使いやがって!」
クリフが説教をはじめ、長剣を持った団員が「じゃあな。おつかれ」と笑いながらその場を離れた。
最初は大人しくクリフの説教を聞いていたトウコだったが、「クリフ分かってるって。今度から気を付ける。それよりも、お腹空いちゃった」と言い出し、頭に拳骨を落とされていた。
いつもの光景にミツルが苦笑を浮かべていると、説教から解放されたトウコがやってきた。

「また怒られちゃった」
笑いながら隣にぽすんと腰掛けたトウコの汗の匂いが、ミツルの鼻先をくすぐる。
「…クリフはトウコに怪我させるのが嫌なんだよ」
「分かってるんだけど、強化した方が早いからつい障壁張るの忘れちゃう」
しばらくのんびりとトウコと話していると、クリフがやってきた。
ぴょんと飛び跳ねるようにして腰を上げたトウコが、クリフの元へ走っていく。

半年ほど前から、トウコは胸元だけを隠す白のタンクトップを好んで着るようになった。
そのため、背中の傷が半分以上露出しており、団長や他の団員たちは別の物を着るように再三言っていたが、トウコは頑として聞き入れなかった。
団員たちの中で唯一クリフだけは苦笑を浮かべただけで何も言わなかったので、自分と同じことを考えているのだろうとミツルは思っていた。

そんなお守りである傷を晒したトウコが、クリフから何かを受け取り、また走ってミツルの元へ戻ってくると、「はい」と手に持っていた物を差し出した。
「またクリフに作ってもらったのか」
ミツルが受け取りながらそう言うと、「だってお腹空いたんだもん」と言いながら座り込んだトウコは、手に持っていた物にかぶりついた。
嬉しそうにもぐもぐと食べるトウコを横目に、ミツルもまたそれにかぶりつく。
とうもろこしの粉で作られた薄い皮の中に、チーズと一緒に様々な具材を挟んで焼かれたそれは、単純に薄焼きパンと呼ばれ、この東部辺境地域周辺でよく食べられているものだった。
トウコはこれが大好きで、いつもクリフにねだって作ってもらっていた。
具材はクリフの気分次第だったが、大抵トウコの好きな物ばかりが挟まれていた。
今日はきのこに鶏肉とたっぷりのチーズという、トウコが一番好きな組み合わせで、やっぱりクリフはトウコに甘いなとミツルが内心苦笑を浮かべた時、当のクリフが2人の目の前に座った。

「トウコ、お前なあ。作り方教えてやったし、もう作れるようになっただろ。自分で作れよ」
呆れたようにクリフがそう言うも、トウコは「自分で作るより、他の人が作った物が食べたいもん。それに、クリフが作った方が美味しいから」と悪びれることなく返した。
「しょうがねえ奴だなあ」とクリフは坊主頭を掻きながら言ったが、その顔は嬉しそうだった。
「ねえ、今度はあのパリパリした甘いやつ作って欲しいな」
「チップスか?あんなもんちぎって揚げるだけだぞ。あれこそ自分で作れ」
クリフがぞんざいに返すとトウコは少し唇を尖らせた。
「クリフが作ったのが食べたい」
「しょうがねえ奴だなあ」
言葉とは裏腹に嬉しそうに眉を下げたクリフだったが、「よし、こうしよう」とニヤリとして続けた。

「トウコが障壁張るのを忘れないこと。ミツルが身体強化をうまくできること。これができたら作ってやる」
その言葉にぎょっとしたミツルはクリフに言い返そうとしたが、その前にトウコが「ミツル!強化の練習しよう!」と腕を引っ張ってきた。
「トウコ、お前なあ。ミツルだけが出来てもダメなんだぞ?お前が忘れたら作ってやらないからな?」
「私はもう大丈夫。絶対忘れない。ほらミツル、チップスのために頑張ろう」
クリフには見向きもせずにそう言ったトウコの頭を、乱暴に撫でたクリフが立ち上る。
「ミツル頑張れよ」
そう言って去っていくクリフの背中を見送りながら、きっと明日は何だかんだ言いつつも、チップスを作ってきてくれるのだろうと思いながら、ミツルはトウコと向き合った。

2年前、守りたいと思った小さな少女が、自分よりもはるかに強かったと知ったあの日。
ミツルはしばらくの間、トウコと口を利かなかった。
ただの八つ当たりだと分かっていたが、それでもトウコに裏切られたという気持ちを抑えることができなかったのだ。
ただ、口を利かなかったと言っても、当時のトウコは自分から話しかけてくることはほとんどなかったため、ミツルが話しかけるのをやめただけだった。
しかし、それだけで2人の間に会話がなくなるという事実もまた、ミツルを苛立たせた。

最初は、トウコに裏切られたという思いから話しかけなくなったのに、徐々にトウコから話しかけてくるまで、自分からは話しかけてやるもんかという気持ちに変わっていった。
ミツルが話しかけてこないことに、トウコは不思議そうな顔をしていたが、それでもトウコから話してくることはなく、ミツルの苛立ちが収まった頃には、今度は話しかけなかった気まずさから話しかけることができなくなるという、良く分からない状況に陥ってしまった。
そのような状況になったある日、ついにトウコから話しかけてきたのだが、その一言がまたミツルの導火線に再び火を付けることになってしまった。

「ミツルも一緒にたんれんする?」

トウコに悪気がないのは分かっていた。
しかし、トウコを守りたい想いから、自分も鍛錬に参加したいと願い出た結果、団長から無理だと素気無く言われてしまったこと。
守るどころか、色無しのトウコの方が魔力が高く、そして強かったこと。
トウコの一言で様々な気持ちが一気に押し寄せてきた結果、ミツルはトウコに怒鳴ってしまった。

「うるさい!俺が鍛錬したって一緒なんだよ!魔力がないんだから!強くなんてなれないんだ!なんでお前は魔力があるんだ!お前なんか色無しのくせに!」

怒鳴った後、ミツルは我に返ったが謝る気にはなれなかった。
そのまま布団代わりの薄い布を頭から被ってトウコに背を向けた。
だからあの時、トウコがどんな顔をしていたか、ミツルには分からなかった。

その翌日。
トウコの顔を見ることができないまま午前中の仕事を終えたミツルは、中庭に行かなかった。
中庭に行こうとするトウコを置いて、ミツルは1人部屋に戻った。
そして、部屋にクリフがやってきたのだった。

―自分だけ鍛錬に参加していることにミツルがすねていると思った。だから、ミツルも参加すればいいと言ったら、どうやらミツルは怒ってしまったらしい。

そのようなことを困り顔のトウコが言ってきたと、クリフは苦笑しながら話した。
ミツルが俯いたまま黙っていると、トウコはこうも言っていたとクリフは続けた。

―ミツルは魔力がないから強くなれないと言ったけど、全くないわけじゃない。
だから頑張れば今より強くなれるのに、なぜミツルは強くなれないと言ったのか分からない。

色無しと馬鹿にされるけれど、本当の色無しではない。
だから、ほんの少しだが魔力はある。だから頑張ろうと思った。
でも、それはあっけなく団長の言葉で無理だと分からせられた。
トウコの言葉を反芻しつつ、ミツルがそう思っていると、「鍛錬に参加したかったら、参加していいんだぞ」とクリフの優しい声が頭の上に降って来た。
どのくらい黙り込んでいたのか、ミツルは自分でも分からなかったが、その間クリフは何も言わずミツルが口を開くのを待ってくれていた。

やがてぽつぽつと、少しでもいいから強くなりたくて、鍛錬に参加したいと団長に申し出たら無理だと言われたこと。どうせ自分なんて荷物持ちが精いっぱいだということ。だからもう鍛錬はいい、とミツルが話すと、クリフはしばらく何かを考え込んだ様子で黙り込んでいたが、やがて「よし、こうしよう」と言い出した。

「お前の魔力でも身体強化はできる。だから、俺が身体強化を教えてやるよ。知ってたか?団長は俺より魔力が少ないんだぞ?だが、それを補うために体を鍛えて、あんなでかい大剣を振り回せるようになったんだ。お前だって強くなれるさ」
「…なれるかな」
「そりゃあ、俺やトウコみたいに強くはなれないぞ?」
笑いながら、あっさりそう言ったクリフは、ミツルの頭を乱暴に撫でながら言葉を続けた。
「荷物持ちの何が悪い。荷物持ちがいなけりゃ俺たちゃ仕事できないんだ。トウコだって荷物抱えたままじゃロクに動けないさ。それに、荷物持ちが最低限自分の身を守れたら俺たちは楽できる。荷物持ちの最低条件は身体強化だ。やるか?」
おずおずと顔を上げ、小さく頷いたミツルを見て、クリフは嬉しそうにその頭を撫でた。
「一緒に戦うことはできないかもしれんが、荷物持ちになればトウコの側に居られるだろ。がんばれよ」
目を丸くして顔を真っ赤にしたミツルを見て、クリフは大笑いした。

あれから2年。
ミツルも少しだけ身体強化ができるようになっていた。
目の前で、身体強化のコツを話しながら平気な顔をして石を握りつぶす美しい少女。
こんな無茶苦茶な少女を守ってやりたいと思った自分は馬鹿だなと思うけれど、それでもやっぱり今でも守ってやりたいと思う。
だから、少しでも側に近づけるようになりたい。

ミツルは手の中の石を握りこんだ。
まだ割ることはできないけれど、いつかきっとできるようになると信じて。

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