未来から来た天才オメガ研究者に恋したアルファ高校生の話

豆ぱんダ

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89 声

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 谷峨が伸びをしてからエンターキーを押す。すると画面は特殊なモニター装置に移りかわった。どこかで目にしたことがあると思ったら、科学犯罪捜査ドラマなどで登場する音声解析用の波形モニターだ。

「適合者として登録されたデータをもとに声を再現する」

 予想を超えた代物が出てきたので冬次は本題を忘れてテンションが上がる。

「すげぇ」

 こぼれ落ちた感嘆の声に谷峨が目を細めた。

「試す前に確認しとくよ。ひらいていいんだね?」
「もちろんですよ」
「ロックをかけた人はあけてほしくないかもしれないよ。冬次くんはパンドラの箱をあけたらどうなるのかちゃんと考えてる?」

 冬次はロックの意味を問われ、固まった。けれどすぐに逡巡は拭いさられた。わざわざ面倒くさい声紋認証を残していったのは、南雲を知る人間の目に留まるように仕組まれた南雲らしい仕掛けだ。見てほしくないスマホを見つかる場所に放置しておく理由もない。

「もちろんですよ」
「なら押すよ」

 谷峨の指がキーを叩き、複製された音声が再生される。

「僕は~~⋯⋯」

 流れた音声はとても短く、人の名前だった。声の持ち主の名前だ。

「やっぱ肉声じゃないと認証拒否されるね。役に立ちそうかな?」

 冬次は質問には答えられず、もう一度音声を再生した。
 そしてもう一度、また繰り返し、噛み締めるように鼓膜に響かせる。

「南雲さんだ」

 まぎれもなく冬次にとってとても愛おしく懐かしい声で、目頭に熱く込み上げるものを感じた。

「大丈夫?」
「平気です。めちゃくちゃヒントになりました」
「そ。ならがんばった甲斐あったね」

 冬次は潤んだ目元を手の甲で拭うと、湿っぽくなった気持ちをふき飛ばすために盛大に鼻をかんだ。谷峨が赤くなった冬次の鼻頭を笑ったかと思うと急に電池が切れたみたいに船を漕ぎだしたので、彼にブランケットをかけてやってからマンションを出た。
 その後、エントランスの自販機でコーヒを買い、夜風に当たりながら駐車場で酔いを覚ましていると、冬次は不意に強烈な視線を感じたのだ。もたれかかっていたガードレールから離れてあたりを見まわしたが、ひらけた場所にある高級マンションの周辺には身を潜められる木々や生垣はそんなに多くない。
 兎沢らが谷峨の行動を見張るためにどこかから見ていることを最初から考慮していたとしても、肌に刺さる不気味な視線を感じてしまうと一刻も早く立ち去りたい気持ちが強くなる。

「さむ」

 冬次は身震いして車に乗りこんだ。まだまだ夏だと思っていたが知らぬ間に秋の気配が近づいていた。
 帰宅してベッドに入った冬次は夢を見た。
 高校生だった冬次に話しかける南雲の声が脳裏で再生される。冬次くんと呼ばれるたびにうなされ、汗だくで起きた。掛け布団の下では体が欲求不満の形を兆しており、冬次は自分自身に幻滅する。少しでも眠れたらと思ったが最悪な寝覚めの悪さにベッドから這いでると、南雲のスマホを手にしてぼうとベランダで風に当たることにした。タバコでもあれば気分も変えられたのだろうが、朝方の風は谷峨のマンション下の風に比べてさらに冷えびえとし、曙の暗から明にかけてのグラデーションを無味乾燥に眺めているしかなく、やはり思考は南雲のスマホへと流れていくのだった。

「パンドラの箱か・・・・・・」

 冬次は不穏な方向に考えてしまうので、趣味の悪い悪戯好きだった南雲を思い浮かべて、ロックを解除した途端に爆発する仕掛けを考えついた。ちょっとだけ面白くなったが、ゆるく口角をあげたところで笑うまではいかなかった。
 本格的に体が冷えてきたので室内に戻ると、自分のスマホが光っていた。
 通知を確認すると、七草からの着信。七草は冬次が折りかえす前にメッセージで要件を伝えてきた。
 ひらかなくても要件がわかり、冬次はスウェットから外出着に着替えて出かける。朝は道が空いているので気持ちいいくらいに車を飛ばして向かい、七草の自宅について部屋のチャイムを鳴らすと、期待と興奮がないまぜになり緊張で手が震えた。
 するとインターホンから返事がある。

「とー・・・・・・じ、さ、ん」

 舌ったらずな声は七草のものでまちがいなく、普段からすれば考えられない口調に冬次は心臓が破裂しそうに高鳴った。

「いま、あけます」
 
 吐息まじりに七草が言うと、ガチャガチャとせわしなく鍵がまわされ、苦労して開錠されたドアがゆっくり押しひらかれる。
 しかし普通のドアが重い鉛でできているかのようになかなか上手く押せない七草を手伝い、冬次は隙間に手を入れ、ドアを広くあけてあげる。その瞬間、空気中に満たされた濃密なフェロモンに一瞬意識が飛んだ。
 七草が部屋の奥へ避難してくれたおかげでラットに移行しないで済んだらしい。冬次は第二波に襲われる前に、このために準備したヒート時用のマスクで鼻と口を念入りにおおった。

「ごめんなさい・・・・・・余裕なくて電話しちゃった」

 部屋の奥で七草が苦しそうな声を出す。

「頼ってくれて嬉しいよ」

 冬次は自身も巻き込まれて動けなくならないために近寄らないでおき、優しく声を張って答える。
 七草が奥の部屋から熱に浮かされた顔を見せた。

「まだへーきなの・・・・・・で、仕事、終わって、また、きて」
「いいの?」
「ん。あとで。まってる」

 茹でだこみたいな真っ赤な顔をしているくせに懸命に元気に見せようとする姿がストレートに冬次の胸をつかみ、今すぐ駆けよって抱きしめたい衝動に駆られたが、冬次は後ろ髪を引かれながら七草の言うとおりにした。
 仕事中は一瞬のようで永遠のようで、時計と睨めっこしながら過ごす一日だった。それでも頭はいつも以上に働いており、絶対に残業しないための働きっぷりを記録した。
 来店客がいなくなったのを見計らい冬次は退勤すると、急ぎ車を走らせる。けれどこんな時にかぎって信号のたび赤信号で捕まってしまう。

「じれったいんだよなぁ」

 何度目かぼやいてブレーキを踏んだ時、スマホがけたたましく鳴った。七草からの連絡を取り逃がさないために音量を上げていたのである。
 相手が誰かも確認せずに冬次は電話に出る。

「奈良林っ、すぐ来てくれないかっ」
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