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104 あかつき園
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「だよね仁科さん!」
南雲にしては珍しく従順な声だ。お願いがくるぞと冬次が睨んだとおり、南雲は運転席と助手席のあいだに身を乗りだした。
「かおる先生とこに寄っていきたい」
冬次はほくそ笑む。
「ですって、兄貴」
長埜の住所は寄っていくと言えるほどの場所にない。案の定、兄貴はおのれの失言に追い込まれた顔をした。帰宅時間が迫るなか兄貴が悩み、無駄に時計をチラチラ確認
している。冬次は兄貴のうろたえた姿を見れただけで先ほどの溜飲が下がり満足し、助け舟を出す。
「後日に時間を調整してやってよ」
「わかった。やってみよう」
兄貴は安堵し、普通に提案したら却下するだろうお願いを快諾した。しかし結果オーライでお終いとはいかない。なぜなら南雲少年は納得していないからだ。
「すぐ確認したいんだ」
気になったことを放っておけない研究者のさがで南雲の頭はいっぱいだった。さて兄貴はどうする?
業務上のパートナーとしてドライにあしらうのか、可愛い顔でされるおねだりに屈するのか。兄貴のくだす判断を愉しみに見ていると、冬次のにやけた口に気づいた兄貴にきつく睨まれる。
だがいくら冬次に怖い顔したところで南雲が要求を取り下げてくれるわけもなく、すでに聞き入れられたと信じきったように後部座席で寝転んでいた。
「別に無理だって言って帰ればよくないか」
関係上の主導権は兄貴にあるはずなので、冬次はそう助言した。
「今考えてるから黙ってろ⋯⋯」
おやおやこれは、思った以上に揺れている様子。
「行ってあげるんだ」
「だからそれを考えて⋯⋯はぁ、もうわかった」
兄貴は盛大なため息をついて、ミラーごしに南雲に笑いかけた。
「涼くん、時間がかかるので寝ていて構わないからね」
なんだその媚びへつらった顔と言葉は。自分がなじったことを忘れてしまったのか。冬次の行動をなぞるようにお願いをきく兄貴だった。
◆
あかつき園は生活環境が整った賑やかな地域に溶け込んで建てられていた。少なくない金額をかけて確保されたであろう土地は子供が駆けまわれる面積があり、手入れされた畑には綺麗なビニールハウスがある。建物自体も建てられたばかりで新しく図書館くらいの広さがあり、住環境になじんだ外観の何もかもがつばめの家とちがう。
長埜が南雲と引き換えに受け取った金で建てたあかつき園。南雲にとっても感慨深い場所になるだろうかという冬次の思いとは裏腹に、南雲は真新しい児童養護施設には無関心で、長埜が用意された相談室にやってくるのを待っている。
事前に連絡は入れたものの当日だったため、長埜は通常業務の最中だ。それでも承諾してくれた懐の深さに改めて優しい人なのだと認識させられる。身重だった南雲の母を匿い、出産の世話をし、子供の面倒を見続けようとしてくれた長埜という人だからこそ南雲が「かおる先生」と呼んで心をひらき信頼しているのだ。
相談室では三人とも無言で、持参した飲み物を口に運ぶ時以外は物音を立てない。そのため施設内にいる未就学児の年齢の子が泣いたり歌ったりする声がよく響いた。のどかで、来た目的を忘れてしまいそうな時間が流れ、学校に行っていた年齢の子たちが帰ってくると、相談室の外の廊下を走っていく元気な足音が加わった。
ふと冬次が南雲を見ると、彼も子供たちが出す生活音に耳を傾けている。
それからまたしばらく待ち、子供のものではない足音が相談室の前で止まったのを聴いた。
兄貴が立ち上がり身なりを整える。
相談室に現れた長埜は待たせたことを詫び、兄貴に気をつかわず座るよう勧めた。社交辞令を述べて兄貴は座りなおし、それを待ってから冬次は長埜に会釈する。長埜とは葉羽を入れて会っているので、お互いかしこまる仲ではない。
「それで今日はどのようなご要件でしょうか」
ひととおり挨拶が済み、長埜が切りだした。
冬次と兄貴は南雲のために息をひそめる。注目を集めた南雲だが、何も喋らない。
「長埜さんと二人で話すなら俺たち出てこうか?」
冬次が話しかけると南雲はびくっとした。南雲は冬次が話しかけるまで思考空間に飛んでたらしい。
「変わらないですね涼さん。夢中になると寝るのを忘れるところは治りましたか?」
変わってないと、冬次はかわりに答える。長埜は目尻を下げて微笑み、愛おしそうな顔をした。
「そうみたいね。涼さんがこうしてまた会いにきてくれて嬉しいわ。なんでも言ってちょうだい」
「かおる先生」
遠慮という言葉が南雲ほど似合わない人はいない。キラキラした目で、一気に捲し立てるための息を吸う。
「かおる先生には僕の胎内記憶のことを話してたと思うけど、僕の仮説では僕の覚えてる記憶は母の感覚を共有して感情を追体験していたものだと考えられるんだ。そう考えるきっかけが僕が運命の番に会ったことで、僕が感じた強烈な焦燥感の正体が母さんの中で体験した感情に隠されてると思う。僕にとって運命の番は今解かなくてはならない第一優先の課題なんだ」
これに長埜はただただ驚いて瞬きをする。
「ごめんなさいね、全部は理解できなかったんだけど涼さんは運命の番と出逢ったのね」
「そいつはどうでもいいんですって」
「それなのにそんなにいっぱい難しいことを考えて私のところに来たの?」
冬次は彼女が混乱する気持ちに共感した。南雲の口から一方的に飛びだしてくる豆鉄砲みたいな突拍子もない意見は止まらない。長埜の疑問に南雲は迷いなく答えた。
「母さんにとってとても大事な感情だと思うから。多分、わかんないけど、母さんはそう感じてたと思う」
長埜はハッとする。冬次には一瞬だが彼女が大きく目を見開いたかのように見えた。
「涼さんはお腹の中でそう感じたのね⋯⋯?」
「うん」
南雲がうなずくと、長埜は急に「ちょっと失礼しますね」と席を外した。
「あ、早く教えてほしかったのに」
「戻ってくるまで待とう。急用かもしれない」
南雲と兄貴が話す横で、冬次はトイレと言って長埜を追いかけた。
南雲にしては珍しく従順な声だ。お願いがくるぞと冬次が睨んだとおり、南雲は運転席と助手席のあいだに身を乗りだした。
「かおる先生とこに寄っていきたい」
冬次はほくそ笑む。
「ですって、兄貴」
長埜の住所は寄っていくと言えるほどの場所にない。案の定、兄貴はおのれの失言に追い込まれた顔をした。帰宅時間が迫るなか兄貴が悩み、無駄に時計をチラチラ確認
している。冬次は兄貴のうろたえた姿を見れただけで先ほどの溜飲が下がり満足し、助け舟を出す。
「後日に時間を調整してやってよ」
「わかった。やってみよう」
兄貴は安堵し、普通に提案したら却下するだろうお願いを快諾した。しかし結果オーライでお終いとはいかない。なぜなら南雲少年は納得していないからだ。
「すぐ確認したいんだ」
気になったことを放っておけない研究者のさがで南雲の頭はいっぱいだった。さて兄貴はどうする?
業務上のパートナーとしてドライにあしらうのか、可愛い顔でされるおねだりに屈するのか。兄貴のくだす判断を愉しみに見ていると、冬次のにやけた口に気づいた兄貴にきつく睨まれる。
だがいくら冬次に怖い顔したところで南雲が要求を取り下げてくれるわけもなく、すでに聞き入れられたと信じきったように後部座席で寝転んでいた。
「別に無理だって言って帰ればよくないか」
関係上の主導権は兄貴にあるはずなので、冬次はそう助言した。
「今考えてるから黙ってろ⋯⋯」
おやおやこれは、思った以上に揺れている様子。
「行ってあげるんだ」
「だからそれを考えて⋯⋯はぁ、もうわかった」
兄貴は盛大なため息をついて、ミラーごしに南雲に笑いかけた。
「涼くん、時間がかかるので寝ていて構わないからね」
なんだその媚びへつらった顔と言葉は。自分がなじったことを忘れてしまったのか。冬次の行動をなぞるようにお願いをきく兄貴だった。
◆
あかつき園は生活環境が整った賑やかな地域に溶け込んで建てられていた。少なくない金額をかけて確保されたであろう土地は子供が駆けまわれる面積があり、手入れされた畑には綺麗なビニールハウスがある。建物自体も建てられたばかりで新しく図書館くらいの広さがあり、住環境になじんだ外観の何もかもがつばめの家とちがう。
長埜が南雲と引き換えに受け取った金で建てたあかつき園。南雲にとっても感慨深い場所になるだろうかという冬次の思いとは裏腹に、南雲は真新しい児童養護施設には無関心で、長埜が用意された相談室にやってくるのを待っている。
事前に連絡は入れたものの当日だったため、長埜は通常業務の最中だ。それでも承諾してくれた懐の深さに改めて優しい人なのだと認識させられる。身重だった南雲の母を匿い、出産の世話をし、子供の面倒を見続けようとしてくれた長埜という人だからこそ南雲が「かおる先生」と呼んで心をひらき信頼しているのだ。
相談室では三人とも無言で、持参した飲み物を口に運ぶ時以外は物音を立てない。そのため施設内にいる未就学児の年齢の子が泣いたり歌ったりする声がよく響いた。のどかで、来た目的を忘れてしまいそうな時間が流れ、学校に行っていた年齢の子たちが帰ってくると、相談室の外の廊下を走っていく元気な足音が加わった。
ふと冬次が南雲を見ると、彼も子供たちが出す生活音に耳を傾けている。
それからまたしばらく待ち、子供のものではない足音が相談室の前で止まったのを聴いた。
兄貴が立ち上がり身なりを整える。
相談室に現れた長埜は待たせたことを詫び、兄貴に気をつかわず座るよう勧めた。社交辞令を述べて兄貴は座りなおし、それを待ってから冬次は長埜に会釈する。長埜とは葉羽を入れて会っているので、お互いかしこまる仲ではない。
「それで今日はどのようなご要件でしょうか」
ひととおり挨拶が済み、長埜が切りだした。
冬次と兄貴は南雲のために息をひそめる。注目を集めた南雲だが、何も喋らない。
「長埜さんと二人で話すなら俺たち出てこうか?」
冬次が話しかけると南雲はびくっとした。南雲は冬次が話しかけるまで思考空間に飛んでたらしい。
「変わらないですね涼さん。夢中になると寝るのを忘れるところは治りましたか?」
変わってないと、冬次はかわりに答える。長埜は目尻を下げて微笑み、愛おしそうな顔をした。
「そうみたいね。涼さんがこうしてまた会いにきてくれて嬉しいわ。なんでも言ってちょうだい」
「かおる先生」
遠慮という言葉が南雲ほど似合わない人はいない。キラキラした目で、一気に捲し立てるための息を吸う。
「かおる先生には僕の胎内記憶のことを話してたと思うけど、僕の仮説では僕の覚えてる記憶は母の感覚を共有して感情を追体験していたものだと考えられるんだ。そう考えるきっかけが僕が運命の番に会ったことで、僕が感じた強烈な焦燥感の正体が母さんの中で体験した感情に隠されてると思う。僕にとって運命の番は今解かなくてはならない第一優先の課題なんだ」
これに長埜はただただ驚いて瞬きをする。
「ごめんなさいね、全部は理解できなかったんだけど涼さんは運命の番と出逢ったのね」
「そいつはどうでもいいんですって」
「それなのにそんなにいっぱい難しいことを考えて私のところに来たの?」
冬次は彼女が混乱する気持ちに共感した。南雲の口から一方的に飛びだしてくる豆鉄砲みたいな突拍子もない意見は止まらない。長埜の疑問に南雲は迷いなく答えた。
「母さんにとってとても大事な感情だと思うから。多分、わかんないけど、母さんはそう感じてたと思う」
長埜はハッとする。冬次には一瞬だが彼女が大きく目を見開いたかのように見えた。
「涼さんはお腹の中でそう感じたのね⋯⋯?」
「うん」
南雲がうなずくと、長埜は急に「ちょっと失礼しますね」と席を外した。
「あ、早く教えてほしかったのに」
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南雲と兄貴が話す横で、冬次はトイレと言って長埜を追いかけた。
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