未来から来た天才オメガ研究者に恋したアルファ高校生の話

豆ぱんダ

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12 この気持ちはきっと夏だから

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 台所で聞こえる包丁の音を嫌いな人はいるのだろうか。トントントンとリズミカルに野菜を刻む音は文明社会に染み込んだ癒しのリズムだ。
 しかしフラスコに調味料を注いで調合するのはいかがなものか。実験みたいで生理的に無理。

「もしかして俺の寿命って今日なの?」
「気が散る」

 冬次は邪魔者扱いされて、ぺっぺっと台所から追いやられる。仕方ないので大人しく居間のソファでダラダラしているところに、料理のひと段落をつけた南雲がやってきた。

「話を聞いてもらいたそうな顔だね」
「えっ優しい。南雲さんなのに」
「今僕の手には夕食を美味くするか不味くするかの決定権が握られていることを忘れないで。聞くのやめるよ」
「すみませんでした。お願いします」

 冬次は謝りがてら鼻頭を指でこすり、訊ねる。

「南雲さんは俺の家族については調べた?」
「調べるわけないだろう。興味ない」

 南雲にバッサリと切られたが、しかし撃沈させられて終わらなかった。

「興味なくても耳に入ってきてたけどね。奈良林春真ならばやし はるま議員は僕の研究にお金を積んでくれた人だし」

 久しぶりに聞かされた兄貴の名前に冬次の体がこわばる。
 藤井やおじさんおばさんが、冬次ひとりのために口に出さないようにしている名前。
 春真っ盛り。そんな名前をもらった兄貴と、春になれなかった冬次。
 両親の願いを込められた名前がずっしり重たくて冬次を身動きできなくしていた。生まれる前も生まれた後も期待に応えられなくてごめんなさい。

「兄貴、未来でもやっぱり成功してるんだ」

 どうかなと、南雲は小首を傾げた。

「一般的に見れば成功者なのかもね。僕はそう見えなかったけど」
「南雲さんは変人だから」
「天才と言いなさい」
「変人と言われて怒らないんだから変人でしょ。でも、そっか、兄貴は意外だな。進んでアルファの特権を放棄したってことだよね」
「そうなんじゃない?」
「興味ないにしても、もうちょっと俺のテンションに合わせてよ」
「やだよ。さてご飯にするから起きろ、ゴロゴロするな」

 振りあげられた南雲の手にフライ返しが握られている。

「わっ、うおっ、待て痛い痛いっ」

 冬次は追い立てられて食卓につき、出された食事にありがたく手を合わせた。

「いただきます・・・・・・って、俺の刺身は?」
「あれはおじさんの刺身だ」
「は? 朝俺に刺身食いたくないのって言ったじゃん!」
「冬次の夕飯を刺身にするとは言ってない。そんなに食べたかったならスーパーでもっと主張すべきだと思う」
「鬼かよ」

 鬼、悪魔、大魔王め、ぎちぎちの買い物袋は俺が持ってあげたのに——と言おうものなら倍にして返されて自爆するのだろう。なので冬次は気持ち悪い笑みを浮かべて「いただきます」を言い直す。
 フラスコから生まれた煮魚は美味しかった。
 南雲の料理の上達スピードに若干引いてしまったことは墓場の下まで持っていく。

「そういえば冬次くんとは関わりなかったな」
「何。未来の話?」
「うん。未来で顔を合わせなかったのは残念だ」
「え」

 わっ、何だ、びっくりした。
 ネジの外れたアンドロイドみたいな思考回路のくせに、唐突に爆弾を投げてよこして冬次を浮つかせる。なんでもないことのように飄々と発言すると、軽率に綺麗な笑顔を振りまいてくる。

「えぇ、げぇ、俺はやだよ。今だけでお腹いっぱいなんですけど」

 冬次は照れ隠しで言ってしまった。
 後から思い返すと、南雲のいる未来を——南雲の隣を——焦がれ始めたのはこれが一番最初だったのかもしれない。
 この夜、冬次はなかなか寝つけなかった。未だにぶかぶかの部屋着を着た南雲の姿と、今日見てしまった笑顔が脳裏でぐるぐる出たり消えたりしているのだ。

「はー・・・・・・。なんだろ変な気持ち」

 天井に、脳裏の南雲に手を伸ばすように、腕を突き上げる。
 その時、玄関で物音。藤井が帰宅した?
 昼間の態度を謝ろうと冬次は体を起こし、静かに自室を出た。階段を下りる時に軋みやすい段を飛ばして、寝ている他の住人に配慮して音を立てないよう廊下を歩いた。
 藤井は外で食事を済ませてきたのだろう、毎晩真っ直ぐ風呂に入る。今ならまだ洗面所でかち合うことができる。
 しかし明かりのついた洗面所には先客・・・・・・南雲がいた。
 廊下に明かりと共に話し声が漏れ聞こえている。

「何の用だ」
「少し話がしたかった」
「俺は話すことない。毎晩のように嫌がらせか?」
「でも他に試せる方法が思いつかないしね」
「しつこい」
「うん。ごめんね」
「風呂から上がるまでに消えてなかったら家から追い出す」
「昨日も同じこと言ってたけどしなかったね」

 はは・・・・・・なんだそういう感じか。
 またこっそりと自室に戻った冬次はひとり呟いた。

「そうだよなぁ」

 南雲の本来の目的を忘れたかったのは冬次だけだったみたいだ。
 夏の夜に伝う汗をぬぐう。
 浮き足立っていた馬鹿な心臓が、ちりりと痛んだ。
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