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17 青春に切なさはつきものなので
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「冬次くん、これ届けてあげてよ。ないと困ってると思うから」
起きぬけから南雲にそう言われて渡されたのは、おじさんがおばさんからプレゼントされた大切なペンだ。家でも外でも持ち歩いてお守りがわりにしている大事なもの。
ちなみに冬次の起床がおじさんがとっくに出勤した後の時間なのは朝寝坊したから。夏休みですから、あえての寝坊は大目にみやがれ。
「これ」
冬次はペンを受け取り、平常運転の南雲に疑いの目を向ける。まさか自分に用事を申しつけるためにわざと事前に抜き取っておいたんじゃないよな、と。
南雲は「僕の顔に何か?」と白々しく、玄関までついてきて冬次を見送りした。玄関で靴に足を突っ込みながら、つい思わず並んだ他の靴をチェックすると——兄貴が突撃してきた夜のことで学習したので——、藤井は在宅していた。夏休みが変則的な生活になるのは教師も同じなのだろう。
おじさんは家から徒歩圏内の場所にビルを所有しており、この一階で小さな不動産屋を経営している。営業と客が逐一出入りする駅前チェーン店のようなせかせかしたイメージはなく、古い付き合いに支えられた地元の不動産屋さんだ。
チャリを停めた冬次が重厚なガラスの開き扉を押して入ると、事務所の社長席にいるおじさんが立ち上がった。
「来たきた。待ってたよ」
まだ要件を口にしてないが、何やら非常に待ち望まれていた反応だった。
そんなにペンがなくて落ち着かなかったのか。ならばすぐ返して差し上げようと、手招きに応じておじさんに歩み寄る。
「おじさん持ってきたよ。これでしょ」
「みんな聞いてくれるかい? 夏休みのあいだだけ短期でアルバイトに入ってくれる冬次くんです」
ジーンズのポケットに伸ばした手が、びたりと止まる。
「え、ま、ええっ?」
ペンを届けにきただけなのに、どうして冬次のアルバイト話に発展したのだ?
「君がアルバイトしたがってるって南雲くんからお願いされたんだよ。夏休みに社会勉強したいだなんて若いのに偉いねぇ。おじさん感心しちゃったよ」
「んなっ」
言葉を失うとはこのこと。南雲の仕業だというのは理解したけれど、行動思考が意味不明すぎて怖い。再三考えてしまうがあの人は宇宙人なのかもしれない。
「でも俺、役に立つ資格があるわけじゃないし、たいしたことできないっすけど」
運転免許すらない年齢なのだ。もうめちゃくちゃ、この上なく、ご迷惑おかけするかもしれませんと含みをもたせてお断りしようとしたが、おじさんには通じなかった。
「大丈夫大丈夫。お願いするのは簡単な雑務だからね。困ったことがあれば現存のスタッフに頼るといいよ」
なんて面倒みのよい人柄なのだろう。しかしながら今その大らかさはいらないのだ。
「ははは・・・・・・ありがとうございます」
「それほど心配していないよ。みなさん冬次くんがアルファだからって手出しちゃ駄目ですからね」
おじさんが冗談を飛ばすと、スタッフからくすくすと控えめな笑い声があがる。うわぁ。アットホームな歓迎ムード。中年の女性スタッフが「今のうちに唾つけとこうと思ったのに残念だわ」と冗談を返し、事務所内をことさら和やかにした。
「じゃとりあえず今日は初日だから、まわりのスタッフの仕事を見学しつつ、そこの処分ボックスの中身をシュレッダーしておいてくれるかな。のんびりやってくれていいからね」
「あっ、はい。あのおじさんこれペン。忘れ物」
やっと目的を果たすことできた。もはや南雲の裏工作が否めないため、心の中で土下座し、平身低頭拝み倒した。
「ないと思ってたんだ。おじさんはこれがないと仕事にならないんだ、ありがとうね」
冬次はぺこりと頭を下げて返し、ふぅとひと息ついた後、不可抗力でやらねばならなくなった仕事に取り組んだ。
アルバイトの上がりは午後五時。朝十時から午後五時まで、定休日以外の休みは冬次の都合に合わせて申告制。おじさんの口利きでアルバイトしているので、融通がききまくる。スタッフ全員が身内の親戚みたいで、お菓子やジュースをくれるなどして可愛がってくれる。一般的なアルバイト感覚でいえば羨ましい限りの職場環境なのだろう。
ガチのアルバイト希望者だったら、な?
「ただいま」
「冬次くんおかえり。おっ」
「南雲さん、俺の言いたいことわかるよね?」
玄関を足音強めに通り過ぎて、南雲に詰め寄った。
「楽しかった? 初めてのアルバイトおめでとう」
なんじゃそりゃ、頭がくらくらする。
「帰ってきたか。おつかれ冬次。初めての労働はどうだった?」
藤井が居間から労いをくれた。何故あなたまで何食わぬ顔でそっち側に立つのか。
ていうか、何これ、なんなのこの違和感なしの団欒な感じ。長年連れ添った熟年夫婦みたいに阿吽の呼吸で南雲は麦茶のおかわりを淹れているし、藤井は受け取っている。
やめろやめろ見たくない!
ぶっちゃけ遊びに行ってきたようなもんで、お喋りが大半の仕事内容だったけれども、彼らを見ていると疲労感がどすんと押し寄せてきて体の力が抜けていく。
「疲れたから部屋で休むわ」
冬次はふらりと踵を返した。
「ご飯できたら呼ぼうか」
追いかけてきた南雲の声に、いらないと言う。
「後で適当に食う」
それと。
「・・・・・・明日は部活の助っ人あるから」
忙しく体があかないことを素早く伝えると、そそくさと居間から離れた。できれば遠くに離れたいが、行き場も金もない男子高校生には自室に逃げ込むという原初的な選択肢しか残されていない。わびしい自分をタオルケットで包んで慰めていると、寝具が夏用のひんやりタイプに変えられていることに気づいてしまった。
冷たくて気持ちいい。
藤井か南雲が変えてくれたのだろう。
しかしこういうところが子供なのだ。黙っていれば生活が保障される養われる側。大人の優しさを最大限に享受して許される短く特別な時期。これにずっと甘んじていたいと思っていたのに、居間にいる二人との距離を知ってから、子供でいることがとてもわずらわしくなった。
藤井家の温かく大きな屋根に守られたくないと感じるようになるなんて思いもしなかった。藤井家にやってきた時だって救いの手があったから縋ったのだ。だが、この瞬間の冬次は生まれて初めて柔らかい優しさから抜け出したいともがいていた。
起きぬけから南雲にそう言われて渡されたのは、おじさんがおばさんからプレゼントされた大切なペンだ。家でも外でも持ち歩いてお守りがわりにしている大事なもの。
ちなみに冬次の起床がおじさんがとっくに出勤した後の時間なのは朝寝坊したから。夏休みですから、あえての寝坊は大目にみやがれ。
「これ」
冬次はペンを受け取り、平常運転の南雲に疑いの目を向ける。まさか自分に用事を申しつけるためにわざと事前に抜き取っておいたんじゃないよな、と。
南雲は「僕の顔に何か?」と白々しく、玄関までついてきて冬次を見送りした。玄関で靴に足を突っ込みながら、つい思わず並んだ他の靴をチェックすると——兄貴が突撃してきた夜のことで学習したので——、藤井は在宅していた。夏休みが変則的な生活になるのは教師も同じなのだろう。
おじさんは家から徒歩圏内の場所にビルを所有しており、この一階で小さな不動産屋を経営している。営業と客が逐一出入りする駅前チェーン店のようなせかせかしたイメージはなく、古い付き合いに支えられた地元の不動産屋さんだ。
チャリを停めた冬次が重厚なガラスの開き扉を押して入ると、事務所の社長席にいるおじさんが立ち上がった。
「来たきた。待ってたよ」
まだ要件を口にしてないが、何やら非常に待ち望まれていた反応だった。
そんなにペンがなくて落ち着かなかったのか。ならばすぐ返して差し上げようと、手招きに応じておじさんに歩み寄る。
「おじさん持ってきたよ。これでしょ」
「みんな聞いてくれるかい? 夏休みのあいだだけ短期でアルバイトに入ってくれる冬次くんです」
ジーンズのポケットに伸ばした手が、びたりと止まる。
「え、ま、ええっ?」
ペンを届けにきただけなのに、どうして冬次のアルバイト話に発展したのだ?
「君がアルバイトしたがってるって南雲くんからお願いされたんだよ。夏休みに社会勉強したいだなんて若いのに偉いねぇ。おじさん感心しちゃったよ」
「んなっ」
言葉を失うとはこのこと。南雲の仕業だというのは理解したけれど、行動思考が意味不明すぎて怖い。再三考えてしまうがあの人は宇宙人なのかもしれない。
「でも俺、役に立つ資格があるわけじゃないし、たいしたことできないっすけど」
運転免許すらない年齢なのだ。もうめちゃくちゃ、この上なく、ご迷惑おかけするかもしれませんと含みをもたせてお断りしようとしたが、おじさんには通じなかった。
「大丈夫大丈夫。お願いするのは簡単な雑務だからね。困ったことがあれば現存のスタッフに頼るといいよ」
なんて面倒みのよい人柄なのだろう。しかしながら今その大らかさはいらないのだ。
「ははは・・・・・・ありがとうございます」
「それほど心配していないよ。みなさん冬次くんがアルファだからって手出しちゃ駄目ですからね」
おじさんが冗談を飛ばすと、スタッフからくすくすと控えめな笑い声があがる。うわぁ。アットホームな歓迎ムード。中年の女性スタッフが「今のうちに唾つけとこうと思ったのに残念だわ」と冗談を返し、事務所内をことさら和やかにした。
「じゃとりあえず今日は初日だから、まわりのスタッフの仕事を見学しつつ、そこの処分ボックスの中身をシュレッダーしておいてくれるかな。のんびりやってくれていいからね」
「あっ、はい。あのおじさんこれペン。忘れ物」
やっと目的を果たすことできた。もはや南雲の裏工作が否めないため、心の中で土下座し、平身低頭拝み倒した。
「ないと思ってたんだ。おじさんはこれがないと仕事にならないんだ、ありがとうね」
冬次はぺこりと頭を下げて返し、ふぅとひと息ついた後、不可抗力でやらねばならなくなった仕事に取り組んだ。
アルバイトの上がりは午後五時。朝十時から午後五時まで、定休日以外の休みは冬次の都合に合わせて申告制。おじさんの口利きでアルバイトしているので、融通がききまくる。スタッフ全員が身内の親戚みたいで、お菓子やジュースをくれるなどして可愛がってくれる。一般的なアルバイト感覚でいえば羨ましい限りの職場環境なのだろう。
ガチのアルバイト希望者だったら、な?
「ただいま」
「冬次くんおかえり。おっ」
「南雲さん、俺の言いたいことわかるよね?」
玄関を足音強めに通り過ぎて、南雲に詰め寄った。
「楽しかった? 初めてのアルバイトおめでとう」
なんじゃそりゃ、頭がくらくらする。
「帰ってきたか。おつかれ冬次。初めての労働はどうだった?」
藤井が居間から労いをくれた。何故あなたまで何食わぬ顔でそっち側に立つのか。
ていうか、何これ、なんなのこの違和感なしの団欒な感じ。長年連れ添った熟年夫婦みたいに阿吽の呼吸で南雲は麦茶のおかわりを淹れているし、藤井は受け取っている。
やめろやめろ見たくない!
ぶっちゃけ遊びに行ってきたようなもんで、お喋りが大半の仕事内容だったけれども、彼らを見ていると疲労感がどすんと押し寄せてきて体の力が抜けていく。
「疲れたから部屋で休むわ」
冬次はふらりと踵を返した。
「ご飯できたら呼ぼうか」
追いかけてきた南雲の声に、いらないと言う。
「後で適当に食う」
それと。
「・・・・・・明日は部活の助っ人あるから」
忙しく体があかないことを素早く伝えると、そそくさと居間から離れた。できれば遠くに離れたいが、行き場も金もない男子高校生には自室に逃げ込むという原初的な選択肢しか残されていない。わびしい自分をタオルケットで包んで慰めていると、寝具が夏用のひんやりタイプに変えられていることに気づいてしまった。
冷たくて気持ちいい。
藤井か南雲が変えてくれたのだろう。
しかしこういうところが子供なのだ。黙っていれば生活が保障される養われる側。大人の優しさを最大限に享受して許される短く特別な時期。これにずっと甘んじていたいと思っていたのに、居間にいる二人との距離を知ってから、子供でいることがとてもわずらわしくなった。
藤井家の温かく大きな屋根に守られたくないと感じるようになるなんて思いもしなかった。藤井家にやってきた時だって救いの手があったから縋ったのだ。だが、この瞬間の冬次は生まれて初めて柔らかい優しさから抜け出したいともがいていた。
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