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47 心を掴みたい
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すっかり南雲は自分の世界に閉じこもってしまったようだ。ペンを握り紙に殴り書いては塗りつぶし、思いついたように電子機器に何かを打ちこむたび、右腕と肩が小刻みに揺れる薄く頼りない背中。寝癖つきの頭の中では、彼の脳みそにある宇宙が幾度となくビッグバンを発生させ、彼の手を動かしていく。
夢中で背中を見つめていると時間を忘れた。アナウンスが響くまで時計はまるで役立たずだった。
「休憩の時間だ」
座間の声が天井からする。スピーカーが仕込まれている場所はわからなかった。三時間ちょっと座っていたことになり、立ちあがろうとすると負荷がかかっていた足腰が軋んだ。
「また後で来るよ」
没頭中の背中に声をかけ、地下室を出た。
冬次が上の階に姿を見せると、座間はいかにも笑い出しそうなのを我慢した顔で頷いた。
「上々だよ、おつかれさん。耐えられそうか?」
「何もしてない」
黙って床に座ってただけだ。
「あの子にしては優しい方だったな」
「これまでの被害者はどうだったんだ?」
「博識ぶった家庭教師の鼻は初日からへし折られたし、理解を示そうとした者には悪戯じみた実験を繰り返して遊び、精神論を振りかざしてくる者にはお返しとばかりに忍耐を要求してたね」
座間の目線が監視カメラ映像へと流れる。
「こうして見張られてるおかげで誰も彼も逆らえなかったのさ」
「だから地下室の透視化は正当性があるってか?」
「そんなところだ」
「どうかな」
タブレットの画面を覗き込むと、南雲は机から一ミリも動いていなかった。椅子の上で膝を胸に引き寄せた体勢で背中を丸め、穴ぐらの中で勤勉な栗鼠を思わせる。
カメラの向きを変え、南雲の横顔にズームさせた。なめらかな肌は年相応に若々しいが、真剣な眼差しは玄人じみてストイックだ。大人になった南雲の面差しと重なり、懐かしさに心を掻き乱される。なぞりたくなるような鼻のてっぺんに思わずキスしたくなった。
休憩時間を怠惰な姿勢のままタブレットを眺めて過ごした。早く休憩を切り上げると、キッチンでケーキを用意してもらい、倒さないよう注意深く、駆け足気味に階段を下りた。
「美味そうなチョコレートケーキがあったんだ。一緒にどう?」
南雲が好みそうなことを記憶から絞り出し、関心を惹く。
「チョコレートはあまり好きじゃない。けどケーキは好き」
成功だ。どんな天才もエネルギー切れには勝てない。脳みそに必要な糖分を摂取すべく、南雲は疲れた目を大きく見開いて皿の上のケーキを凝視した。
「どうぞ」
突き出された両手にトレーごとケーキを渡してやる。
冬次が覚えている限りの南雲も、よく藤井家の台所でアイスやら何やらを漁っては貪り食っていた気がする。もちろん家事のかたわらで。
「チョコレートだけだと甘すぎて口が渇くのに、クリームはまろやかですっきりして美味く感じるのは何でだろうな」
「別に、素直に美味しいでいいんじゃないの」
まじまじ観察し感想を垂れながらケーキをほおばる南雲に、冬次は微笑んだ。実に南雲らしい。
「おっさん、気持ち悪いね」
この反応は傷つく。
「悪かったね」
と目元を覆った。
南雲は南雲であって、あの頃の南雲じゃない。ひとりよがりな感情を顔に出すのは禁物である。
「ねぇ、足りないんだけど」
空になった皿がトレーごと床を滑ってくる。
「おーけー」
冬次は仰せのとおりにおかわりを運んできてやった。南雲は非常にたくさん食べ、勤務時間終了が迫った家政婦に追加で買いに行かせなければならないほど。将来の生活習慣病に要注意。
「満足したか?」
次はケーキバイキングにした方がよさそうだ。外へ連れ出す理由になるだろうか?
「うん。いい感じ」
南雲は名残惜しそうにフォークを舐めてからトレーに置く。おやつタイムが終了したので、彼の関心圏外に締め出されてしまう。そうはいくか。
「本当に世界からバース性を失くすことができるのかな」
無表情だった南雲がムッとして冬次を見やった。
「僕の頭に不可能はない」
おお、惚れ惚れする。かっこいいね。後々恥ずかしくならないといいけど。
「時間と金さえあれば簡単な作業なんだ」
「なるほど。何、涼くんの天才的な頭脳を疑ってるんじゃないんだ。おじさんも興味があってさ」
掴みは上手くいった。南雲がぴくりと眉をつり上げた。
「おっさんこの前も言ってたよね。なんで俺の作ってるものを知ってるの」
そして目を細め、冬次の体に排除すべき一点があるかのように上から下に眺めまわす。口調はめちゃくちゃ怪しんでいるし、この先の発言に迷う反応だった。
「涼くんが俺を家庭教師に指名したのは、俺が研究内容を知ってたから?」
「そうだよ! 他になんの得があるっての?」
「はは、まぁ、うん」
苦笑い。冬次は指先で顎を掻いた。
「座間の奴が喋ったわけ? 座間の知り合い? うっかり秘密を喋っちゃうくらいの? いやでも座間も驚いてたよな。おっさん何者なのさ」
「そんな矢継ぎ早な質問されるとおじさんついていけないよ」
ひとまず謙遜していく。そして答えを考えた。
「もしもおじさんが・・・・・・」
「もしも、何?」
大人になった君と出逢ったことがあるんだと言ったらどうする。
正直に打ち明けるのは馬鹿げてる。
君にずっと会いたかった。ずっと探していた。今度はいなくならないでほしいから・・・・・・君の身を滅ぼすことになる薬の開発はやめてほしいとでも乞うつもりか。却下だ。
「おい。もしも何なんだよ!」
「なんだっけね。面白い冗談言おうとしたのに忘れちゃった。実はおじさん週刊誌の記者なんだよね。ネタ集めしてたら小耳に挟んだだけのことだよ」
南雲はまんじりともせず冬次の目を覗いていたが、やがて肩を落とした。
「・・・・・・なんだよ。つまんな」
「おじさん、涼くんに幸せになってもらいたいよ」
「きも。あんたが思う必要ないじゃん」
「おじさん博愛主義だから」
「死ねよ。アルファのくせに」
南雲が椅子の上で膝をかかえ背中を丸めた。
「もう来ない方がいいかな」
冬次はトレーを持って立ち上がる。皿とフォークがぶつかり合うカチャという音に南雲の背中がびくついた。剥き出しの恐怖心こそが今の冬次と南雲の距離をまざまざと示していた。
夢中で背中を見つめていると時間を忘れた。アナウンスが響くまで時計はまるで役立たずだった。
「休憩の時間だ」
座間の声が天井からする。スピーカーが仕込まれている場所はわからなかった。三時間ちょっと座っていたことになり、立ちあがろうとすると負荷がかかっていた足腰が軋んだ。
「また後で来るよ」
没頭中の背中に声をかけ、地下室を出た。
冬次が上の階に姿を見せると、座間はいかにも笑い出しそうなのを我慢した顔で頷いた。
「上々だよ、おつかれさん。耐えられそうか?」
「何もしてない」
黙って床に座ってただけだ。
「あの子にしては優しい方だったな」
「これまでの被害者はどうだったんだ?」
「博識ぶった家庭教師の鼻は初日からへし折られたし、理解を示そうとした者には悪戯じみた実験を繰り返して遊び、精神論を振りかざしてくる者にはお返しとばかりに忍耐を要求してたね」
座間の目線が監視カメラ映像へと流れる。
「こうして見張られてるおかげで誰も彼も逆らえなかったのさ」
「だから地下室の透視化は正当性があるってか?」
「そんなところだ」
「どうかな」
タブレットの画面を覗き込むと、南雲は机から一ミリも動いていなかった。椅子の上で膝を胸に引き寄せた体勢で背中を丸め、穴ぐらの中で勤勉な栗鼠を思わせる。
カメラの向きを変え、南雲の横顔にズームさせた。なめらかな肌は年相応に若々しいが、真剣な眼差しは玄人じみてストイックだ。大人になった南雲の面差しと重なり、懐かしさに心を掻き乱される。なぞりたくなるような鼻のてっぺんに思わずキスしたくなった。
休憩時間を怠惰な姿勢のままタブレットを眺めて過ごした。早く休憩を切り上げると、キッチンでケーキを用意してもらい、倒さないよう注意深く、駆け足気味に階段を下りた。
「美味そうなチョコレートケーキがあったんだ。一緒にどう?」
南雲が好みそうなことを記憶から絞り出し、関心を惹く。
「チョコレートはあまり好きじゃない。けどケーキは好き」
成功だ。どんな天才もエネルギー切れには勝てない。脳みそに必要な糖分を摂取すべく、南雲は疲れた目を大きく見開いて皿の上のケーキを凝視した。
「どうぞ」
突き出された両手にトレーごとケーキを渡してやる。
冬次が覚えている限りの南雲も、よく藤井家の台所でアイスやら何やらを漁っては貪り食っていた気がする。もちろん家事のかたわらで。
「チョコレートだけだと甘すぎて口が渇くのに、クリームはまろやかですっきりして美味く感じるのは何でだろうな」
「別に、素直に美味しいでいいんじゃないの」
まじまじ観察し感想を垂れながらケーキをほおばる南雲に、冬次は微笑んだ。実に南雲らしい。
「おっさん、気持ち悪いね」
この反応は傷つく。
「悪かったね」
と目元を覆った。
南雲は南雲であって、あの頃の南雲じゃない。ひとりよがりな感情を顔に出すのは禁物である。
「ねぇ、足りないんだけど」
空になった皿がトレーごと床を滑ってくる。
「おーけー」
冬次は仰せのとおりにおかわりを運んできてやった。南雲は非常にたくさん食べ、勤務時間終了が迫った家政婦に追加で買いに行かせなければならないほど。将来の生活習慣病に要注意。
「満足したか?」
次はケーキバイキングにした方がよさそうだ。外へ連れ出す理由になるだろうか?
「うん。いい感じ」
南雲は名残惜しそうにフォークを舐めてからトレーに置く。おやつタイムが終了したので、彼の関心圏外に締め出されてしまう。そうはいくか。
「本当に世界からバース性を失くすことができるのかな」
無表情だった南雲がムッとして冬次を見やった。
「僕の頭に不可能はない」
おお、惚れ惚れする。かっこいいね。後々恥ずかしくならないといいけど。
「時間と金さえあれば簡単な作業なんだ」
「なるほど。何、涼くんの天才的な頭脳を疑ってるんじゃないんだ。おじさんも興味があってさ」
掴みは上手くいった。南雲がぴくりと眉をつり上げた。
「おっさんこの前も言ってたよね。なんで俺の作ってるものを知ってるの」
そして目を細め、冬次の体に排除すべき一点があるかのように上から下に眺めまわす。口調はめちゃくちゃ怪しんでいるし、この先の発言に迷う反応だった。
「涼くんが俺を家庭教師に指名したのは、俺が研究内容を知ってたから?」
「そうだよ! 他になんの得があるっての?」
「はは、まぁ、うん」
苦笑い。冬次は指先で顎を掻いた。
「座間の奴が喋ったわけ? 座間の知り合い? うっかり秘密を喋っちゃうくらいの? いやでも座間も驚いてたよな。おっさん何者なのさ」
「そんな矢継ぎ早な質問されるとおじさんついていけないよ」
ひとまず謙遜していく。そして答えを考えた。
「もしもおじさんが・・・・・・」
「もしも、何?」
大人になった君と出逢ったことがあるんだと言ったらどうする。
正直に打ち明けるのは馬鹿げてる。
君にずっと会いたかった。ずっと探していた。今度はいなくならないでほしいから・・・・・・君の身を滅ぼすことになる薬の開発はやめてほしいとでも乞うつもりか。却下だ。
「おい。もしも何なんだよ!」
「なんだっけね。面白い冗談言おうとしたのに忘れちゃった。実はおじさん週刊誌の記者なんだよね。ネタ集めしてたら小耳に挟んだだけのことだよ」
南雲はまんじりともせず冬次の目を覗いていたが、やがて肩を落とした。
「・・・・・・なんだよ。つまんな」
「おじさん、涼くんに幸せになってもらいたいよ」
「きも。あんたが思う必要ないじゃん」
「おじさん博愛主義だから」
「死ねよ。アルファのくせに」
南雲が椅子の上で膝をかかえ背中を丸めた。
「もう来ない方がいいかな」
冬次はトレーを持って立ち上がる。皿とフォークがぶつかり合うカチャという音に南雲の背中がびくついた。剥き出しの恐怖心こそが今の冬次と南雲の距離をまざまざと示していた。
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